見出し画像

大きな分岐と大きな別れ。

何度も通いなれたカウンセリングの帰り道、見慣れた車窓をぼんやり眺めながら、泣かないのが精一杯だった。
今日はこれからカウンセリングに行って、何を話すんだっけ。
先生に報告したいこと、相談したいこと、質問したいことはたくさんあったはずなのに、なぜか頭がぼーっとしてしまって、働かない。
それで行く道すがら、携帯を取り出してメモ帳を開いたのだった。
なに気なく、電車の中で自分がさっき備忘録的に書き込んだメモを読み返して、驚いた。
「きっとあの椅子に座ればまたいつものように何か話し出す。
でもなんだろう、すごく泣きたい」
ああ、今朝のあの妙な感覚は、ここにつながっていたのか。

真剣にカウンセリングを受け初めて、5年になる。
いつものように先生と話した帰り道、また規定の時間をオーバーして話し込んでしまった私は慌てて
「いつもすみません」と言って立ち上がる。
その私を先生が、私のブログって読んでいただいてますか?って引き留めた。
いつものやり慣れた工程と違う展開に、私は驚いて先生を見た。
ブログではお知らせしたのですが実は、体調不良でこの7月でカウンセリングルームを閉じることにしたんです、と先生は言った。

特にエンパス体質の先生にとって、それが本当に大変な仕事なのだろうということは知っていた。
ある時、どうして自分はお金を稼げないのか、というテーマで話をしていたとき、先生が、
「ちょ、ちょっと待って、怖い怖い怖い、お腹痛い、すみません、ちょっとトイレに行って来ます」
ってトイレに駆け込んでしまったことがあった。
その姿を見て、
自分が学生時代、いつもあんな風にお腹が痛かったことを思い出した。
通学路の何処と何処にトイレがあるのか、常に意識していたし、
トイレまでたどり着けず、冷や汗をびっしょりかいたままホームで座り込んでしまったことも何度もある。
それでも学校を休むことは許されなくて、
多少の痛みは我慢するのが当たり前になっていた。
その「多少」っていうのは、他の人にとってはどの程度「多少」なのか。
骨折しているのにアドレナリンが出まくって、試合を続行してしまうサッカー選手なんてたまにいるが、痛みというのは他人と比較する術がないから、分からない。
でも先生の苦しむ様子を見て、
自分は我慢できる範囲を、我慢すべき、我慢せねばならない、って
いつの間にかどんどん更新して行って、あんなところまで行ってしまってたんだって、初めて客観視することができた。
私がしゃべっていると、先生の喉が詰まってしまって声が出なくなったことも何度もあった。
膝がどうにも痛いんです、と相談すると、腰もすごく痛いです、と返された。
そして私の不調はいつも、いとも簡単にするりと取ってくれた。

今の自分に、これと言って誇れることは何もないけれど、
そのカウンセラーの先生を一発で引き当てたことだけは間違いなく、
「自分は天才だ」と誇ることができる。
最後まで付き添うことができなくて、申し訳ありません、
と言って先生は頭を下げて、ご自分のご師匠にあたる先生を紹介してくれた。
私は血の気が引いたまま、その説明を必死で脳みそに書き留めた。

もう少し詳しい病状は、ブログの方に書きました、と先生がおっしゃっていたのを思い出して、そのブログを開いてみる。
そこには不調の詳細、症例、そして、プロであるからこそその症状が何を意味するのか、自分のメンタルが何を訴えているのか、否が応でも分かってしまう、と書かれていた。
私は慌てて、先生のその症状に、どのような意味があるのかを検索してみる。
そして、今までカウンセリングを受ける中で先生が話してくれたことのある、
先生ご自身の深い悲しみとそれが、
どこでどうリンクしているのかを、ぼんやりと想像する。
もう、誰がどう説得したって、どんな言葉をかけたって、
誰かが先生のカウンセラーの腕が世界一すばらしいと証明したって、
先生には届かない。
誰にもわからない、深い深い悲しみ。
残りの人生を、自分のために使いたい、と先生は言った。
私とさして変わらない歳なのに、残りの人生って?
悲しくて悲しくて、涙が止まらなくなる。
せっかく取得した知識、資格。
尊敬する師匠との出会い、たくさんのクライアント、これだけの才能と卓越した技術があって、その全てを手放すというのは、どれほどの覚悟だっただろう。

