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『感染Curry』

「きょうの気分はカレーかな」

ひと口にカレーと言っても、わたしの場合い自分で作る好きなカレーのレシピは今のところ4種類存在する。

ひとつ目は、母親からそのレシピを伝授されたジンジャーチキントマトカレー。

そのネーミングが示すとおり、このカレーを主に構成しているのは、生姜、鶏肉、トマトだ。
そのほかの構成要素としては、長ネギの白い部分と大蒜の微塵切り、当然の如くカレーパウダーも欠かせないアイテムのひとつ。
けれどだからと言って、カレーパウダー特有の、あの茶色の仕上がりのそれが、そのカレーの見た目なのかというとそうでは無い。
このカレーにおいてカレーパウダーより主張しているのは、トマトの酸味の方。

そこに、多めに加えられた生姜の"ピリリっ"とした刺激と鶏肉から抽出されるコクのある旨みの詰まった出汁が味の要となる。

その他にもちょこちょこと何かしらの隠し味となる調味料を加えて完成するこのカレーは、その見た目もほぼトマト色をしている。

トマトをしっかりと煮込む事で引き出される甘味と旨み、カレーパウダーの中に秘められた個々のスパイスの持つ甘みや苦み、そして辛みといった味の要素、それにフルーティだったり爽やかだったりといった鼻腔をくすぐる香り。
それらの全てが合わさることで醸し出される味と香りの融合がなんとも後を引く美味しさへと変化を起こす様は、
『料理は化学』と表現されるに相応しい食べ物の代表だと思わずには居られなくなる。

一方でこのカレーに於いては、鶏肉以外に"じゃがいも""人参"なんていうゴロゴロとした"具"なんていう物は存在せず、鶏肉以外のトッピングをしていないその佇まいはなんとも潔い。

それに、いわゆる昔ながらの"お母さんのカレー"とは全く違ったタイプであるこのカレーにはドロッと感は無い。

カレーやシチューなんかの"とろみ"を補う時に小麦粉とバターで作る"ブールマニエ"なんて物も加えていないから、スープカレーほどではないが、比較的さらさらとしている。
しかしながら、ブールマニエを加えずともスープカレーのそれより少しのとろみがあるのは、鶏肉以外の食材を、"ふんだんに"そして本当に細かな微塵切りにしてあることによって形成されている。

スープカレーよりも"とろみ"があってお母さんカレーよりも"さらっ"としたこのカレーは、ライスの量に対してやや多めに掛けて食べると、スルスルスル…と飲み込めてしまうものだから、つい咀嚼するのを忘れてしまう。

まさに、『カレーは飲み物』を意図せず無意識のうちに実行してしまうのだ。
それだけに、つい油断すると食べ過ぎてしまう傾向にもある。
ある意味悪魔的な食べ物である。

なんともシンプルなこのカレーだけに、アレンジが利くところもこのレシピを気に入っている理由の一つだ。

スープカレーの如く揚げ野菜を盛っても良し、手間を省きたいならレンジでチンしてボイルした野菜でも。

一番のおすすめは、一食目はカレーとして、二食目は"焼きカレー"にアレンジしていただくこと。

耐熱皿にご飯をよそって、カレーのルーがご飯全体に満遍なく染みわたるように多めにカレーをかける。
そして、その中央部分を窪ませてから生卵を落とし、卵の周りにふんだんにシュレッドチーズを敷き詰めて、きつね色の焼き色がつくまでオーブンやトースターで焼くと最高のご馳走になる。
毎回これを食べる度、「明日の晩御飯もこれでいいかも…いや!コレがいいかも」と思えるほどだ。

ふたつ目のカレーは、この母直伝のカレーに少しタイプが似ているが、生姜はひとつ目のレシピよりも控えめで、その分玉葱の微塵切りが多めに入っている。
トマトベースなのも共通しているがウスターソース、ヨーグルト、バターなんかが入っている分、酸味は円やかで、オレンジがかった色味をしている。
小麦粉も入っているから若干のとろみもある。
このカレーのメインもやはりお肉とルーのみで潔のいいタイプ。
わたしは大体、鶏肉か豚肉の塊を使う。

