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まともな人たちの、呉越同舟が終わるとき。

広末涼子さんが不倫したとか…
もう、ちょびっと聞いただけで、暗ーい気持ちになる。

その状況説明に不倫をされた旦那さんが出てきて、何やら突飛な形式で、誠実な会見を開いた云々…
普段はあまりニュースなど見ないのに、ネットを開くとなぜかその話題が目に飛び込んできて、さらにどんよりした。
誰かが、苦しくてここを抜けたい、変わりたいともがけば、周囲からは
「病気」ということにされる。
それを専門医でもない家族が、自身の考えで診断し世間に向けて発表してしまう。
「なんて恐ろしい旦那さんなんだろう」
私にはそんな風に見えた。
ちゃんと報道を見たわけではないけど、そんな重たいエネルギーが入ってきて、私は咄嗟に携帯を閉じる。
夫の言い分を丸呑みして、優しくてまともな旦那だと持ち上げる世間がまた、私には恐ろしい。
夫婦円満でいればまとも。不倫をしているときは病気
それなら、まともな人間であるために、どんな人もあの夫のもとに戻るのが唯一の正しい選択肢、みたいになってしまわないか。
その議論の凶暴さが、私にはついまた、自分の母に重なって見えてしまう。


以前、あるYouTuberの方の配信が大好きで、何か触発されるたびにコメント欄にハンドルネームで書き込みをしていた。
ワクチンを接種するかしないかで、まだ世間が大きく二分していた頃。
陰謀論者だった私が取ったスタンスは「接種しない」。
両親を説得するために、その配信者の方を含めたたくさんのYouTubeなどネットの情報を、説得材料として両親に送ったことがあった。
それ以来、なぜかそのチャンネルだけは継続して視聴し、そのコメント欄に時々書き込まれる娘らしきハンドルネームを、母はずっとストーキングしていたのらしい。
そしてある日突然、このハンドルネームはお前だろう、と連絡して来た。
私はその時、わかる人とわからない人はもう、きっぱりと分かれてしまった、ここまで来てもわからない人たちはもう置いて行くしかない、とコメントを書いた。
実際、今でもそう思う。
だっていくら説明したって、聞きたくない、変わりたくない、まともな人間じゃないと思われるのが怖い人には、どんな情報も浸透していかない、どうしようもないのだ。
しかし、その「分からない人」「分かっている人」という分類に、扉を閉じてしまったような言い方に、母はピリリと反応した。
娘は分かっている人で、自分は分からない人。
娘が自分を置いて、どこかに行こうとしている。
「お前は、配信しているその人や同じ書き込みをしている人たちに、自分がどれほどの不快感を与えているのかわからないのか。その配信者に洗脳されて陰謀論者になんかなって、頭がおかしいのが分からないのか」
乱暴な言葉を重ね、なんとか私をそこから引き戻そうとする。
以前の私なら、その言葉の一つ一つをまともに受け取って、そうなのかな、そうかも知れない、一理あるのかも知れないと、硬直していうことを聞いてしまっていた。
でも、ここまで何年もカウンセリングを受けて自分の軸を探り続けて来た私は、もうそこに振り回されることはなくなっていた。
そして、相変わらずの母の態度に、これはさすがにもう限界だな、と思った。
自分はこれまでもう、充分やった。
私は、もうとっくに千切れてしまった血だらけの堪忍袋の緒を、何度も自分の指で結び直してここまで来た。そのことを今はもう、誇りに思える。
誰から理解されなくても、構わない。
両親にもそう伝えた。
伝わることはなかったが。
そして私は、母がさらに暴走してその配信者の方にご迷惑をかけないよう、そのチャンネルのコメ欄を去った。


