コロナウイルス連作短編その56「若い男」

 コロナビールを飲みながら、真菅大地はTinderを眺めていた。左に右にスワイプする中で、東京だけでもあまりに無数の女性がいることに圧倒されてしまう。同時にそんな女性たちを事もなげに選別できる自分の適応力にも驚かされた。彼は女性が自己紹介欄に自身が旅行した国の名前を全て書いていることには苛つかなかった。他者に自分の優位性を見せつけたいのは人間の本能であると理解できたからだ。女性のなかにゲイ男性が紛れこみ"チンポ舐めます"と書いていても気にならなかった。何故なら自分のようなヘテロセクシャルである男女が同性愛者用のデーティングアプリに登録し、真剣に相手を探す彼らの邪魔をすることは頻繁にある。その意趣返しとして、彼ら同性愛者が異性愛者用のデーティングアプリに紛れこむのは許容されるべきだ(しかも彼らの多くは自分がゲイかバイセクシャルだと明記している、そういった意味でヘテロ男性よりも真摯だ)だが大地は英語など言語学習の相手を探している女性には我慢がならなかった。Tinderはセックス相手、もしくは恋愛相手を探すためのツールであり、言語学習の相手を探すためのものではない。その相手は言語交換アプリで探すべきであり、彼女らの愚かな行為は自分のような人間の邪魔をしていると、彼女たちは吐き気を催す糞雌犬だと大地は思った。同じ目的を持つヘテロ男性とともに檻に収監し、彼らの存在を灰になるまで焼きつくすべきだと確信していた。
 突然、大地の目に入ったのは膨らんだ腹の写真だった。そのお腹のなかには明らかに胎児が宿っているように思えた。頬骨をブン殴られるような心地で、なぜこのTinder上で妊婦の腹部を目撃しなければならないのかと大地は狼狽する。その女性が載せている写真は全て膨らんだ腹部だった。鮮やかな生命で爆裂しそうな腹部の数々が、氷の刃のように大地の網膜を傷つける。震えながら大地は彼女の写真を左にスワイプし、他の女性たちの写真を眺めはじめる。だがどんな煌びやかな写真の数々を見ても、膨らんだ腹部の残像がチラついた。ビールで酔いを煽ろうとしながら、むしろ吐き気ばかりが先立つ。そして腹部に脳髄が完全に潰された時、大地は我慢できずにトイレへ駆けこみ、吐瀉物をブチ撒ける。その中には昨夜に食べた鮭の刺身の残骸があった。口のなかは生臭さで満たされた。
 翌日、大地はカルチャーサイトDream Valleyの編集部の同僚たちや上司とZoomを通じて会議を行う。二日酔いで頭に霧がかかったようなので、誰が何を言ったのか、自分が何を発言したかもあまり覚えていられなかった。会議が終って、適当に雑談している方がまだ楽しいと思えた。ドン・デリーロの新作長編、レソトにおける新しい映画作家たちの台頭、ミャンマーにおける映画批評の現在など話題は頗る興奮させられるものであり、編集部員たちの文化への感度の深さに大地は感銘を受ける。
 そんな中で同僚である新垣茉奈が上司である和歌崎絵里にお腹にいる赤ちゃんの調子を尋ねる。プロ意識に緊張した彼女の表情は一瞬で弛緩し、小猫の耳を撫でるような声で子供について話し始める。お腹のなかから元気そうに何度も蹴ってくる、ドヴォルザークの"劇的序曲「フス教徒」"を聞かせると特に元気になる、そういった絵里の言葉の数々は大地の右耳から鼻の穴へ通り抜けていく。だが茉奈にせがまれるまま、絵里が膨らんだお腹を露出した時、大地の脳髄が痛みを放つ。まるで脳漿がセメントのように固まり、脳髄を圧迫しているかのようだった。彼は用があるとZoomを退出し、洗面所で顔を洗うが脳髄の痛みは治まらない。頭痛薬とスポーツドリンクを買いにマツモトキヨシに赴くが、その途中で何人か女性を見かけるが、誰も妊娠はしていなかった。
