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愛を見失った 自分自身


幼い頃から今現在まで生きてきて自分自身ふと考える時があります。

母親の お腹から出てきてすぐに障害の体をもちあわせ 生まれてきてから母親の 肌の温もり 今まで 実感として 覚えがないし感じたことも ないように 思います。

障害として生まれてきた私は生まれてから数ヶ月ぐらいは、体温調整のためにずっと柳行李の中で 寝かされていました。

 そのため、母親には抱かれたことがないように思われるんです。

そんな状況で育った私は愛情というものがよくわからず、言葉の 意味だけの理解でここまできました。

自分が 何かを やってもらうことに対しては 素直な気持ちで 感謝は出来るのですが 自分自身が 人への思いやり 本当の意味の 愛情 を 注ぐ ことが難しく 無償 の 愛を示すことが できないように この頃特に 感じられてこの歳になっても 分からない のが現状と 言っても いい と感じています。

自分としては 自分が 愛して いるのだから 愛して もらえるのが 当たり前のように 思うことが多く 見返りをすぐに 求めてしまう 独占欲をすぐに 出してしまう様です。
最近 そんな自分が 嫌になっています 。

不自由な体で 相手のために 愛情を 注ぐことは 本当に難しいものです。

ある時には 誤解されて分かってもらえないことや 行動で 示すことができない分 理解してもらえないこともあります。

それに 私たち障害者が 生きていくうえで この世の中に 差別と言う 根深い 感情が ある限り 無理だとの諦めの気持ちが どこかに 潜んで いるために 人間関係 でも 男女関係でも 寂しい 思いを引きずってしまっています。

言葉上の 愛情 ではなく 本当の意味で 人を愛し 愛されることを 願っています。 幼い頃から 障害者としてしか 思われていなかった 親子関係や 家庭的な 環境でなかった 私自身は 今 真実の 気持ちで 愛して行ける人が 欲しいものです。

人生の 終末期にあたる 私の 願い です。

今の 素直な 素直な 気持ちです 。 何もできない 私に 一つ の 希望の光に なって もらえるような 相手を見つけ、 充実した 人生 をおくっていきたいです。

これが 今の 自分自身の 正直な 気持ちです。



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