コロナウイルス連作短編その141「ドードー鳥がぜつめつしてから」
そうして小学校の帰りみち、間中理巧はガードレールの横にしゃがんでいる女性をみかける。ペットをつれてるだとか、そういう訳ではないらしい。ただ、しゃがんでいる。理巧はなんとなく興味がわいて、近づいてみる。焦げ茶色の短いかみが、冬の風のなかでかすかにゆれてる。前に旅行したときに、こんなふうに麦の畑が揺れているのを見たことがある気がする。もっと近づいて、そのひとが外国人であることが分かる。でもそれ以上に、彼女の横顔が熱いかなしみでおおわれている方が印象にのこった。
おんなのひとのかたわらに立つ。彼女の視線のさきには、ぬいぐるみがあった。うすよごれて、ヨレヨレになった鳥の人形だった。そしてそれは図鑑で読んだことのあるドードー鳥というのが分かる。彼のお母さんがおくってくれた図鑑、そこにはさまざまな鳥の写真や絵がのっていた。もう地球からいなくなった鳥についても書いてあり、そのなかにドードー鳥がいたんだった。ずんぐりだったり白かったり、色々なドードー鳥がのっていたけども、よこには想像だとか伝聞だとかで書いて、ほんとうのすがたじゃないのも多いと書いてある。人間は勝手だなんておもった。しかし理巧は、若い研究者がかいたという新しい絵にとてもひかれた。灰色の毛なみをしたドードー鳥が、水辺を堂々と、のそのそと歩いていたんだった。これがカッコいい。いっぽう、理巧はマンガやアニメで見るような、ずんぐりむっくりの茶色いドードー鳥もかわいいので好きだった。いま、目の前にいるぬいぐるみはそんなドラえもんとかで出てきたドードー鳥だった。とってもかわいらしい。
でもこれはたぶん持ち主にすてられて、路上でよごれてしまい、しかも通行人からボコボコにされて、いまやボロボロになっているのがかなしい。それでも、ドードー鳥の大きくみひらかれた瞳は、気楽といったふうに理巧とおんなのひとを見つめている。助けてあげたいなあ、理巧はそう思った。
そうしたら突然、となりの彼女が泣きだしたので、ビックリした。ビックリして、ひだりの親指がグイグイうごいて止まらなくなる。彼女をなぐさめてあげたい、たぶん英語じゃないとつうじないと思う。
「お、オールライト、オールライト」
学校でならった英語を言ってみた。大丈夫、大丈夫。これを言えば“大丈夫”なはずだった。でも彼女はプッとふきだしたんだった。
「だいじょぶ、日本語しゃべれるよ」
そう言って、頭をさげる。なんにしろ、笑顔になったのでよかった。
「笑って、ごめんね。ありがと」
「うん、大丈夫だよ。でもキンチョーした」
「はは、外国語しゃべんのむずかしいよね。人の前で言いのって、キンチョーするよ。だからあなた、すごい」
ちょっとうれしい。
「こうやってぬいぐるみ捨てんのってサイテーだね」
理巧はドードー鳥のあたまをなでながら言った。とくによごれてしまった部分を、やさしく。
「……きみは、ドードー知ってる?」
「うん、だいぶ前に“ぜつめつ”しちゃった鳥でしょ」
そう口にだすけども、あたまに“ぜつめつ”という漢字がうかばない。図鑑でなんども読んだことがあるはずなのに、難しくて線がぼやけている。
「そう、わたしたちが“ぜつめつ”させちゃった」
その言葉に、理巧はドキッとする。おんなのひとの目はとても青い。
「何百年もまえに、わたしたちオランダ人がね、ドードーいっぱい狩りして、いっぱい食べたりとかしてね、それでドードー、“ぜつめつ”したの」
彼女はまた鼻をすすりはじめる。
「いや、でも“ぜつめつ”のは何世紀もまえだから、お姉ちゃんはぜんぜん悪くないよ。むかしの人がわるいよ。それに、それならオランダの人だけじゃなく、ヨーロッパの人もみんなわるいよ」
理巧はそう彼女をかばうのだけども、瞳にはなみだがたまっている。
