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コロナウイルス連作短編その164「洗面所にいる裸の男たち」

 ベッドに2人の裸の男がいる。
 一方の塩飽量は、もう一方の佐橋壮一を静かに見つめている。
 壮一が抱えるのは男性の胴体だ、もちろん模型だ。相当の筋肉量を伴ったシリコン製の模型であるが、この造型は量の肉体を元にしている。だがただ模倣している訳ではなく、シリコンだからこそ可能な漫画的誇張が随所に施されていた。例えば腹部に際立った6つの腹直筋、いわゆるシックスパックは実際の量のそれよりも更に陰影が濃い。材質の柔らかさをものともしない、網膜への圧迫感を纏っている。かつ胴脇を覆う腹斜筋も膨張しているかの如く発達しているが、量の筋肉はここまでではない。もし注心して鍛えるのであればここまでのものを実現するのも可能だが、過度の発達はくびれを消滅させ、見映えを良くないものとする。筋肉と肉や骨の視覚的均衡において、くびれという要素は欠かせない。ゆえに量は、腹斜筋などは特に匙加減を調節しながら鍛練を行っているので、ここまでの発達はもとより望んでいない。
 こういった美学的な誇張は存在しながらも、このシリコンの肉体は間違いなく量の肉体を元にしている、少なくとも壮一はそう主張する。“半信半疑”という言葉が量の認識を指し示す言葉でありながら、十全に示すには切迫さ、戦慄が無様なまでに欠けている。
 そのシリコンには胴体以外が存在していない。腕、足、首。そういった部分はにべもなく捨象されている。在るのは無菌的な断面だけだ、一応はその部分も作られながら最後は丁寧に切断されたといった風に。もしこれが石膏や大理石で作られていたとするなら美術館に飾られていた可能性もある、量は思う。実際は高校の美術室に放置されているのが落ちだろう、量はそうも思う。
 壮一はこのシリコンの塊をベッドに優しく寝かしつける。赤子という比喩は陳腐でありながらも、実際にあの剥き出しになった塊としての存在感を目の当たりすると、それこそがしっくりくる。ただ材質が違うだけだ。そして彼は胴体の股間部分に自身のペニスをゆっくりと擦りつける。まだ勃起はしていない。だが彼のペニスはとても美しい、赤黒い色彩をしており、量は思わず見とれてしまう。刺激が与えられるうちに遅々として海綿体が膨張を遂げていく。その過程で壮一が包皮を剥くと亀頭が露になるが、仮性包茎というのを鑑みるとそれは頗る大きいものと思える。菌糸をあらゆる場に巡らせ、土壌から多くの栄養を与えられ健やかに育ったオオシロカラカサタケだ。それが最初に自分のなかに入ってくる時の麗しい窒息感、おしつけられるよりむしろ引き抜かれる時の肉壁への刺激を思いだして、堪らなくなる。自分のなかにあの赤黒い物体を迎え入れる時の陶酔は忘れ難い。
 実際には茸類よりも相応しい比喩を、量は知っている。Youtubeを何気なく眺めている際、彼はあるYoutuberを見掛けた。彼女は様々な水棲生物、例えばナマズやハリセンボンなどを育てる姿を動画としてアップロードしていた。その動画を幾つか見ていると、中に伊勢海老が現れた。量は伊勢海老が生きている姿をそれまで見たことがなかった。高級食材として数度食べたのみであり、それをなかなか美味なる食物でしかなかった。だが動画の中で伊勢海老は生きて、水槽をゆっくり泳いでいた。Youtuberは凍らせた蟹を伊勢海老に与えると、しかし異様な俊敏さでそれに飛びつき、口付近の足を忙しなく蠢かせながら蟹を貪る。能天気に実況する彼女の声の奥から、蟹の堅い殻が砕ける細かい響きが聞こえてくる。だが量の感覚を惹きつけたのは色だ。その鎧のような駆体は赤黒いながら、補食行為に耽るなかでライトに照る場へ躍り出た時、そこに美しい紫の光沢が現れるのだ。それは貴族こそが身につける美しい紫だ、そして勃起を遂げていく壮一のペニスにも正に同じ彩が現れる。今もそうだった。
