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『好きなことを仕事にする』って何なのか 僕のキャリアの話②

はじめに

前回初めてNoteを書いてみたら、思って長くなってしまったので、今回は後編。
とりあえず、2020に終わらなかったので、2021の新年の挨拶もこちらに。
あけましておめでとうございます

2020のまとめをかこうと思ってたのは、2021に持ち越しになってしまった。ちなみに前回はこちら

DeNA:憧れのスポーツビジネス。。。?

ありがたいことに、第二新卒的にDeNAに拾ってもらって、よし!スポーツビジネスじゃ!と思っていたのだが、最初に配属されたのは、モバイルゲームの部署だった。(職種は大学時代の専門もあり、データアナリストという職種で採用いただいた)

学生時代から、あまりゲームに触れて来なかった(正直パワプロとウイイレくらいの経験)僕からするとそこは、異次元の世界だった。
今思って見ると、この時期は少しゲームというものに斜に構えてしまってたのかもしれない。

最初に配属されたのはファイナルファンタジーのアプリだった。
そもそも僕はFFなんて触れたこともなければ、周りにFFをやっている友人も少なかった。
業務は証券時代と全く違う環境。
スーツをきてる人もいないし、なんなら髪の毛を整髪料で固めている人もいない。
サンダルで出社する人もいれば、金髪の人もいるし、謎にお昼過ぎから出社する人もいる。
これが、ゲーム開発の現場かあ、と思って混乱していると、
『よし、とりあえずFF1-14までやってみようか』とマネージャーから言われる始末。(当時13をやってる時に、15が発売されて、目の前が真っ暗になったのもいい思い出)

業務の合間合間、週末にひたすらに1-14までやり切ってみると、なるほど、分かってくることがある。チームの人との会話に入ることができるし、
どれだけゲーム事業を真摯に、精緻に考えているか、ビジネスとしてゲーム作っているチームなのか。
本気でゲームの面白さを定量に落とし込もうとしていたし、定量からストーリーを紡いでゲームに活かそうと考えていた。
ここは今でも感じるところだが、ビジネスの礎は、今でもこのFFチームに学んだことが大きかったな、と思っている。
その後に、逆転オセロニアという怪物タイトルを担当して、事業として急激に立ち上がる瞬間をみたり、色々とゲーム事業には学ぶことが多かった。
南場さんが作った会社で、南場さんが作ったValuesにそった組織で、事業会社ってすごいな、と本気で思った場所だった。

DeNA:スポーツビジネス 陸上とスポーツと野球と

さて、入社して2年弱が経ったタイミングで、
上司からスポーツ事業本部ランニング統括部という部署で働く兼務の機会を与えてもらった。
完全に上司にチャンスをもらった形になるのでかなりラッキーだったと思う。
正直感謝しかない。
最初に関わったスポーツではあったが、どちらかというと最初はランニングチームのコンディション分析として、といった関わり方であった。
当時からウェアラブルデバイスのGARMINを使っていたので、そこから集めたデータを分析して可視化するような取り組みとか、選手のコンディショニングを分析するための簡単なツールを作ったりと、分析というよりも、とりあえず動くものをひたすら作り続ける、なんちゃってエンジニアみたいなものを一人でやっていた。
選手と一緒に競技場に行くこともあったし、動作解析 x IoTのベンチャーと色々協業に向けた打ち合わせをしたりいろいろなことをしたりしていた。
なんなら寮に行ってVO2maxを計測したら、今考えると全くスポーツビジネスではないのだが、
社会人実業団と呼ばれる部門でひたすら競技力向上に向けた選手たちと一緒に働けたのは、とても楽しい時間だった。

初めてのスポーツビジネス:辛く、暗い、厳しい陸上界

そんなこんなで3.4ヶ月経った元旦。今でも覚えてるのが、2018年のニューイヤー駅伝の後の打ち上げの後の席で、スポーツ事業本部の戦略部長から、ランニングの事業化を本気で考えてくれないか、と言われてスポーツ事業本部戦略部という部署で働くことになる。

当時DeNAのスポーツ事業本部は人が少なく、全部で7.8人の組織だった(ベイスターズは子会社なので別カウント)かつ、ほとんどの人間が、兼務、乃至は横浜市とのまちづくりの案件に追われており、ランニング事業の立て直しは僕を含めて2名で色々計画を練ることになった。これがまちに待ち焦がれたスポーツビジネスの出会いである。
与えられたミッションはシンプルだった。