 大地は日課としてネット上に溢れる素人が書いた小説を探している。彼は最近の日本文学とそれを取り巻く状況に絶望を抱いていた。日本文学は"日本"というローカル性を捨て最初から"世界文学"を目指そうとし始めている。そのせいで日本文学は退屈な、時には有害なグローバリゼーションの権化の権化と化した。そして作家たちは自身の作品が英語に翻訳されることを至上の目的とし、アメリカ人かイギリス人、もっといえば白人に認められればそれが成功だと錯覚している。彼らは進んで英語による文化的植民地主義の奴隷になろうとしている。それに倣い文芸誌も大衆迎合的で軽薄な作品を掲載し、その地位を自身で貶めている。そして重版がかかったと狂ったように喜ぶ。大地はその全てに吐き気を催していた。彼は堕落した文芸誌や本屋ではなく、ネット上にこそ真の才能が存在するという確信があった。実際には金を稼げる小説よりも少しマシな作品ばかりだったが、未だに確信は捨てていなかった。
 この日、彼はある短編を見つけた。今作はクロアチアの首都ザグレブを舞台に、一人の幽霊が彷徨いながら自身の記憶を騙るという物語だった。クロアチアといえば美しい海を持った、風光明媚なバカンス地という印象があったゆえに、今作で描かれる無限の漠砂を彷彿とさせる都市の風景には驚かされた。何よりザグレブに広がる風景への書きこみは顕微鏡で微生物を観察するような緻密さであり、実際にここに住んだ者しか書けない作品だと大地は直感した。そして日本語は、何者かの推敲を経たと思えるほどの洗練を持ちながら、時おり奇妙な描写が頻出する。これがむしろ魅力的だった。作者名はドラガン・ブラジェヴィチと記されている。彼自身がクロアチア人なのかと一瞬考えるが、翻訳者の名前などは記されていない。海外文学に憧れる人間がクロアチア人を騙って日本語で小説を書いているのか。考えは尽きることがない。自己紹介欄にはただメールアドレスだけが記されていたので、大地は作者にメッセージを送る。
 二日後、返事が届き、大地は彼が本物のクロアチア人であることを知る。ドラガンは大地と同じく一九九〇年生まれで、育ったのは観光地で名高いスプリットだという。ザグレブに移住後にザグレブ大学でドイツ文学と比較文学を学び始める。彼は特にパウル・ツェランやローズ・アウスランダーなど現在はルーマニアに属するブコヴィナ地方のドイツ人詩人の研究を行い、彼らへの深い理解を背景に自身でも詩を書き始めたそうだ。大学在学中の二〇一三年に『色々と進めている』でデビューを果たし、翌年同僚の詩人アレン・ブルレクとともに詩の新人賞であるNa vrh jezika賞を獲得した。そして彼はクロアチア語とドイツ語の両方を使いながら詩を書いているという。
 そんな彼が、何故突然日本語で小説を書き始めたのか。それに関しては実際に会って話が聞きたかった故に二週間後、大地はLes fantômes du chapelierという喫茶店でドラガンと対面する。幼稚園の砂場を思わせる茶色い髭を豊かに蓄えながら、頭部の髪は全て狩っているというなかなかパンクな出で立ちをしていた。少し気圧されながらも、大地は笑顔を作り、ドラガンと握手をする。
「何から話せばいいですかね」
 ドラガンは流暢な日本語でそう切り出す。
「語学は研究に欠かせないものと同時に、趣味でもあったんですね。中学生の時からイタリア語やギリシャ語などヨーロッパの言語勉強してましたよ。ですが大学生で本格的にドイツ語を研究するにあたって、自身の価値観がヨーロッパに傾きすぎていますと自覚することになりました。そこで別の地域の言語を勉強しよと決意しました。そこで出会ったのは勝新太郎の『顔役』でした」
