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コロナウイルス連作短編その109「SFみたいな夢を見た」

 SFみたいな夢を見たの。
 伊坂真宮子がそう語る。
 地球から何光年も離れた、今の人が何度輪廻転生を繰り返しても辿りつけないような宇宙空間。あなたはその闇にわだかまった船艦の修復作業をしてる。宇宙服は今の殺風景なまでにボテッとしてるものじゃなくて、ずっと細身で赤銀色のしなやかさを持った、すごく格好いいスーツ。でも顔の部分にはああいう宇宙服と同じく、その表情が伺えるようにガラスだか、そういう透明な素材が嵌めこんである。だからこの宇宙スーツの人があなただってすぐ分かる。でも……高所恐怖症のあなたが、地面に裸足をギュッとつけているのが好きなあなたが宇宙にいるなんて信じられない。確かにあなたはエンジニアだけど、こんな宇宙船を修復できるくらいの技術を持ってるなんて今まで知らなかった。にしても、宇宙って素敵な場所、一目見た時に子供の頃のことを思いだした。母さんがシーツで大きな山みたいな空間を作って、妹と一緒にその中へ潜りこんでいく。部屋の電気が消えた後に、小さなプラネタリウムの装置を起動する。そうしたら、闇に染めあげられたシーツの内部に、光る砂粒みたいな星が瞬く。妹とギュッと抱きあいながら、それを眺めてた。一緒に宇宙をたゆたうみたいに、星の輝きに見惚れてた。あなたを包む宇宙を見ながら、そんなことを思ってた。
 でも……それと同時に、私は別の風景を見る。また遥か、遥か遠くで、1つの星が爆裂する。無重力のなかでは音は響かないんだよね、だから爆裂の衝撃音は何も聞こえない、ただ穏やかな静寂だけがその死を包みこんでた。でも静けさのなかから生まれてくるものがある。黄金の粒子、1つ1つは小さくても無数のそれが組みあわさって、巨大な、何をも呑みこむような黄金の荒風が生まれる。そして音よりも、光よりも早い速度で宇宙を突き抜けていく。あなたはそれを知らないまま、宇宙船の修復作業を行っている。でもある時に、服の下の皮膚がビリビリと震えるような不穏な予感を抱いた。だけどそれじゃ遅すぎる。その不穏さについて冷静に考える暇もないまま、黄金の風がやってくる。全てが一瞬にして黄金に包まれて、あなたは飛ばされないよう必死に船艦の一部を握りしめる。そんな抵抗なんて完全に無駄、最後にはあなたは風に刈りとられて、空しく飛ばされていく。どこまでも、どこまでも、どこまでも。
 伊坂真宮子が石松愛にそう語る。
 でも、これは私の夢だった。ううん、夢のなかで私が見ていた夢、ちょっと複雑? 夢から覚めた私はトイレの便器に頭を横たえていた。便器はとても暖かかったから、たぶんウォシュレットつきだったんだろうね。そのあなたのお尻みたいな温もりは心地よかったけど、便器の底から漂ってきた悪臭には、鼻毛が一気に引っこ抜かれるような気分になった。起きあがって底を見るけど、ただ見た目は綺麗な水だけが溜まっていて、悪臭の源は分からない。それでもこのおかげで意識が鮮明になる。「ああ、夢だったんだ」と、私は言えた。愛、ねえ愛。私はそう呼ぶうちに、このトイレや洗面所が私の家のものでないことに気づく。白いタイルに覆い尽くされながら、タイルとタイルが触れあう部分を水色に染まった、極細の柔らかな線が走る。そしてその張りめぐる格子の色彩だけが浮かびあがり、網膜に迫ってきた。背中から温い脂汗が湧きでてきた時、私は気づいた。あの光景は紛れもない事実だって。あなたは宇宙空間で起きた事故によって、消息不明になったってこと。愛、ねえ、愛、愛、愛。私は怖くなって、あなたの名前を呼んだ。
