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ワイルドサイドをほっつき歩け ブレイディみかこ

久しぶりに金沢の大型書店に足を運んでゆっくり本を眺めてきた。その前に地元七尾の書店に行ったもののお目当ての本が無くて、金沢での仕事の前に探しに行ったのだ。その本というのがこれ。

残念ながら検索機で探しても在庫切れだった。私は本は出来るだけ書店で買う派であるものの、待つのが嫌いなので書店では注文しない。こういう時にAmazonはありがたい。これもそのうち届いたら感想をお届けします。

お目当てがないので、獲物を探して書店をうろうろしていると、ファンキーな装幀の一冊が目に留まる。ブレイディみかこにはThis is Japanを読んで以来かってに親近感を覚えているのもあって手に取ってみた。

はじめにの”おっさんたちだって生きている”というタイトルの冒頭がこれだ。

「世界に目をやり、その問題を見てみれば、それはたいてい年老いた人々だ。道を開けようとしない年老いた男性たちである。」
2019年12月、米国のオバマ前大統領がシンガポールでこんなことを言ったらしい。世界が激動・混迷するこの時代、「おっさん」たちは何かと悪役にされてきた。
トランプ大統領が誕生したのはおっさんのせいで、EU離脱もおっさんのせい。どうして彼らは過去の「よかった時代」ばかりに拘泥し、新しい時代の価値観を受け入れようとしないのか。(中略)彼らは世の諸悪の根源であり、政情不安と社会の衰退の元凶だ。

相変わらず面白い切り口だなと思っていると、ブレイディみかこの真意はこの主張に同調しておっさんを批判しようということではなかった。こうした言い分に理解しつつも自分の”連合い”(彼女はパートナーのことをこう表現する)も含めたおっさんたちは愛すべき存在でもあり、その生態を観察すれば英国の現代社会のみならず近代史も透けて見えるというのだ。

最近いよいよ自分もおっさんの仲間入りが本格的に始まっているなと感じている46歳の私にとっても、思うところ少なからずあり、そしてやっぱり彼女の文章が好きで今回の獲物はこの本と相成ったわけである。

普通のエッセイとして面白い

この本には何が書いてあるのですか?ときかれれば、英国の労働者階級のおっさんたちの日常を描いたエッセイですということになるだろう。登場するおっさんたちは、自分の彼女と仲直りするために「平和」というタトゥーをいれるつもりが「中和」といれてみたり、スキンヘッドのこわもてなのにコミュニティセンターの図書係のお世話をして近所の人気者になったり、いきなり”こんまり”のSPARK JOYにはまって部屋を片付けたりする。彼らはとても芯が強いのに影響されやすく、粗野だけど優しくて、ガテン系なのに論理的みたいな二面性をいくつも持っている。それが人間というものなのだが、おっさんになるとその二面性が面白い行動となって発露してくるということなのかもしれない。

そして、そんな彼らの日常をブレイディみかこがユーモラスな文体で綴っている。夜中に一人で読んでいて、思わず声を出して笑ってしまうことがあるほど面白いのだ。そしてときに温かい気持ちになったりする。なぜそうなるかという彼女の文章はユーモアに満ちているからだと思われる。ユーモアと似た言葉にウィットがあるが、両社は微妙に違う。

両者をググるとこういう意味だと出てくる
ユーモア:人間生活ににじみ出る、おかしみ。上品なしゃれ。人生の矛盾・滑稽(こっけい)等を、人間共通の弱点として寛大な態度でながめ楽しむ気持。
ウィット:その場その時に応じて気のきいたことを言う知恵。機知。頓知(とんち)。

まさにこの通りで、彼女のユーモアは人間の弱点を寛大な態度で眺め楽しむ気持ちからきている。そして彼女のユーモラスな文章を読むと、私も含め日本社会の閉塞感やSNSやリアルでのぎすぎすした人間関係にはユーモアが足りないと感じてしまう。

というわけで、装幀から感じる通り楽しく読むことができる本だと思う。

ブレイディみかこの反緊縮財政論に共感する

しかし、ただ面白いだけではないところが彼女のエッセイのいいところだ。21のエピソードの主役はどれもおっさんなのだが、すべてのエピソードの中に彼女はある敵を撃つための弾丸を仕込んである。その敵はもちろん彼女にとって愛すべきおっさんたちではなく緊縮財政と新自由主義だ。そしてこの両者を敵とみなしているという点で彼女と私には通じるところがある。

緊縮財政がその正当性の根拠とするところは財政赤字の解消である。お偉い人たちは「国は国民一人当たり何百億円の借金をしている。このままでは子孫に迷惑をかけるから、プライマリーバランスを達成するために身を切る改革(単なる庶民の我慢にすぎない)が必要だ」という。
これは全くのでたらめと言って差し支えない。だいたい借金をしているのは国民ではなく政府だ。国民一人当たりの借金の額で算出するのではなく、国民一人当たりが政府に貸している金額の総和が国債残高なのだ。さらには国が不景気の時に財政の均衡などと言っていてはいつまでも国民の暮らし向きが良くなるわけがない。このあたりのことについて詳しく書かれた本はたくさんあるが、おすすめはこれ。