本当は、私が元気になった姿を、先生に見て欲しかった。
先生のおかげでこんな風に出来るようになりました、って
先生の頑張りを、私の人生でもって証明して見せたかった。
人生には時々、ギフトだと思えるようなすごい人との出会いがある。
私よりもエンパスな先生が、それでも人間は楽になれる、
この奇妙な世界でもちゃんと、人と関わりながら楽しく生きることができる、
と断言した。
先生に手を引かれ、少しずつ観念という皮を剥いでいくと、
変わっていく、確かに楽になっていく。
これをずっと続けたら、私なりの「ゴール」って思えるものに、いつか到達できる、そんな確信が生まれた。
カウンセリングの中で、疑問をぶつけ、自分はこう思う、という凝り固まった観念を、先生に何度も突き崩された。
その瞬間はわかれない。でもその宿題を持ち帰って、現実世界でそれを体験するうちに、ああ、先生が言ってたことはこれだ、このことをおっしゃっていたんだって
伏線が回収される。
それを、こんなことがあって、考え方が変わって、あの時先生に言われたことの意味が腑に落ちました、ってまた報告に行くのが嬉しかった。
それでもまだ、未回収の伏線は、たくさんある。

私には、どうしても忘れられない人がいる。
その人に会えなくなったことは、今まで人生で起こった辛い出来事のどれとも比較の対象にならないほど何か別格の、種類の違う苦しさがあって、
だけどそんなことって誰にだってあることで、
そこにいつまでも未練たらしくこだわっている自分がずっと、恥ずかしかった。
だから私はそれを、自分の奥深くに格納し、だれにも話さない、と決めていた。
会うこともない、思い出もない、目配せや会話や電子機器を介したやりとりもない。
テレビの恋愛ドラマのような、他者に説明できるものが何もない世界。
それなのに、現実にはもう会えないその人と、自分のある角度にチューニングするといつでもパチンと繋がってしまう。
初めてカウンセラーの元を訪ねた時、携帯のGPSを片手にしているのに、なぜかグルグルと壊れてしまって迷子になって、どうしてもたどり着けなくなった。
代わりに、その人を思い出させるようなサインばかりが、嫌がらせのように繰り返し現れる。
私はそれで、これから初めて会うこのカウンセラーの先生にその人の話をすると決断しなければ、カウンセリングルームにはたどり着けないんだと悟った。
私が先生に、これまでのその人との不思議な現象を説明し、今もずっと繋がっている感覚がどうしても消えない、と話すと、
先生は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにそのエンパスを発動させて、少しだけ斜め上に視線を泳がせた。
そして、
「あ、ほんとだ、なんか来るね」
と言った。
「なんか来てる」という自分の感覚を、
自分でも、妄想なんじゃないか、希望的観測なんじゃないか、頭おかしいんじゃないかってずっと揶揄し、否定してきた感覚を、
こんなところで誰かに共有してもらえるとは想像だにしていなかった。
私は衝撃を受けた。
その経験は、どうしても先生と一緒に回収したかった伏線の一つだ。

