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コロナウイルス連作短編その168「100万円の男」

 呉藍厚狭は病院のベッドに横たわり、点滴で薬を投入されている。この薬は10万円するそうだ。だが難病にまつわる支援制度のおかげで、月の病院への支払いは1万円までに減額されている。診療や定期的に服用する薬代含めての、1万円だ。なので10万円という莫大な金額に関して、特に気にする必要はない。彼は薬の名前も支援制度の名前も知らない、これらは妻のジアに全て任せっきりだ。罪悪感は抱きながらも、難病で苦しんでいるのだからせめてこれらの煩雑な手続きに関しては誰かに丸投げしたいというのが、本音だった。
 左腕の肘の内側に針を刺され、10万円の薬を徐々に流しこまれていくというのにはゾクゾクする思いだ。まるで黄金の溶けこんだ甘き汁を肉に注がれている気分だった。2ヶ月に1回、この薬を体内に注入しているが、厚狭はふと、今日で10回目の投与ではないかと思い至る。つまり既に自分のなかには100万円分の薬がブチこまれているということだ。とはいえ他の薬代をかけるなら余裕でその値段は越えているだろうが、しかし“100万円”というキリのよさがいい。彼の子供の頃は、クイズやアトラクションに成功すれば100万円がもらえるというバラエティ番組がよくやっていた。その郷愁が“100万円”に語義以上の価値を宿す。厚狭の肉体は今や、過剰な照明とお笑い芸人の大仰な言葉に祝福される、あの堂々たる札束そのものだった。
 投与の間、彼は寝転がり、苔色をした天井を眺めながら、spotifyで音楽を聞いていた。もはやCDなど一切買っていない、昔はポケモンのサウンドトラックやBUMP OF CHICKENのアルバムなどを買ったものだが。その頃の自分は、大人になった自分がこうして原因不明の難病に冒されるなどというのも予想せず、無邪気な時を過ごしていたはずだ。折られた小枝さながら痩せ細りながら、10万円の薬を投与され奇妙な優越感を味わう、体も心も捻れきった自分を、どういう気持ちで眺めるだろうか。
 尿意を催す。厚狭は体を起こして、靴を履こうとするのだが、視界の脇へ内肘が目に入る。テープで固定された針とチューブ、その透明な道筋をやはり透明な液体がゆっくりと、這いずるように進んでいくのが分かる。“物理的”という言葉が頭に浮かぶ。今まで使ってきた薬、例えば風邪薬や塗り薬はその行為を一瞬で終えられるゆえに、存在を特に意識したことはなかった。だがこの点滴薬は自分のなかに注入されていく様を内肘に刺さる針の痛みや、こうして視覚で認識できる液体の動きでまざまざと味わわされる。この感覚は“物理的”としか表現しがたい。
 だが不思議と悪い気分ではない、むしろ愉快だ。難病という事実に直面して、厚狭は医療ノンフィクションをよく読むようになった。例えばAIによる医療倫理の混乱、自分の体で人体実験を行ってきた医師たちの歴史、現代における宗教と死の関係性の変容。そういったものを読むにあたって、少しずつ難病に冒される自身の肉体に興味を抱き始めた。例えば、以前までは採血されるにあたって血を見るのが恐ろしくずっと目を閉じていたが、今では採決担当の看護師とお喋りに興じながら、血の赤を観察する余裕まで持っている。今も、針を固定するにあたってのテープの接着法、透明なチューブを進む薬の無音ぶり、薬の入った袋から内肘に至るまでのチューブな妙な長さ、そういったものに好奇心を抱く。そして何より、車輪つきの棒に設置されたよく分からない機械とチューブを通じて、自分の体内に薬が注入されているという様は、C級SF映画のワンシーンのようだ。そこにおいて厚狭はC級の俳優が演じるC級のサイボーグ・ニッポンジンだ。愉快以外の何物でもない。
 100万円でできるサイボーグってどんだけ安いんだよ。
 靴を履き、厚狭は点滴を持っていこうとするが、彼は点滴や機械、それに車輪のついたこの銀の棒というべき代物が何と呼ばれているのか分からないことに気づく。病院にはもう何度も来院しているし、この薬をブチこまれるのも最低10回は経験している。それでもこの銀の棒の名前が分からない。それでいえば薬の名前も機械の名前も分からない。銀の棒、薬、機械、ただそれだけだ。厚狭は自分が間抜けのように思える。物の名前を知らない哀れな間抜けだと。だが一方で、難病で苦しんでいるのに何故棒の名前が分からないだけで、自分を間抜けと思わなくてはならないのかと、そんな思いも込みあげる。だがこれらは全て厚狭の心のなかだけで起こっている、完全な一人相撲だった。哀れなのは考えではない、それ以前の何かだ。だがその何かの名前も分からない。