 ペニスの勃起が一段落した時、壮一はそこに用意していたコンドームを装着していく。赤茶がかった指の動きは滑らかで、自分の身体を労っているのが伝わってくる。その合間に彼が模型の腹直筋を愛おしげに撫でる様にも、同じような印象を抱いた。そして細心の注意を払うように、ゆっくりと模型のアナル部分にペニスを挿入していく。自分もそんな風に優しく扱われたいと思った。
 腰をやはりゆっくりと、ぬらぬら動かしていきながら、壮一は深く息を吐く。マグマから噴出する白煙の勢いを思わせる響きだった。彼の細い腕が模型の腰を掴んでいるが、握り締めるのではなく軽く手を添えるといったものだ。シリコンの手触りを皮膚で味わい尽くしているようだと量は思った。壮一の臀部は程好い脂肪に覆われながらも、両方の肉の膨らみに笑窪のようなへこみが浮かんでいる。
 触りたい、そう思った時には量の右手が動いている。だが目敏く捉えたかと思うと、壮一は左手で彼の手をはたき落とす。少し爪が当たり、手の甲に白い痕ができる。
 壮一がペニスを挿入する速度は遅い。ハンマーで頭蓋骨を破壊するのではなく、実家の鍵穴に古びた鍵を差しこむような遅さだ。そしてペニスを引き抜く際にこそ、より力の加減を調節しながらその快楽を味わうというのが、もはや壮一の癖だった。それは実際の肉でもシリコンでも変わらない。その時彼は上を向きながら息を吐き、快楽を楽しみ尽くそうとする。そしてまるで幻の都が海から浮上するように、首筋から細やかな胸鎖乳突筋が現れるのだ。首筋を斜めに横断するように筋肉がせりあがる様を見ると、切なくなって自分のペニスが急激に硬くなるのを量は感じる。我慢しながら、最後はどうしようもなくなって、ペニスを独りで擦り始める。
 壮一の腰の速度は変わらない。だが息遣いが明らかに激しくなっていき、彼がもうすぐ果てる予感がある。雪原に群れを成す狼たちの威嚇さながら唸り声をあげていた。あの容易く折れ曲がるだろう首や、薄く弱々しい喉仏のどこからこんなにも雄々しい声が出るのかが分からない。そして最後にはシリコンを抱き締めながら、ひときわ白濁した唸り声とともに壮一は果てた。息を荒く吐きながら、絶頂のなかで腰を泥々と動かす。脇腹のかすかな膨らみが官能的で、量は自然と泣き始めていた。ペニスを擦る手は止まらない。喘ぎ声を聞いてほしい。
 だが量がまだ射精しないうちに、壮一はシリコンからペニスを引き抜き、精液の溜まったゴムを取り去る。ゴミ箱にそれを投げこみながら、彼は洗面所へと向かい、量はそれを追いかける。
 病的なまでに白い灯に包まれながら、ハンドソープを泡立てて精液にまみれたペニスを洗う。その手つきに見とれていると、壮一が右足で、下に設置してある棚の端を叩く。爪が硬質な表面にかすって、カツカツという音が響く。量はいつものようにその場所を舐めようとするが、思わず顔が彼の足に当たってしまう。瞬間、顎を足先で蹴りあげられる。痛みに体を震わせながら、棚にすがりつき、舐めて、そして噛む。白褐色に染められた木材は濃密な冷たさで、細胞の1つ1つが凍死していく。
「量の歯もビーバーみたいにオレンジ色だったらなあ」
 壮一が言った。ビーバーの歯がオレンジ色であるのは化学反応が原因だった。その歯は鉄分を含むゆえ凄まじく硬く、直径20cmの木を15-20分ほどで倒すことが可能だ。そしてその行為を反復するなかで鉄分と、ポプラやカバノキなどの樹皮、そこに含まれるタンニンが化学反応を起こし、歯がオレンジに変色するのだ。対して量の歯はかすかに黄ばんでいる。結局彼はビーバーではなく、人間だった。


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