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西智弘さんの「ベトナム緩和ケア見学記」報告会から感じたこと

〇西さんはパリアティブ・オンコロジスト

このところ「どこそこへ行きました」ばかりアップしているような気もしますが、今週は川崎の市立井田病院でパリアティブ・オンコロジスト(緩和ケア医であり腫瘍内科でもあrる)西智弘さんのお話を聞いてきました

場所は、川崎市中原区の向河原にある「暮らしの保健室向河原」さん

この保健室の運営にも西さんは関わられており、病院の外でも地域の方や患者さんとの接点を作るという目的を持った以前からとても気になっていた場所です。夜の18時半からとちょっと早めのスタートですが、最終的には15名ほどの方が参加されていました

ちなみに西さんは、主に Twitter 上で熱心に緩和ケアや腫瘍、つまりガンについて発信されているお医者さまのお一人です。安楽死について触れられることも多く。BuzzFeed など通じて記事を目にされた方も多いと思います。こちら西さんの記事の一覧です

わたしも Twttier をフォローをさせていただおり、特に臨床でのご経験を基にしたツィートには、いつもハっとさせられています。ツィッターのアカウントはこちらになります(最新の固定ツィートです)

上記の分野にご興味や関心のあっする方がいらしたら、いまからでもフォローをされてみて下さい

今回はそんな西さんのお話を、90分間に渡りたっぷりと。じっくり聞かせていただく貴重な機会となりました

〇お題はベトナムの緩和ケア

さて今回のお題はベトナムの緩和ケア訪問記。西さんが現地からの依頼を基にベトナムへ行かれ、そこで行われた講演や。現地の緩和ケアを見学された内容についてお話をして下さるというのも。実はすでにその内容は、以下の note にまとめられています。正直わたしがクドクドとその内容を書くよりもご本人が書かれたものを読まれた方が良いことは言うまでもなく。まずはこちらの note をぜ読まれることをおススメします

なお発表資料を含む全文を読むためには、note へのサポート(購入)が必要です。出来ましたらそのサポートもぜひ。今回の報告会はこの note へサポートすると参加権を得られる仕組みでした。でもこれからのサポートでもなにか別の機会に西さんが役立てて下さると思います

ぜひご協力をお願いいたします

ということで、私からは西さんのお話の中で印象に残ったことや感じたこと。また note にまだ書かれていないことになどついて、以下書かせていただきます

〇きっかけは昨夏のお寺さんでのフォーラム

今回西さんがベトナムを訪問されることになったきっかけは、昨夏に川崎の武蔵小杉にある高願寺さんで開催された日本メメント・モリ協会さんご主催のフォーラム、「安らかで楽な死」だったそうです

ちなみにこのフォーラムでの様子は、昨年末のEテレで放送されたハートネットTV「がんになって分かったこと~写真家 幡野広志 35歳~」の中でも流れていましたね。西さんももちろん登壇されており、その時の様子も番組では紹介されていました

その会場にたまたま、ベトナムで日本の緩和ケアの話をして下さるお医者さまを探していたコーディネーターさんが来られており。このフォーラムの後で西さんにベトナムでお話をされませんか?と声掛けをされたことが、今回の訪問に繋がったのだそうです

しかもそれまでの間、実に3年間も、コーディネーターの方は話し手さんを探されていたそうで…

3年間話し手さんを探されていたコーディネーターさんのご尽力。そしてこの間ずっと返事を待たれていたベトナムの方々も、本当にスゴイです。その辺りの経緯も、質問タイムに投げてみれば良かったかなぁと、後になって反省しました

なお現地では、日本への関心が高いこともこうした講演依頼の背景にあるのだそうです。この辺りは後半の質疑応答の中でも詳しくお話をお聞きすることができました

〇痛みや孤独を無くす

わたしが今回の訪問記のお話の中で最も印象に残ったのが、当地のケア病棟がスローガンとして

痛みや孤独にさいなまれる患者さんを無くそう

と掲げているというお話でした。そうなんです、現地のスローガンには、「孤独」という文字が入っているのですね

一方日本ではどうだったかと言うと、聖路加国際病院でも。がん研有明病院でも、「孤独」という言葉はお話の中では出てこなかったように記憶をしています

そこでお聞きしたのは
患者さんの痛みを和らげいかにその想いに寄り添うか
患者さんやそのご家族がいかに安心・安全な環境の中で過ごせるように配慮するか
そのために出来る範囲で部屋や設備を整えるか
といったお話でした

でもそうか
そうなんです

「孤独」に向き合うこと。それを解消するのも、緩和ケアの大事な役割なんですよね

西さんも note に書かれていますが、ベトナムは日本以上に「家族」が大切な存在なのだそうです。病院への受診も家族ぐるみで来て。病室も普段からベットの周りに家族がいるのが当たり前(むしろ病院のスタッフはケアや介護はしない)

