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自由を学ぶ

「自由にしていいよ」と言われるのが苦手です。

写真はオースティンにある "Graffiti Park at Castle Hills"
本格的なグラフィティーアートの中、スプレー缶を購入すれば
誰でもアートに参加できるという場所。
アートと落書きの境界線は置いといて、
私たちは鑑賞するだけで退散。
特に描きたい物もなかった。

このアートにしてもそうだけど、
「自由に何でも描いて良いよ」と言われると
「え〜っと・・・どうしよう」となる。
私が自由について思うのは、
「自由にしたいけど、実際自由になったらちょっと困る。」
という事。
仕事をしている時は毎日毎日やらなければいけない事で
ほぼ成立していたし、
仕事内容もそれぞれテーマやターゲットがあって、
向かう方向はある程度決まっていた。
要するに私は自由に慣れていなかった。

ある心理学者が言っていて心に残ったものがある。
「小さい頃は、何でも好きな様にして良いよと言われると、
迷って進めなくなる。ある程度の年齢までは道しるべが必要」
らしい。
人は選択肢が多いほど不幸だという説もある。
3〜5択がストレスを抱えない適正基準らしい。
確かに思い当たる節がありすぎる。
「どれが良い?」って差し出してくれた方が楽だよね。
でもちょっとそれって私の中で葛藤がある。
もう赤ちゃんでも子供でもないし、
選択肢からしか選べない人生って幸せなんだろうか?

ここ数年は理性より自分の感覚と向き合って来た。
理由は言えないが単純に
「好きか嫌いか」
「やりたいかやりたくないか」
「食べたいか食べたくないか」
「テンションが上がるか上がらないか」
頭で考えて損得で行動するのではなく、
なるべく一瞬一瞬小さな事を意識してきた。
アメリカに来て今この自由な時間を使って
「今この瞬間何がやりたいか?」
毎瞬毎瞬問いかける。
最初は大きな事じゃなくて良い。
散歩したいとかジム行きたいとか勉強したいとか
その程度。
でも私はこの小さい積み重ねこそが物事を自由に決定する
練習なのではないかと思っている。

ちなみにこっちの駐妻質問あるあるは
「杉山さん毎日何してます?」
である。

みんな自由と葛藤している。

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