見出し画像

コロナウイルス連作短編その150「ワクチン、また打たなきゃ」

 と、杵鞭瀧太郎はTwitterである記事を発見する。コロナウイルス・ワクチンの副作用は様々な研究が成されているが、女性のホルモンバランスにも影響を与えるというのが発見された。中でも最も直接的な影響を被るのが生理機能であるらしい。この研究結果について記す筆者は自身の体験談もそこに付け加えている。よく話題にあがる発熱や筋肉痛などの副作用を彼女は感じることがなかった代わり、何の異状もない筈だのに生理が遅れるということが起きる。女性は不安に駆られるなか、3日後に生理が来るのだが、いつもより多く出血し、翌日は何も起きないなど不安定な状態が持続する。その後3日間に本格的な生理に見舞われるのだが、出血や痛みがいつもより激しくベッドから出られない状況が続いた。体調が元に戻ってからも、血小板減少症の兆候かとより大きな不安に苛まれるなか、ネットで検索をすると同様の生理不順に見舞われる女性たちがいるのを知ったという。数ヵ月後、この研究結果が報告され、記者はこれが他ならぬワクチンの副作用と知ったのだった。
 コロナワクチンにおける女性のホルモンバランス関連の副作用が科学的に立証された次第であるが、筆者はこれが今まで明らかにされなかった、または見過ごされてきたのは、ワクチンの研究は健康的かつ平均的な身体を持つ男性を基準に行われてきたからであると指摘する。男性中心社会、いわば家父長制的な社会ではこういった思わぬ形での女性差別が生じる典型例であると。これを読みながら瀧太郎は車の衝突実験にまつわる記事を思い出す。座席にマネキンを乗せた車が衝突を起こし、それがいかに人体へ影響を与えるかを調査するという研究映像がテレビでも流れる。だがそのマネキンはやはり健康的かつ平均的な男性の身体を基に作られている。ゆえにそれで男性の安全がある程度保証された一方で、それとは異なる身体を持つ女性の怪我は少なくならない、むしろ別種の重篤な悪影響を及ぼす可能性があるのだという。この2つの問題は同根であるという思いを抱く。
 そして瀧太郎は同棲中の恋人である谷藤さららもまた、このワクチンの副作用を喰らったということに思いいたる。ファイザーのワクチンを2回目に接種した際、同じ生理不順が起こったのだ。生理は4日ほど遅れ、快活なさららの様子が少しずつおかしくなるのを傍らで目撃していた。不安、困惑、焦燥。なぜ生理不順が起こっているのか全く分からない。ストレス、睡眠不足、妊娠、もしくは卵巣の病。様々な懸念がその顔にちらつき、挫けそうになる。瀧太郎はこの時期としてはいつものように家事の一切を引き受け、乱高下する機嫌を宥めながら、さららを見守る。逞しい頬骨と額に汗がうっすらと浮かぶ様が愛おしかった。そして唐突に生理がやってきて、彼女はそれで1度は安堵しながらも、記事にも見られたいつもより激しい出血と痛みによる波状攻撃で、ベッドに寝込まざるを得ない。その期間は今までにないほど機嫌の悪さで、瀧太郎も翻弄され、精神的な疲労を味わわざるを得なかった。だが寝室へ生理痛軽減のためのカモミールティーを持っていくと、さららの顔は不機嫌から目覚めるように柔らかな喜びが浮かび、その後には罪悪感の影がきざす。そして彼女は泣きそうになりながら「ごめん、ありがとう」と言うのだ。そんなさららを軽くハグする。ゾクゾクした。
「ただいまあ」
 仕事から帰ってきたさららの声だ。突風さながらリビングに飛びこんできて、猫の額ほどしかないソファーに身を委ねる。
「今日も仕事疲れたわあ」
 声は緩まっている、彼女が好きな湯葉のようだった。
「でも来週からオミクロンで、テレワーク再開だってよ。出勤しなくて済むのはありがたいわあ。いやでも、ずっとそうしてろよって話なんだけどね、マジで。たきたの会社とは違って、ウチは無能っすよ、ホントさ」
「はは」
 その笑い声を聞いて、さららが瀧太郎の方へと向き、甘やかな笑顔を浮かべる。
「そっちは何かあった?」
「まあ仕事はいつも通りだけど、ニュース見たんだよ」
「なになに」
 さららがこちらに身を乗り出してくる。まだ顔をマスクで覆っている。マスクとスーツの微妙な間隙に、首筋が見える。汗が一粒だけ浮かんでいるように思える。
「建築家のリカルド・ボフィルが亡くなったって」
「えっ、うそっしょ」
「いや、本当」
「コロナ?」
「あー、見るの忘れた。でも82歳だって」
「うわあ、大往生かあ、でも結構ショックだわ」