でも、そんなんじゃ生きてけないよ。
理巧はこころのなかでそう言った。
人間が“ぜつめつ”させた生きものってめっちゃいっぱいいるじゃん。リョコウバトとか、エミューとか、何とかカイギューとか。たぶんオランダ人もフランス人もアメリカ人も、それに日本人もめっちゃ動物とか“ぜつめつ”させてるよ、たぶん。でもそういうのけっこう昔のことも多いじゃん。それをいちいち悲しんでたら、どうにかなっちゃうよ。
彼女の優しさに、理巧はなんだかムカムカをおぼえた。それにビックリした。そのひょうしに、あることが思いうかぶ。
「お姉ちゃん、ぬいぐるみの病院って知ってる?」
「え、知らないね」
「あるんだよ。実際に行ったことないけど、前通ったのとかあるんだ」
理巧はドードー鳥の人形を胸にだいて、さっそく病院へ行こうとする。彼女もとまどいながら、理巧についていく。
しばらく歩くと、一般人も利用できるコンテナ倉庫にたどりつく、ハローキティが看板にドデカく描いてあった。そのとなりにはくすんだ白壁のアパートがいくつも建っている土地があるのだけども、2つのはざまに、とても細い道があった。そこを理巧は進んでいく。ふりかえると、彼女がなんだか微妙な顔をしていた。そこではじめて、彼女がけっこう背がちいさいことに気づいたんだった。
「お姉ちゃん、この町に住んでるの?」
理巧はそうたずねる。
「ううん」
彼女はためいきをつくみたいに、そう言った。
「えっとねえ……好きな人とね、ここでデートしたことあったんだよ。なんだ、のどかな町だなあって、ふいんきが好きになった。でも、愛がなかったの。彼女はわたしのこと、そんな好きじゃなかったよね。でも忘れられなくて、ここ来ちゃうよ」
さいごに、彼女は笑った。いきなり、けっこう人生において重要なことをはなされた気がして、ちょっととまどった。でも色々なことがあるんだと理巧は思った。
細い道はなかなか長い。なので進みながら、なんども彼女の方をふりかえる。そのたびにひとなつっこい笑顔を、こっちに見せてくれた。でも、なぜかこわかった。彼女がこわかったわけじゃなくて、こんど後ろをふりむいたら、彼女が消えてしまうんじゃないかってこわかったんだ。姉の絢絵もいなくなる前に、こんな優しい笑顔をしてたから。
「ねえ、お姉ちゃんの名前は? ぼくは間中理巧だよ」
「んー、わたしの名前はルースだよ」
細い道をぬけても、ルースは消えてなかった、もちろん胸にだいてたドードー鳥の人形も。
広めの道をしばらく、ゆうゆうと歩いていると、ある家が見えてくる。そこはどこにでもありそうな家で、灰色のレンガの塀だったり、風でギシギシいう門だったり、個性みたいなものがぜんぜんないフツーさだ。でも塀に100円ショップで買ってきたような、中途半端におおきいホワイトボードが立てかけており、そこに“ワッフル屋&ぬいぐるみのお医者さん”と書いてある。そしてそのかたわらに、ちいさなテーブルとちいさなイス3つが置いてあるんだった。家なのか、お店なのか、病院なのかよく分からないけども、こんな場所はこれ1つしかない。
「こんにちはあ!」
そうおおきくあいさつをしてから、しばらくすると、玄関ドアから1人の女性が出てくる。彼女はほんとうにデカい人だった。“肥満体”だとか“生活習慣病”というお母さんが口をすっぱくして言ってるような日本語が、むずかしい漢字といっしょに思いうかぶ。おなかに8つ子の赤ちゃんでもねむってるんじゃないかと思える巨大なおなかをゆらしながら、女性はやってくる。空気がすごくおしだされるような感じがあるけども、顔にうかんでいる笑顔はとてもやわらかい。
「はい、こんにちは。どうしたの、ワッフル食べにきたの?」
女性は目をほそめる。
「ううん、ぬいぐるみ病院のほうに来ました」
