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性的マイノリティはなぜ、カミングアウトをするのか。

[紹介書籍]砂川秀樹(2018) 『カミングアウト』朝日新書.

「カミングアウトは、伝える側と伝えられた側との関係が作り直させる行為だ。いや、作り直される行為の始まり、という方が正しいだろう。なぜなら、カミングアウトは伝えればそれで終わり、というものでもないからだ。」(p3) 筆者は冒頭でこのように語る。
 カミングアウトをする側はもちろんのこと、された側の反応、態度などからも互いに相手のことを改めて知るのだ。さらに、性的マイノリティの当事者には、カミングアウトの先に伝えたかった思いがある。そのような意味で、カミングアウトは、関係が作り直される行為の始まりなのである。
 本書には、いくつかのカミングアウトストーリーが記載されている。それは、実際にあった事例だ。これにより、伝える側と伝えられた側の心情を知ることで、性的マイノリティにとってカミングアウトがいかに大切なライブイベントなのかということ、なぜカミングアウトをするのかということが理解できるようになる。
 本書の著者、砂川秀樹は、文化人類学者で、オープンリーゲイである。著書に、『新宿二丁目の文化人類学』などがある。
 第一章では、セクシュアリティの基礎知識について記述されている。また、同性愛、両性愛などの"性的指向"と「熟女」、「二次元」を性的な対象とするといった"性的嗜好"の違いについても説明されている。私たちは常に性別で分けられる社会を生きている。性的指向に関しては、同性婚などの制度の問題があるが、性的嗜好は、制度を必要としない。つまり、性的指向は、性別の問題であり、性的嗜好は、「性別の問題の先のカテゴリー、あるいは性別の問題のさらに一つ別軸の加わる問題」(p55.56)なのである。これらのことから、筆者は本書の中で、性的指向を「指向する性別」という意味で「指向性別」と表現している。
 第二章では、「異性愛者は異性愛者であるとカミングアウトしないのに、どうして、ゲイやレズビアンはわざわざ自分がそうだと言うのか?(言う必要はない)」(p67)という問いに答えている。それは、社会の中で、異性愛が前提にあるということからカミングアウトする必要がないのだ。しかし、実は異性愛者は様々な話を通して自分が異性愛者であることを語っている。例えば、自分の結婚生活、夫や妻、あるいは彼氏や彼女の話をすること、あるいは、好きなタイプの異性について言うこと、また異性間の恋愛や性の経験談や悩み話などをする形である。異性愛が当たり前の社会では、性的マイノリティが異性愛者であると誤解されることはよくあることであり、その誤解を解くことには何らかのリスクが伴うのである。
 第三章では、カミングアウトによって起こりうる、伝えられた側の拒否感による摩擦、衝突についてと、「アウティング」という本人の同意なく誰かに伝えてしまうことについて、「一橋大学ロースクール事件」を紹介しながら、その問題について触れている。
 家族にカミングアウトすることは、難しいと考える人は多い。その理由として挙げられるのは、日頃の言動から受け入れられると思えない、家族を傷つけたくないというものだ。異性と結婚して、家族をつくっていくことが「当たり前」という社会において、家族へのカミングアウトによるショックは大きいものとなるだろう。この摩擦、衝突は、時間が解決するケースもある。伝えられた側にも気持ちを整理する時間が必要なのである。
 第四章では、カミングアウトがもたらす、伝える側と伝えられた側の双方の変化について記述されている。カミングアウトが難しいのは、伝えられた側にとって、自分の経験にとってかけ離れていて、想像がつかなかったり、そもそもそれに関することについての嫌悪感があったりするため、伝えられた側が大きな衝撃を受けることがあるからだ。それを乗り越えることによって、双方の絆はより深まっていくことだろう。また性的マイノリティがカミングアウトをし、それが受け入れられることで、承認される関係が拡大され、自己肯定感が上がるということも、筆者は述べている。
 第五章では、パートナーシップに関する制度や同性婚、外国人の性的マイノリティが在留資格を得られないといったケースなどを紹介している。また、カミングアウトしやすい社会になるということは、多様性が認められる社会になるということである。つまり、カミングアウトは、「社会に対する贈り物」であると述べられている。
 本書は、カミングアウトを強制したり、強く勧めているというわけではない。しかし、カミングアウトをすることが、カミングアウトしやすい社会をつくっていくということを述べているのだ。(I.K)

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