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コロナウイルス連作短編その196「俺にはハーフがちょうどいい」

 西口怜衣は買い物のため近くのショッピングモールへ赴く.階段を上った先には小ぶりな屋外広場があり,モール入り口まではまだ歩く必要がある.右の脇腹が既に痛い,そして熱い.そんな彼を嘲笑うように,外気は凍てに満ち満ちている.もう秋は終わりだ.
 深呼吸をした後,怜衣は歩きだそうとするが,否応なく視界に入るものがある.ベンチに座って1組のカップルがアイスを食べていた.男性に際立った特徴はない.黒髪,眼鏡,中肉中背.“平凡な日本人男性”のイデアそのままだ.だが女性から,怜衣は密やかに目が離せない.長い金髪,青い瞳,透き通るような白い肌.彼女は間違いなく外国人だった.こんな日本のちっぽけな町には似合わない白人だ.そんな彼女があの無特徴の日本人男性とアイスを一緒に食べている.その親密さから2人は間違いなくカップルだと,少なくとも怜衣には思える.
 羨ましい,羨ましい,羨ましい.
 そんな粘着質な言葉が彼の心でのたうちまわる.

 怜衣はどうしても外国人の恋人が欲しかった.自分と見た目が似ている日本人やアジア人ではなく,自分と見た目が全く違う外国人,特に白人の恋人が欲しかった.この途方もない欲求が何を淵源とするのか分からない.昔からハリウッド映画が好きだったからか,“白人女性を恋人にしている男はカッコいい”という日本の社会通念を脳髄に刷り込まれているからか.それは分からない.だがとにかく,何を押してでも白人の彼女が欲しいと.
 そういった欲望を持つ日本人男性の多くと同じく,怜衣もタップルやomiaiなどの日系でなく,TinderやBumbleなどの外資系デーティング・アプリに登録し女性を探し続けている.だが5年もの歳月を費やしても白人の恋人ができたことも,白人女性とのセックスにありつけたこともなかった.
 最近,彼は日本在住のイタリア人建築家と会うことになった.髪も目も唇も派手な印象の,何となしに“地中海的”と思えるような女性だった.マッチした時点で有頂天になりながら,気圧されたのはLINEを交換した時点で何枚もの自分の写真を要求されたことだ.写真を撮るのも撮ってもらうのも苦手ゆえ,躊躇いながらも自撮り写真などを送った.“cute”という言葉が返ってきた時は嬉しさよりも安堵の方が勝った.
 デートは浅草に行き,隈研吾の建築などを見て回った.だがその時のことはあまり覚えていない.白人女性と関係を築く数少ない経験をものにすることに神経を集中しすぎ,デート自体を楽しむ余裕がなかった.それでも自分ではいいデートだと思っていたが,デート後に“価値観が合わないのでこれで終わりにしましょう”という旨の率直かつ長文メッセージがLINEに届いた.
 俺はまだ大切なことを何も喋ってないのに!
 そんな思いが未だに彼を苛む.諦めることができない.今はYoutubeでナンパ師によるナンパ指南動画を毎日観ている.上半身には隆々たる筋肉,顔には鬱蒼たる男らしい髭を蓄えたジャレッドというコーチに,怜衣はいつも勇気づけられていた.それはまだ何にも結実してはいないが.

 モール内に入ると,人が溢れださんばかりにいるのに気づく.肩身が狭くなる.
 怪訝に思いながらも,周りに目を向けるなら“RENEWAL OPEN!”という和製英語だろう語が至るところに見えるので,混雑はその“新装開店”ゆえと容易に伺える.腰も痛かったが,孤独のなかで左の奥歯も痛み始める.おそらく虫歯が進行しているのだが,それから目を背けている.
 怜衣はただ買い物に来ただけだった.
 バター,韓国のり,きび砂糖,そうめん,合鴨の薫製,発泡酒.
 それらを掴んでカゴに放りこむたび,周りの家族連れが自分を見て心のなかで嘲笑っているような気分になる.被害妄想に過ぎないと思おうとしながら,マスクのうちに広がる淀んだ口臭がその邪魔をする.
 彼はペプシコーラ600mlも1本買う.虫歯が悪化しようともはや構わない,そんなぬるい自暴自棄の境地だった.だが実際にはコカ・コーラ750mlの方が飲みたい.飲むと虫歯の痛みが酷くなるので飲めない.この選択も結局は保身と妥協の産物だった.
 エコバックへ買ったものを適当に突っ込み,怜衣はこんな場所から早く退散しようと思う.どこもかしこも家族連れで気が滅入る.その鬱屈がさながら虫歯菌さながら心に巣喰い,酸によって溶かし尽くそうとしてくる.