陰謀論だと揶揄されたことが結果、真実であったことが次々明るみになっていっていっている。それでもまだ彼らは、自分がまともでそれ以外が病気、という二元論から出てこない。
それはいい。別にそれぞれが信じるものを突き進めばいいのだからそれは構わない。
でも、件の女優さんのことに話を戻すなら、仕事にストレスがあって、家庭生活が円満にいっていたのなら普通は、外の男性ではなくて夫に助けを求めるんじゃないだろうか。
この件でコメントしたくなる人、こうやって便乗してそのニュースを取り上げる私、ストレスをぶつけるようにわざわざ辛辣な言葉を言う人含めてみんな、病気だ。
まともな人は鼻から、他人様のご家庭の不倫問題など、とんと興味がない。
きっと今、彼女の目に映るのは敵ばかり。
可哀想だ。
そんな絶望的な気持ちでいたら、「濃い化粧して女が出かけるのは病気なのか」って、夫側に疑問を呈す記事なんかも出てくるようになって、少しだけほっとした。

コロナの時に起こったような、
みんながたった一つの意見に集約されていくのが当然
という息苦しさから、世の中は少しずつ変わっていっている。
そして自分はどうやら、その流れにちゃんと乗れている。
濃い化粧をして新しい世界を求めることが病気なら、目の下に涙袋つくってアニメみたいな大きな目を、自前の顔の上に器用に描いてる今時の女の子なんてみんな病気だ。
私も病気。
あなたも病気。
まともな人なんて一人もいないし、そもそもまともってなんだよ、って話だし、
一生懸命にまともな人間であろうとすることなんてまるで無意味だし、
よくよく吟味してみれば、それはなんと滑稽なことだろう。
まあ、会見までした旦那さんの、悔しかった気持ちは理解できる。
何が正しいなんてことはない。
みんな苦しんだり浮かれたり、恐怖で目的を見失ったりしながら、間違いを重ねながら経験し、成長していく。
何が間違いなんてこともない。それが人生だ。

私たちは、異なる意見の人たちがぼんやりと、互いの境界線を守ったまま存在しているその、中途半端な状態にいることが苦手だ。
いつもあるべき正解、問題の答え、決着する点を探してしまう。
様々な意見があって当たり前の世の中に、
マスクをしていない赤の他人を注意したり、
ワクチンを打ちたい人たちのいる会場に、わざわざ打つなとプラカードを持って止めに行ったりする。
他者の境界線を踏み越えた人たちは、その動機がどんなに慈愛に満ちたものであったとしても、同調できない人から見ればただの恐怖でしかない。
ヴィーガンを選択した人が、肉食の人に、その美味しいと言っている肉がどのような残酷な方法で生成された肉なのか、肉を食べているあなたはどれほど残酷な人間なのかと断罪する。
不倫を容認する人、不倫は許せないと騒ぐ人。
男性アイドルの性的虐待を追求する人、既出のアイドルの体裁を守ろうとする人。
さまざなな意見が混在していて当たり前。
結論が出ない途中経過が通常、というザワザワするような宙ぶらりんの状況をそのままの状態、ありのままの状態で放置する、という経験を、私自身、学校や社会、どこを思い返しても今まで生きて来てほとんどやったことがない。
どこからか模範解答が与えられないことに、社会全体が慣れていない。みんなで同じ方向を向いて、そこに自分が沿っていないと不安になる。
この場合は、このように感じるべき、という正解があって、そこからはみ出している、と感じるものを論理を使って攻撃する。
自分と違うものを、批判して村八分にしたくなる。
私たちは、どれだけ異形のもの異質なものを恐れ、それに自分がなってしまうことに怯えているのだろう。
そして、自分が「まともでない」と言われないように、「まともでない」人を見つけては批判しながら、みんなで歯を食いしばって同じ船に乗っている。

しかし一度、自分は村八分にされる側だ、まともではない側だ、だけど、別にそれで構わない、と開き直ってしまうと、途端にそこから恐怖が消える。
びっくりするくらい、何もなくなる。
だってみんなそれぞれ実際にはまともじゃないのに、それを認めることが出来ずに一生懸命にまともであろうとしているだけなのだから。
みんな一生懸命なのだ。怖いのだ。
これはもう、仕方ない。

