日本は何故アメリカと戦争したのか?(9)アメリカの戦争目的は、当初はドイツ打倒だけだった

 どうして日米戦争は勃発したのか、今回はそのアメリカ側の話。
 要するに、第二次世界大戦のアメリカの戦争目的は、当初はドイツ打倒だけだった。ところがその後、日本がドイツと同盟する。これによりアメリカは、ドイツ打倒のためには、ついでに日本も打倒しなければならなくなった。そして七面倒くさい紆余曲折の末、結局そうなった。という話。

 ここで注目したいのは、その頃の米軍の頭数↓
https://www.nationalww2museum.org/students-teachers/student-resources/research-starters/research-starters-us-military-numbers
 一目で分かるように、1939年時点でのアメリカ陸軍は約20万人。急激に拡大していくのは、1941年以降だ。
 そして、たったの20万人で戦争するのは不可能。だから、1939年時点ではアメリカに戦争する気は皆無だったことになる。
(海軍は別に考慮する必要があるが、第二次世界大戦でのアメリカの大規模な建艦は、やはり1940年から)。

 歴史的な事実としては、かつてのアメリカは、近隣に強敵がいないという国情から、大きな常備軍は持たない国だった。
 では、その頃のアメリカはどのように戦争していたのか?というと、要するに戦争が始まった後に徴兵を行い、それで大軍を編成するというやり方だった。それが初めて行われたのが南北戦争。第二次世界大戦は、アメリカ史上では初めて、戦争開始前にそれが行われた事例だった。そして兵士の訓練には約1年かかるので、1941年に米軍が急拡大していると言うことは、そのスタートは1940年だったことになる。

 では、その1940年に何があったのか?
 というと、これは歴史の教科書にも載っている。ヨーロッパの第二次世界大戦であり、フランスまでも打倒しヨーロッパ全域を支配せんばかりのドイツの大勝利だった。
 アメリカにしてみれば、アメリカ自身の安全保障上の理由から、ドイツのヨーロッパ支配を認めるわけにはいかなかった。かといって今更平和的解決などあり得るはずが無く、だからアメリカ政府は、ドイツ打倒を決意した。(ところが、その時点でアメリカ世論は参戦に反対で、ここがまた面倒な話になる)。

 付け足しだが、それは安全保障の為の戦争なので、正当な自衛戦争(defensive war)ではなく、違法な予防戦争(preventive war)に当たる。その必要がある限りあらゆる悪行を行うのがマキャベリズムだが、アメリカもそういう悪党だった。ただしその実態は、日本の真珠湾攻撃、およびその後のドイツ・イタリアの対米宣戦布告により、すべて有耶無耶になってしまった。

 当初のアメリカの意図は以上のようなものだったのだが、ところがその後、日本がドイツと同盟してしまう。だからアメリカは、ドイツ打倒の為には、ついでに日本も打倒しなければならなくなった。そして七面倒くさい紆余曲折の末、結局、そうなった。最も根本的には、それがアメリカにとっての日米戦争だった。

 なのだが、それでもアメリカにとって、日本との戦争は回避したい理由がある。ドイツに全力を向けられる方が遙かに戦略的に有利だからだ。
 つまりは、日本の思惑が『アメリカとの戦争は避けて大東亜共栄圏建設を成し遂げたい』なら、アメリカの思惑は『日本との戦争は避けてドイツ打倒を成し遂げたい』だった。

 そしてアメリカは、ただし露骨にそう言ったわけでは無く、外交的なオブラートに包んだ文言でだが、日本にそれを伝達していた。
 日米交渉ではハルノート以前の唯一のアメリカ側提案が『6月21日米国案』だが、(その前の『日米諒解案』は伝言ゲーム的錯誤により作成された日本大使館案)、それを日本はこう↓解釈していた。(近衛文麿著『最後の御前会議』より。『杉山メモ』の昭和16年7月10日にはもっと詳しく記されている)。

(前略)この六月二十一日案の特色は左のとおりである。
一、欧州戦争に対する両国政府の態度の項において、日本が提唱した平和克服のために日米努力するという一項目を削除し、あくまでドイツ打倒に邁進するのだということを暗に謳おうとした点。
二、三国条約関係において「日本は挑発によらざる欧州戦争の拡大防止に寄与せんとするものなることを閘明す」と規定することを提唱し、米国がドイツから「挑発」されて参戦した場合は、日本は起たないというはっきりした一札を何とかして取ろうとする苦心が見える点。
三、支那問題に関して、最初の案にあった蒋介石政権と南京政府との区別をなくして単に「支那国政府」に和平を慫慂することになっており、また近衛原則はメンションしてあるが、その中の善隣友好だけを謳って、経済提携と共同防共には触れず、全体として米国内の輿論を恐れて大分逆転している点。
四、いったん日本側が削除した日支和平条件を付属書として復活し、これについて満足な合意の成立することを必要なりとした点。
五、日本が「南西」太平洋に局限した日米経済協定を提唱するに対し、太平洋全域に関する協定と修正した点。

 そこからは「日本との戦争は避けて、ドイツとの戦争を遂行したい」という意図が読み取れたはずだった。
 ところが、それにも関わらず、日本はアメリカの意図を読み誤った。アメリカは、まだ世論の支持は得られていないがアメリカ政府は、とっくにドイツとの戦争を決意していた。それは、もし日本がドイツとの同盟に固執するならば、日本もろともドイツを打倒する決意でもあった。しかし日本はそこを誤解していた。
 例えば内大臣・木戸幸一が誤解していたことは、その日記から分かる↓(『木戸幸一日記』昭和16年7月31日より)。

先般の日米国交調整交渉の際にも米国は三国同盟の存在は承認せる次第にて、米国としては国際条約を極めて尊重する国柄なれば、今日之を日本が廃棄することが果たして米の信頼を深むる途なりや、或は軽蔑を買うこととなるにあらざるや、頗る疑問なり

 事実としては、三国同盟を認めているのは日本大使館制作の『日米諒解案』で、米国政府作成の『6月21日米国案』は違う。だったのだが、日本は『日米諒解案』の真相を知らず、松岡洋右だけは見抜いていたのだがその認識は共有されず、そして日本は判断を誤った。


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