緊縮財政によって確実に経済は停滞する(政府の投資が抑制されるのだから当たり前だ)。しかしそのままでは国民の支持が得られないので財政出動を行わずに経済成長を促すために「規制緩和」「生産性向上」などと政治家は主張し始める。しかしその方針によって国全体をブラック企業にしようとしているのが今の経済政策と言ってさほど間違いないと思う。なぜならば、こうした旗印の下でいくら頑張ってもまれに成功の果実を手にする人がいる以外は格差の拡大と貧困の蔓延で苦しむ人のほうが増え、イギリスでいうところの労働者階級や日本でいえばかつての中流からこぼれ落ちた人たちの暮らしを破壊するからだ。このことは各種データのみならず私たちの日々の暮らしにおける実感としても共有されているはずだが、残念なことに株価などというほとんどの国民の暮らしと無関係な数値が少々高値である程度のことでごまかされている。自然な経済活動の結果としてならば株価は高いほうがいいということは当然のこととして付け加えておく。

話は少し脱線したが、ブレイディみかこはイギリスの緊縮財政が労働者階級の暮らしを破壊し続けていると一貫して叫んでいる。彼女は彼女を含めた労働者階級の生活環境を「地べた」と表現することもあるが、なかなかうまい言い回しだと思う。
イギリスは国民投票によってEU離脱を選択した。多くの人がそれを支持した理由はイギリスがEUと移民の双方から搾取されているために自分たちの暮らしが良くならないと感じていたからだろう。実際にイギリスがEUのために負担している多額の資金を国内に振り向けるべきだという話に賛成して票を投じた国民もいたようだが、それ自体がデマであったことが今では明らかになっている。緊縮財政による不景気をEUによる搾取にすり替えたのは離脱派にとってはうまいやり口だったといえる。離脱派はその原因をイギリス政府の緊縮政策ではなくEUに加盟していることだと主張したのだ。だまされた!と怒っている労働者(それがこの本のおっさんたち)の暮らしがNHS(イギリスの国民保健サービスで基本無料らしい)のサービス低下に象徴されるように地べた化しているのは事実であり、だまされた方が悪いと言い切れない残酷な現実がそこにはある。

しかし、だまって下を向くのではなく、パブで議論し街頭のデモで声を張り上げる元気がイギリスのおっさんたちにはある。12章や14章あたりを読むとノーブレスオブリージュとはまったく違った世界にも責任を果たそうとする不器用なムーブメントがあることがわかる。わたしはその動きが日本では弱いと日頃感じている。

それにしても、この本に登場するのは数人の著者を取り巻く数名のおっさんとその周りにいる人たちに過ぎない。しかし彼女が言うようにそのおっさんたちを観察しているだけでも社会が抱える様々な課題がありありと見えてくる。これが本当の庶民感覚というものだろう。私も含め自分たちの主張が広く世間に受け入れられないことをマスメディアのせいにすることがしばしばあるけど、ユーモアをもって自分の身の回りの(おっさんも含めた)人間を観察することを怠っていてはどんな理想も空論に転落する可能性をはらんでいることを彼女から学ぶことができる。

イギリスのおっさんたちのドタバタ劇を通じて彼女は緊縮財政に反旗を翻し続けているわけであるが、この本に出てくるエピソードはおそらく日本の近未来に現実のものとなって私たちの日常の風景になるだろう。そう思って読むとさらに楽しむことができる(というか、胸に迫るものを感じながら読むことができる)。

世代間闘争は今後も世界中で激化する、特に日本で

人間は社会的動物であるから、社会のありようとそこに存在する人間は相互に影響しあうことになる。人間のほうは世代によって社会の変化への反応速度に差が生じるので、変化の兆しに敏感に反応し行動様式を変化させるのは若者のほうが得意だ。そして若者の行動様式の変化は社会の変革を促進するので相乗効果によって社会は一層変化する。一方で反応速度の遅いのはいわゆるおっさんたちということになる。(ちなみに性差について見ると、ファッションや流行によって身に着けるものの変化にある反応しなければならない女性のほうが、年齢を重ねても変化への対応がどちらかというと早いのではないかと私は考えている。)つまりおっさんは社会や時代の変化への阻害要因にならざるを得ないのだ。そこで冒頭のオバマの発言となるわけだ。
このように書くと冒頭の「おっさん=悪」の方程式が成り立ってしまうが、そうではない。なぜならば、変化が速いことはいいことばかりではないからだ。スピードの速い車のほうが重大事故を起こしやすいのと同じようにラディカルな変化にはリスクが伴う。つまりおっさんたちの経験則はよりよい社会変革への阻害要因ともなるし、不確実性への安全弁ともなりうるということだ。

イギリスのようにいわゆる経済階級として上流階級と労働者階級というような色分けがあるのに対して、日本では現実にはあるとしてもそのようなものを明確に感じる機会は少ない。日本においては、いったんはほぼ全員を中流に放り込むことに成功してからそう時間もたっていないということもそのような階級をあまり意識しないで済む原因かもしれない。しかし、実際には明らかな階級が存在し、経済と世代の階級の結びつきが強いのが日本の特徴だ。厚生労働省のこんなグラフを紹介しよう。