「幸せになるというストレス」
マドモワゼル愛先生

私たちはみんな、いつの間にか自身を人と比べ、
このままではいけない、もっと何かをしなければいけない、という強迫観念に囚われてはいないか。その強迫観念の元にあるのは、これがなければ、ここまで得なければ、これをしなければ、「幸せになれないよ」という幻想であり脅しだ。
車ぐらい持たなくちゃ。家ぐらい持たなくちゃ。これくらいの学校は出ていなくちゃ。幸福を求め出すと、架空のものを求めることになる。幸福病にかかる。
しかしどこまで求めてもそれを得ても、もっと次を求めなくてはいけなくなって、結局、安心できる瞬間はやってこない。
それよりも、幸せになることを芯から諦めてみること。
一生、幸福になんかなれっこない、と諦めると、
幸福になることを諦めた清々しさ、幻想から解き放たれた開放感、そして目の前の自分の人生を生きる以外になくなり、出来事の全てがシンプルになっていく。
幸福であることと、自分の人生を生きることとは、実は真逆のこと。
幸せになってほしい、という先生や親の思いは、心情としては理解できるが、
「自分の人生を生きてください」というのでなければそれは、未熟な愛なのだ。「生まれて来た以上は幸福を求めるものだ」という幻想から脱却すること。
自分であるために私たちは生まれて来た。それ以外にやることなどない。
不幸を恐れないこと。その時、自分とは何かが見えてくる。
そこで得た答えこそが、私たちの人生の、最大の宝物である。


私の母は、物書きを生業としていた。
その姿を幼少から見ていた私は、文字を読むのが難しかった時は読み聞かせ、
読めるようになってからは原稿用紙で、母の書いたものをいつも読まされて来た。
「どうだった?」
書いたり消したりしながら少しずつ進む、代わり映えしない一つの作品を、何度も何度も読まされる。いい加減な生返事をすれば、こっちは命がけで書いているんだから真剣にやれと怒られる。
そして実際、編集者に出版を断わられて、意気消沈して帰ってくる。
だからこっちも、必死になる。
なんとか編集者の合格がもらえる作品に昇華するために、自分の持てる力を振り絞る。
読者が読んで理解しずらい箇所は。共感できない、独りよがりな部分、論理が破綻しているところは。
あらゆる欠点を探してそれを母にわかるように説明する、そんなことを繰り返していると、だんだんそれが、上達してくる。
立て板に水のように、悪口がすらすらと出てくるようになる。
するとそのうち、今度は母が怒り出す。
「そんなに悪口ばかり言うなら、もうこんな原稿はゴミ箱に捨てちゃうから!」
家庭内では母親である人を怒らせて、私は生きていかれない。だから、悪口だけを言わないように飴と鞭のバランスよく、ちゃんと一緒にいいところも見つけるように気をつけながら読む。
そうやって私が拙い精査をしたのが、母の創作活動の何パーセントぐらい助けになっていたのかは知らないが、子供の私は子供なりに必死だった。
そしてその原稿が、実際にプロの編集者の的確でさらに厳しい指摘を受けて戻ってくる。
こう言われた、ここを直せと言われた、それを受けてまた、何度も何度も、書き直しと私の読み直しが始まる。

大学生になって、ある日大学の掲示板に、懸賞論文の募集という張り紙を見た。
懸賞金の高さにびっくりして、素人が文章を書くだけでお金がもらえるなんてなんて素晴らしいシステムだろうと夢中になり、何度も応募するようになった。
その話を、母がとある編集者に話すと、突然私に白羽の矢が立った。
出版するかどうかは別にして、とりあえず何かを書いてみてもらえないか。


私が作家になりたかったのは、自分がそうしたかったからなのか。
それとも、母を満足させたかったからなのか。
今となってはよく分からない。
私はこの数年、カウンセリングを受けているのだが、そのカウンセラーに創作活動をしていたときの話をした。
珍しく険しい顔でカウンセラーは、
楽しい、という感覚が、まるで伝わって来ないんですが」
といった。
「ご自分が怒っている、というのは自覚できますか?」
私は黙ってカウンセラーを見つめる。
そう。
私は自分が出版した本を読み返したことが一度もない
お金を出してそれを買ってくれた方には本当に申し訳ないのだが、
それを愛したこともない
むしろ本を開くだけであの時の苦しみが蘇るようで吐きそうになる。
だけど自分に出来そうなことなど、他に思いつかないから。


