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一枚の自分史:日本武道館に連れてきてくれてありがとう

二〇二三年十月七日、孫っこが少林寺拳法全国大会の小学生の部で組演武で出場した。世界大会への切符をかけて、「JAPAN」を背負って戦った。

試合の朝は早く目覚めてしまって、自分が試合に出る訳でもないのに、そわそわざわざわと心が落ち着かなかった。ホテルを出て、隅田川のリバーサイドウォークしてスカイツリーを拝んだ。その後、ホテルの温泉でさっぱりしてから、私が試合に出る訳ではないのだが、いざ出陣した。

日本武道館は二度目である。二十三年前に全日本大学生選手権大会に親の会を代表して応援にきたことがあった。
この時、孫っこの母親である娘は学生の大会では準優勝だった。全国大会、世界大会には届かなかった。

一昨年、孫っこたちが県大会で四年生でいきなり五位をとった時、
「すごいなあ、あ~ちゃんを武道館に連れて行ってな~。ママも学生時代に連れて行ってくれたし、すごいところやし、また行けたら嬉しいわ~」
 と言ったら、
「ええよ~!連れて行くよ~」
 とずいぶん軽い返事が返ってきたものだった。

あの子の夢は東京武道館の全国大会で演武することだった。
約束通り、今年、六年生で夢を叶えて、母の夢も祖母の夢も叶えてくれた。
返事は軽くても、そこに至る道は簡単ではなかっただろう。体中のあざが物語っていた。

コロナで世界大会は六年ぶりだった。しかも日本で、武道館で開催されることになった。七日の全国大会で勝ち上がった組が、八日に世界と戦える。
日本中の武道者の憧れの会場まで来れたこと自体がすごい。なのに、本人たちは子ども過ぎて実際に日本武道館にやってきて初めて実感を得たようだった。その上に世界大会までは意識にも入っていない様子だった。だが、世界大会はすぐ目の前で手が届くところにあった。普段の力を出せたら充分に行けるところにいた。
二十二組が三コートで戦い、それぞれのコートで三位までしか世界大会には行けない。

始まる直前に、あの子たちのコートで鼻血を出した子がいて救護に時間がかかった。その間、半時間ほど冷たい床に座って待たされた。
いきなり始まった初戦は孫っこたちだった。
「はい、立って!すぐに始めます」
いきなり試合は開始となった。埋めたい床に半時間近く座った状態で体は温まることなく固まったまま、集中する時間も与えられずに緊張だけを強いられる試合となってしまった。
ほんの少し体をほぐす時間を、集中に入る時間をとってもらえなかった。二番目からはそれが与えられる状況にあっただけ口惜しい。どんな状況でも戦えることを要求されても、所詮は子どもだった。
案の定、二階席からは見ていられないほどがちがちに緊張している姿があった。

結果は二十二組中僅差で六位だった。いつも通りの演武ができていたら、当然世界に手が届いていただけに口惜しい。本来の力を出せなかったことが一番悔しかっただろう。それだけに、本人たちの落胆ぶりは上からは見ていられないものだった。
小さくてもアスリート魂は一人前だった。世界大会に行く気だったのだ。
口惜しさに首を深く折ってうなだれたままだった。胸を張ってほしいと思った。

勉強もそっちのけで遊びも我慢して、大会前は週五日練習して、努力して努力して挑んだ大会だった。武道館には大きな魔物がいた。小さな体で大きな魔物と戦う姿に言い知れぬ感慨を覚えた。
小さなときは大きな声を出して泣く子だった。武道館の床に落ちた涙を手で拭う姿がいつまでも目に浮かぶ。帰り際に私を見て、ぐっとこらえて、涙をにじませていた姿が愛おしすぎた。
孫っこは、
「見に来てくれてありがとう」
 そして、こう言った。
「来年も全国大会に連れてこれるようにまた頑張るね」
来年は中学生になる。「全中学生大会」もある。すでに照準を変えていた。私はまだまだ感動できるのだ。この子にもう少し楽しませてもらえそうだ。
「武道館に連れてきてくれてありがとうね」
世界に配信された近くのカメラで写したビデオを繰り返し見て、怪我しても不思議ではない状況でそれでもあれだけ戦ったんだ。見るたびに感動している。

どうか、孫バカと笑うなかれ!
応援してくれたすべての人に、そして、ご指導くださっている皆さまや共に研鑽するお友達やそのご家族に感謝しかないことを書いておきたい。

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