そう言って、理巧はドードー鳥の人形をわたす。ルースは心配げにそれを見ている。
「ああ、とてもボロボロになってる。たぶん、道に捨てられたんでしょうね。そうでしょう?」
どれほど傷ついているかで、そういうことも分かるのかと理巧はおどろいた。
「手術しなくちゃいけないけれど、それはちゃんと準備をした後でなくてはね。でもこの子、今も痛がってるから応急処置をしてあげなくちゃ」
女性は家のなかへもどっていくと、いろいろな道具をもって、2人のもとにもどってくる。道具をてきぱきとテーブルに置いていって、準備をしたあと、さっそく女性は処置をはじめた。理巧とルースはイスにすわって、それを不安そうにながめるしかできない。女性の手は、そのからだと同じくとても大きい。でもぷにぷにした脂肪でいっぱいで、それは赤ちゃんの手にも見えた。それでとても器用に作業をこなしていくので、理巧はまたおどろいてしまう。ほんとうに、魔法みたいなのだ。名前もちゃんと分からない道具のかずかずによって、ドードーのからだがどんどんキレイになっていく。
ふとよこを見たら、ルースの心配そうな瞳が気になった。そしてテーブルに置かれている指がふるえていた。すこしためらいながら、どうしてもしたくなって、ルースの左手を自分の右手でつつみこむ。大丈夫、大丈夫。こんどは口に出さなかった。でもルースは理巧のほうを見て、ゆっくりとうなずく。手をにぎりあいながら、いっしょにドードー鳥を見まもった。
そして処置はおわったんだった。ドードー鳥のからだは、ほんとうにビックリするくらいキレイになっていた。どういうわけだかはよく分からなくても、でもうれしいので、2人でよろこびあう。あまいにおいが鼻にとどいた。女性もとてもうれしそうだ。
「あとにちゃんと手術してあげれば、もっと良くなりますからね」
そして、2人は女性の作ってくれたワッフルを食べることになる。茶と黄金がそのうえでざりあっていて、ただよってくるにおいも合わせて、ヨダレがこみあげてくる。口に入れると、タップダンスのようなサクサクさとゆたかな甘みがブワッと広がってきて、おいしすぎた。がまんできずに、バクバクと食いまくってしまう。お母さんに見られたら、まちがいなく叱られる感じだった。よこのルースもおいしそうにワッフルを食べていたけど、あのよろこびの後でも、まだ悲しさがぬけていないようだった。むしろあの人形がキレイになって、ドードー鳥が“ぜちめつ”したのをまた考えざるをえなくなったみたいだ。
「お姉ちゃん、知ってる?」
理巧がそうたずねる。
「今ってさ、“脱ぜつめつ”っていう技術ができはじめてるんだよ。科学者はそれでマンモスとか復活して、野生にかえすみたいな計画だって進んでる。だから、ドードー鳥もそれで“脱ぜつめつ”して、ぼくらの頭のうえを飛ぶようになるかも」
「そうなの?」
ルースはおどろきながら、問いかえしてくる。目では線香花火のように光がパチパチしている。
「うん、母さんから聞いたんだ。“脱ぜつめつ”って、ほんとう何かすごいっぽい。リアル『ジュラシック・パーク』だよ」
「でも、あれは恐竜、暴走してるんじゃん」
ルースはそう言って、笑った。
「でも、私はあまり賛成できないかもしれない」
そう言ったのはあの女性だった。その口のはしっこから、ワッフルのかけらがこぼれる。
「私はそういう技術に乗り気ではないんです。というのも、もし“ぜつめつ”した動物を蘇らせて、その後に彼らはどこに生きるんでしょう? もう自然や生態系はその動物がいない状況に適応している、そこに投入して一体何が起こるのか。それはとても未知数で、少し危うさを感じるんです。そして、人間というものはやはり、身勝手な存在ですよね。彼らが一度甦った後“じゃあ別に絶滅してしまっても構わないじゃないか。あとで“脱ぜつめつ”させればいいんだから”と思い始めたら、それは本当に恐ろしいことでしょう?」