 二日酔いの朝みたいに重苦しい頭を引きずって、私は洗面所から出ていった。前に広がっていたのは全く見覚えのない白い空間だった。そこにも壁があると認識できるのに、異様な白の色彩が壁の向こうへ加速度的に膨張していくみたい。そのせいで空間は無限にも思えて、単色の眩暈を味わうことになる。だけど部屋の中心には1本だけ、完全に素材が剥き出しの木材が、ただ床に突き立っただけみたいな柱があって、私はよろつきながらそこへと掴まった。グッと誰かの身体にすがりつくように柱を抱きしめて、息を整えながら眩暈を抑えようとする。その努力が効を奏する頃、濁りが晴れた視界に白ではない色をした2つのドアが現れる。鮮やかな群青、暗澹とした深緑。私はこの果てしなく膨張し続ける空間から出たくて、群青のドアに近づき、慌ただしく開いて、向こうの部屋に行く。だけど見えたのはあの白い空間と細い柱だけだった。後ろを振り向くと、そこにも白い空間と細い柱だけがあった。そして横を向くと群青のドアが開いていて、私の身体の一部が見えている。何が起こっているか訳が分からなくて、頭がおかしくなりそうだった。吐き気とともに後ろへと下がると、私は群青のドアの前にいる。何が起こったかは奇妙なまでに明確だった。だけど信じられる訳がなくて、私は深緑のドアと群青のドアを開いては閉じ、グルグルと回り続けた。どちらのドアノブも脂汗で不快にぬめる頃、疲弊しつくして、呆然として、私は柱へと戻っていった。
 伊坂真宮子がベッドに横たわった石松愛にそう語る。
 柱は細くて、だけど私を確固として支えてくれる芯があった。剥き身になった木材、その上には濃淡の激しい焦げ茶色が斑に浮かんでいる。色彩のうねりに導かれて、視線が上へ、上へと伸びていく。そこで驚いたの。何でって、その柱は天井まで届いていなくて、そこと柱の天頂との間にはちょっとした空間があった、空気の吹き溜まりがあった。つまりこの柱は、柱としての役割を果たしていなかった。何だか笑えてきて、私は思わず左の頬を木材につけてしまって。皮膚に染みこんでくるような心地よい冷たさ、その奥底から何だか少し辛いような、鼻の穴をくすぐるような匂いが漂ってくる。
 今度はその匂いが私の視線を天井へと導いてくれる。あの果てしなく膨張する白、私はそこに豊かな混沌みたいなものを見たんだ。その奥底から大きなというか、大いなるって、そんなふうな光景と響きが浮かびあがるのを感じた。宇宙みたいな混沌が。
 このどこまでも膨らんでいく白を通じて、私はどこへでも行けるって確信した。柱に掴まって、あの天井をただただ見据え、見据えて、見据え続けて、ある瞬間、脳みそが爆発してその爆風の勢いで、私の意識は天井の向こうへ突き抜けていく。光よりも早く世界を疾走していった果てに、白でも黒でもある世界であなたを見かけた。無限の闇にぷかぷかと漂っている、ちっぽおけな赤銀色のあなた。私は手を伸ばすんだけれど、届かない。もう届くことはないと、私の直感がそう告げている。でも手を伸ばし続けてる。そうして私は遠くから、あのガラスの裏側にあるあなたの顔、あなたの唇が動いたのを見た気がする。何を言っているかは分からない、あなたの声は聞こえない、ただ唇が言葉を紡ぐように動いているのだけが見える。私はあなたの唇の動きを真似してみた。その移ろいに言葉がついてくることはなかった。それでも私とあなた、2人の唇が確かに一緒に動いていた。そしてあなたの姿がどんどん小さくなっていく。宇宙の見えない波に乗って、あなたは遠くへ行ってしまう。シーツの裏側で輝いていたあの星たちに願うしか、私にはできなかった。あなたが無事でありますようにって。
 伊坂真宮子がタブレットの向こう側にいる、ベッドに横たわる石松愛にそう語る。
 ここで終わると思った? 残念、まだ続くよ。意識が戻ったかと思うと、私は部屋の、家の外にいた。立ち上がってから、その外壁をしばらく見てた。あの白がまた壁を満たしていたけれど、その上に、長い、長い線が2本描かれている。赤い横線と緑色の縦線。線自体はやっぱり細いけれど、とても長くて外壁の端から端までずっと続いている。そしてそのなかの一瞬でだけ、2本の線が交わりあってる。とても小さな重なりだけがそこにあって、後は別々の方向を目指していた。だから私は家に背を向けて、歩き始める。目の前に何があるのか、視界が薄ぼやけていて、何も分からなかったけど、それでも私は歩いていく。歩いていかなくちゃいけなかったから。そんなね、夢を見たの。
 伊坂真宮子がそう語る。
 次はあなたが夢を見る番だね。愛、おやすみなさい。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。