実朝は女人を愛せなかったのか?

ウン十年ぶりに興奮してしまいました!

この前の日曜日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」視聴された方にしかわからない話になるが、大河ドラマはもうウン十年つい見続けている。私の中では、今回の鎌倉殿は独眼竜政宗以来の大ヒットでして毎週楽しみにしています。特に、鎌倉三代将軍の源実朝が登場してからは格別です。

ちょうど50年前、国文学科だった私の卒業論文は「源実朝金槐和歌集」についてだったのです。
その後10年ぐらいは、提出日の朝、全く書けていない原稿用紙を目の前にしている夢を見て嫌な汗を何度もかきました。
口頭試問では、厳しいと有名な教授からいろいろ質問を受けてました。内容は、今でも覚えています。

調べていくうちに、22歳の私から見て、実朝の相聞歌(恋の歌)には実感が伴っていないと感じたのです。それで、それ以外の歌も比較してみて秀歌だと思える歌があるにもかかわらず、そこを追求したのです。他の歌人との比較もしたりして、出した結論は、実朝の無常観がそうさせた。
実朝は甥の公暁に30歳で暗殺される自分の運命を悟っていた。その状態ではまともに女人に恋をすることはできなかったのではないかかなどと小賢しいことを書き連ねていました。

「なんやこれは? これを卒論というのはおこがましいわ」
と言われてしまいました。教授は、
「これでは単位はやれないわ」
一瞬、真っ青になりました。続けて教授はこうも言ったのです。
「おもしろかったわ! この研究をこれからも続ける? それなら単位をあげるけど」
最後まで聞かずに、
「やります! 続けます」
と答えていました。

教授は約束通り単位をくれて、私は無事に卒業しました。でも、私は、まだ約束を果たしていません。
この2年間、「一枚の自分史」を書いていて、卒業写真の恩師と並んでいる写真からするすると思い出したのです。すっかり忘れていたのです。
これまでの人生で、他にも大切な約束を忘れているのではないだろうかとふいに不安に襲われました。
この人生においての約束は一体何だったのだろう。思い出さねばならないとあれから思いつづけていたところ、この大河ドラマでした。

この前の日曜日の大河の話に戻りますが、実朝は、太郎(泰時)に返歌を待っていると和歌を渡します。太郎は実朝の和歌の真意が分からずに返歌に悩んでいると、それは恋の歌だと言われて、それなら渡す相手を間違っていると実朝に返すと、あ、間違っていたと別の歌、「大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも」を渡すという件があります。
三谷幸喜さんは、実朝が女人を愛せない人として描いているようです。そのところは、まさに50年前に私が推論していたのと同じ、やっぱり、そうよね~と大興奮しました。
実朝は正室がいるにもかかわらず太郎に恋をしているのか? うん? え! ボーイズラブなのか? 歌を突き返されてブロークンハートだったのか?
それで渡したのが「われてくだけて裂けて散るかも」だったの?
え~、三谷さん、そう来るの?
「大海の」の歌は実朝の秀歌中の秀歌だ。
暗殺の運命を予感していた実朝の潜在意識が歌わせた歌だと理解していたのに、そうなんや失恋の歌だったなんて三谷さんにやられました。
女人を愛せないのではないか。しかい、卒論を書いた時、ボーイズラブは意識になかった。今思うと、あの戦乱の世にあったかもしれない。あるいは、三代執権泰時というポイントゲッターに自分の身を委ねる、その意味もあったのではないだろうか?
もっと愚管抄、吾妻鑑を読み込む必要があったと強く思う。
あの卒論は、そりゃあ、あかんよな。主観に始まり、主観で終わっていた。そうだった。国文学とは歴史の学問でもあったんだわ。

今年3月、父の戦争の物語を書いた。その時代背景と歴史を知って初めて見えることがあった。大きな歴史の流れの中での個人の歴史を見詰めてやっと見えてきた。時代をしっかり考証する必要を実感した。卒論で学んだ数々のことは50年を経て役立っていた。

ドラマが終わった後、息子を相手に、大興奮して滔々と大演説をぶっていたらしい。「私も脚本書けるかもしれない」と。
目の前にいた息子、聞いていたのか、聞いていなかったのか? 話し終わった私に放った言葉は、ひとこと「ハウス!」でした。

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