いきなり自分のよろこびに冷たいシャワーでもあびせかけられたような気分になる。ワッフルがいっきに味気なくなってしまった。
「人間は、自然にしろ動物たちにしろ、様々なものを傷つけてきた歴史がありますよね。“脱ぜつめつ”は人間がそれを忘れ去るために安易に悪用されるのではないかと、私は怖いんです。私たちはその痛みと傷の歴史を抱えてこそ、生きていかなくちゃいけないと私は思います。嘆くことから目を背けて生きていくのは、世界への責任を放棄することと同じなんです」
「でもそれ、人間中心すぎるませんか?」
そう言ったのはルースだった。
「“ぜつめつ”させましたことを、すごい悲しんでます。そういう態度を見せる。それで罪を許すもらう、これはズルい。えっと……“虫がよすぎる”です。その“脱ぜつめつ”でもし救うことできる命があるならば、助けましょう。それで彼らが“ぜつめつ”した後の世界で生きれるよう、人間を努力しましょう。それと同時に、命の倫理のことについても人間でたくさん話しあう。これが人間の責任であるでしょう?」
この場所に、あきらかにおかしな空気が流れだしているのに、理巧は気づいた。ほおっぺたがビリビリとふるえていて、こわい。話されている言葉はすこしむずかしかったけども、その中心にあるものは分かる、というか強制的に分からされているという気分になった。あいまいで、なのにものすごく恐ろしい何かが大量に心のなかでグルグルまわっている。ドードーが今、また地球に生きはじめて、自分の頭のうえを飛んでいたらいいな、ただそれだけのことのはずだった。でもいっぽうで、それだけじゃない、それだけにはならない、理巧にはそれが分かった。
じゃあ、ぼくはどうやって生きていけばいいんだよ!
そう叫びたいのに、口から言葉が出てこない。なのに、瞳からなみだだけは出てきた。いっきにダバダバと出てきて、そのうち鼻水まで出てきた。
「理巧くん」
ルースの顔は、自分がやってはいけないことをやってしまった、そんな気持ちでいっぱいのようだった。
「ごめん、ごめんね」
ルースは理巧のからだをハグする。そのあたたかさに理巧は自分をゆだねる。あの女性の顔は、見ることができない。
理巧は1週間後にまたここに来て、ドードー鳥の人形を取りにいくことになる。
「じゃあ、お別れだね」
ルースが理巧にそう言う。今、その髪は空と同じようにオレンジ色だった。
「戻ってきた後に、ドードーのことよろしくな」
そしてもういちどだけ理巧をハグして、帰っていく。ルースはこの町には住んでいない。夕日に向かって歩いていく。
彼女の後ろすがた。とても小さい、そして少しずつ黒くなっていく。
顔がまたあつくなる。さっきみたいに泣いちゃダメだと思っても、すごくむずかしかった。
それでも今はがまんしたいと、何かがピカっと光るように思った。何にもじゃまされずに、やらなきゃいけないという気持ちがこみあげた。
「ルースお姉ちゃんもまた来てよ!」
理巧はそう叫ぶ。
「1週間後の午後3時、またあそこに来て!
人形が落ちてたガードレールんとこ!
ハローキティの倉庫とかが近いあそこ!
ぼくたちがはじめて会った場所!
それでドードーに会いにいくんだ!
ぼくとルースお姉ちゃん、いっしょに!」
理巧はいっきにそう叫んだ。そしてルースが立ちどまった。こっちをふりかえって、ぶんぶんブンブンと手をふりはじめる。
「分かった!
分かったよ!
ルースと理巧くん、いっしょにドードーに会いにいく!
約束するよ!」
そして2人は手をふりつづける、からだははなれて行きながら手をふりつづける、たがいが見えなくなるまで、ずっと。
私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。