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コロナウイルス連作短編その195「よりマシな白人」

 前で重量級の肉ピザを食べるメルヴィン・パワーズがそんなことを言うので,三芳一色は少し戸惑う.
「はは,日本人が“白人”……なんですか?」
 一色とメルヴィンは同じ町に住む友人だ.メルヴィンがこの町に引っ越してきた頃,居酒屋で偶然出会い,酩酊の勢いで友人となったのだ.焼酎の飲みっぷりが素晴らしかった.
 メルヴィンは黒人だ。彼らは日本ではそう簡単に出会えない人々と一般には思われている。だが一色は大学や勤務先で何度も彼らに会っており,友情を結ぶのにも特に躊躇いはなかった.黒人文化にも親しみがある.実際,今の恋人である後藤謙策と仲を深めたきっかけは2人ともリル・ナズ・Xを聞いていたことだった.
 おそらくメルヴィンと出会って4,5年が経つ.その親交は長いが,コロナ禍のただ中で会う日は劇的に減ってしまった.件の居酒屋もすでに潰れている.
 そんななかで去年の9月,道でバッタリ会い“一緒に肉ピザを食べに行こう”と約束した.だがどちらも都合が合わないまま,不思議とそれから1年が過ぎてしまった.時の経過はそっけないまでに早い.これを実感した時,一色は少し怖くなり,彼は本気でメルヴィンを誘ったんだった.
「というのは,何というか……どういうことでしょう?」
 一色は焼酎を啜るメルヴィンを見ながら,そう尋ねる.そして自分もピザを食べる.分厚い炭火焼きビーフ,4種も混ぜ合わさったゆえの濃密なチーズの味わい.とにかく重い.“美味しい”よりも先に“重い”という感覚を味わう.
「いやね,この前本を読んでいたのですよ,日本語の」
 メルヴィンはこれを日本語で言う.
「東アフリカについての本です.僕があくまで“アフリカ系アメリカ人”で“アフリカ人”でないので,あまり知らないですから,読んで学ぶという必要があるでしょう? そこにおいて著者,日本人なのですが,彼女がケニアの子供たちから“ムズング”と呼ばれていたそうですね.スワヒリ語で“白人”という意味なのだそうです.彼らにとり“日本人”もまた“白人”なのでしょう」
 控えめな笑いを浮かべ,メルヴィンはそう語った.
 一色には少し納得が行かなかった.確かに日本人,もしくは東アジア人の肌はとても白い.一色自身も肌が過剰に白く,思春期の頃は男らしさが欠けていると悩んだこともあった.逆に女性は肌の美白を求め,これを煽る言葉がテレビや電車の中吊り広告,TikTokのショート動画に溢れている.むしろ彼女らは“白人”を志向している.日本人の肌は生来白く,中にはより白くなることを目指す者もいるのは否定できない事実ではある.
 さらに一色は白人は本当に“白人”なのか?と疑問に思う時がある.Netflixの娯楽映画に登場する白人俳優の肌は,多くが健康的な小麦色に染まっている.逆にニュースに現れる一般の白人たち,例えば旅行客などはむしろ肌に血の赤が浮かびすぎて真っ赤になっているというのをよく見かける.
「白人じゃなくて“小麦人”か“赤人”に名前変えるべきじゃない?」
 昔,冗談で謙策にそう言った覚えがある.彼は曖昧な笑顔を浮かべるだけだった.
 だがこうして面と向かって“日本人は白人”と呼ばれると拒否感すら抱いてしまうのに,一色は自分で驚いてしまう.彼にとって,白人とはヒエラルキーの頂点に我が物顔で座す権力者であり,自分のようなアジア人やメルヴィンのような黒人を虐げる存在だ.アメリカではアジア人への憎悪や暴力が蔓延しているとは去年何度も聞いた.今正に,謙策がアメリカで研究の日々を過ごしているので,時おり気が気でなくなる.
 日本人も白人であるとは,肌の色だけでの判断に裏打ちされた短絡的な言葉ではないか.少なくとも日本人か東アジア人以外に言われて気持ちのよい言葉ではないと一色は思った.
「まあ,では百歩譲って“日本人は白人”というのは一回認めましょう.ですけど“よりマシな”というのは,またどういう意味なんでしょう?」
 一色はそう言ってからビールを呷る.
「ふむ,オーケーです.これに関して英語で話してもいいというか?」
 語尾が日本語として少し不自然だったが,一色は無視して頷く.
「これはね,僕の基準では誉め言葉なんですよ.というのも僕は人類は生まれながらの悪であると考えていますからね.日本語で言う“shouaku setsu”ですね」
 最初“shouaku setsu”が何を意味しているのか分からない.だがすぐに“性悪説”だと一色にも分かる.だが本来の読み方は“せいあくせつ”ではなかったか.
「僕はこの言葉,好きですよ.英語だと“human nature is evil”と文章で表現されまどろっこしく感じますが,“shouaku setsu”ならシンプルで簡潔ですからね.しかし先日,全く衝動的に,これについて深く知りたくなり荀子哲学の解説書を読みました.驚いたのですがこれは単純に“人間は悪である”と言うものではなかった.続きがあるんです.“人間は悪である.しかし学ぶことで善に近づくことができる”と」
 これを聞いたのは初めてだったので,一色も少し驚く.