ランニング事業部を事業化する = つまりランニング事業単体で黒字化する

約半年、ひたすらランニング事業を黒字化させるために社内外を駆け回った。
横浜DeNAランニングクラブ、
なので横浜の街をランニングのメッカ(いわゆるランナーにとっての皇居的なイメージ)にする計画や、選手のスポンサー獲得の計画、ランニングコンテンツでお金を稼げるレース(IAAFDiamondLeagueみたいやつ)を構想したり、選手のYoutubeコンテンツでのマネタイズを画策したり。。。
この時期はランニングの新規事業をひたすら考えていた。
毎週ランニングの調査、事例、収益蓋然性に関してスポーツ事業部にPitchする日々だった。

最終的に、DeNAの経営会議でランニングクラブの撤退が決定された。

結局はDeNAランニングクラブが存在するが故に事業がよりドライブする、というところに必然性がない、であれば新規事業で別で行うべきと判断されたのだ。
当時は悔しかったし、なぜ。。。という思いもあった。
今となっては、経営判断として、黒字見込みがあるのかないのか、で一貫しているDeNAという会社を今でも尊敬している。
スポーツビジネスは想いだけではダメで、お金がかかるのだ。それもとんでもなく。
ここからは、地獄の撤退戦が続いた。
要するにクラブの縮小案の作成だ。
1年弱一緒にいたランニングクラブのメンバーに対して、移籍、就職先の斡旋、雇用契約の見直しを行うのだ。
直接選手に対してのアナウンスはランニング統括部長の方から通告いただいたが、縮小計画の作成は自分の人生でも辛い、暗い仕事だった。
こうして、DeNAからランニングクラブは消滅した。(2018年を最後にニューイヤー駅伝の出場も途絶えた)

AIとスポーツと

ランニングクラブが落ち着いて以降、一時的にデータ分析の部門でAI部署を立ち上げて、より分析高度化のプロジェクトに関わり出していた。
その中で、いつかはまたスポーツビジネスに戻りたい、と考えていたのだが、
再び縁あって、僕の大好きな野球とAIを絡めた案件を始めることができた。
岡村球団社長にPitchして予算をつけてもらい、AIチームとして、ベイスターズのチケット、MDの分析のプロジェクトを立ち上げることができたのだ。
詳細部分は割愛するが、ここでの経験は夢のようだった。

本社からやってきた、AIの人、という扱いでかなり壁を感じた始まりから、綺麗事ではない、スポーツビジネスの『現場』まで色々な経験ができた。
ここで出会えた方々とは今でも連絡が取れていて、お世話になっている。(なんなら別団体で一緒に今仕事をしている人もいる)

スポーツビジネスを目指す人(好きなことを仕事にしたい人)へ

結局縁あって、スポーツビジネスに行き着いた僕だが、
今考えるとターニングポイントは、ゲーム事業部のアサインだったと思う。
結局、好きだから、では何もできないのだ。
ゲーム事業部で、事業を学び、分析スキルという武器を持ち、そこで初めてスポーツビジネスに還元できる素養ができたと思う。
+アルファで、大事だと思ったのは、『スポーツビジネスで働きたい』では
何もできない、ということだ。

スポーツビジネスをこうしたい。
スポーツビジネスで、自分はこの職種でもっとXXしたい

これくらいの解像度があって、初めてスポーツビジネスで役に立つことができるんだな、と感じた。


僕は今の会社で、チケットのプライシング事業という形でスポーツ界に関わっている。
各クラブ、球団のチケット戦略、チケットの価格戦略をチームに寄り添って一緒に考えて、その中で最適なソリューションを提供している。

僕は、日本のスポーツ業界をリッチにしたい。

大谷翔平がMLBに行く時に、MLBが世界一高いレベルだからだ、と言っていた。
MLBが高いレベルなのは、世界各国からスターが集まるからだ。
スターは1番給与が高いMLBに集まる。そのために球団はお金を稼がなきゃいけない。


今のままでは第二の大谷翔平はまたMLBに行っちゃうし、本田も長友も日本で見れない。
世界のスターが日本のリーグに来るような世の中を作りたい。
日本のスポーツ界はお金を稼ぐが正でない、とされてきた部分がある。
もちろんファン、地域ありきなので、そこは第一に考えなければいけない。
そのために、クラブ、球団、チームはもっとをお金を稼げる仕組みにしないといけない。
プライシングはその中で微々たるものかもしれないけれども、
コロナで色々厳しい状況が続いているけれども
僕は、この会社で、事業の面からそういった形でスポーツに関わりたいと思っているのでこの事業をやっている。

もちろんまだ正解は見えない中で、日々答え探し中だが、
全力で日本のスポーツビジネスをよくしたいと思ってるのだ。
だから今の仕事が楽しいし、好きなことを仕事にできている。

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