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シニアは平均資産が大きいにも関わらず負債は著しく小さい。これに人口比率を加味すれば金融資産全体のうちの約三分の二を60歳以上が所有していることになる。平均寿命が今ほどではない頃には存在しなかった世代のところに資産が積まれている。内部留保のある大企業とそれを持たない中小零細企業の格差と似たような現実がここにあるのだ。別にグラフで可視化しなくてもこうしたことを実感する機会は少なくないだろう。そして若者たちはこのまま働き続けても今のシニアのような資産を持つことが困難であることを知っている。それなのにおっさんから「お前たちは努力と根性が足りない」と言われれば、「ふざけんなよ」となって怒り狂うか、「俺たちもうだめだよね」とあきらめるしか道はない。競争で勝ち上がれと言われても勝者と敗者の比率は決まっているのだから、全員が豊かになることができるわけではもうない。こうしたことへの無自覚や無理解によって世代間闘争は経済闘争の様相も相まって今後一層激化するだろう。

シニアの蓄財は彼らの努力によるものであることは間違いない。しかし同等の努力では同じような資産を形成することができない社会であることも事実だ。そしてこんな悲劇が起きるのは緊縮財政を含めた経済政策の誤りによるものだという認識を私も著者も持っているということだ。

緊縮財政のばか野郎!!と私もブレイディみかこと一緒に叫びたい。

EU離脱のを決める国民投票と同じ過ちを日本で繰り返してはならない

国民投票はいやおうなく国論を二分する。賛成派と反対派は必ず敵対する。これは住民投票でも同じことがいえる。こうした直接民主主義はわかりやすい解を導き出すことができる反面で冷静さを欠いた議論の上に意思決定がなされたり、両者の対立が本来の争点以外のところに飛び火したりして混乱が生じることが少なくない。8章や21章を読むとそのことがよくわかる。

8章の一説に著者はこう書いている

「額に汗して働けば報酬が得られる」みたいな生き方は退屈だと反抗する若者たちがカウンターカルチャーを盛り上げた時代と、「額に汗して働いても報酬が得られるかどうかわからない」歩合制やゼロ時間雇用契約(日本でいえば非正規雇用)が横行する時代。少しぐらい道を踏み外しても制度で保護された若者たちと、競争競争競争と言われて負けたらだれも助けてくれないばかりか、「敗者の美」なんて風流なものを愛でたのももう昔の話で、負けたら下層民にしかなれない若者たち。
おとなしく勤勉に働けば生きていける時代には人は反抗的になり、まともに働いても生活が保障されない時代には先を争って勤勉に働き始める。従順で扱いやすい奴隷を増やしたいときには、国家は景気を悪くすればいいのだ。不況は人災、という言葉もあるように、景気の良しあしは「運」じゃない。人が為すことだ。※( )は私が加えた

これは今の日本にそっくりそのまま当てはまる。そしてさらに悪いことに働いても生活が保障されない人たちは、その苦しさからくる怒りの矛先を弱者や外部の人間に向けるという差別を生み出しがちだ。

21章ではなかまのおっさんとベトナム人の若い女性のロマンスに対して、周囲の人間が「その女は遺産やビザが目当てなんだろ」と非難するのを見ると、かつて日本から来てイギリス人と結婚した自分を重ねて「古傷が痛む」と著者は表現する。著者の周りのおっさんたちは先述したような理由でEU離脱派が多いのだが、かれらがEU離脱問題で「移民のばか野郎」と叫ぶたびに自分の身近な人間に古傷を刺激されることになるのだろう。

緊縮財政による貧困化を別の理由にすり替えて国民投票をして、国を混乱に陥れる結果となったEU離脱の是非を問うた国民投票の失敗から私たちは学ばなければならない。日本の為政者が自覚しているかどうかはわからないが、暮らしが行き詰まりを見せているときに国民投票をすることは混乱を招くだけの結果に終わるということだ。これは日本でいえば憲法改正の国民投票を急いではならないという警鐘である。近隣諸国がらの脅威を理由に憲法9条の改正を急ぐ向きもあるが、その是非についてここでは論じない。憲法改正の是非について十分な議論を経て、後悔の無い国民投票を実施するために必要なことは、国民の暮らしを(実感できる程度まで)豊かにして、未来は明るく自分が自分の国や地域に生まれてよかったと感じることができる日常を取り戻すことであるということだ。

新型コロナ対策で若干の路線変更が見られるものの、だれがどう言おうとアベノミクスは緊縮財政路線である。

ブレイディみかこが描いたおっさんたちの日常から私たちが学ぶべきことは、
「緊縮財政+国民投票=分断と混乱」
という方程式によって道を誤るということではなかろうか。

ブレイディみかことともにもう一度叫ぼう「緊縮財政のばか野郎!」

ついでにこれも紹介しておく

この二冊は時代を超えて対をなす名著です。不真面目と真面目という意味でも対をなしている。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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