「この意味でなのですが,僕は少なくとも日本人の方がアメリカ人やヨーロッパ人よりマシであると感じています.というのも僕は今日本人が自分たちが人種差別に無知であったと悟り,そんな意識を変えようと努力している様を日々の生活のなかで感じている.確かに未だ無知が根強く残っているのも感じますが,過渡期ゆえに仕方がないところもある.インテリ層が日本人の人種差別への鈍感ぶりを嘆いていますね,まあどの国でもそうでしょうが.しかしこの町で生活し,彼らが想定しているのだろう“大衆”と日々を共にすると,そうは思わない,僕にはそう思えないんです」
 メルヴィンは一切れの肉ピザを勢いよく頬張る.
「対してアメリカ人やヨーロッパ人の偽善にはもう飽き飽きだ.“もはや自分たちは差別について学びきった”という彼らの傲慢な態度,それによって引き起こされる憎しみや暴力を,僕はこの皮膚でいやになるほど味わった.唯一,ドイツには僕の文化的な嗜好の弱味を握られていますが,それも果たして現地で生活して急速に色褪せないか定かではありません.」
 メルヴィンは一色の目を射抜くがごとく見据える.
「人間は悪であるとしても,努力によって善く生きることができるという荀子のメッセージには感じ入ります.私自身,そうやって自分の知を鍛えてきた覚えがあります.それでいて僕は人間は善に辿り着くというのは絶対にないと確信している,というか辿り着いてはならないんです.“辿り着いた”と思うことは努力の終わりであり,その先には“知の無知”だけがあると.“より善い”を志向すると,この陥穿に陥ってしまいます.だから僕は“よりマシな”という言葉をレトリックとして使っているんです」
 そう言ってから,彼は少しの間,無言となる.だがもう一度一色を見る.
「アメリカやヨーロッパの白人は今正にこの“知の無知”という安全地帯で,自慰に耽っています.逆に日本人は今学ぶ過渡にある,学ぼうとする意欲がある.これが“よりマシな白人”ということの意味です」
 メルヴィンは笑う.
「日本の白人たちが,これを終わりなき道のりと思ってくれることを願っています」

 家に帰った後,一色は酩酊の勢いで謙策にビデオ通話をかける.
「おい,何か酔っぱらってんだろ.液晶から酒臭い息が匂うんだけど」
 そんな彼の冗談に,思わず頬が緩む.
 一色は彼へ一方的に,のべつまくなしに喋る.今日,メルヴィンという友人と大ボリュームの肉ピザを食べたこと.ルクセンブルクという国のワインを初めて飲んだこと.今年のノーベル経済学賞の受賞者が元米連邦準備理事会議長のベン・バーナンキであることに納得が行かないこと.サボテンが水のあげすぎで根腐れを起こして枯れてしまったこと.それを謙策は相槌を打ちながら聞いてくれる.適当な「ふうん」であるとか「はあ」という響きが耳に心地いい.
「ねえ,最近どうなのよ」
 一色はそんなことを急に尋ねた.
「どうなのって何が?」
 彼はとぼけた顔を浮かべてみせる.彼の肌は液晶越しの方が艶やかに見える.もしくは今いるこの部屋で見ていた肌が精彩を欠いていたか.
「これは“How are you recently?”って意味です」
「はあ,意味分かんないんすけど」
 そう言ってから,クックックと謙策は笑った.
「まあ……まあまあかな.発表の原稿,全然書けなくて焦ってたけど何か昨日から順調に進み始めた.今は逆に何であんな進まなかったのかの方が分からんレベル.あと,そう,ルクセンブルク,俺も大学でその国からの留学生って人と会ったな……」
 物憂げな視線の移ろいが愛おしくて,心がグッと締めつけられる.遠距離恋愛は承知の上だが,それでもカッターで刻まれるような細かな傷が心に浮かぶことが時々ある.
「何か,危ないこととか起こってない?」
 一色はふとそう聞いてしまう.いつだって謙策が心配だった.
「あー……最近,また何かアジア人が殴られるっていうのが町であったな」
 そんな答えに心臓が握り潰されるような心地になる.
「また? 何かトランプ支持者の白人がまたやってんの?」
「えーっと,いや……まあ解決したし,大丈夫だよ」
「大丈夫って,謙策が被害に遭ったらどうすんの?」
「気をつけてるから,それは大丈夫だよ」
「本当?」
「本当だって」
 そう有耶無耶になったまま,ビデオ通話は終わる.寂しかった.
 一色はすぐにそのヘイトクライムについて調べる.しばらくして記事を探しあてた.ベトナム系アメリカ人の男性がショッピングモールの駐車場で殴る蹴るの激しい暴行を受けたという.犯人はジョン・オルサニャという黒人男性だった.
 記事には目撃者の一人が撮影した犯行現場の写真が掲載されている.彼は左足で被害者の男性を踏みにじっており,目を背けたくなるような暴力の爆裂を一色は感じた.
 そして加害者の顔は,被害者でなくカメラに向けられている.マスクは着けていない.ゆえに露になった彼の鼻は歪でかなり大きかった,メルヴィンのものよりずっと.
 そんな連想が働いてしまったのに気づいた時,一色は急いでこの考えを頭から振り払おうとする.だが連想は一色など少しも構わず,連鎖を遂げる.彼の背はメルヴィンよりも低い,彼の首はメルヴィンよりも逞しい,彼の足はメルヴィンよりも長い,彼の目はメルヴィンよりも細い,彼の髪はメルヴィンよりも長い,だが彼の唇はメルヴィンと同じくらい薄い。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。