ですので正直、日本とは比べ物にならないほど患者さんは「孤独」じゃないじゃないよね?とお話を聞きながら思いました

でもそれ故に「孤独」を大切なものと扱おうとしてているのか
それともたとえ家族に囲まれていたとしても死に逝く患者さんのこころの内は「孤独」になりがちである、という前提があるのか

いずれにしても、孤独にさいなまれる患者さんを無くすという想いや視点は「緩和ケア」の中にるのがむしろ当然だよね、と思いました

そしてこうした視点はむしろ、日本の緩和ケアにこそ、取り入れるべきなのであって。いやむしろ、在宅のケアの方がそうした部分では進んでいるのかもしれないと思ったりもしました

この辺りのことは、緩和ケアにおける「哲学」通じるお話しでもありますね

〇哲学としての緩和ケア

すここでは主に会場の質問タイムで出たお話に触れたいと思います

note にも書かれていますが、現地の緩和ケアの状況は日本の20~30年前。つまり緩和ケアという存在が日本でもようやく知られた頃に該当するそうです。当然専門の医療機関は少なく、そもそも街中にあるクリニックの質も良くない。そのために人々は時間やコストをかけてでも、大病院に罹ろうとする

ちなみに大病院に罹るのが「自慢」にもなるそうで

ただこれは単に見栄だけでなく、現実に治療の質は大病院の方が高いからという合理的な選択ではあるというお話でした

また西さんは盛んに緩和ケアに対して「哲学」という言葉を使われました。今回の講演でも、そこはとても重要視したことが note でも語られています

もともと英国で始まった緩和ケアやリハビリは、死をめぐる議論やその中でどのような病院や施設の在り方が患者さんにとって良いのか?という議論がベースとしてあったそうです

一方で日本は、その導入期に哲学ではなく「場」としての緩和ケアを増やすことを優先してしまった。そこには当然の帰結として緩和ケアの「哲学」が存在しない。それが問題でるというご指摘です

それに対して、ではベトナムはどうかというと、少なくとも日本に比べたら哲学はある(と西さんは感じられている。)施設の数や質は当然ながら日本に劣る。だが病棟で患者さんが家族に囲まれる光景が当たり前であることなどを目にすると、病院の中でも敢えて患者と家族と切り離したりはせず。その関係をそのまま緩和ケア病棟にも持ち込んでいる点などに、日本とベトナムとの違いを感じるというお話をされています

確かに施設の中身は立派でも、日本の緩和ケア病棟にはどこか「隔離」された空間という雰囲気を感じました。それは病棟というよりは、むしろパーソナルスペースを重視するホテルに近いものです。日本人にはそれが合っているのかもしれませんが。一方でそれは、ハコとしての作りがそうさせているのかもしれませんね

この「哲学」の部分については、実は今回のお話し以外にも、日本はまだまだ海外の事例や運用、そして空間やコミュニティ作りの面で学ぶこと多々あると感じています。思いがけない処で、そうしたお話が自分の中で繋がった感覚がありました

その他、現地で緩和ケア病棟に入院できるのはがんとエイズである(はず)こと。麻薬の取り扱いについては歴史的な経緯もありとても慎重なお国柄だが少しずつ改善はされてきていること。またベトナムの家族観についての質疑応答もありました

〇まとめ

今回実は質問をし損ねたなぁと思っていたことが二つありました

・現地ではチャプレンや宗教者の関わりが病院内であるのか?
・スピリチャルペインについてはどのような対応がなさかれているのか?

死別・離別のサポートに関わる人間としては、いつも気になる点です

ただいまこうして書きながら振り返ってみると、そもそも「家族」がベースになったケアが行割れる中では、こうした質問はあまり意味が無かっただろうなと感じています

つまり何が言いたいかというと、チャプレンやスピリチュアルペインといったものは病気に罹ったり。入院をしたりしても孤独を感じることがなく。また家族が常に傍にいて、ケアをしてくれる環境にあり。さらには民間療法や信仰なども残っている社会であれば、それほど重要視されることはないのではないか?と思うからです

もちろんどんな社会や文化でも、詩に対する恐怖や畏れは誰にでもあるはずです。一方で、孤独やスピリチャルペインはとても近代的な痛みや課題であるとも言えます。これらは社会の個人主義が過度に進み。ライフスタイル自体も個別化、個人化した故に生じ、強まっていった故のものではないかと思えるのです

そうしたものは、適度な人間関係や支え合いがある場合には、その中である程度「緩和」される面があるのではなかろうか?。もしくは信仰も支えになっているのかもしれません

この辺りは今度、他の国々との比較も含めて、観ていくことが出来たら面白そうだと感じました

そうした気付きも含めて、勉強になることがたくさん詰まった今回の報告会。西さん、コーディネーターさん、そして暮らしの保健室のみなさま、お忙しい中貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました

以上です。。

デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています