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【一日一問】わたしを100%信じるなら何から始めるか。

みなさん、こんにちは。Grounding Lifeの長谷川です。

今日は、昨年末に経験した退職の話。自己評価が低く、上司や仲間からの評価や実績だけで自己肯定感を得ていた私が、どのように『自分を信じるようになったのか』について書いてみたい。

思いついたのでしばらくは『働く×コーチング』で経験を書こうと思う。

今日は、実験的に常体文で。

入社理由は『私にはない空気があるから』

私が前職に就職したのは2004年。新卒で内定を頂いた企業だった。就職活動は幅広い業界で行っており、地元の地方銀行からも内定を頂いていた。両親はじめ親戚はみな、『これであの子は帰ってくる!』と大喜びだった。

だから『私、東京に残ってリクルートに行こうと思う』と伝えた時の父親の落胆は大きかった。沢山の銀行関係者を繋いでくれたり、当時女性で初めて支店長となった方とお話しさせていただくなど、私の気持ちを確認するようなアクションを取ってくれた。

それでも『やっぱり、自分とはタイプの違う世界に飛び込みたい』と我を通した私。最後は『応援する』と言ってくれた両親には本当に感謝だ。

そこから16年という月日を経て、私は昨年末にリクルートジョブズという会社を退職した。この期間、営業・営業企画・人事・採用・育成、と本当に幅広い仕事を経験させていただき、学びも壁も多い時間だった。

一言で言うと『これ以上ない充実感』にあふれていた16年だったと思う。

私は『自分はこれができる』という自己評価をするのがとても苦手で、いつも『これでいいのか、これで期待に応えられているのか』と戦々恐々しながら働いていた。

評価を人にゆだね、その結果に自己肯定感を左右されていた期間は長かった。入社して10年近くはその状態にいたと思う。

コーチングとの出会い

退職の決め手は『プロコーチとして独立して生きていきたい』と腹をくくれたことにあるが、コーチングとの出会いは30歳過ぎた時だった。

出産と復職を経験する中で『漫然と会社に復帰する自分』を感じていた私は

・本当にあの会社に戻りたいと思っているのか?

・そもそも『心からやりたい事』なんて私にあるのか?

・私は一体どういう人間で何のために生きているのか?

と考えるようになった。育休中は子育てがあまりにも慣れなくて考えることさえなかったこと。復帰して一人で電車に乗るようになり、ようやく自分の時間を得るようになって初めて気づいた『自分への問い』だった。

そしてその時私は、

『それらの問いに何一つ答えられない自分』に直面したのである。

自分が思っていること、感じていることをもっと知りたい。言葉にして話してみたい、誰かに聞いてほしい。そんな猛烈な欲求が湧き上がってきた私は、幾つかの情報を集めた末、CTIジャパンというコーチ養成機関の門をたたいた。子供たちは2歳と0歳。まだまだ手のかかる幼子と自分迷子の私。コーチングとの長い旅は2010年に始まったのだった。

コーチングで一番初めに受けた衝撃

コーチングを学び始めた当初、私は『コーチングのクライアント体験』をすることに夢中になった。私は営業、人事という仕事を経験する中で、人の話を聴くことには慣れていた。比較的ジーっと聴くことはできる方で、入社当初から『ベテラン』とか『おかん』と言われ、聞き役に徹することが多かった。

なので、コーチングの中で『クライアントとして自分の話を聴いてもらう』という事がこれほどまでに自分を丁寧に扱い、癒される感覚になるんだ、ということに驚き、衝撃を受けた。

また、コーチがくれる反映や直感は『自分では気が付いていないことだけど言われると!!!』というようなものばかりで、それもまた『私はここに確かに生きているんだ』という妙な感動を呼び起こすものだった笑

