明治憲法下の日本に最高指導者など存在しなかった、という話

 一応、前回の話の続き。
 以前も述べたが、そもそも先の大戦頃の歴史は非常に複雑で、その理解は難しい。
 そして明治憲法下の体制も非常に複雑、というか現代人の思い込みとは全く違うので、これまた誤解している人が非常に多い。


 それでなのだが、筆者はネットの海を漂流中に、こういう記事↓を見つけた。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44640?page=4

 その記事は色々間違っているのだが、ここ↓はちょっと見過ごせない大きな誤りなので、そこだけ批判させていただきたい。氏に限らず、明治憲法下の体制を誤解している人は多いので。

天皇が当時、国家と戦争の最高指導者であったことは誰にも疑えない。右翼であっても、いや右翼であればなお、疑えない。だとしたら、誰でも心情はともあれ論理面では、最高指導者に責任があるということはわかるはずだ。その責任が問われなかったら、他のすべても免責されることになる。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/44640?page=4


 そもそも明治憲法は天皇主権ということになっている。しかしそれは建前で、実態は違う。

 これには、天皇の政治的無責任が大きく関係している。
 要するに、自らの意思で権力を振るってしまったら、そこには必ず責任が生じる。だから天皇にそれは出来ない。出来るのは、政府と軍部の決定を、そのまま裁可することだけ。そしてそれは、天皇には拒否権も無い、ということでもある。

 ただし、では天皇は何も出来ないのか?というと、そうではない。天皇には権威があり、意見や感想や質問という形で影響力を及ぼせる。
 なのだが、意見も言いようによっては命令と同じになってしまう。だから天皇は、「~~については、どうか」など、遠回しにしか言えない。
 そのような制約から、昭和天皇は、昭和16年9月6日の御前会議では、明確に戦争に反対とは言わず、和歌を朗詠してその意思を示した。終戦時には、昭和天皇はその考え(一般には聖断と言われているが、実際の昭和天皇の発言は考えと意見)を明確に示したが、こちらは憲法解釈上はアウト。
(なお、昭和天皇はグレーゾーンな発言を何度もしており、また命令としての効力はないが命令口調ではある発言もしばしばで、ここは非常に紛らわしい)。

 さらに厄介な問題がある。当時の人々は、天皇を現人神と敬っていても、その意思を重んずるつもりは無かった、ということ。むしろ、自らの思惑を実現するために、天皇の権威を利用しようとした。
 典型的なのが日米戦争を決定していく過程で、昭和天皇は戦争に反対していたにもかかわらず、それに反する決定が下されていった。そしてそれは、明治憲法を遵守しようとする限り、昭和天皇には止めようが無かった。しかしそれでも、それを天皇の命令として、日本は太平洋戦争に突入していく。

 その現れが、開戦の詔書の「豈朕カ志ナラムヤ」(「戦争は天皇の意思では無い」の意)だった。建前の上からは、統治も統帥も天皇の意思であり、それに背く決定が下されることは有り得ない。しかし実態は、それは天皇の意思に背く決定だった、という大矛盾。
(一応付け足しだが、開戦の詔書を作成したのは、昭和天皇では無く、政府。政治的無責任から、公的な声明は、昭和天皇自身は起草できない。「豈朕ガ志ナラムヤ」を入れることだけ昭和天皇は希望し、政府はそのように修正した。それは希望なので政治的無責任には抵触しない)。


 以上、つまり明治憲法の天皇主権は、実態と相違する建前に過ぎない。つまり天皇は「国家と戦争の最高指導者」ではない。

 それでは、天皇で無ければ誰が最高指導者なのか?というと、そんなものは存在しない。
 統治については、事実上、政府・陸軍・海軍の三者の全員一致制。
 統帥については、陸軍の担当部分は陸軍が、海軍の担当部分は海軍が、単独で決定する。両方にまたがる事柄は、両者の合意による。
(なお、総理大臣は閣僚の代表者に過ぎず、特別な権力は無い)。

 そのような体制だから、政治と軍事の分裂やら、陸軍の暴走やら、陸海軍の対立やらが、起きていった。そんな有様で勝てる戦争が出来るわけがないのだが、当時の日本はそういう国だった。


 そしてそれは、誰も責任を負わない無責任体制でもあった。
 なぜなら天皇は神であり、実態と相違した建前だが、統治も統帥もその命令によって行われることになっている。神の命令を遂行した人間に、どうしてその責任を追及できるだろうか?ということ。
(また、天皇が政治的無責任であることは、何度も説明した通り)。


 根本的には、神を近代国家の君主にしてしまった明治憲法が、そもそも間違っていた。ただし、憲法が不適切でも、運用が適切であれば、大過は無いはずだった。しかし日本はこちらも誤った。


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