「いつもボフィルの建てたどこどこに行ったって話してるから、建築家の名前、珍しく覚えてたんだよ」
 さららは建築を、時には瀧太郎以上に愛しているように思われる。中学生の頃からの趣味らしいので、ある種当然でもある。休日にフィルムカメラで東京中の建築を撮影しに行くのが趣味だ。建築家の展覧会が行われると聞けば、美術館にも小さなギャラリーにも赴く。瀧太郎は建築に全く興味がない。SANAAの展覧会があると言われても何の感慨も抱かない。隈研吾と言われても国立競技場すら頭に思い浮かばない。リカルド・ボフィルについて覚えていたのは、さららが幾度となく馬鹿の一つ覚えのように彼の建築について喋っていたからだ。
「ああ、アブラクサス館行きたいな。何かあれすごく不思議なんだよ。昔のフランスの宮殿みたいな壮麗さなのに、何か近未来的な現実っぽくなさがあってさ。何回も言ってるけど、実際にパリの郊外に行った時に寄ってみたんだけど、もう遠くから見てるだけで圧倒されて、何か近づくのすら怖くなって、ただただ遠くからずっと眺めてるしかできなかったんだよなあ。今度はちゃんと行って、見たいし味わいたい。『ハンガー・ゲーム』に映ってるくらいのじゃ我慢できないし。いっしょにいこね」
 さららは瀧太郎に笑いかける。
「でも、ワクチンとかまた打たなきゃいけんよね、3月以降だっけ? 何かよく分かんない副作用とかあるからイヤなんだよ、あれ。っていうかアレ、副作用なんかな、よく分からん」
 さららがそう言う。瀧太郎は何も言わない。たださららを見つめながら、ゆっくりと瞬きをする。さららも瀧太郎の方を向き、その動きに気づくと、ニヤニヤしながら、わざとらしく、ゆっくりと瞬きをする。2人は何も言わない。
 その沈黙のなかで瀧太郎は未来を思い浮かべる。さららが3回目のワクチンを打つ、さららに生理が来ない、その数日後さららに激烈なまでの生理痛がやってくる。PMSにおいても生理期間も、症状の1つとして食欲の多大なる増進がある。なのでこの期間中、瀧太郎は大量のスパゲッティを茹であげ、そこに大量の具を絡め、それをさららが最新式の掃除機さながら頬張りまくる。この時にはたらこスパゲティを作ろうと、瀧太郎は決める。家の近くには3つのスーパーがあるが、その1つだけ明太子が妙に安い。いつもは別のスーパーに行くが、この時だけはここに行って明太子を買うのだ。1回でこれを全部使う勢いになるだろう。そこにチューブのニンニク、バター、そしてスパゲティの茹で汁を混ぜて、麺の中へと投入する。さららはそれを皿に盛らず、ボールから直接啜りまくるのが好きだ。生理のストレスを発散するかのように啜りまくる、啜りまくる。瀧太郎はそれを傍らから、ただただ見守る。視線に気づくと、彼女はハニカミながら少し俯くだろう。
「いや恥ずかしいから、そんな見つめんでいいよ」
 そして食べ終わった後には、2人寄り沿いあいながら、静かな時間を過ごす。時々キスをするのもいい、アロマを炊くのもいいだろう。今回に関してはクラリセージの香りを選びたい、刺激的な甘みを持つ匂いだ。クラリセージは南欧原産の2年草であり直立性、草丈は30cmから1mを越えるほど。葉は長さ20cm、軟毛に覆われた卵形であり、鈍鋸歯縁もしくは歯牙縁という特徴も持つ。花の分類としては総状輪散花序、色は白やピンク、紫、青など様々、個数は平均2-6個となっている。効能としては抗痙攣性があり、消化器疾患の治療に用いられる一方、強壮作用と鎮静作用もあるゆえに月経痛と月経前の障害を軽減する効果もある。その香りを吸入することで気分を穏やかにし、幸福感を起こさせるとアロマテラピーでも頻繁に使用される。さらにエストロゲンを刺激する作用も存在、無月経、月経不順、更年期障害のほてりにも有効だ。例えば生理前にこれで芳香浴をした女性が精神的に安定したという研究結果があり、妊娠後期や更年期女性にも良い影響があるとの発表も存在。クラリセージは女性ホルモンに関する不調を癒す、女性特有の症状を緩和させるとは科学的にも証明済みだ。クラリセージの匂い成分としては酢酸リナリルとリナロールが挙げられる。この2成分が鎮静、鎮痛、免疫調整を行う。その特有の甘い匂いに関しては女性ホルモンの影響で心地よいと感じる時期と不快に感じる時期があり、好みが分かれる。そして両成分ともに、消防法に定める第4類危険物・第3石油類に該当する。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。