 その予想外の作品名に大地は噴き出した。
「『顔役』マジに素晴らしい作品でしたよ、あれは。勝新太郎といえば当然『座頭市』や『兵隊やくざ』だ。でも僕にとってはこの映画です。このリアリズムは奇妙ですごく緊張している。今まで観た日本映画とは違った。しかし最も僕を驚かせたのはその日本語の強かでしなやかな響きなのです。実は英語字幕がついていなかったので、内容は全く分からない。でもこの映画を深く理解したいと思った。心でです。だから僕は日本語を選んだんです」
 大地は『顔役』を観たことはなかった。
「そして詩を研究し、自身でも詩を書くながら、ザクレブで日本語を勉強しました。僕は意外と成功した人生を送っていました。が五年が経ち、なにか淀みを覚えました。ですから心機一転と言うんですが、日本語に深く関わろうと思い二年前に東京へ来ました。クロアチア語とドイツ語で日本について書いて金稼いでますけど、実際にやってるのは日本語の勉強と、映画を観ると小説を読む、そして実際に作品を書くことです。全体的に慰めの領域を出るために、書くものは小説にしました。短いやつです。でも僕が日本語で日本について書いても面白くないで、ゆえにクロアチアのことを日本語書いています」
 帰り道、大地は同僚である坂下森が韓国文化を称揚するDream Valley掲載の記事を読みながら、顔をしかめる。彼女は中でも『はちどり』という作品を激賞していたが、彼にとっては駄作でしかなかった。
 こんな映画、クソだろ。韓国の作家は個人的な痛みを商業的な普遍性に高めるのが上手い、そこからお涙頂戴の資本主義的商品を作るのが上手いだけだろ。そういうローカル性を国際的な芸術のケツ穴を舐めるために利用する奴らが嫌いなんだ。韓国の芸術家にはそういうクソどもが多すぎる。『パラサイト 半地下の家族』も『82年生まれ、キム・ジヨン』もそういうケツ穴舐めの権化みたいな芸術だよ。そして日本はそのケツを更に舐める訳だ。一度当たったからって韓国文学ばかり発売する出版社は最低だろ。金が稼げるから翻訳を乱発する出版社もクソなら、それにゴキブリさながら群がりやがる読者も同じくクソだ。読んでみろよ、Moment Joonやイ・ランのクソみたいな小説やエッセイをさ。曲もつまらなければ、お行儀の良いクソ文章ばかり書きやがって。それで韓国やら日本やら批判してるつもりか、才能がねぇよ。韓国でマジにすげえ奴はチェ・ウニョンとOmega Sapienくらいだろ。
 大地は妊婦を見つけた。ゆったりとした桃色の服を着た彼女は、右手でお腹を撫でながら歩いている。彼は妊婦を追跡しはじめ、彼女の背中へと執拗な視線を向ける。詩的な黄昏が暴力的な夜へと移ろいゆくなか、彼らは侘しい夜道へと至る。闇に突き動かされるまま、妊婦に何か仕掛けてやりたいという思いが心に兆しながら、それを少しヤバいと感じ、大地は走って彼女の元から立ちさる。
「何やってんだよ」
 そう実際に口にしながら、尻穴を掻き毟る。

 大地がテレビを観ていると、総選挙に関するニュースが報道されておりドナルド・トランプの行く末をアナウンサーや知識人が議論していた。その最中に流れたのはトランプを宣伝する選挙ビデオだ。支持者の前で彼が雄々しくポーズを決める姿が何度も何度も繰り返される。裏で流れている曲はVillage Peopleの"Y.M.C.A."だった。高らかな叫びに合わせ、不敵な笑みのトランプが支持者を指さすのだ。この曲を聴いていると、大地は不思議と踊りたくなってくる。"Y.M.C.A."は彼の好きな叔父である真菅太陽のお気に入りの曲だった。