 早歩きで出口へ向かう.道の脇には屋台が並び,はしゃぐ子供たちを招き入れている.怜衣は居たたまれなくなり,バッグからペプシコーラを取り出そうとする.せめて一気飲みでさっぱりしたい.だが適当に突っ込んだのが仇となり,うまく取り出せない.苛つきとともに,奥歯がまた痛みだす.
 怒りの勢いで,ふと顔が前に向く.ある女性の姿が目についた.濃厚な赤茶の髪色,そしてマスクの真上に覗く大きな瞳.彼女は白人だと直感的に思う.だがそれ以上に,彼女に不思議と見覚えがある.
 この女性は,そして右手にペプシコーラを持っていた.そこでは石油色のコーラがパッケージを覆い尽くしている.彼女はこれを胸元まで持っていくと左手の親指と人差し指で封を開き,キャップを持ったかと思うと,さらにまた左手でマスクをずらす.そして薄い赤色の唇にボトルの口をあてがい,コーラを飲む.旨そうだった.間髪入れずに,その皮膚の奥底で肥りきったカブトムシの幼虫がのたうつように,首筋が脈打つ.美しかった.
 そして今,既視感の理由がハッキリと分かる.
「……紺野?」
 その言葉に,女性がこちらを向く.怜衣はそれに合わせマスクをずらす.
「俺だよ,高校一緒だった西口!」
 そして彼女の緑の瞳が見開かれる.

「いや久しぶりだねえ,ほんと」
 自分の横で紺野カレンが喋っているのは,なかなか不思議な気分だった.
「ほんと,高校以来だよね.懐かしい.元気だった?」
「まあ,ぼちぼち」
「“ぼちぼち”って,何かオッサンくさい」
「何だよそれ.それ言ったら紺野もオバサンじゃねえの」
「え~,いやまだまだ……“ピチピチ”じゃん?」
 そう,本当にわざとらしく“ピチピチ”という言葉を発声してくる.しかもマスクを外して,唇周りの表情筋をうねうねと動かす.怜衣は笑わざるを得なかった.
「変わんないな,紺野は」
「なに,カレンって呼んでいいよ,別に」
「えっ,いや何か……」
「やっぱオッサンやね」
 カレンはケラケラと笑う.
「こっち戻ってきたの?」
「ん? ああ,まあそんな感じ.30を期に東京での一人暮らし卒業,はは.というか東京までJRで20分だし,そもそも一人で暮らす意味なかったんじゃねえの?って話ですよ」
「それはまあそうだな.俺も……出戻り組だわ.この買い物も母親に頼まれてのおつかい」
 怜衣はエコバッグを持ちあげながら,カレンに笑いかける.
 だがこれは嘘だった.怜衣は正に“東京までJRで20分”という立地を鑑み,大学入学後も実家に住み続けることを選んだ.そしてあっという間に12年もの時間が過ぎた.実家から出たいと思うことの方が少ない.
 怜衣の言葉にカレンも笑いながら,再びペプシコーラを飲む.その時は当然だが毎回マスクをずらし,怜衣の視界へとその横顔を露にする.思い出のなかの幼さの残っていたカレンは,そこにはいない.面影は残しながらも,もはや完全に大人になっている.ティーン向け映画の主役から,ハリウッドの大作ヒロインへと開花を遂げたようだった.
 怜衣は頭のなかで彼女がどのハリウッド女優に似ているか吟味する.そうして思い浮かんだのはNetflix製作のアクション映画「グレイマン」に出演していたアナ・デ・アルマスだった.気の強く大胆な人柄が表情から滲みでるような俳優だ.そしてそこには健康的な官能性も宿っている.
 だが続いて彼女が主演だった「ブロンド」が頭に思い浮かんでしまう.強姦や中絶など陰惨な性描写が執拗に繰り返され,観ていて気分が悪くなった.同時に“性欲”がなぜ“劣情”と呼称されるのか?への答えを身体的な反応として突きつけられるような,気味の悪さも味わうことになった.その経験がカレンの横顔に重なり,居たたまれなくなる.
 それと同時に彼は気づいている.周りのモール来場客がこちらに向ける視線が変わってきたのを.特に男性たちは自分に濁った視線を向けているように怜衣には思える.何度かの白人女性とのデートの際にも,同じ視線を味わった.自分と同じような“純ジャパ”が白人女性を横に引き連れていることへの羨望,嫉妬.それは先のベンチのカップルに自分が向けていたものと同種のものだ.公言するのは憚られるが,アジア系以外の外国人女性とデートすることの醍醐味の1つはこの優越感だとは言わざるを得ない.気分がいい.
