比喩としての「複利」に対する違和感を言語化する
「努力は "複利" で効いてくる」
本を読んでいると、この手の表現をよく見掛けます。
何が言いたいのかといえば、
「最初はわずかな成長しか実感できなくても、後々、加速度的に成長する」
「だから、信じて努力を続けてさえいればいいのだ」
ということで、なるほどこれは確かに、ビジネス書や自己啓発書と相性の良い提言です。
でも、うーむ…
それって本当かな?
今回は、私がこの表現に対していつも抱いている「違和感」について言語化できそうだったので、挑戦してみます。
結論から言うと、
「複利的効果を発揮する努力と、発揮しない努力があるよね」
という話です。
それでは最後までよろしくお願いします。
比喩としての「複利」
この話をする上で、一つ、前提として共有したいモノがあります。
「1.01の法則」です。
これは
「毎日1%だけ成長した人は、何もしていない人と比べて、1年後に37.8倍成長する」
というもの。
逆に毎日1%だけサボると、最終的には0.03倍になってしまうそう。
当然これは「日々の努力の積み重ねが大切だ」という教訓を示していて、いわば「比喩としての複利」を表しています。
なるほど確かに、「努力は報われる」ことを明確に伝えるには、この比喩表現はキャッチーで、分かりやすく、良いかもしれません。
努力は全て「複利的」なのか?
しかし私はこの話に対して、いつも違和感を覚えていました。
なぜなら、複利というものは「積み上げていくもの自体が増えていく」システムであって、全ての努力や知識にその性質が備わっているとは思えなかったからです。
例えば「毎日英単語を10個覚える人」について考えましょう。
その人は単語帳に並んだ単語を頭から順に、ただ覚えていくとします。
この「努力」に対して「1.01の法則」が適用されるとすれば、
彼が毎日同じことをしていたとしても、最後の方は能力が著しく伸びていなければなりません。
つまり毎日10個覚えている英単語が、ただ続けているだけで、ひとりでに15個とか30個とかになっている、ということ。
これが「複利的」の意味となります。
でも実際は、この人が積み上げているのは「10」であって、「1%」ではありません。
覚え始めた1日目も、200日目も、常に増えるのは「10」で固定です。
英語力全体で見れば分かりませんが、こと単語力に関して言えば、これは「単利的な努力」といえます。
これが例外のパターンです。
私はここから、「努力はすべからく複利的なのではない」と考えました。
努力をデザインする
もちろん私は、法則にイチャモンを付けるためにこの記事を執筆したのではありません。
むしろ逆で、この法則を有効かつ前向きなものと捉え、活用したいと思っています。
すなわち、
「努力が "単利的" ではなく "複利的" になるようにデザインするべき」
ということが言いたいのです。
今回の例で言えば、
「単語を学ぶことが単利的だ」ではなく、
「単語帳をただ覚えていくやり方は、単利的だ」というのが私の主張です。
何の脈絡もない単語たちを、ひたすら覚える。
それらが積み重なって得られる複利的な相乗効果は乏しいでしょう。
でも例えば、
「直前に覚えた単語と意味が繋がるものを覚えていく」とか、
「小説の中で出てきた単語を順に覚えて、読破を目指す」とか。
こういった、それ以前の学習が自然に参照される方法なら、複利的な努力になりうると考えます。
何かを学習するとき、それが「既存の知識とネットワークを形成する」ように学ぶ。
複利的になるように、努力をデザインする。
それを意識すれば、努力が単利的になるのを回避できるばかりか、1.01どころではない1.02や1.1の複利効果さえ、受けられるかもしれません。
まとめ
今回は「1.01の法則」に私が感じていた違和感を言語化し、「努力を複利的にデザインする」ことについて述べました。
英語学習を例に取りましたが、学習のみならず、noteの執筆など「成長に繋がる行為」全般に、このことが言えると思います。
せっかく時間を掛けて何かに取り組むのであれば、最大限の恩恵が受けられるようにしたいものですね。
普段は読書によって得られた知見をもとに、記事を書いています。
自分の発信を効率的に分析するための過去記事も、よろしければ。
それでは、また。
いつもサポートしていただきありがとうございます。 頂いたサポートは全て、近隣の本屋さんで書籍の購入に使わせて頂いております。