小さな頃、ラジオから流れてくる曲を聞きながら太陽と一緒に踊ったことが美しく思い出される。太陽の踊りは笑ってしまうほど下手だった。壊れかけたロボットも斯くやのぎこちない動きだった。だが大地の踊りも酷かった。彼らは自身がいかに変に踊っているかを悟りながら、だからこそ朗らかに身体を躍動させた。"Y.M.C.A."が齎すこの共鳴を大地は愛していた。そしてこの思い出は夕陽に満たされたもう一つの風景を浮かびあがらせる。大地は土手沿いを太陽と一緒に歩いている。彼の右手は太陽の左手を掴んでいるが、それはアルプス山脈のように隆起する頗る武骨なものだった。しかし自分の小さな手を包む時、その手が本当に大いなるもののように大地には思えた。その時もやはり叔父は"Y.M.C.A."(西城秀樹版ではなく、あくまでVillage People版だ)を口ずさみながら、歩いていく。大地は彼と一緒に夕陽へと向かっていく。大地はトランプの姿を眺めながら、不思議と泣きたくなる。好きだった叔父はもうこの世にいない。
 数日後、大地によるドラガン・ブラジェヴィチへのインタビュー記事がDream Valleyに掲載された。彼の経歴や日本語で小説を執筆する理由、日本文学に関する彼の洞察などが語られており、最近でも一番力を入れた記事だと彼は自負している。彼と出会った後、クロアチア人作家による初めての日本語小説を出版しようと大地は奔走を重ね、その努力の実りはそう遠くない。その前哨戦として、記事がドラガンの名を知れ渡らせるきっかけになるのではないかと大地は頗る期待している。編集長の絵里もZoom越しに彼の記事を褒め称えた。その途中で彼女の膨らんだ腹部が映りこむ。
 ドラガンから丁寧な感謝の言葉を頂戴した後、大地はコンビニへ行き、奮発してアイスを三つも買った。その全てがミントアイスを挟みこんだチョコサンドだった。貪りながら道を歩いていると、再び妊婦に巡りあう。彼はTinderであの写真を目撃した後に出会った妊婦の数を数えていた。これで13人目だった。ゆったりとした服の裏側に存在する、丸々と膨らんだ腹を見ているだけで苛つきが募っていく。彼はいつものように妊婦を追跡する。彼女の歩みに合わせて、大地は歩いていくが、今日は妙に足音が響くことに気づいた。最初はその音を消し去ろうとするのだが、徐々に開き直ってわざと音を立てていく。その足音の薄笑いの響きに追い立てられ、妊婦の歩みが少しずつ早くなっていく。彼女は振り返りながら、その視線をも気にせず大地は進み続ける。突然、妊婦がけつまずいたので、大地は急いで逃げた。だが忍び笑いを抑えられない。
 大地はTinderで出会ったマチルド・ジェゴフという女性を家に招く。灼けつくような赤髪が印象的だった。彼はコロナビールを飲みながら、フランス語で詩を披露する。それは愛することはカバがキャベツを丸ごと噛み砕く行為と似ていると囁く詩であり、大地が酷い訛りのフランス語を語るたびに、彼女は爆笑した。実際は英語で書いた詩をGoogle翻訳でフランス語にしただけの代物だったが、マチルドはそれを分かったうえで楽しんでいるようだった。そして彼女はご褒美とばかりに、大地にキスをし、セックスが始まる。コンドームを着けた後、彼女のヴァギナに後ろから挿入しながら、大地は壁に架けてある絵画を見据えた。それはハンガリーの友人からもらった、この国の有名な芸術家の絵画だ。描かれているのは1人の黒人兵士であるが、彼は第1次世界大戦時にハンガリー人兵士として戦った唯一の黒人だった。いわばこの絵画は彼の肖像画でありながら、その顔は意図的にぼやかされ、不気味な印象を与える。だが大地は不思議と彼に共感を覚えながら、マチルドの大きな乳房を揉みしだき、彼に見せつける。
