コロナウイルス連作短編その121「東という世界」
瀬賀宮雄は地下鉄で家へと向かう、Tinderを通じて会った大学生に中出しをした帰りだった。夜の車両には誰もいない、なので気が大きくなり、タブレットで先ほど撮影をしたハメ撮り動画を再生する。正常位の時に撮影をしたので、大学生の大きな乳房が揺れる風景が、とても大写しになっている。今すぐ引きちぎれ、脂肪がラブホテルの壁へとブッ飛んでしまう想像が、思わず頭に思いうかび、微笑みを抑えきれなくなる。時おりは彼女のヴァギナがフレームに入り、ペニスが激しく出入を繰り返す接合部がレンズへ露になる。端から見れば荒唐無稽以外の何物でもないが、実際これを行っている際に自身のペニスは快感で切実なまでの爆裂を遂げてしまいそうだったと回顧される、このギャップに苦笑してしまう。誰もいないがらんどうの空間に、大学生の喘ぎ声が響き渡るけれども、それは交尾するカメの嬌声さながら甲高い。自然と勃起した。
アナウンスが鳴るので動画の再生をやめると、次の駅でワイヤレスイヤホンをしたスーツ姿の中年男性が乗車してくる。スーツ越しにも伺える筋肉質な肉体、その奥行きというものに異様な威圧感を抱き、ただ見ているだけで萎縮してしまう。まずいことに、彼は宮雄の正面の席に座った。ペニスが未だ勃起しているのが少し恥ずかしい。最初、男はただ座っていたのだが、次第に様子がおかしくなる。彼が股間を掻いた時、ペニスの配置を調整しようとしたのかと思えた、宮雄もよくすることだ。だがそれを何度も繰り返すのだ、これ見よがしといった風に。
何だよコイツ、ホモか?
宮雄はそう思うが、男の手つきはさらにヌメヌメしたものとなり、度を越しているように思える。逃げたいが、萎縮したまま立つことができない。男はズボンに浮きたったペニスの形を指でなぞると、それまでの遅々たる動きから飛躍して、一瞬でその実物を取りだした。勃起した、凄まじく巨大なペニスを、男は執拗に擦りまくる、皮は被ったままだ。
ホモが俺のこと見てオナニーしてやがる!
路上に落ちた吐瀉物に向ける類の罵倒を心に響かせながら、実際は恐怖で動くことができない。筋肉、骨、細胞、そして何よりペニスが消失点に向かって加速度的に収縮していくのを感じた。男は右手の勢いは苛烈であるとも、顔はむしろ後ろの窓に向けられ、雅なまでに何の変哲もない夜景を楽しんでいる風だ。しかし何とか勇気を振り絞って宮雄が逃げようとする時、男は必ず視線をこちらに向けた。視線と瞳自体、その彩りは柔らかい。だが宮雄は狐につままれた蛙へと瞬間に堕してしまう。そんななかアナウンスが響き、男はペニスをズボンにしまう。安心しながらやはり身体は動かない。次の駅で誰かが乗ってくれることを願う。誰も乗ってこなかったので、男は悠々とマスターベーションを再開する。グチグチと肉がこすれる音が響くと同時に、その淀んだような臭みが鼻に届き、吐きそうになる。男の身体はだんだんと震えはじめ、大袈裟なまでに右手の動きは激しくなり、最後には獣のような、深淵から響く呻き声をあげながら、床へと身体をうずくまる。一瞬に包皮を剥き、大量の精液を射精した。アナウンスが響くなか、男は俊敏に立ち上がったかと思うと、余裕げに汚れたペニスをウェットティッシュで洗い、次の駅で降りていった。入れ違いで何人かの乗客が入ってくるが、それも構わずに宮雄は泣き始めた。
あの男は、ぼくを変態のゲイと思っただろうな。そして自分はそんな変態に狙われた惨めな奴隷だと。
東一は帰り道、そう想像する。とても気分がいい。東一はゲイという存在が好きではない。単純に気持ちが悪いからだ。レズビアンは目の保養になるので許している。心情的に“ホモ”という差別語を使いたいが、心中においても使用は律する。些細な瞬間、例えば酒に酔い気分がよくなった時など、ひょんなことからこの言葉を軽薄に口にしてしまう事故を避けるためだ。これは信用問題に関わる。それでも先のような痴漢を行うのは理由がある。少し前、倫理に関する本を読んだ。そこにはネオナチの男性が、ユダヤ人の評判を落とし、差別に相応しい存在と人々に思わせるため、バス内で他でもないユダヤ人のフリをして乗客に迷惑行為を行ったと書かれていた。頭いいな、一は思った。先の行為はこの記述に着想を得たものである。ゲイへの憎悪が草の根的に広がっていくとするなら、それほど嬉しいことはない。
自分自身はゲイではないと一は思っている。もちろん性的指向にしろ嗜好にしろグラデーションがあるので、それが変わるという可能性は否定できない。おそらく自分の様子は端から見れば、ホモフォビアを煽り、同性愛者を弾圧しながら実は自身もゲイだという、アメリカの保守派政治家と同じだろうと一は理解している。それでも自分はゲイではないと確信している。自身の指向と嗜好には確固たる方向性がある。10代20代で長い黒髪のアラブ人女性だ。つまり年齢と人種、加えてフェティシズムが確定している。だからこその確信だ。とはいえ人間とはどこまでも不安定な存在であるゆえ、可能性は開かれたものとして考えるべきだ。その時のために先述の保守派政治家たちに学ぶことは忘れていない。