 しかし怜衣はふと思った.カレンは果たして日本とどこのハーフだったかと.順当にアメリカかイギリス,もしくはフランス辺りかと思うのだが,どれにも確信を覚えない.いくらカレンの横顔を見れども国籍に関しては全く分からない.おそらく白人側も自分ら東アジア人を見て,誰が日本人/中国人/韓国人/台湾人/モンゴル人というのを判別できないのと同じだ.かといってカレンにこれを聞くのも憚られる.その問い1つで良い雰囲気が引き裂かれる予感がしてならない.
 それを意識すると,急に二の句が次げなくなる.
 会話が終わり,怜衣もカレンもただ歩くだけになる.
 沈黙が流れていく.彼はそこに気まずさだけを感じた.

 オイ,何ヤッテンダ!?
 突然,頭のなかに響く声があった.その声の主は誰か,あのコーチ・ジャレッドだ.言葉は英語でなく,夜にテレビ放映される洋画吹替をさらに派手にかつ片言にしたような日本語だったが,確かにこの力強さはコーチ・ジャレッドのものに違いない.
 僕ハイツモ言ッテンダロ,女ヲなんぱスル時ハ堂々ト行カナキャナラネエノサ,ダロ!? トリアエズ背筋ノバシテ女ヲドント見据エルンダ!
 怜衣はまごつきながら,コーチの声に従って横を向きカレンを見つめる.
 オマエハ岩ナノサ,磐石ナ岩ナノサ.ソコニどんト腰スエテ,チョットノコトジャア動揺シネエ.トクニ視線ハソラサネエノサ.緊張シテ目ヲちょろっちょろ動カス男ナンカ女ニトッチャ三下ヨ.ソンナ男ニツイテクル女ハ同ジ三下シカイネエ.オマエ,コノ女ガ三下ト思ウカ!?
 怜衣は心のなかで首をブンブンと振る.
 ジャア見ツメナ! 瞳一切ソラスンジャネエゾ!?
 怜衣は己の身体に埋めこまれた背筋が真直ぐ伸びるのを感じながら,カレンの横顔を見つめる.再び彼女はマスクをずらしてペプシコーラを飲む.今度はその脈打つ首筋を横から見ることになる.そんな暁幸に恵まれる自分を少し誇らしく思う.
 そして余裕が生まれると,話題を提供するよう自然と唇と喉が動いたが,しかし言葉を紡ぐ前にコーチの声が響いた.
 僕カラ1ツ再ビノあどばいすをオクルゼ.話ス時ニャユックリダ.ユックリト,言葉1ツ1ツヲ味ワウヨウニ話シテミナ.ダガろぼっとミテーニ句読点デ区切ルヤツデナク,“……”デ表現スルタグイノ,余韻噛締メルミテーナヤツダゼ.ソシテ声ハ低音デナ,腹ノ底カラぐっト湧キ上ガルヨウナ重サ,低サガ重要ナノサ.れっすんデ何度モ言ッタトモ思ウガ,コレコソ女ノ求メテル“男ラシサ”ッテヤツヨ.白人女ハトクニダゼ.トイウコトデ,実践編ダ!
 怜衣はマスクの下で神経質に唇を舐めたあと,言葉を発声する.
「このモールってさ……もうずっとあるよな……」
 その言葉にカレンが怜衣を見る.今までと少し表情が違う気がした.
「高校の頃は……友達と制服来たままでここ来たりしてさ……午後5時なのにフードコートでラーメン頼んで食べて,それでワアワア騒ぎながらPSPでモンハンやってたんだよなあ……もうそれが10年以上前か」
 実際,頭に“……”が頭に浮かぶほど怜衣はゆっくりと話し,随所に溜めをいれた.まるでその心がけが内容に作用したように,自然と過去の想い出を彼は語っていた.誇張が過剰のように思えたが,不思議とその形式と内容が共鳴しているようにも怜衣は思った.
「うん……」
 カレンが静かにそう言った.
「懐かしいね.私も友達とここめっちゃ来てたよ.本屋でファッション誌買ったり,ゲームセンターでクレーンゲームやったり色々やったな.すごい楽しかったな……」
 そして目を細める.
「でもここでもモンハンやってたの? 教室でもずっとやってたやん.前,試験中に何か変な音がしたけど,後で怜衣の鞄から鳴ってた,テスト前に切り忘れたモンハンの効果音だったってあったじゃん,覚えてる?……」
 そうしてカレンが一人で様々な想い出について喋り始める.怜衣はその姿を真直ぐに見据える.今,彼の意識はその会話内容よりも身ぶり手振りに向いている.面白いのは彼女が忙しなく手を動かしていたことだ.腕を大きく振るかと思えば,指をゆらゆら揺らすなど大小様々な動きがそこで繰り広げられている.その複雑さはこちらの方が上だ.これを眺めていると,喋っていると自然と手が動いてしまうというより,むしろ手が動くことで言葉がカレンの唇から出力されているといった風だ.