その中でも衝撃を受けたコーチの言葉は

『由香は、優等生、というスーツを着ているように見えるね』

という一言。

物心ついた時には年子の弟がいた私。しっかり者で物分かりのいいお姉ちゃんがしみ込んでいた。本当は甘えたり、わがまま言ったり、無茶苦茶なことをして大人を困らせてみたい、驚かせたい。そんな気持ちを押し殺しながら、レールを外れないように、期待値調整をする私。

そのことに一番気づいていたのは私自身だったけれど、そこまで的確に言い抜かれてしまうとぐうの音も出なかった。驚きと共に涙があふれた。きっとずっと泣きたかったんだな、と心身でわかった瞬間だった。

仕事においてコーチングが生きる時

コーチングの学びは、少しずつ確実に、私の『働き方(そのスタンス)』に影響を与え始めた。

学び始めたことで『働き方が変わった』と言えば一つ印象的な出来事を思い出す。

ある時、仕事帰りに『この仕事、もう私したくないな』と強く思っている自分に気が付いた。オフィスを出て街を歩く瞬間に泣き出したくなるような、ぎりぎりを我慢している感覚。

・仕事の内容が嫌い?→いや、実はそんなことはない。

・仕事の仲間が苦手?→仲間は本当に好き。ずっと笑っていられる。

・仕事で求められていることが怖い?→その感覚はない。

じゃ、私はなんでこんなに『仕事が嫌』なのか。そんなことをふと考えていると、コーチングで学んだ『人生の目的』という言葉が浮かんだ。

人生の目的:この世界を『人生の主役』として生きる上での目的。自分の人生を何のために使うか、何を成し遂げようとしているのか。その言葉。私の場合、この当時の人生の目的は『命のバトンを受け継ぎ、次の世代に渡し、一人一人が存在することの価値を伝える』というものだった。

このことを思い出した時、ハッとした。

私は今この瞬間『人生の目的』から外れているのかもしれない。命のバトンとなるような『想い、魂』を引き継いで、他の人に手渡ししている感覚がなかったり、関わる人を本当の意味で『あなたの存在は意味があるんだ』と思えてないのかもしれない。それは私自身のことでもあるし、周りの空気からそれを受け取りすぎているかもしれない・・・。

そんなことに気が付いた。人生の目的に即して仕事するなら何?と自分に問うと、私の内側から出てきたのは『本当は電話じゃなく、会って話したい人がいる』という気持ちが出てきた。

その翌週、私は上司に掛け合って、時短業務の範囲内で半日の出張をした。往復5時間程度の短い出張だったけれど、私にとってそれは産後初めての出張であり、自分の仕事の枠を壊した出来事でもあったのだ。

芽生え始めた『自分でいいんだ』という感覚

コーチングとの出会い、コーチとしての活動、クライアントとしての経験。それらが私に与えたものは『私は、唯一無二の存在なんだ』という確信だった。概念としてはもちろんわかっていても、自分の心・体・魂が『そうだ』という感覚になるまではずいぶんかかった。

ただ、一度そう思い始めると、

・私はここにしかいない

・私は私を最大限生かしたい

・私は私の他の何者にもなれないし、なる必要がない

という事がだんだんと肚に落ち、自分の感覚として定着し始めた。

そしてそこから10年という長い時間をかけ、私はプロコーチになり、副業を経て独立することになる。2020年からはCTIジャパンのコースリーダー(ファカルティ)としてコーチングを拡げるお役目を頂いている。

次回はプロコーチを目指すプロセスについても書いてみたい。

今日の問い

今日はそんなプロセスを振り返りながら、今ここにある問い。

私が私を100%信じるなら、如何なる選択も応援する。私のする選択には何も間違いがない。これでいい、これがいい、と言い続ける。

そして『やりたいな』と思う事をなんでもさせる。例えば今日はこうやって前職のことを書いた。これにはほんのちょっとの勇気がいる。でもそれ以上に『コーチングを学んだ先に何があるのだろう』と感じている方の背中をそっと押す力になると思うから。

わたしを100%信じるなら何から始めるか。

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