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コロナウイルス連作短編その154「マジでどっちか全然分かんねえ」

 土草入間は日本人女性を“寿司女”と唾棄しているゆえ、基本的にデーティング・アプリでは日本人女性を無視する。だがある時に現れたMakoという女性は、名前から日本人と伺えたが、日本人離れした顔立ちだったので、右にスワイプする。1時間後に彼女とマッチするが、改めて写真を見ると何か妙だ。彫りが深く、目が青いといった特徴は白人めいた一方、髪はどこまでも続く闇のような黒で、このコントラストにそそられる。だがそのエキゾシズムは違和感にも繋がり、視点を変えればカツラを被っているようにも見える。そう思うと女性としては顔が凛々しすぎるという印象も抱いた。
 もしかしたらトランス女性ってやつか?
 入間はそんな連想が浮かぶ。自己紹介文を確認するが、そこには趣味などが書いてあるばかりで性自認に関しては書かれていない。今までもアプリ上でそういった存在は何度も見てきたが、写真を目にした際に直感から自己紹介文を確認すると“トランス女性”と明記してあったことがよくある。そういった際には例え可愛かったとしても、左スワイプで自分の視界から消し去っていた。
 だがこのMakoという人物はどうか? 入間はMakoを女性とも男性とも結論づけることができない。これは初めての体験だった、しかもそんな存在とマッチングしたのだ。マッチを解除するか? そう一瞬は思うが、話していれば分かると考え、そして何より好奇心が勝り、入間はMakoにメッセージを送る。

“質問! 世界の終わりが来た時、最後に読みたい小説は何?”

 夜、Makoからメッセージが届く。カーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』という返事が届いた。なかなかの文学好きではないかと入間は感嘆する。彼女の返答に驚き、誉めるようなメッセージを送りながら、今自分は『台湾文学ブックカフェ』という本を読んでいると伝える。Makoはそれに喰いつき、アメリカ文学以外は台湾や韓国などの文学が好きで、今はチェ・ウニョンの『私に無害な人々』を読んでいるとの返事が来た。

“俺も読んだことあるよ! 韓国文学では一番好きな作家!”
“え、ホント?”

 話が盛りあがる一方で、入間は何度もMakoのプロフィール写真を確認した。ある時は凛々しい女性にも見えるが、ある時は女装した男性にも見える。だが何にしろ、入間は心のなかで“トランス女性”という言葉を使わないよう心がける。こういった存在には“女装した男性”という言葉がお似合いだと固く信じている。