最後に、忘れられないその人に会ったとき、その人が私に取った、
不可解で、支離滅裂で、強力で、悲しくて、全身が根幹からバラバラにされるほど苦しいその人の行動の意味を、ずっと考えてきた。
なんであんなことをしたんだろう。
私のことが面倒くさかったのなら、迷惑で、苦しくて、ただ全部もうなかったことにしたかったのなら、
たとえヘタレだ無責任だと罵られても、さっさと踵を返していなくなってくれればよかった。
もう二度と会わない人になんと思われたって関係ない。もっと簡単なはずだった。
それなのに、その人はそこに敢えて留まり、そこに立って、明確な拒絶とそのとき自分の持てる力の全てを出し切って、それを私に叩きつけていった。
それまでに知っていたその人の性格や、想像するしかないその人の置かれていた状況や、その人がそのときとった行動が、どうやって組み合わせても、ああそういうことか、ってすっと胸の中に落ちていかない。
なんで?
という気持ち悪さ、パズルの中に、いろんな別の種類のパズルが紛れ込んでいて
どうやっても組み合わさらないような、逆さまに吊るされたままでいるような不快感の中で、私は必死に、どうしたらその人のパズルが完成するのかを考え続けた。
そしてこれ以上どう精査しても揺るがない、誰になんと言われても変えようがない、というところまで考え尽くしたとき、
その人が最後に私に伝えたかったこと、その答えのようなものにたどり着いた。
一つは、自分のことを、きっぱりと幻滅し、嫌いになってほしい、ということ。
自分のことでこれ以上、迷ったり惑わされたり苦しんだりしないように。
自分に180度背を向けて、まっすぐにこの場所を出て行け、ということ。
もう一つは、自分のことを、忘れないでほしい、ということ。
自分という存在がここにあったことを、どんな存在であったかそのときその人が示せる精一杯の生き様を、記憶に残しておいてほしいということ。
そして最後に、
どうしても、私に幸せになってほしい、ということ。

結局、嫌いになることはできなかったが、何年もかかって
その人がいなくても苦しくない、でもその人のことを忘れない、というありえない矛盾を、自分の中でなんとか共存させる地点を探り当てた。
でも、「幸せになる」。これだけがどうしても、クリアできない。
意地になってこんな風にカウンセリングを続けるのは、
もちろん、今、自分が苦しいから、この苦しさの意味を知りたいから。
そして、何度、前世療法で確かめても私の人生に登場し、その度に、
不幸な方、不幸な方を選択してしまう私のせいで苦しい人生を強いられたその人の、「今度こそ幸せになれ」という約束を、何としても果たしたいからだ。

会えない分、臭いとかキモいとか意地悪とか、意見が合わないとか気に入らないとか、人としてあって当たり前の行き違いを経験できない分、
時間がたてばたつほど、自分の中で彼の存在がどんどん神格化されてしまう。
北極星のように、自分には届くはずのない消せない目標になって、
いつまでも答えが出ない。

カウンセリングに通い始めて初期の頃、
無償の愛なんて存在しない、と先生に言われた。
そんなことない、それはどこかにはあるはずだ、だって、
先生はこうやって、自分はこんなに苦しかった人生を自分の力で這い上がって、
そこで学んだことを使って、こうして人を助けているじゃないですか。
無償の愛は、そこにあるじゃないですか。
泣きながら抵抗する私に先生は、
「それは、お金をもらっているからです」
と、ピシャリと言った。
先生のモットーは、「酔わせてたまるか」
なにものも、美化しない。信奉しない。依存しない。
そうやって突き放してくれたことを、すぐに境界線を踏み越えてしまう依存体質の私を、決して依存させないように慎重に導いてくれたことを、
今は心から感謝している。
自分にすらも絶対に依存させないという厳しい態度をとってくれたことが、
長い間に、どれほどの救いだったのかということを思い知った。
ふらふらと、陰謀論やら何やらあちこちに依存してしまうたび、先生に力強く根気強く引き戻された。
人間はみんな、そうなのだ。
依存なんかしているつもりはないのに、どんなに厳しく自分を律していても自分のことが一番、分かれない。
その強力な呪縛を学んだ。
そして、気を使わなければ怒らせてしまうかも知れない、嫌われてしまうかも知れない、っていつも人間関係が怖くて苦しくてたまらなかった私に、
友達や恋人や親子のような、あやふやした関係ではない、
お金を払って先生のその時間を買えば、どんな話も否定せず聞いてもらえる、
関係性が破綻してしまう恐怖や不安に怯えることなく、
ストレスや緊張を感じることなく、
今まで誰にも通じなかったような深い話をどこまでも交わすことが出来る、
明確でシンプルな空間を提供してくれた。
いつでも何かあると、これは次回、先生に報告しよう、相談しよう、って考えるのが癖になっていた。
それは絶対的な安心感だった。