 お前もハンガリーの白人女のまんこ、クソたくさん味わったんだろうな。俺も白人のまんこをもっと喰いたいんだ。俺に力を貸してくれよ、なあ。
 朝、テレビを見ているとフランスで歴史の教師がイスラム教徒に斬首されたというニュースが流れた。一瞬マチルドの表情が曇るので、大地はチャンネルを変える。大地は思った。
 フランスでテロ起こったり、教師が首ブチ切られたり、本当良い気味だよな。調子に乗ってる白人どもが冷や水ぶっかけられてる姿を見るのは最高の娯楽だよ。そもそもフランス人なんかイスラム教徒にブチ殺されて当然だろ。お前らはそれくらいの抑圧をアルジェリアやらチュニジアやらに齎してきた訳で、因果応報って奴だよ。フランス人にはイスラム教徒を敬うって気持ちが分からねえ。彼らが心の底から信仰してるアラーを馬鹿にしたら、そりゃ殺されても文句言えねえよな。表現の自由だなんだ言って他人の神を馬鹿にする免罪符にだけ使う卑怯な人間どもには反吐が出る。インドネシアの前の首相が、イスラム教徒は何百万人ものフランス人を殺す権利があるって言ったらしいが当然だろ。みんな何を怒ってんだ? そこまでのことをやっただろ、フランスはさ。
 大地はその夜、友人であるエヴァ・ウッドヘッドと新橋の焼肉屋であるうしごろバンビーナへ赴いた。コロナ禍でも店は比較的繁盛しており、大地はエヴァの奢りで黒毛和牛を堪能した。アメリカからやってきた黒人のレズビアンである彼女と話す内容は、Black Lives Matterなどではなくエロ漫画についだった。
「日本のエロ漫画は嫌いなんだよなあ」
 エヴァは流暢な日本語でそう言った。
「日本人の書くエロ漫画はガキで溢れたロリコン漫画ばっかだ。アタシはそういうのは濡れないね」
「そりゃ読む対象が偏ってるだけだろ。乳がデカいのとかもある」
「いやいや確かあるが、それをロリ顔とJKがセットで付いてくる。それが嫌だね、そういうのには搾取してる感があるよ、マスターベーションに罪悪感は要らねえな」
 エヴァは口では肉を噛み、指は箸を弄びながらそう言った。
「大地、お前、韓国の文化は嫌いとか言ってたが、でも韓国のエロ漫画はいいよ」
「はあ、いや、俺は読んだことないな」
「読んだ方がいい。韓国のエロ漫画エロい。韓国人の描く女体はしなやかで、且つ肉感的。肉体って感じだ。韓国の漫画、日本の漫画に影響受けてるっていうけど、この女体に関しては完全に欧米スタイルだね。乳房がデカい、ケツもデカい、肩幅が広くてエロい、肉体が引き締まってるんだ。勃起だ、クリトリスも勃起」
 その明け透けすぎる物言いに大地の口からは焼酎が噴き出す。
「いや、読めよ。セックスの時の女性のホーニーな表情とか、筋肉の影とか、汁の質感が最高だ。日本のエロ漫画家もロリ顔に巨乳くっつけた蝋人形みたいなの止めて、韓国のエロ漫画家見習えほしいよ」
 酩酊のなかで気分が浮ついていた大地は、しかし唐突に冷や水をかけられる。彼はDream Valleyにおいて日本に生きる外国人がその境遇故に受けた差別を語るというインタビューを行っていた。その中にユダヤ系アルゼンチン人のハスミナ・ベンベルグという女性がいた。彼女は大地に日本で外国人であることとアルゼンチンでユダヤ系であることを重ねながら差別について語っており、それがインタビュー記事として掲載されたのだ。だがTwitterにおいて彼女が過去にスペイン語で呟いた親イスラエルかつ反パレスチナ的な暴言が発掘され、議論を呼んでいたのだ。差別主義者に差別について語らせるなとTwitterの反差別活動家が抗議の声をあげ、彼女の暴言は炎上を遂げ、そして正義の矛先は編集である大地にも向けられた。彼のTwitterは人々の抗議で埋め尽くされていた。
