歴史的見地からの改憲論(2)「戦争は嫌だ」から戦争は始まる(場合もある)

 前回は、「戦後日本の平和主義は、先の大戦の反省から出発したはずだった。ところが日本は、少なくとも『素晴らしい憲法第九条』な平和主義は、そこで事実誤認してしまい、誤った方向へ進んでしまった」だった。
 今回はその続き。

『一本の鉛筆』という歌は、「一本の鉛筆があれば戦争は嫌だと私は書く」で、それは人間の情として当然至極だ。
 しかし、世の中はそれほど単純では無い。「戦争は嫌だ」と思ってしまったために戦争を防止できなかった事例、および大戦争へ拡大させてしまった実例がある。

 太平洋戦争(名称にこだわる人もいるが、要するに1941年~1945年の主に日米間で戦われた戦争)が、まさしくそう。それは、以前説明した通り、ものすごく複雑な経緯から勃発しており、一概にどうこう断じることはできない。

 なのだがその一面は、アメリカやフランスが「戦争は嫌だ」と思ってしまったために始まってしまった戦争と言える。つまり、両国が準備万端怠りなく軍備の充実に励み、戦争できる国になっていれば、太平洋戦争は勃発しなかった。


 それでは、何故そう言えるのか、最初にフランスについての説明。

 日本がアメリカと戦争したのは、以前説明したような七面倒くさい紆余曲折の末なのだが、とにかく大東亜共栄圏建設のためではある。

 では、日本はどうしてそのような野望を抱いたのか?

 というと、第二次世界大戦の緒戦でドイツがフランスを打倒したからだ。

 ただし正確には、それは『ドイツはその後にイギリスも打倒してしまうだろう。そうなれば、それは日本が東南アジアを支配する絶好のチャンスになる』という皮算用からであり、フランス敗北だけから直接にそう考えたわけでは無い。

 なのだがとにかく、フランスがドイツに敗北しなければ、日本は大東亜共栄圏建設の野望など抱かなかった、従ってその後の日米戦争も起きなかった。

 では、どうしてフランスはドイツに敗北したのか?

 というと、要するに第一次世界大戦の記憶から「戦争は嫌だ」と思っていたからであり、だから戦争する気も無ければ戦争準備も不十分で、それ故にだった。フランスは独仏国境には要塞地帯(マジノ線)を建設していたが、敵は要塞なんか迂回するに決まっている。

 マキャベリの教えのひとつは「君主は軍事に専念せよ」だが、フランスはそれを怠った。だからフランスはドイツに敗北した。そしてそれが、当初はヨーロッパだけだった第二次世界大戦を、世界規模の大戦に拡大させる結果となった。


 これまた簡単だが、フランスについては以上。次はアメリカについての話。それについて言いたいことは二つある。

 ひとつは前回の話の延長。つまり、「日本はアメリカの戦争準備の遅れを見て、アメリカに勝てると判断して、戦争に踏み切った。逆に言えば、アメリカが準備万端怠りなく軍部の充実に励んでいれば、太平洋戦争は勃発しなかった」ということ。

 そしてもうひとつが今回書きたかったことで、こちらは少々複雑な話になる。


 これは何度も繰り返して書いているが、そもそも日本は、アメリカとの戦争は回避した上で、イギリス・オランダとは戦争し、日中戦争もやり遂げ、大東亜共栄圏建設を成し遂げたいと思っていた。

 しかし日本は、それがアメリカとの戦争になる恐れがあるとも判断していた。だから日本は、アメリカ参戦を防止するために、ドイツと同盟した。

 当時、ドイツもアメリカと敵対関係であり、ドイツと同盟したが為にアメリカと戦争になる可能性がある。しかし、日独と同時に戦争しなければならないとなれば、アメリカはそれを嫌い、参戦は思いとどまるだろう。およびアメリカに日本の要求を受諾させられるだろう。そういう皮算用だった。

 ところがそれが、アメリカを舐めてかかった誤判断だった。

 第二次世界大戦において、当初のアメリカの唯一の戦争目的は、ドイツ打倒。そしてそれは、何があろうと断行する強固な決意でもあった。

 だからアメリカは、日独伊三国同盟が締結された後は、日本もろともドイツを打倒する方針に変わる。なのだが正確には、単純にそうと決めたわけでも無く、その後の七面倒くさい紆余曲折は、以前説明した通り。


 それでは何故日本はアメリカの意思を読み誤ったのか?

 というと、それはもちろん、ひとつには日本が無能だったからだ。つまり当時の日本には、相手の意思を読もうとする意思そのものが無かった。それでは外交も戦争もまともに行えるわけ無いが、当時の日本はそういう国だった。

 なのだが、ここで指摘したいのは、当時のアメリカが「戦争は嫌だ」だったことだ。

 つまり、第二次世界大戦が勃発し、ドイツが緒戦で大勝した後、『アメリカはヨーロッパの戦争に参戦するのか?しないのか?』が、大問題になったわけだ。

 そしてその頃、アメリカ世論は「参戦には反対。ヨーロッパのことはヨーロッパに任せておけば良い」だった。

 アメリカは民主主義なので世論は無視できず、だから、アメリカ政府は参戦を決意していたのに、それを公言できなかった。1940年の大統領選挙でも、ルーズベルトは口先では「参戦しない」と述べていた。

(ところが、そうだったのにその後、アメリカ政府は戦争準備を推進する。当時の状況からしてそれが対独戦争の意図であること明らかで、だからリンドバーグらのアメリカ第一委員会が、当時盛んに参戦反対の運動をしていた。なのだがこれはまた別の話になる)。


 そして以上から、こう言える。
 つまり、もし当時のアメリカがもっと好戦的で、当初から対独参戦の意思を宣言し、さっさと米軍をヨーロッパに派遣していたら、日本が判断を誤ることは無く、従って太平洋戦争は勃発していなかった。

 すなわち、アメリカ国民の「戦争は嫌だ」が、フランスの場合と同様、戦争を拡大させる結果となってしまった、ということだ。


 以上、つまり平和の実現は非常に難しい。
 もちろん、もし誰も彼もが善良で賢明で平和を愛好しているならば、簡単だろう。
 しかし現実はそうでは無い。だから、特に困難な状況においてのそれは、ものすごく難しくなる。

 そしてそれは、時にパラドックスにもなる。
 戦争は嫌だと思い、そのように行動することこそが、戦争に繋がる場合もあるという、逆理。

 歴史の教訓としては、そういう話になる。

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