あのとき先生が言っていたあの言葉を、こんな風に伏線回収しましたよ。
お金を払っても、もうそれを先生に報告に行けなくなるのは悲しい。
それでも、先生には幸せでいてほしい。
メンタルと向き合うということは、たとえばグラウンドの石を取り除くようなものなんです。
と、先生は言った。
大きな石が真ん中にあれば、野球でもサッカーでもやるときにそれが邪魔になって楽しめない。
だから一つ一つ、取り除いていく。
でも、グラウンドにある砂のような石まで気になる、ということであれば終わりなく整備しなければいけないし、
もっと言えば、その土を掘ってしまえば下から出てくる石までも気になる、ということになる。
次に見つけてしまった先生の石が、カウンセラーの仕事を辞めることで取り除けるなら、私はそこに心からエールを送りたい。
「私たちのようなエンパスでも、苦しまずに楽しく生きることはできる」
それを、先生が実践し体現してくれていることは、たとえもう会えなくても、
私にとってどこまでも燦然と輝く、大きな希望だ。

私は帰ってきて、忘れないうちに先生に教えてもらった先生のお師匠のカウンセラーの先生に連絡を取った。
先生がカウンセリングルームを閉じる前に、最後にもう一度、先生のセッションを受けたい。そのときに、これからどうすればいいのか、なんてメソメソした自分は見せたくない。
先生に私は、芯から人生を救われた。
ただこの道をまっすぐに進めば、少なくとも第一段階、自分の求めた答えにたどり着けるという希望と確信をもらった。
先生の生きてきた人生に対する敬意を、カウンセラーという道を選択してくれたことへの感謝を、少しでもお返ししたい。
先生のお師匠に会いましたよ。
そこでこんな話をしました。
こんな風に感じました。
だから私はもう、大丈夫です、次の目標はこんな感じで、
だからこれからも私は継続して頑張りますから。
先生がカウンセラーの仕事を辞めることで、心残りや心配事のリストなんてものがあるとしたら、
そのリストから私の名前は消してほしい。
何も決まってないという、先生の次の人生の入り口に、目一杯の綺麗な花を飾りたい。

大きくなった子供達のために、今の家ではどう考えても手狭になっていた。
家を取り替える。現実が迫る中、またそんな面倒を夫にかけたら、
こんなこともしてやったのに、あんなこともしてやったのに、って
離婚から遠のいてしまうんじゃないか。
そんな恐れがあってずっと踏み出せなかった。
そして、進みたい方向に進めないからまた、吐き出せない怒りが溜まっていく。
カウンセリングの最後はいつも決まって、「ご主人、恨み」というキーワードで締められた。
それがある時から、その「ご主人」というワードが消えた。
「やっとご主人に向いていた怒りが、本来の怒りの方向に向かいましたね。
これはもう、何か自分にご褒美を買ってあげるレベルです」
いつもそうだが、そう先生にニコニコして言われた時は、全くピンとこなかった。
その意味をじわじわと実感するのは、いつも後になってからだ。
そして私は、あんなにこだわっていたのが嘘のように、するりと引っ越しを決めた。
「引っ越したい!」って思うなら引っ越せばいい、
「今の家が気に入ってるから引っ越したくない」って思うなら引っ越したくない、でいいんです。
先生は引っ越しを決めたことを本当に喜んで、いつものノートにそれを書き留めてくれた。自分が話したことをあのノートに先生が書き込んでくれると、私はいつも、何かとんでもないことを成し遂げたような気がして嬉しかった。
その引っ越しも、いよいよまじかに迫ってきた。
やろうやろうと思いつつなかなか進まなかった断捨離も、今度こそ徹底的に断行するつもりだ。

