日本は何故アメリカと戦争したのか?(10)独ソ戦勃発と石油禁輸

 これまで説明したように、1940年7月頃に日本は大東亜共栄圏建設の野望を抱いた。それはすなわち、日中戦争は完遂し、好機を捉えてイギリス・オランダと戦争し、東南アジアと南洋を日本の勢力圏にしようという目論見。  

 その時点での日本は、アメリカとの戦争は避けた上でそれを遂行するつもりだった。だから、日本はドイツと同盟した。そしてそれは、ドイツがイギリスを打倒することと、日独伊三国同盟にソ連を加えることが前提だった。

 ただしそれは、確証も無いままそう思い込んだだけの皮算用だった。そしてそれは1941年6月22日の独ソ戦勃発で破綻する。これでソ連は連合国陣営だし、その後にドイツの矛先がイギリス本土に向くはずが無いからだ。

 そのような状況の中、日本はこのような決定を下す↓(『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』昭和16年7月2日)
(1)日中戦争は完遂する。
(2)好機の有無にかかわらずイギリス・オランダと戦争し、東南アジア~南洋を支配下にする(南進論)。
(3)好機が来たらソ連を打倒する(北進論)。
(4)ただし(2)(3)は直ちには行わず、当面は両方の準備だけ進め、状況を見て実行する。
(5)アメリカとの戦争を想定し準備するが、それでもアメリカの参戦は防止するよう努める。
(6)ドイツとの同盟は堅持する。

 なお、ここでいう北進論とは、最初にソ連を打倒して北方の安全を確保した後に南進しようという、順番違いの南進論に当たる。ソ連を打倒してお仕舞いではない。
 そして、その北進の準備が関特演で、南進の準備が南印進駐だった。ところがその南印進駐の途端、日本はアメリカ・イギリス・オランダから資産凍結、アメリカ・オランダから石油禁輸される。それらの国は、日本の攻撃をぼけっと待つような間抜けでは無かった。
(なお、『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』は、ゾルゲの諜報活動によりソ連には筒抜けだった。アメリカも外交暗号の解読により、その内容の一部はつかんでいた)。

 その石油禁輸によって、やっと日本はアメリカの真意を悟る。つまりアメリカは大東亜共栄圏建設を認めるつもりは無く、戦争を賭してでも阻止するつもりなのだと。それはすなわち、日本が大東亜共栄圏建設を成し遂げるためにはアメリカとも戦争して勝つ以外ないのだ、ということであり、日本はここまで来てやっとそれが分かったのだ、ということだった。

 誤解の無いよう念のため。
 石油禁輸前の1941年7月2日時点で日本は、日中戦争は完遂すること、好機の有無に関わらずイギリス・オランダとは戦争して東南アジア~南洋を支配すること、好機が来たらソ連も打倒すること、などを決定している。
 石油禁輸後に日本が決意していくのは、それらに加えてのアメリカとの戦争だ。そしてそれも、その可能性は事前に想定され、戦争準備が進められていた。(ソ連攻撃だが、それは石油禁輸後にいったん取りやめになる。が、完全に放棄されたわけではなく、南方作戦終了後に好機が来た場合は攻撃する、という決定になる)。

 そして、ここでまた厄介な話が生じる。
 きちんと文書で決定されていたわけでは無いが、日本には、日中戦争だけでも解決しておきたいという思惑もあった。それはすなわち、「日中戦争や物資調達などの要求をアメリカが受諾するなら、日本はそれ以上の南進はしない」という線でアメリカと暫定的な妥協を結んでも良い、というものだった。つまり日本は、断固とした決意の基に東亜共栄圏建設に突き進もうとしていたわけでは無く、ふらつきがあった。それもあって話はさらに複雑になっていく。

(続きは次回)。



情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱

 昭和16年7月2日御前会議決定

  第一 方針
一 帝国ハ世界情勢変転ノ如何ニ拘ラス大東亜共栄圏ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄与セントスル方針ヲ堅持ス
二 帝国ハ依然支那事変処理ニ邁進シ且自存自衛ノ基礎ヲ確立スル為南方進出歩ヲ進メ又情勢ノ推移ニ応シ北方問題ヲ解決ス
三 帝国ハ右目的達成ノ為如何ナル障害ヲモ之ヲ排除ス

  第二 要領
一 蒋政権屈服促進ノ為更南方諸域ヨリノ圧力ヲ強化ス
 情勢ノ推移ニ応シ適時重慶政権ニ対スル交戦権ヲ行使シ且支那ニ於ケル敵性租界ヲ接収ス
二 帝国ハ其ノ自存自衛上南方要域ニ対スル必要ナル外交交渉ヲ続行シ其他各般ノ施策ヲ促進ス
 之カ為対英米戦準備ヲ整へ先ツ「対仏印泰施策要綱」及「南方施策促進ニ関スル件」二拠リ仏印及泰ニ対スル諸方策ヲ完遂シ以テ南方進出ノ態勢ヲ強化ス
 帝国ハ本号目的達成ノ為対英米戦ヲ辞セス
三 独「ソ」戦ニ対シテハ三国枢軸ノ精神ヲ基調トスルモ暫ク之ニ介人スルコトナク密カニ対「ソ」武力的準備ヲ整へ自主的ニ対処ス此ノ間固ヨリ周密ナル用意ヲ以テ外交交渉ヲ行フ独「ソ」戦争ノ推移帝国為有利に進展セハ武力ヲ行使シテ北方問題ヲ解決シ北辺ノ安定ヲ確保ス
四 前号遂行ニ方リ各種ノ施策就中武力行使ノ決定ニ際シテハ対英米戦争ノ基本態勢ノ保持ニ大ナル支障ナカラシム
五 米国ノ参戦ハ既定方針ニ従ヒ外交手段其他有ユル方法ニ依リ極力之ヲ防止スヘキモ万一米国カ参戦シタル場合ニハ帝国ハ三国条約ニ基キ行動ス但シ武力行使ノ時機及方法ハ自主的ニ之ヲ定ム
六 速ニ国内戦時体制ノ徹底的強化ニ移行ス特二国土防衛ノ強化ニ勉ム
七 具体的措置ニ関シテハ別ニ之ヲ定ム