大学生の頃、論文や懸賞論文を書きまくっていた時は楽しかった。
なぜあの時は出来たのに、今はそれが出来なくなってしまったんでしょうか。
ある時、カウンセラーにそのことをたずねると、
「どうしてかはわかりませんが、そのとき一時的に自由になったんでしょうね、自由でなければ、創造性というのは出てこないものなので」
と言われた。
言われると、思い当たることがある。
当時、私の能力を過大評価してくれた大学の先生がいて、私が創作をするための時間、いかにも私の触手が反応しそうなテーマ、快適なスペースを、いつも確保してくれた。
その先生によってたぶん、私は守られていたのだ。
その時は、集中すると何か、自分でないようなひらめきが脳みそにドカンと降ってきて筆が止まらなくなった。それを、その先生はいつも、いかにもその人らしいやり方で認め褒めてくれた。
自分は今、自分史上経験したことのない、すごいことを書いている、
これを読んでくれた人がきっと喜んでくれる、よくぞ人間のこの側面をえぐり出し書き出してくれたと驚いてくれる、というのが過信でも妄想でもなく、静かな確信となって湧いてくる。出来上がったものが人様にどう評価されるか、何人の人の目に留まるかなんて、そんなことはどうでもいい。
ただ、鳥肌が立つような楽しさが内から湧いてきて止まらない。
私に、このままプロの作家になりませんか、と言ってくれた編集者は、母との繋がりが濃すぎた。
当たり前だが、私が自分の力で母を拒絶しなければ、編集者が母を拒絶できるはずがない。


いつか自由になれるものだと思っていた。
例えば結婚して家を出たら。
いつか、自然にそうなれる時が来るのかと思っていた。
でも実態は全然ちがった。
母にとっては、反抗期のひどかった娘を、自分がとことん向き合って素晴らしい娘に更生させた、というのは誰にも聞いてほしい自身の輝かしい歴史の一つだ。
だが、私にとっては全く違う。
私は私を、殺したのだ。
反抗期が本当にひどくて、自分がどれほど私に手を焼いたか、どれほど自分が頑張って来たか。あるとき、そんな思い出話を、兄夫婦や子供たちの前で、母が悦に入って語り始めた時があった。
猛烈な怒りが湧いて来て、全身が冷たくなる。でも私はそれを自覚できない。
ただ、なんて言い返せばいいか、どんな言葉でそれを黙らせればいいか分からなくて、私はただ固まっていた。
頭の中で、静かに包丁のしまってある場所を確認している自分を自覚して、包丁を握る角度を妄想している自分に気がついて、全神経を集中させてそれを抑えていた。
親を惨殺してしまった人の気持ちが、私にはわかる気がする。その人は内側から、とっくの昔に、親に殺されたのだ。
その葛藤を、母はもちろん、父も夫も兄も誰も知らないだろう。当たり前だ。
だって誰にも見せたことも言ったこともないから。
私は私が死んだ瞬間を、ああもうダメだ、ムリだ、って強く握りしめていた自分の手首を離した瞬間を、今も鮮明に覚えている。
母にとっては、自分と同じ職業を選ぼうとする娘のステージママになって、人よりお得に娘を何者かにさせようと必死になった、全身全霊の愛情を込めてあげた、と総括できるのかも知れないが、
別の側面を言えば母が私にしたことは、
自分が疎かにしてしまった自身の人生の苦しみを、
娘のチャンスを、若さを、可能性を、母よりも先まで続く寿命を利用して、帳尻合わせしようとしていたのに過ぎない。
それを母に分からせたいとは、もう望んでいない。
謝罪をして、悔い改めてもらいたいとも思わない。
ただ私は、この不毛な押し問答、どちらが病気でどちらがまともなのか、という議論を抜けて、もう一度あの自由な創造性の中を走り回ってみたいだけだ。
あの時少しだけ見えた、あの先にあった、もっと大きなものを確かめたい。
本当の私とはどんな姿だったのか、取り戻したい。そこに一歩でも近づきたい。