 内肘と針を気にしながら、厚狭は銀の棒を掴む。位置がおかしくなると、機械がピーッピーッと警告音を発して、看護師がやってきてしまう。こうして彼女たちに迷惑をかけたくない。これに気を遣いながら、彼はゆっくりと歩いていく。仕切りとなっていた薄いカーテンを引き出ていくと、より白い光に溢れた空間を、看護師たちが忙しなく動き回るのが見える。彼女たちはただ自分の職務を遂行しているだけだったが、厚狭はぬめったような罪悪感を抱く。そして棒を連れだって歩くとなると、動くのに余計な労力がかかる。棒の存在は勿論、車輪のぎこちない動きも勘案する必要があり、いつもとは違う脳髄の部分を使っている気分になる。歩くのが面倒臭いという気分は危うい、厚狭はそう思う。この、悪夢とは言えないまでも、居心地は確かに悪い夢から早く逃れるため、厚狭は進む。
 すぐ横にあった大きな個室トイレに赴くが、ドアに“使用中”という赤い文字が並んでいる。今まで切迫感はなかった尿意が、この文字に刺激されるように荒れ始める。現金なまでに股間が濁る。厚狭は後ろを向いて、また歩き始める。視線の先には尿検査用の男子トイレがある。だがここに行くためには看護師が何人もいるブースを通る必要がある。この空間でどういった措置が行われているかというのも、分からない。ただここに置かれている椅子はリクライニングシートで、厚狭が横になっていたベッドとは性能が全く違う。この空間は何らかのより重度な疾患を持つ患者のための場なのだ。どんな疾患かは全く分からない。
 必然的に、厚狭はそこに常駐する看護師の視線を受ける。だがそちらの方を向いても、彼女たちは特に厚狭を見ていない。だが自分が視線を別の方向に持っていくとなると、視線を感じる。看護師がそこまで道行く患者に視線を執拗に向けるとは思わない。そんな職業倫理の欠片もない行為をする看護師は少ないだろう。特に彼はこの病院の倫理的真っ当さに深く感謝している、ここに来る前は幾つもの病院を渡り歩き“たらい回し”という言葉の意味を、文字通り己の体で体感させられた。それに比べるなら、ここは天国だ。ゆえに厚狭は自分が感じている視線は幻想だと確信している。それなのに視線を感じ続けている。対処法が分からない。惨めだ。
 何とかトイレに着くのだが、狭い入り口に棒がつっかかり、思わず苛つかされる。それでもここを看護師に見られて補助はされたくないと思った。なるべく自分が病人だと思わされる瞬間を少なくしたい。呼吸を整え、肺が緩やかに、伸びやかに動く様を想い、自分を落ち着けながら、ゆっくりとトイレへと入っていく。
 このトイレはそこらのショッピングモールや駅と変わらない公衆トイレに思えるが、1つだけ大きな違いがある。男子トイレには当然あるべき立ち小便用の、縦に長い便器が1つたりとも存在しない点だ。ここには個室トイレしかないのだ。ゆえにここに入る際には女性トイレに入ってしまったのではないかと不安に駆られるというのが、もはや習慣だ。右手でぺニスの位置を整える振りをして、その存在を確認する。アメリカの学校には今や男女共用トイレが設置されているらしいが、それはこういったものなのだろうか。胃が何となくムカムカする。男性が使うトイレには立ち小便用の、縦に長いあの便器がなくてはダメなのだ。
 “立ち小便用の、縦に長い便器”
 厚狭はこの便器の正式名称を知らないことに気づいた。排尿用便器、立ちション用便器、男性用便器。そういった言葉が頭に思いつく。前2つはそれとして、最後の言葉はジェンダー云々と宣う集団に言葉狩りにされる運命だと、厚狭は心のなかで大袈裟に嘆いてみせる。
 ねえ、そんな名前も知らないの?
 自分をそう詰る、ジアの声が突然響いてきて、思わず体がビクつく。そんな自分の弱さに苛ついた。
 逃げこむように彼は個室に入っていく。そしてここに設置されている便器の白さにいつものように気圧される。その白さは単純に無菌的と呼ばれるべきものではない。清潔さが感じられるのは当然として、網膜を愛撫するような暖かみもここには宿っているとそう感じるのだ。そういった要素が複雑に絡みあい、こうして生まれる輝きには目が心地よく眩んでしまう。目にするたび厚狭は、この便器を汚しまくりたい衝動に駆られる。汚し甲斐があると。
 厚狭は自然と家の便器について考える。
 トイレ掃除するのは私なんだから、マジで座ってやれ。
 そんな言葉の前で、厚狭は便器で座って排尿をせざるを得ない。家で立って排尿を行った経験はもはや記憶にない。同棲期間を含めてジアとは10年ほど一緒に住んでいるゆえ、この排尿法もそれほどの長さ続けているのだろう。
 こうであるので厚狭が便器を尿で汚すことはそこまでない。しかし別の形で、いつの間にトイレ自体を汚していることがある。ジアは時おり、床が尿で汚くなっていると彼に苦言を呈する。その意識はないので厚狭は毎回とぼけながらも、苦言を呈された時点で自分が床を汚した事実とともに、どう汚したかについてもハッキリ分かる。毎回同じだからだ。それはつまり、排尿を行っている際にぺニスに位置が悪かったゆえ、尿がトイレの便器と便座の間に入りこみ、そのまま勢いで床へと飛び散っていくのだ。
 ただ座ってやればいい訳じゃないって、何度言ったら分かるの?