 入間はバイト帰り、同僚の鬼木田紀子と話しながら歩く。
「俺、今度Tinderで会った子とデートなんだけどさ」
「へえ、良かったじゃん」
「でも、何か相手がさあ」
「なに?」
「女装した男性かもしんねえっていう」
 紀子はマスク内でプッと吹きだしてから、マスクの位置を直す。ターコイズブルーのネイルが鈍く輝く。
「いや“っぽい”って何だよ。普通、分かるでしょ」
「いやいや、最近のやつらはマジで見分けられねんだよな、写真とか見てもどっちがマジで分からん」
「じゃあ会う前にビデオ通話とかすりゃいいじゃん」
「それは何かめんどいっていうか、俺はちょっとテキストで会話してからデート行ってみたいなのが理想な訳だよ」
「馬鹿じゃねえの」
 紀子はマスク越しにも分かるほど表情筋を過剰に動かし、入間を馬鹿にしてみせる。
「あたしは絶対まずビデオ通話とかはするよ。彼女たちの声を聞いて、画面に時々映りこむ指なんか見て、フィーリングが合うかどうか確認せんと、会う気しないし」
「それはめんどくせえよ。ちゃっちゃと会って話せよ」
「んまあ、ヘテロちゃんにはこういうの分かんないだろうね」
「何だと、このレズアマ」
「言ってろ、このヘテロガイジ」
 2人は人目も憚らず爆笑する。
 そして彼らは近くのスーパーマーケットに着いた。開店はしているが、今は改装途中で、1週間後からしばらく休業するらしい。
「つーか、あたしにもそいつの写真見せてよ」
 そう言われたので、写真を見せてみる。
「この黒髪、ヅラっぽくね?」
「ウィッグって言えよ……まあ、あたしはこいつ女だと思うな」
「でも髪だけじゃなくて肌も乾いてて、女っぽくなくないか」
「そういう女もいるんだよ、童貞」
「童貞じゃねーし」
 入間は左の中指を突き立ててみせる。
「こいつが、じゃあ女装だったら、お前責任とって付き合えよ。トランスでも一応“女性”なんだから」
「ふざけんなよ、あたしは生物学的女体にしか興味ねーし」
 2人は適当に飲み物を買う。入間はコカ・コーラ700mlボトルを掴んで持っていこうとするが、滑って床に落としてしまう。内部で石油色の泡がボコボコと現れる。
「やっべ」
 入間はペットボトルを拾うと、元の場所に置いて他のボトルを持っていく。
「うわあ、犯罪行為じゃん」
 紀子が言う。
「メントスコーラの刑、他人に押しつけんなよ」
「うるせえし」
 入間は何食わぬ顔でペットボトルを持って、レジへ向かう。だがしばらく歩くと、肩甲骨の間に妙な凝りを感じた。首を曲げながらスマートフォンを見すぎて、いわゆるストレートネック気味だと友人から何度も言われていた。横の紀子がマスクの裏側でニヤニヤしているのに、感覚的に気づく。入間は急に方向転換し、飲み物のブースに戻る。泡に満ち満ちたボトルがまだそこにあったので、今持っているものの代わりにそれを掴んでまたレジに行く。
「いや、何してんの」
 紀子がそう尋ねる。
「何となくだよ、何となく」
 入間はそうとだけ言う。前から妙に赤茶色の顔をした長髪の中年女性がやってきて、彼とスレ違う。
「今のおばさん、何かネイティブ・アメリカンみたいだったね」
 紀子がボソッと言った。
「いや、インディアンの間違いだろ」
 そう入間が訂正して、また2人で爆笑する。

 デート当日、入間は待ち合わせ場所に向かう。地下鉄内で携帯を眺めながら、異様にソワソワしている自分に気づく。
 いやいや、中学生じゃねーんだから。
 そう自分に言い聞かせるが、不安は心から出ていかない。ふと彼の頭に思いうかぶものがある。デート相手と会う際、男性は相手の女性が醜くないかを不安に思うが、女性は相手の男性が殺人鬼でないかを不安に思う、そんな文章を見たことがある。前聞いた時は“男性は~”の下りにあるあると笑ってしまったが、今は“女性は~”の下りが心に迫った。つまりこういうことな訳だな、入間は思った、こういう不安を女性は抱いてる訳だ。
 大手町、丸の内線改札前にあるスターバックスの前に立ちながら、入間は未だに不安から逃れられない。心が落ち着くことがない。
 いや、トランスとかプロフィール文に書いてないし、絶対普通なんだよ。普通なんだけど、何か女装かもとか考えちゃうんだよな、マジで。まあでも、もし女装だったら声聞けば一発で分かるし、実際そうだったら、一回くらいなら女装とデートすんのだって経験としていいだろ、経験として。フィリピンのニューハーフとのファック最高だったとか先輩も言ってたしな。
 ふと右手を見ると、尋常ではない手汗をかいていた。皮膚が無数の滴のなかでぬらぬらと不気味な輝きを放っている。視線を外そうとしながら、できない。汗は強靭な磁力として、入間の眼球を引きつけて止まない。ストレートネックを治す必要がある、入間は思った、このストレートネックを治さなきゃ話にならねえよ。彼はYoutubeの動画で見たように、アゴを後ろに引きながら、肩甲骨を胸郭ごと開いてみせる。視線が手のひらから離れ、改札を射抜くようになる。この体勢を10秒続けることを、動画は要求している。1,2,3,4,5,6,7....
 1人の人物が改札を通る。その長い黒髪を認識した時、彼女の方がこちらに手を振ってくる。
「遅れてごめんなさい!」
 声を聞き、そのまま自動的に入間はその人物が女性だと認識した。瞬間に不安は一切消えて、後にはこれに関して考えることもない。デートはなかなか楽しかった。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。