「めんどくせえな、知らねえよクソ、スペイン語なんて読めないっつーの」
 酔いは一瞬で冷め、大地は電信柱の根本に反吐を吐く。
「むしろこの場合、俺は被害者だろ。槍玉にあげるならマジに間抜けなシオニストだけにしてくれ!」
 編集長の絵里からも連絡が来るが、静観を決めこむべきだとアドバイスをする。こういう活動家連中は次の標的が見つかればすぐに見つかる、もうすぐで馬鹿シオニストのガル・ガドットが主演する『ワンダーウーマン1984』も公開するから沈静化するだろう、そう告げた。そして大地からハスミナに連絡しようとするが、彼女は完全に外部との交流を絶っているようだった。
「ふざけてんじゃねえぞ、クソシオニストが」
 数日後、渋谷のĀbols upē(ラトビア語らしいが、誰も意味は知らなかった)というレストランで、ドラガンの日本での初短編集『ザグレブ、10分前より老いた心臓』の出版を記念した小規模なパーティーが行われる。その頃には誰もハスミナが起こした暴言沙汰は忘れていた。久しぶりにDream Valleyの同僚たちと再会する機会であり、久しぶりに飲み会を開催する機会でもあり、大地含めて皆が興奮していた。大地は店に入った瞬間にマスクを取る、目覚めるような解放感があった。彼は新垣茉奈や和歌山絵里と再会し、絵里の腹部の膨らみが最高潮にまで達しているのを確認する。そしてドラガンとも久し振りに会ったが、飲み会が始まる前から顔が赤らんでいる。スリーエフでストロングゼロのダブルシークヮーサーを飲んできたらしい。飲み会が始まると、ドラガンは更にワインや焼酎を飲みまくる。飲み会の主役とも言える彼の暴飲ぶりに会場は高揚し、大地も茉奈も、そしてあまり酒を飲むべきではないはずの絵里すらも酒をその肉体へとブチこんでいく。すぐさま膀胱が爆裂寸前にまで至るので、大地はトイレへと駆けこみ、立って排尿する。家ではいつも座ってしながら、気が大きくなって立ったまま尿をブチ撒けるゆえ、便器や床に尿が散らばってしまう。そして大地はスマートフォンでアメリカ大統領選の推移を確認する。現在はジョー・バイデンよりもトランプの方が優勢であり、Twitterでフォローしているアメリカのリベラルな小説家や映画監督たちは悲鳴を挙げていた。
 トランプ来るぞ!
 トランプ来るだろ!
 トランプ来い!
 全身の細胞が歓喜に開かれていくのを感じながら、大地はトイレから飛び出し絵里の元へ行くと、その膨らんだ腹部をブン殴った。自身の拳が彼女の腹の脂肪に食い込んでいく感覚が心地いいので、彼は何度も絵里の腹部を殴った。彼女は床に倒れるが、大地はまだ殴りつづけ、最後には絵里が吐瀉物を唇から噴き出す。ゲロに塗れても、大地は止めることがない。最高の気分だった。そして彼の脳髄にあの歌が響き始める。

It's fun to stay at the Y.M.C.A
It's fun to stay at the Y.M.C.A
They have everything for young men to enjoy
You can hang out with all the boys
It's fun to stay at the Y.M.C.A
It's fun to stay at the Y.M.C.A
You can get yourself clean, you can have a good meal
You can do whatever you feel

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。