駅から10分歩いた後、一は自身の土地に辿りつく。邸宅が幾つも建つほどの広さに恵まれ、厳かな塀の連なりによって外界からの隔絶を指向している。全て父から譲りうけたものだ。家族は全員既に死んでいる。彼は母屋である日本式の邸宅には向かわない。それより東に位置する離れへ行く。剥き出しのコンクリートで武装した、厳格な灰塵色の長方体建築はお気に入りの場所だ。スミッソン夫妻という50年代に現れたイギリスの建築家夫妻、彼らは生の素材をありのまま露出するニューブルータリズムという建築方式を確立した。この建築はそれに触発されたものだ。中には奥行きある大きな空間が広がるが、所狭しと筋肉鍛練がための器具が並んでいる。壁は完全に鏡張りだ。仕事より帰還した後、この空間に満ちる森厳無比な空気を吸うのが一には堪らない喜びだった。
スーツを脱ぎ捨て、スポーツウェアに着替えた後、トレーニングを開始する。まずはレッグプレスに腰を据え、大腿筋を鍛える。だが激しすぎてはいけない、動きすぎてはいけない。一は常に8回という回数を意識している。8回で動くのが限界になるくらいの負荷をかけて、鍛練を凝縮するのだ。足を伸ばすたびに、筋肉が耳をつんざく雄叫びをあげるのが聞こえる。いつ鼓膜が破れてもおかしくないとすら思える。この感覚が全き悦びでありうる。
インクラインマシンプレスで大胸筋を鍛えた後、鏡の前に立ち自身の筋肉を確認する。仕事の後にエステサロンで筋膜リリースを行った故に、いつもよりもキレがある。陰影がより濃厚となり、赤銅色に輝いている。だが美しさは果てしがない、そこに鍛練を続ける意味がある。
一はルームランナーでほどよい走りを保ちながら、サウジアラビアの顧客と電話連絡を行う。彼の職務は依頼人の途方もない量の資産を管理・調整することだ。拠点はここ日本とシンガポール、そしてサウジアラビアだ。今、資本の流れの中心は北米とヨーロッパから東へ、つまりは東アジアと中東へと移り始めている。東、一の名字と動態、心理、その全てを構成する方角に。同じ職務に就くものたち、ほとんどが白人は、アングロサクソン的世界の周縁に富を築く者たちの信用を理解できないでいる。日々の驕り、傲慢が仇となっている。日本人、東アジア人である一は、少なくとも彼らよりも深い形でこの地域と人々を知っている。そして大学時代にイスラム学を学んだ過去が、彼に多大な利をもたらす。否応なしに白人的である信頼と資産管理の術を、知識によって現地化することは得意だ。最も重要なのは彼らにとり強固な価値観である、所有権と管理権の絶対的統合をいかにときほぐし、その狭間に個人的な信頼を築けるかだ。
これを深めるには直接的かつ身体的な交流が不可欠だ。だがこの交流の合間においても、こうした間接的な連絡方法によって、関係性自体をも管理するということもまた必要だ。直接的交流と比べてより軽やかなこの交流の際、その顧客は一に笑いながら言う。
「君はもうクビにできないぞ。色々知りすぎてるからな」
この仕事におけるお決まりのジョークだ。まるで自分が初めて思いついたという風に披露しながら、実際は全く平凡だ。そして彼は電話の後、携帯に動画を送ってくる。あどけない顔をした、黒髪のアラブ人女性が男たちから大量の精液をブチ撒けられている。一はありがたくマスターベーションを行う。
射精した後、その縮んでいくペニスのケアは一にとって重要だ。射精を終えても管にはいまだ精液の残余が蟠るゆえ、皮を剥いたままでしばらくしごき続ける。表面に出てきた粘液をウェットティッシュで処理すると、新しいティッシュでペニス全体を洗浄し始める。急ぎすぎてはならない。より静かに、よりゆっくりと、より優雅に汚れを拭きとる。この時間こそ救われている必要がある。一が頭に浮かべるのは、母鹿の出産だ。多大なる苦闘の後に、彼女は子鹿を世に生み出す。粘液に包まれた子鹿はただただ身体を震わせるが、母は大いなる慈愛を以て、子を舐めて、その汚れにまみれた身体を綺麗にしていく。一は彼女がきっと抱いているだろう慈愛を込めながら、自身のペニスを拭き、ケアをしている。それが終わったのなら、備えつけのシャワールームへ赴き、ペニスを再び洗う。ボディーソープを丁寧に泡だてていき、両手で覆うように皮膚から汚れを落としていく。そしてぬるま湯で泡を洗い流した時、ペニスのケアは完了する。その後にはうってかわっての激熱を伴ったシャワーで汗を流していく。爽快な気分だ。
シャワーから出て、タオルで身体を拭き、服を纏う。次にやるべきことはマシンの洗浄だ。ペニスと同じようにマシンのメンテナンスも欠かせない。当然コロナウイルスの心配もある故に、消毒液を散布した布巾で使用したマシンを拭いていく。特に自身の皮膚や肉が触れた場所は徹底的に洗い清める。終わったのなら、一は部屋の中心に立つ。ここで用意したプロテインを飲むのだ。飲むのはいつであってもCFMホエイプロテイン リッチミルク風味だ。900gで6696円、これより高級なプロテインは簡単に買えるが、これ以上に美味なミルク味のプロテインはないので愛着がある。そしてこれを調整豆乳と混ぜると無類だ。ゴクゴクと勢いよく飲んでいく。旨かった。
突然、地震が起こる。最初は気にせずプロテインを摂取していたが揺れが徐々に増し、なかなかの規模となる。だが災害と社会不安は、一にとって麗しい愛人のようなものだった。
もっと揺れろ、もっと揺れてくれよ。
一は大地へとそう念じる。だが揺れは止まる。ガッカリした。だがプロテインはすこぶる旨い。
私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。