対仏印、泰施策要綱

 昭和十六年一月三十日 大本営政府連絡会議決定

第一目的
 大東亜共栄圏建設途上二於テ帝国ノ当面スル仏印、泰ニ対スル施策ノ目的ハ帝国ノ自存自衛ノ為仏印、泰ニ対シ軍事、政治、経済ニ亘リ緊密不離ノ結合ヲ設定スルニ在リ

第二方針
一、帝国ハ茲ニ仏印及泰ニ対スル施策ヲ強化シ目的ノ貫徹ヲ期ス
  之カ為所要ノ威圧ヲ加へ已ムヲ得サレハ仏印ニ対シ武力ヲ行使ス
二、本施策ハ英、米ノ策謀ヲ排シ敏速ニ之ヲ強行シテ成ルへク速ニ目的ヲ概成ス

第三要領
一、帝国ハ失地問題処理ヲ目標トスル仏印、泰間紛争ノ居中調停ヲ強行シ之ヲ契機トシテ帝国ノ仏印、泰両地域ニ於ケル指導的地位ヲ確立スル如ク施策ス
二、泰ニ対シテハ成ルヘク速ニ日、泰協定ヲ締結シ仏国ニ対シテハ経済交渉ノ速決ヲ図ルト共ニ機ヲ見テ日、仏印間結合関係ヲ増進スヘキ一般的協力竝仏印、泰間紛争防止ヲ保障及日、仏印間通商交通擁護ヲ目的トスル軍事的協力ニ関スル協定ヲ締結ス
  右協定ニ於テ充足セラルヘキ帝国政治的及軍事的要求左ノ如シ
(イ)仏国ヲシテ仏印ニ対シ第三国ト一切ノ形ニ於ケル政治的軍事的協力ヲ為ササルコトヲ約セシム
(ロ)仏印特定地域ニ於ケル航空基地及港湾施設ノ設定又ハ使用竝之カ維持ノ為所要機関ノ設置
(ハ)帝国軍隊ノ居住、行動ニ関スル特別ナル便宜供与
三、政戦両略ノ妙用ヲ期スル為速ニ所要ノ作戦準備ヲ整フルト共ニ武力行使ノ時機ハ予メ機ヲ失セス之ヲ定ム
四、交渉ノ経過ニ応シ適時威圧ヲ増大シ目的ノ達成ニ勉ム
  右威圧行動ニ対シ仏印カ武力ヲ以テ抵抗セハ当該部隊ハ武力行使スルモ之ヲ強行ス
五、仏国カ紛争解決ニ応セサル場合ニハ仏印ニ対シ武力行使ヲ予定シ其ノ発動ハ別ニ設定セラルルモノトス
  協定締結ヲ拒否スル場合ニ於ケル武力行使ハ予メ之カ準備ヲ為スモ其ノ発動ハ当時ノ情勢ニ依リ決定ス
  右武力行使ハ仏国ヲシテ我要求ニ聴従セシムルヲ限度トシ武力行使後ニ於テモ極力仏印ノ治安維持、政治経済等ハ仏印当局ヲシテ当ラシムルニ勉ム
六、泰ニシテ我要求ヲ拒否スル場合ニ於テハ日、泰協定ノ内容ヲ変更シ又ハ威圧ヲ加フル等極力我要求ヲ容認セシムルニ勉メ如何ナル場合ニ於テモ泰ヲシテ英、米側ニ赴カシメサル加ク施策ス
七、本施策ニ応スル如ク帝国ノ輿論ヲ統一スルト共ニ、徒ニ英、米ヲ対象トスル南方問題ヲ激化セシメ無用ナ摩擦ヲ生セサルニ留意ス


南方施策促進二関スル件

 昭和十六年六月二十五日 大本営政府連絡会議決定 同日上奏御裁可

一 帝国ハ現下諸般ノ情勢ニ鑑ミ既定方針ニ準拠シテ対仏印泰施策ヲ促進ス特ニ蘭印派遣代表ノ帰朝ニ関聯シ速ニ仏印ニ対シ東亜安定防衛ヲ目的トスル日仏印軍事的結合関係ヲ設定ス仏印トノ軍事的結合関係設定ニ依リ帝国ノ把握スヘキ要件左ノ如シ
(イ)仏印特定地域ニ於ケル航空基地及港湾施設ノ設定又ハ使用竝南部仏印ニ於ケル所要軍隊駐屯
(ロ)帝国軍隊ノ駐屯ニ関スル便宜供与
二 前号ノ為外交交渉ヲ開始ス
三 仏国政府又ハ仏印当局者ニシテ我要求ニ応セサル場合ニハ武力ヲ以テ我カ目的ヲ貫徹ス
四 前号ノ場合ニ処スル為予メ軍隊派遣準備ニ着手ス


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