だんだんシンプルに考えられるようになっている。
目の前にあるものはまだ何も変わらないけれど、私の人生には、間違いなく今、水面下で何か大きな変化が起きている。
「デカイんですよね」
私が両手で、猫くらいの大きさの輪っかを作ってみせると、先生は、え?って驚いて私を見た。
カウンセリングを受けて、だんだん観念が変わっていくとき、
これくらいの手で掴めるくらいの大きさの歯車なら、今歯車が回っているって目視で確認することができる。
でも、メンタルという歯車は、ほとんど町ぐらいの大きさで、とにかくデカくて、
だから回っていることがわからない。
夕日の角度が変わってやっと太陽が動いたことを知るように、いつも1ミリ1ミリ変わっている瞬間はわかれない。
変わってから、ああ、景色が変わったんだって気がつくんです。
私がそう説明したら、先生は、
「メンタルは、小宇宙ぐらいの大きさだ、なんて言われていますね」
って言って笑った。
そうですか、あれは街なんてもんじゃなくて、小宇宙なんですね。
先生と私の間に、真っ黒でたくさんの美しい星々を内包した、宇宙が広がる。
いつもこのお花だらけの可愛いテーブルで、私は先生と一緒に、
小宇宙を旅し、少しずつ動かしていたのだろうか。

1匹の猿がある日、芋を水で洗ってから食べた。
すると周囲でそれを見ていた猿だけでなく、海を隔てた別の大陸の猿までが芋を洗って食べるようになった。
そんな100匹目の猿のたとえのように、
私たちは自分の小宇宙を変え、行動を変える。
え、そんなことしていいの?そんなのありなの?そんなこと出来るの?
そうやって周囲は驚いて、違和感を持って、受け入れる人と拒絶する人に分かれ、その波紋がどんどん広がっていく。
それが、少しずつ世界を変えていく。
誰かが9秒台で走ると、世界中でその記録を破れる選手が次々に現れるように。
誰かが160キロ台を投げると、160キロを投げれる新生投手が続々と現れるように。
人間は進化していく。
私たちは世界を、思う方向に変えていける。
「私にとってクライアントさんは、導くとか助ける相手ではなくて、同志なんです」
何度も聞いた、先生の言葉。
私はきっとそれを、これから先も何度も思い出すと思う。

まだまだ教えて欲しいことがあった。
終わっていな伏線も、先生が見せてくれた、頭がクラクラするような不思議なことも、まだまだたくさんある。
いつか、ああ、あのとき先生が言っていたのは、って私はその伏線を回収するだろう。
それを先生と共有できないのは、心底さみしい。
先生のような、不思議でおかしな話を、なんの齟齬も衒いもなく話せるような相手に、私はこの先の人生でまた、出会うことはできるのだろうか。
さみしい。
それでもこの偉大なカウンセラーが私の人生から取り上げられてしまうことは、
大きな、大きすぎて一体どこにつながるのかすらわからないほど大きな、
地表が動いているような変化が自分の身に起こっていることを実感させる。
そう考えると、楽しみにもなる。
お別れするのは悲しいけれど、もうお金を払っても先生と話すことができないのは本当に寂しいけれど、
大切な、これだけ大きなものを失って、それでまた大きく次の段階に進んでいける自分に、ワクワクするのも事実だ。
きっと、私のカウンセラーが絶大な信頼を寄せ、私自身もその先生に救われた、と評するお師匠先生にも、
私はいいところを見つけて、新しい発見をして、びっくりして、そしてまた前に進んでいける。

いつか、敬愛する先生としてではなくて、
対等な友人のように先生と周波数があって、もう一度再会することができたら、
自分はそのとき、どんな気持ちになるだろう。
先生はきっともっと先に進んでしまうけど、
いつかそんな世界にたどり着けることを夢見るのは、私の今の精一杯の自由だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?