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流言とデマとは何なのか






広井脩(2001)『流言とデマの社会学』文藝春秋


 流言とは、辞書的には噂とかデマと同義とされる。人から人へと伝えられる話の中で、無根拠性や無責任性の目立つものが流言とされてきた。造言飛語など明らかなデマを意味する言葉もある。
 本書では、流言の特徴として5つの特徴があげられている。1つは、人から人へと伝えられる情報であること。2つ目は、正々堂々と表明されるというより秘密の色彩を帯びていること。3つ目は、事実の確認なしに語られること。4つ目は、その情報の内容が次第にゆがめられ、元の内容と全く異なることが多いこと。5つ目は、それを伝える人々の感情と深くかかわっていることである。
 そして流言には、2つの形が存在する。まず1つ目は、噴出流言というものだ。例えば関東大震災のように、災害による破壊が壊滅的で今まであった社会組織や、われわれが普段従っている規範が一時的に消される状況で発生する。2つ目は、浸透流言といわれ、社会組織や規範が残っている状態で発生するものである。この二つの流言の違いは爆発的にうわさが広がっているのか、徐々に広がっていくのかという点にある。噴出流言は 日常的なネットワークの範囲を超えて、急速に広がっていくが、消えるスピードも速いとされているのに対し、浸透流言は日常的なネットワークの範囲の中で、徐々に浸透していくため、広がるスピードは遅いものの、持続する期間は長いとされている。この本で例に挙げられているのは、1990年頃に東京で起きた外国人労働者の事件に関する一連の流言。最初に、とある中年夫婦が河川敷を歩いていると、複数の黒人の外国人労働者が夫を木縛り付けて妻を暴行するというものだが、実際にはこのような出来事は起きていないにもかかわらず、うわさはどんどん広がっていったのである。そしてこのうわさが沈静化したあと 、とあるイラン人が主婦を襲うというデマが広がったのである。このような流言が広がった背景には、日本に急速に増えた外国人労働者に対して、多くの日本人が不安を感じていて、言葉も習慣も違う人々に対して一般的な不安感だけでなく、東南アジアや中近東の人々に対して、多くの日本人が持っている偏見や差別意識が含まれていたのではないか。だから、このようなうわさが広がったのだろうと私は考える。浸透流言にあたる例として上記の外国人労働者暴行事件がある。また、当時日本には、外国人労働者に強い偏見があり、とても影響力のあるデマで立て続けに起こったため、著者は取り上げたのだろう。私はこの本を読んで、デマやうわさには様々な形があり、ネットが当たり前になった現代にも、このようなことが多く存在しているのではないかと感じたし、本当の情報ではなくうその情報をそのまま鵜呑みにして、疑うことがなくなってきているのではないだろうか。全部疑えとは言わないが、少しは疑いの目を持つことも大切なのではないだろうか。
(ビックボス)

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