 そして途中で彼女はまたペプシを飲むのだが,鞄に仕舞わず右手に持ち続け,かと思うと腕の動きに連動して右から左に手渡され,そこで戯れに揺らされたかと思うと,今度は左から右へと手渡される.
 思い出すのはアメリカのスタンドアップ・コメディアンたちだ.コーチ・ジャレッドが“女性に好かれる仕草”を学ぶにはNetlflix配信のコメディ・スペシャルやYoutubeで数十万再生されている動画を観ろというので,最近よく観ているのだ.特に彼はレズビアンとトランス男性のコメディアンが出演する動画を勧めていた.“ヘテロ女に一番モテるのがこいつらだからだ”とコーチは言っていた.
 こうしてコメディ動画を観るうち,確かに発見がある.大舞台で堂々とした態度を崩さず,かつユーモアに不可欠な軽妙さをも保つ様は,ナンパにおいても応用が可能だとコーチは解説していたがそれを何度も実感した.
 それと同時に,コメディアンたちが使うマイクに関してずっと片手で持つのではなく,時々逆の手で握り直し,この左から右,右から左の受け渡しがショーのリズムに呼応しているという発見もあった.カレンの動きは全くそれに似ている.実際身ぶり手振りの大きさもコメディアンたちに似ており,彼女には外国人の血が入っているとまざまざと感じさせられる.どことのハーフか?でしっくり来るのは,やはりアメリカだ.
 と,カレンがこちらを向く.彼女の視線と怜衣の視線が重なる.今,自分たちが見つめあっているのを怜衣は否応なしに感じた.様々な感情が込みあげ,思わず視線を逸らしそうになる.だがコーチは磐石な岩になれと言った.不動のままで彼女を見据え続けろと.
 怜衣はカレンを見つめる,見つめ続ける.時間が引き延ばされる.
 オイ,ココデ行ケ!
 コーチの言葉にドンと背中を押される.
「俺の高校での一番心残りだったこと,何だと思う?」
 怜衣はカレンにそう問いかける.カレンは目をパチクリさせた.
「分かんないね……何?」
 その目付きは挑戦的だった.
「カレンとさ……ここで二人きりでアイス食べられなかったこと」
 そんなことを一切の衒いも恥じらいもなしに,カレンの目を見据えながら言った.
 マスクがグウッと膨らんだかと思うと,カレンは爆笑を始める.ここまでの爆笑は予想してなかったゆえ少し気圧されるが,それを尾首にも出さず怜衣はカレンを見つめ続ける.磐石な岩であらんとする.
「ねえ」
 爆笑に息を切らしながら,カレンが問いかけてくる.
「それ再会した同級生の女子みんなに言ってない?」
 聞いた瞬間,頭蓋のなかで驚きが弾けた.
 これ,コーチ・ジャレッドの動画で取りあげられてたやつだ!
 出題されると予想した問題が,実際にテスト用紙に現れたのを見た受験生さながら,怜衣は思わず体を震わせる.一瞬の動揺の後,しかし体はその磁場から抜け出し,確固たる意志とともに動きだす.怜衣は改めて背筋を伸ばし,腕を胸の前でガッシリと組んだ後に,またカレンの目を見つめる.今度はより力強く,真剣に.磐石な岩以上の,聳えたつ山岳のごとく彼はそこに立つ.
「俺はそんな軽い男じゃあないよ」
 そう言ってから,マスクをずらしゆっくりと笑顔を浮かべてみせる.
 カレンは大きく翠の目を見開いたかと思うと,さっきよりも大きな爆笑を繰り広げる.だが怜衣は“笑われた”とは思っていない.“笑わせた”という確かな手応えを感じている.
「オーケー,オーケー」
 爆笑の後,彼女は息を切らせながらそう言う.
「じゃあその願い,叶えてしんぜよう!」

 2人はサーティワン・アイスクリームへ向かうが,凄まじく長い行列ができていた.
 予想以上の長さだったので怜衣もカレンも笑わざるを得ない.
「じゃあ食品コーナーでアイス買うか」
 提案すると,カレンも乗ってくる.
