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妹との死別を振り返って 〜喪失の幼少期、グリーフケアに出会った現在〜

こんにちは。
自己紹介します。

喪失の幼少期

私は5歳の時に妹を亡くしました。
妹は、三輪車を爆速で乗り回す活発な子でした。
それなのに、ある日、突然、心臓が止まってしまいました。
救急車で運ばれたけど、それっきり。
二度と帰ってきては、くれませんでした。

私は当時の自分の状態を覚えていません。
後から振り返ってみるに、悲しみと喪失感で、心も身体もぐちゃぐちゃでした。
記憶を無くし、時間も止まってしまいました。
小学校の入学式も、その後の学校生活も、低学年の頃のことは、ほとんど覚えていません。

一心同体のように、毎日一緒にいた妹。
失ってから、本当にいろんな心の葛藤がありました。
その葛藤は、何度か両親に話したと思います。

だけど、共有できたのは楽しかった頃の思い出ばかり。
悲しみや後悔の念は、初めのうちは両親も話してくれましたが、次第に心に蓋をするように、話してくれなくなりました。
私がその蓋を開けようとすると、特に母は、ものすごく反発しました。なので私もその話題に触れないようになりました。

私は妹の死との向き合い方がわからなかったので、本当はもっと話がしたかったです。だけど、本当の気持ちを両親に話せなくなりました。

友達にも「妹はお空に行った」と話しました。
だけど、5〜6歳というのは、まだ死別が理解しにくいお年頃です。なんだか空気が重たくなりました。
みんな怪訝な顔をしていました。
それから私は、友達に話すのをやめました。

そうして私は誰にも話せず、大人になりました。

グリーフケアに出会った現在

去年、グリーフケアサポート「あめのちはれ」が主催する「わかちあいの会」が始まったことで、「グリーフケア」という活動を初めて知りました。

悲しい。苦しい。心細い。
何もやる気が起きない。
なんで、こんな事になっちゃったの?
助けてあげられなくて、ごめんね。

妹がいなくなってから、毎日いろんな事を考えていました。
一度、込み上げた想いは、すぐには消えてくれなくて、感情のコントロールが効かない事が何度もありました。

そんな「グリーフ」に寄り添い、前を向く力をくれるのが、グリーフケアだと知りました。

グリーフケアには、いろんなアプローチがあると思いますが、対話することが基本のキなのだろうと思います。
その対話の機会を提供してくれるのが、「わかちあいの会」です。

私は「わかちあいの会」に参加して、ずっと話せなかった自分の気持ちを、少しだけ話してみたくなりました。

話してみたら、全然うまく話せませんでした。
今まで、何百回も、何千回も、心の中で自分と話してきた事なのに、口に出すのがすごく難しかったんです。

それでも、わかちあいの会には、聞いてくれる人がいました。
参加者の皆さんが真剣に聞いてくれました。
本当にありがたい。ありがとう。

胸の内を人に話してみるというのは、心の回復にとても重要なことだと分かりました。

改めて、私の悲しみは、私のそばにずっとあり続けて、共に歩むものだと思いました。自分が死ぬまで、ずっと一緒です。

それは悪いことではありません。それで良いのです。
これから先も、ときどき思い出しては、泣くと思います。
だけど、そんな自分を恥じることは無いと思っています。

自分の長所は、死に対して他の人より敏感で、涙もろいところです。
長い時間をかけて、そう思えるようになりました。

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