何年も前に行った人間ドックで、貧血の検査に引っかかった。
生理が尋常じゃないくらい多いとかでないなら、どこかおかしいから病院に行ってください。いつ倒れてもおかしくないくらいの数値です。
担当してくれた医師はそういった。きっとそうなのだろうが、
あれから一度も病院にも行っていないし、幸い、貧血で倒れたこともない。
ただ、泥のように身体が重くなって、何かするとすぐに疲れてしまう。
ずっとその状態だとだんだんそれが当たり前になってしまうけれど、どこかでこれが自分の普通の在り方ではないのだろう、と分かっている。
病院に行かないのは、面倒くさいから、怖いから、色々理由はあるけれど、多分そういうことじゃない、と自分で確信しているからだ。
私には、その体調の悪さを、自分が引き起こしているという自覚がある。

頭が痛くなる。
昔から頭痛持ちで、家族もみんな頭痛持ち、うちは頭痛持ちの家系だ、なんてよく言われていた。昔は頭が痛くなったら、家に大量に常備されていたおきまりの頭痛薬をぽこんと口に放り込むのが当たり前だった。
だけど今になってもっと静かにその痛みに集中し耳を澄ましてみると、頭痛の発生源にある凝り固まったものは、何かの腫瘍とかではなく、自身の怒りだ。
悪化すると、左の眼球の裏が、刃物を突き立てられたような激痛になる。
「左半身は、母親に対する怒りですね、取りましょうか?」
カウンセリングに行って、何度もそんなことがあった。
いつも一瞬で治ってしまう。
つまり、何か悪い病気とか、そんなもので発生しているのではない、だって自分の気持ちを切り替えただけで、治ってしまうのだから。
私が私の気持ちを分かった、と認めれば、その原因がくるりと場所を変える。
そしてまた自分を疎かにすると、罰するようにあの痛みがやって来る。

あるいは、ある場所に行くと決まって、階段も使えないほどの膝の痛みが来て歩けなくなる。
膝の痛みは、自分が進みたい方向に進めていないという怒り。
自分は今、どんなやりたくないことを自分に課していて、自分は何に怒っているのか。そこに必死に耳を澄ます。
自分の声を受け取って行動を改めると、痛みは冗談みたいに消えていく。
またあの痛みに襲われるのが怖いから、また自分を無視している、って気がつくたびに私は必死に自分を宥め賺す。でも、そんな付け焼き刃の浮気亭主の言い訳のような態度は、私はとっくにお見通しなのだ。

そして、どうしようもない疲労感。
貧血なのか、それともこの身体の冷えが原因なのか。
そうやって私がいつも自分を疎かにするから、
私の周りには、私を犠牲にしてことを丸く収めようとする人ばかりが現れる。
怒った私は今日も自分の身体を、冷たく暗い場所にうずくまった爬虫類のようにコンコンと冷やす。
また泥のように重くなって、眠くなる。
他人がどう思っているか、その人がどんな心の傷を抱えているかはいつもいとも簡単に察しがつく癖に、自分のことはまるで分からない。
どうして私は、いつの間にこんな、自分から遠く離れたところに来てしまったんだろう。

「苦悩したことがない人はなんの役にも立たない」
マドモワゼル愛先生

心理学的に言うと、人間の最大の能力とは「苦しむことが出来る力」であるという。
もちろん苦しみがやってくると逃げ出してしまって自分の人生を構築することができない人もいるが、苦しみに直面することが出来るのは、人間の持てる最大の力だ。苦しむことができれば、いずれ最大の癒し、自己の解放につながっていく。
ではその「苦しむ力」とはどうやって得られるのか。

幸福のみを追求しすぎると、どれがいい、どれが悪い、と外側に振り回される。
一方的な、作られた自分像に囚われて、自分のその苦しさを見失ってしまう。
反対に、苦しさにしっかりとはまり悩んでいる人がその不幸を語るとき、いろんな言葉でそれを表し、悩みの表現が次第にパターン化されていく。すると今度はその人の中で苦しみは上滑りし、逆に遠ざかり感じられなくなっていってしまう。
その解決策を知らない人は、ふとしたことからまた類似の出来事をきっかけに苦しみの状況に入り込み、同じパターンにはまって結局ループしていってしまうのだ。
苦しみから本当の意味で抜け出し次のフェーズに進むために必要なことは、
苦しみを言語化せず、ただ感じるという自分なりの感覚をつかむことしかない。
そこにある苦しみ、悲しみ、辛さを、名付けることなく、それを語るのでもなく、ただじっと味わってみる。すると、その人の中にある、心の味覚を捉えることが出来るようになる。言葉にならない苦しみと一体となれた時、初めてその苦しみが昇華する。