「かじるバターアイスってコンビニだけじゃなくここにも売ってんだね」
「ずんだもちのアイスだってよ.俺,ゆっくり実況のずんだもちしか知らんわ」
「怜衣は雪見だいふくでどれが好き? 私はシンプルにあの白いやつ」
「俺はコンビニ限定の,キャラメルソース?入りのやつかな」
 こうしてアイスブースで適当に喋るのはなかなか楽しい.
「おっ……これ好きなんだよ,俺」
 そう言って怜衣が掴んだのがチップショックという名前のシューアイスだった.
「へえ,知らん.旨いの?」
「ここ最近で一番ハマってるアイスよ」
 税込106円,2つで212円だ.
「俺が払うよ」
「いやいや,これくらいも払えないくらい堕ちちゃいないよ,私は」
「いいから,いいから.つうか正確に言えば,おつかいの釣り銭から払う.俺もなかなか……“ワル”だろ?」
 そんな言葉にカレンは忍び笑いをしながら,目を細める.
「座って食べよ,歩くの疲れた」
「でもベンチとか空いてるか,分かんないぞ」
 予想通り店内に設置されているベンチのほとんどに先客がおり,怜衣たちは座ることができない.なので店外へと出ていくのだが,そこのベンチもほとんど使われていた.
「あ,あそこ空いてる」
 カレンが一番遠く,敷地外へ続く階段のそばにあるベンチを指さす.そこは先,平凡な日本人男性と金髪外国人女性のカップルが座っていたベンチだった.
「うわ,これめっちゃ美味しいね」
「だろ?」
 今,怜衣は平凡な日本人男性が座っていた方に,そしてカレンは金髪外国人女性の座っていた方に腰を下ろしている.
「チョコデカくて食べごたえあるし,皮んとこでザラメがジャリジャリしてんのいいね.砂糖をボリボリ喰ってる感あって,罪悪感が堪んない」
 そう言いながらシューアイスにかぶりつく様は相当に楽しげだ.顔や視線の動きも忙しなく,かつ大振りだ.
「あっ」
 食べている途中にカレンがそんな間抜けな声を出す.
「用事忘れてた……うん,時間的にもうそろそろ行かなきゃだわ」
 最後に残っていた大きな欠片を,彼女は口に放りこむ.
 怜衣は少し動揺する.手のシューアイスからチョコの破片が地面に落ちる.
 ダガ,ヤルコタァ決マッテルヨナ?
「また連絡したいから……LINE交換しよう」
「うん,そうだね」
 何の障害もなしにLINE交換が成される.同級生だったという関係性を考えれば違和感もないが,実地とネット合わせ幾度もナンパに失敗してきた怜衣は感慨深さすら味わう.
 そしてカレンは去っていく.
 階段を下る前にこちらへ振り向いて手を振ってくれる.
 今,怜衣は独りになる.だが何の寂しさも感じない.
 むしろ達成感だけに浸っている.
 昼は孤独こじらせてたのに,今やどうだよ? 悪くない,悪くない気分だ.
 心のなかで独りごつ.確かに興奮しながら,あえて“最高の気分”ではなく“悪くない気分”という言葉遣いをする冷静な自分に,また成長を感じる.
 と,携帯が震える.早速カレンからLINEが来たかと思いきや,違う.
 Tinderからのマッチ通知だった.ハンガリー人の建築家という人物だった.プロフィールが日本語で書かれているが,漢字やひらがなの奇妙な配分や使われる言葉の奇妙さから,ネイティブのそれではないと一瞬で理解できる.だがそれは問題ではない.
 焦げ茶色の髪.
 蒼と翠の境にある瞳.
 雪原さながら白い肌.
 その顔を確認した瞬間,自然とガッツポーズをしていた.しかし不安ももたげてくる.
 カレンがうまく行ったのは,やっぱ中身が日本人だったからだよな.中身も完全外国人のやつだと,いつものように失敗して調子乗りの高い鼻がブチ折られるだけだよな……
 ナニヲケツノ穴チイセエコト言ッテンダヨ!?
 頭に響くのはコーチ・ジャレッドの声だった.
 今オ前はヤッテヤッタンジャネエノカ!? 白人女ノ心掴ンデヤッタンジャネエノカ!? 確カニ成功ニ傲ラネエコトモ大事ダガ,ソレデ挑戦ヲ止メタラ凡人ノ仲間イリダゼ!? テメエノ股間ニツイテルソノ日本刀ハ一体ナンナンダ!? 使ワナキャ即サビチマウゼ!? ソノ日本刀デ白人マンコ切ッテ切ッテ切リマクッテコウゼ,ナア!?
 その声に,怜衣は自然と勇気づけられる.
 彼はエコバッグをグッと握り締めて立ち上がり,階段を降りていく.その歩みには何の躊躇いも存在していない.
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