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冷め切ったピザが、子育てに熱い「軸」をくれた話。

私はいま、5歳と2歳の子どもを育てています。
そんな中で、大切にしている子育ての「軸」がいくつかあります。

そのうちの一つが、

子どもの人生に、親である自分が "線" を引かない

です。

このことを考えるとき、いつも思い出します。
冷め切ったプルコギピザ」を。

今日は、後輩社員とのピザパーティーの経験から、
私の子育てに対する「軸」について書きます。

それでは最後までよろしくお願いします。



冷めたピザと、笑顔の後輩


三年くらい前の話です。
仕事の昼休みに、ピザパーティーをすることになりました。

私と、後輩の女性社員2人です。
後輩たちは20代前半の、いわゆるZ世代で、私はY世代でした。


アツアツのピザを早速食べようとする私に後輩は、

ちょっと待ってください。写真撮りたいです!

と。

あ、そっかそっかごめんね、と写真を撮るのを眺めていました。



……
………


ずっと撮ってるんですよね。

あらゆる角度で撮って。
カメラアプリを変えて撮って。

写真が終われば次は動画を。
ちょっとスマホを揺らしながら撮るとバエると。

終わったかな?と思ったらピザの配置を変えて。
コーラをちょっと見切れるように置いてみたり。



モシャア、モシャア。

10分後、冷め切ったプルコギピザを頬張る私を横目に彼女たちは「良い写真撮れて良かった!」と、
これまた冷め切ったペパロニクラシックを食べながら、満面の笑みを浮かべていたのです。


世代の壁は高くて厚い


これは後々になって分かったことですが、
彼女たちは決して「ピザが食べたかった」わけではないんですね。


「ピザの写真が撮りたかった」わけでもない。


「ピザパーティーをしちゃうくらい仲の良い職場」を撮りたかった。
そしてインスタグラムにアップしたかった。


どうやらそういうことだったようでした。



私はこの経験を通して、
世代が違うと、世界がこんなにも違うものか」と感じました。

きっと彼女たちにとっては、これが日常で。
「ピザパーティーをするのに写真を撮らずに食べる」なんて、ありえないことで。

彼女たちからも、上司である私は、異様に映る。


じゃあ、二世代も離れる「親と子の世界」には、一体どれほどのギャップが生まれるのだろう。


そう考えるキッカケになったのです。
そしてこの経験が、私の子育てに「軸」をもたらします。


子どもの人生に "線" を引かない


α世代を生きることになる我が子たち。

今から10年後、20年後には、きっと私たちには想像も付かない世界を生きているでしょう。


そんなときに、親である私のアドバイスには、どれほどの価値があるのか

親が「それは止めておいた方が良いんじゃない?」と子どもをいさめることには、どれほどの損失があるのか

そういったことを、ぼんやりと考えながら、子育てをしています。



子どもの人生に、親である自分が "線" を引かない

それが私の子育てに対する、大切な「軸」の一つとなりました。


まとめ


今回は、後輩社員とのピザパーティーのエピソードを通じて、子育てに対する「軸」について書きました。

現代は特に予測不能な時代、VUCAの時代などと呼ばれます。


成育基本法の基本方針策定に向けた提言」より


今後は、親が経験則で出した答えよりも、まさにその時代を生きている子どもたちの直感の方が優れる可能性は十分あると思っています。

親として、我が子の生きる世界を解像度を高くして想像できるように、日々学習を続けていこうと思います。


***


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
「子どもたちの未来」について考えた過去記事も、よろしければ。

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それでは、また。

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