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一枚の自分史:いつも仕事はご褒美だった

2013年(平成25年)11月、和歌山県の障がい者職業訓練の就職支援の講座を担当していた。駅前から続く欅の並木を30分歩くとその教室はあった。私はいち早く黄葉する欅並木の下を歩くのが好きだった。

そんな日のこと、激しい雨の朝、歩かずにバスを使って向かっていると、半身に不自由を抱えながらも就職に向けて訓練に通ってくる19歳の青年が雨の中で、自転車のスタンドをどうにか立てようと悪戦苦闘していた。普段でもしばらくかかっていたのに、こんな雨の日に時間もかかってびしょ濡れになるし、歩道の真ん中で危険極まりない。怪我をさせたくない。こんな日ぐらい、休んでもいいのよと言いたくなる。やりきれなくて、どうしようもなくて、無力感でいっぱいになって、生半可な声をかけそうになってぐっと堪える。

その日の就職支援の講座は、自己理解と仕事理解だった。そこに学ぶ人たちは、心と体に抱えている問題は様々だった。どの人も様々に深い霧の中をさまよっているようだ。
時として、教室が地雷原になることがあった。踏まないように気をつけているのだが、つい、踏んでしまうことがある。共に吹き飛ぶ覚悟がなければ,この仕事はできなかった。それぞれに抱えている問題は聴いているこちらの方が辛くなった。
「あなたにとって仕事ってなんですか?」
という質問に、19歳の彼は、
「人の・役・に・立つ・こと」
しぼりだすようにしないと発声できない。それでも一生懸命に答えてくれた。

私は定年退職した会社で拗らせたリストラに纏わる罪悪感を払拭したくて、
罪滅ぼしできたらと始めたキャリアカウンセラーだった。
「ぼくらこれからどうやって生きてったらええねん?」
あの時に、答えられなかった質問にカウンセラーになって一生懸命答えてきた。これまで、ごめんなさいでやっていた仕事が、いい仕事をさせてくれてありがとうになった瞬間だった。
19歳の魂のピュアさに心が震えた。他の受講生にとってもいい時間になったようでした。

キャリアカウンセラー・コンサルタントの学びだけでは、日々の突き付けられる課題には追い付かず、京都のお寺で、深い心理の学びを積み重ねている頃だった。折しも、「嫌われる勇気」でアドラー心理学がちょっとしたブームになり、「永遠のゼロ」がベストセラーになり映画もヒットしていました。

私の心にも地雷原があった。リストラがトリガーになって常に心が動きすぎる辛い日々を過ごしていた。渇いた地雷原にあってオアシスのような十九歳だった。全身全霊で援けたくなる受講生だった。
マナーの授業でも、不自由な手足でもきちんとしたお辞儀ができるようにと
手足が攣るほどに頑張る姿に感動と元気をもらった。

そんな出会いがあって、それまでずっと名乗れなかったキャリアカウンセラーの名を、いつしか胸を張って名乗れるようになっていた。おかげで引けてる一歩を勇気を持って踏み出すことができた。

欅という木は個体によって紅、橙、黄と紅葉する。そこに緑が混ざってそれは美しい。それぞれに色が違うから味わいが増す。人の世も同じ、違っていいハーモニーが奏でられる。彩づいた欅の下を歩くとき、これからもずっと彼のことを思い出すだろう。

 70歳を超えて、そろそろキャリアカウンセラーの仕事はもっと若い人でもできる。私は、この歳でないとできないことをやっていきたいと思っている。そう思いながらも、なかなか、この仕事から離れられないのは若年者への就職支援の仕事は頑張ってきた私へのご褒美だからだろう。

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