昭和16年9月6日の永野修身の発言

 先の大戦に関しては、色々な歪曲や虚偽や偽資料が流布されている。その一例が、1941年(昭和16年)9月6日の御前会議で、軍令部総長・永野修身が発言したとされる、これ↓ 

戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう

 これ↑は事実無根のフィクションなのだが、真に受けているお方は多いようで、検索すると色々ヒットする。
 では、どうしてフィクションと断定できるのか?というと、その時の永野修身の発言は、『杉山メモ』に記されているからだ。↓
全ク原議長ノ言ツタ趣旨ト同シ考ヘデアリマシテ御説明ノ時ニモ本文ニ二度此旨ヲ言ツテオリマス 原議長カワカツタト言ハレマシタノデ改メテ申シ上ゲマセンデシタ

 これだけでは分からないかもしれない。該当箇所を抜粋してみる。

原議長(註。枢密院議長・原嘉道)の質問(註。「(前略)戦争が主で外交が従と見えるが、外交に努力して万已むを得ない時に戦争をするものと解釈をする」)に対し及川海軍大臣の答弁(註。「原議長と同一であります」)あり
其後 御上 私から事重大だから両統帥部長に質問する
先刻原がこんこんと述べたるのに対し両統帥部長は一言も答弁しなかったがどうか
極めて重大なことなりしに統帥部長の意志表示なかりしは自分は遺憾に思う私は毎日明治天皇御製の
 四方の海皆同胞と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ
を拝誦して居る
どうか
永野(註。軍令部総長・永野修身) 全く原議長の言った趣旨と同じ考えでありまして御説明の時にも本文に二度此旨を言って居ります 原議長がわかったと言われましたので改めて申し上げませんでした
杉山(註。参謀総長・杉山元) 永野総長の申しましたのと全然同じで御座います 此日原議長の質問に対しては杉山総長が解答すべく将に椅子を立たむとせる時に及川大臣が起立答弁せしを以て原議長は「及川大臣の答弁ありしも大本営政府は懇談せられたる結果故統帥部も及川大臣と同意見と解し質問打切る」とて両総長の答弁を不要とする発言をなせるを以て敢て発言せざりし次第なりしも直接「遺憾なり」とのお言葉ありしは恐懼の至りなり
恐察するに極力外交により目的達成に努力すべき御思召なることは明なり又統帥部が何か戦争を主とすることを考え居るにあらずやとお考えかとも拝察せらるる節なしとせず

(以上、原書房『杉山メモ 参謀本部編 上』P311~312より。読みやすいよう片仮名を平仮名に直し、註を加えている。筆者の誤りがあるかもしれないので、出来れば原文を参照して欲しい)

 要するに、その時点で昭和天皇は戦争に反対であり、しかもその意思を明示している。そういう状況で、永野修身が「戦わざれば亡国必至」などと勇ましい台詞が言えるわけがない。故に、その台詞は間違いなく捏造と断定できる。

 そして、これは一例に過ぎない。先の大戦に関しては、あまりに多くの歪曲や虚偽が流布されている。何が正しいのか、もはや訳が分からないほどに。

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