自分の人生を生きようとするとき、人生は不思議なことに、必ず壁にぶつかるように出来ている。苦悩するように出来ている。
常に発展していかなくてはいけないというような進化論的な発想に、私たちはこれまで騙されて来たが、今そこに限界がきて、時代の変革が始まっている。
私たちは、自分自身に戻っていくよう、時代に促されているのではないか。

この動画のコメント欄に、
「苦しんだことのない人なんかいないのだから、大抵の人は何かの役に立つはずだ」というコメントを書いている方がいて、申し訳ないけれどつい笑ってしまった。
その人は多分、この動画の内容を視聴していない。ただタイトルだけを見てコメントを書いている。
見る気もない動画に、わざわざコメントをつけようと思うモチベーションはどこから来るのかといえば、心の傷、きっとこの人は、「お前は苦労を知らない」と親に言われて育って、苦労をしたことがない人は役に立たない、という文言にピキンと反応したのだ。
そんなイメージがどっと入って来て、つい可笑しくなってしまう。

人間は可愛い。
どうしてこんなに一生懸命、自分から離れていくのか。
どうしてこんなに、自分のことを分かれないのか。
それなのに、どうしてこんなに苦しんで、切ないほど狂おしく、自分に帰りたい帰りたいと願うのだろう。
一人一人がそうやって必死に葛藤する姿は、たまらなく愛おしい。

「認めたことだけが自分の世界」
藤原直哉先生

今までみんなが常識と思っていたこと、サイエンス、エビデンス、と言われたことが今、揺らいできている。
ワクチンのこと、ウクライナのこと、金融、政治、歴史、科学。
新しい現実が目の前に出て来たとき、それを認められるか認めないか、自身の世界を広げる柔軟性を持てるか、ということが、いよいよ重要になって来た。
どんな新しい現実が出て来てもそれを一切認めなければ、その人にとっては新しい時代はやってこない。
新しいものを受け入れた人は、そこから世界が広がっていく。
世界とは、不安に見えて、実は広げれば広げるほど楽になるのだ。狭い世界に閉じこもるよりも安定感がある。
昔は切磋琢磨、必死に新しい価値観を求めて変化していった。
頑なに古い常識、世界から出てこない人は、誰に対して何を恐れているのか。
バブルの時もデフレの時も、時代が大きく変わったのに、それまでの常識から頭を切り替えられない人というのは一定数いたものだ。乗り換えることが出来ないまま、それまでの小さな成功や達成にこだわって、しがみついて、元気がなくなって消えていってしまう。
いつしか小さな世界に閉じこもって、一人ぼっちになってしまう。
これが、今起こっている「たてわけ」ということ。
周囲がそういう人の価値観を、変えてあげることはできない。

しかし強制的に時代は変わっていく。いよいよ受け入れざるを得なくなる。
今までの和光同塵、呉越同舟の世界は崩れていくのだ。
狭い世界しか認められない人と、もっと大きな世界を気持ちを切り替えて認めていける人との違いによって、機能不全が起きている。
それが今、この社会で起きている現象だ。
認めない人に価値観を変えさせようとああだこうだいってもどうしようもない。未来を作れる人、分かっている人が先に行って、未来を、新しい世界を作って、新しい価値観を提示して、よかったらどうぞ、と門を開いてあげるしかない。
私たちに今出来る最善のことは、それしかない。


夏になる前の一瞬、あちこちで精一杯に咲き誇る紫陽花。
小さな生き物たちは私たちに知られぬようこっそりと、新緑のトンネルを謳歌し歩き、飛び回っている。
雨上がりの土を踏みしめると、枯れ木の甘い匂いが立ち込めた。なんと美しいのだろう。
いつも私の周りを観察するように浮遊している謎の可愛い青い光、油断したのかついに写真に捉えた。
夏を感じると、どうしていつも切なさが込み上げるのだろう。

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