 この言葉を言われたことは100回は下らないのではと思える。
 ちゃんとチンコ、便器の底に向けておしっこしてよ!
 その言葉を喰らうたびに惨めな気分になる。そして毎回、心のなかで叫ぶ。
 理不尽すぎるだろ、クソ!
 針が刺さっている左手を気遣いながら、厚狭はズボンのチャックを下ろし、トランクスを下にずらす。
 世の中には、男がトランクスとかパンツの穴から直接チンコ出すと思ってるバカ女が多すぎんだよな。あんな狭いところから出すやついるわけねぇだろ。
 そう思いながら、彼はぺニスを便器に向けて露出する。便座は下げたままだが面倒臭かったので、そのまま排尿を始めた。DNAさながらの螺旋を描きながら、尿が放出されていく。それは同時に尿意からの解放でもあり、気分がいい。便器の底の水は見る間に末期色になるが、白と黄色の鮮烈なコントラストが最高に美しいと厚狭には思えた。
 と、少し狙いが逸れ、尿が便座を濡らす。白が破られるように、黄に汚される。おっ、厚狭はそう思った、おおっ。そして右手で繊細に位置を調整しながら、便器の底でなく便座へと直接尿を放出しだす。ビチャビチャという音が響くのを願いながら、意図的に放埒な形で尿をブチ撒ける。気分は爽快だ。子供の頃、旅行先の新潟かどこかで川遊びをした時のことを思い出す。もちろん川のなかでひそかにおしっこもした。その後に川辺の店で、アユの塩焼きを食べたのを覚えている。どういう訳か、まず尻尾にかじりついたが、そこには滑りを取るため大量に塩が刷りこまれており、猛烈な塩気に口が爆発しかけた。父親は笑ったし、母親も笑った。店主の夫婦も笑っていたし、他ならぬ厚狭自身も笑っていた。そんなことを思いだした。
 数秒の後、排尿が終わったが、その頃には黄色い血に染めあげられた殺人現場という風景が広がっていた。ふぅと息をつく。大満足だった。
 そしてぺニスの先から尿を振り払い、それをズボンにしまう。
 厚狭は左手の針を気にしながらも、右の壁に設置してあるトイレットペーパーを大量に巻き取ると、それで便器の清掃を始める。まずは尿まみれの便座を重点的に拭きとっていく。拭き取ったそばからあの暖かみある白が再び輝き始めるので、掃除にも精が出るというものだ。相当量の尿をブチ撒けたのでトイレットペーパーはすぐに濡れそぼち、その度に便器の底へ投げこみ、新しいトイレットペーパーを巻き取る必要があるが、あの白を目の当たりにするとこれも苦にはならない。
 厚狭はとても丁寧に、たおやかな真心を以て掃除を続ける。
 お前もさ、厚狭は心で独りごつ、掃除する時にこれくらい便器を綺麗にしてくれれば、俺だってこうやってちゃんと掃除するし、そもそもの話としておしっこする時だって気をつけるよ。でもお前が掃除しても薄汚いままだろ、あの便器。あんなに頻繁に掃除するのに何であんなに薄汚いんだよ、明らかに詐欺だろ。ジア、お前もマジで病院の清掃スタッフさんの仕事ぶり見習った方がいいよ。
 厚狭は左肘を気にしながら、今度は床に散らばった尿を拭き始める。床もまた清潔な白を誇っており、尿を拭き取られるなら官能的なまでの輝きをすぐさま取り戻す。もはや舐めたいくらいだ。家のトイレに関してはそうも行かない。
 一通りトイレ掃除を終える。今や全てが輝いている。
 ああ、この便器、本当に、本当に美しいな。
 厚狭は愛おしげに、我が子のように便器を撫でまわす。とても暖かい。
 そしてまた尿意を感じたので、厚狭はゆっくりと立ちあがり、針が刺さっている左手を気遣いながら、またズボンのチャックを下ろし、トランクスを下にずらす。皮の被ったぺニスを露にし、排尿を始めた。まるで生まれて始めて排尿を行ったという風に、えげつないほど大量の尿が放出される。
 厚狭はふと、隣に子供の頃の自分が立っているのに気づいた。ポケモンのサウンドトラックやBUMP OF CHICKENのアルバムを買っていた頃の、間違えて塩まみれになったアユの尻尾を食べてしまった頃の厚狭が、同じく立って排尿をしていた。右手でぺニスを持ちながら、彼は子供の頃の自分に対して、左の親指を立てる。
 男は便器をおしっこで汚すことが仕事なんだ、そうだろ。
 あの名前も分からない機械がビーッビーッと警告音を立て始めている。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。