このレシピは某フード系メディアで見かけて気になって、一度試して以来のお気に入りで、そこに多少のアレンジを加えた自己流カレーとなり、今ではわたしが作るカレーのメインとなっているが、"下拵え"に時間がかかるのが難点である。

それとは正反対に、下拵えの時間が不要で、残業で遅くなった日に体がカレー味を欲したとしても、チャチャっと作れるのが3つ目のカレー。"ドライカレー"だ。

主な材料は、挽肉、ピーマンとパプリカ、玉葱そしてカレーパウダー。
それ以外にもちょこちょことした調味料が必要だが、普段から家に常備してある基本的調味料を加えるだけなところも嬉しい。
煮込む必要もなく、ごく極手軽に間違いのない味が愉しめるのだ。

このレシピは、以前勤めていた会社の隣の席の先輩が、一人暮らしを始めたばかりだったわたしに教えてくれたひと品だ。

そした4つ目は、昔ながらのドロッとした茶色いタイプ。
けれどもそれも巷でいう"お母さんの"という"あれ"とはちょっと違っている。

わたしの作るドロッと系は、市販のカレーのルーを使うには使うのだか、その量は通常の半分。
半分しか使わないルーの不足分を補うのは、カレーパウダー。
水もほとんど使わず、トマト缶の水分でそれを補う。

このカレーを作る時に先ず行うのが、お塩をほんの少し加えたカレーパウダーをフライパンで炒ることから始まる。
炒め過ぎは苦みが出でしまうので厳禁。
だから片時も目が離せない。
けれど、もうこの時点で家中がスパイシーな香りで満たされ、幸せな気分に浸れるのだ。

具材は他のカレーと違ってあえてゴロゴロと存在感のあるサイズにしてある。隠し味に少々の苦みをプラスするのもこのカレーの特徴だ。
お肉は、豚、牛、鶏肉のどれを使っても。

炒って香ばしさの増したスパイスが効いた具材ゴロゴロのカレーは、刺激が強めで"お母さんのカレー"というよりは
"大人の男のカレー"といった趣きだ。
お冷なんかじゃなく、苦みの効いたビールとの方が相性がいい。

そして番外編として気に入っているのが、プロの味。
よく行くカレー屋さんのカレーだ。

中でもお気に入りは"ミールス"という南インドのカレーの定食プレートのようなもの。
あれはとても家では作れない。

最近ではこのミールスを提供する店も随分と増えたが、まだミールスが日本ではマイナーな食べ物だった頃、初めて見たその存在感にまずワクワクさせられたものだ。

むろん、作り方は分からない。
これはお店で食べる物だと割り切っている。

ぽろぽろとした食感のバスマティライスにサンバル、ラッサム、ダールなんていう数種類のカレー、そこにヨーグルトやアチャール、煎餅菓子のようなパパドを崩して好きに加えながら、ひとつ加えるごとに味の変化を愉しむ。
なんともアミューズメント感のあるひと皿である。

嫌いな食材が含まれていない限り、
どう混ぜようと決して不味くなる心配も無い。

その混ぜる割合によって味も都度変化していくものだから、たとえ次回同じミールスを、同じ人間がオーダーしたとしても、同じ味わいにたどり着ける保証はない。

まさに"一期一会"の食べ物の代表とも言える。

あゝ、わたしの口の中が完全にカレーを欲し出した。

ちなみに
「きょうの気分はカレーかな」
と話していたのは、
昼下がりの公園のベンチに腰掛けて、購入したばかりの小説を読みふけっていたわたしの前を、スマートフォン片手に足早に通り過ぎて行った男性が、誰かとの通話の中でしていた会話の一部に過ぎなかった。

ところがその一文を耳にした途端、わたしの意識は読みかけの小説から"カレー"という食べ物の世界に完全にシフトチェンジしてしまった。

うっかり耳にしてしまったその言葉のせいで、カレーは完全にわたしに伝染してしまった。

コロナウィルスが蔓延しているこの世の中、わたしもその通りすがりの男性もマスクをしっかりと身に付けていたが、漏れ聞こえて来たその単語の持つ感染力は、ある意味コロナウィルスの持つそれよりはるかに強力なのかも知れない。

カレー。
日本人の多くがこの食べ物の持つ悪魔的な中毒性に逆らえずにいることだろう…。

さぁ、今日はどのカレーを拵えることにしようか…。

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