見出し画像

コロナウイルス連作短編その69「残念なハーフ」

 渋谷駅前で日本に住むミャンマー人たちがデモを行っている。ビルマ語と英語、そして日本語。故郷を蹂躙する軍事政権への怒りを書いたプラカードを掲げ、ダンボールで作られたヘルメットを頭に被りながら、彼らは無言で立ち続けている。そのデモ隊の隅に磯貝セバスティアンが立っていた。彼の掲げるプラカードには"命を奪うな、未来を殺すな"と書かれている。ヘルメットに開いた穴から、セバスティアンはスマートフォンでデモを撮る通行人たちを見据える。薄笑いの日本人たちに苛つかされる。だが動機は軽薄としても、彼らがミャンマーで今行われている蹂躙と殺戮を知り、広めてくれることを願う。肩甲骨の辺りに、肉が骨のように固まっていくような苦々しい痛みを感じる。デモの終了後、セバスティアンは参加者のミャンマー人たちから口々に感謝される。
「いえ……私は、当然のことを……しただけです」
 彼はたどたどしいビルマ語でその感謝に応える。だがそもそも自分は感謝されるに値する人間ではないという思いが彼を苛む。彼らの感謝が全身の細胞に呻き声をあげさせる。何とか繕った笑顔とともに、セバスティアンは逃げるようにその場を去る。
 ある駅に辿りついた時、セバスティアンは電車から降りる。この駅は家の最寄りという訳ではない。しばらく歩くと閑散とした住宅街に行きあたり、彼はこの場所を彷徨う。ここ数日、彼は1つの目的のためにここを歩いている。赤煉瓦と白髪、この2つの色彩によって責苦を負った場所のような印象を受ける。ここは朽ちていく過渡の期にあった。セバスティアンはある男を見つけた。綺麗に設えられた黄土色の髪、生命力の輝きを放つ赤銅色の額。彼は白人だった。灰燼色のスーツが包むのは、相当に隆々たる筋骨だ。日本で白人を見かける時、セバスティアンはいつも汗まみれの恐怖を抱く、彼自身もオーストリア生まれの白人男性の血を受け継いでいるのにも関わらずだ。だが彼の身長は168cmで、男は優に180cmを越えている。"残念なハーフ"という言葉を、彼はいつであっても忘れることができない。
 しばらく男を追跡し、恐怖を飼い慣らそうとする。何度も経験しているが、恐怖に縮む心の臓によって震わされる身体を御すことの困難さは変わらない。だがふと恐怖を越えたと思える瞬間がある。この瞬間は長く続かないとセバスティアンは知っていた。彼は鞄から青い液体の入ったペットボトルを取りだし、男の方へ走る。
「白人野郎、こっちを見ろ」
 男が振り返った瞬間、その顔に青い液体をブチ撒ける。彼が狼狽の声を響かせるのを尻目に、セバスティアンは逃走する。細胞の数々が爆裂する音を聞きながら、全力で足を動かす。大地を蹴り、風を裂く。数日彷徨うなかで、彼は住宅街の入り組み様を学んでいた。そこまで徹底せずとも足の速さがあればたいていの人間からは逃げられると確信があったが、彼は計算ずくで走った。大丈夫だと思えた時、止まった。肉体以上に精神の方が疲労を感じている。これもやはり常のことだ。肺の痙攣よりも、心の痙攣を止める必要がある。ゆっくりと歩くことで、身体と精神のバランスを取り戻そうと試みる。
 家に帰り、インターネットでニュースを読む。サンフランシスコで70代である中国系の女性が暴力を受けた。イタリアでは集団でリンチされた40代のベトナム人男性が意識の戻らないまま死亡した。アジア人へのヘイトクライムがいつからか加速度的に増えてきている。セバスティアンは怒りを抱きながら、このニュースをTwitterでシェアする。

"今日も2人のアジア人が忌まわしきヘイトクライムの犠牲者になった。この暴力はいつまで続くのか。コロナ禍が終るまでか、それともこれからずっと続くのか。この問いは、だが実際無意味だ。何故なら西欧世界はいつだってアジア人を軽蔑し、踏み躙ってきたからだ"

"それでもこの状況を見て日本人が思うことは何か? 日本の国旗を身につければヘイトクライムの対象にはならないという戯言だ。未だ名誉白人という実体なき既得権益にしがみついていて、世界における日本の優位性を信じている。哀れな幻想だ"

"私たちは世界中のアジアの人々と団結する必要がある。人権だ政治的正しさだと謳いながら、実際はアジア人を踏みにじる'先進的白人国家'ではなく、韓国やミャンマー、スリランカやカザフスタン、そういったアジアの国々に生きる人々にこそ耳を傾けるべきだ"

"アメリカやフランスを有難がる、白人かぶれの売国奴にはなるな。だが中国への憎さだけで'ウイグル人を守れ!'と軽薄に言い出すネトウヨにも堕すな。今の日本人が必要なことは誇り高くアジア人であることだ。そのためにアジアの文化を、アジアの言語を学ばなくてはいけない"

 セバスティアンはベトナム語の勉強を始める。まだ始めたばかりであり、今は発音の練習をしている。Youtubeに授業動画を挙げているベトナム人男性は流暢な日本語で、その動画のなかで日本人がうまく発音できない字として"ơ"と"â"と"o"の3文字であると説明している。"ơ"は日本語の"あ"に近いながら、唇は少し開けて動かさず、のどは少し閉めたままに発音する。セバスティアンはのどを閉めるというのが感覚として理解できない。男性に倣って"ơ"を発音してみるが、彼の"ơ"のどこか淀んだ響きを真似できているか分からない。従って彼が"ơ"の語尾を上げるだけでいいと語る"â"も、"ơ"を言う際に口を大きくすればいいと語る"o"もうまく発音できているとは全く言えない。彼がこの3文字を語るだけで、波動が紡がれるように感じる。空気の粒子が震え、セバスティアンの鼓膜を心地よく揺らす。美しかった。
 男性はワインレッドのYシャツを自然体で着こなしながら、柔和な笑顔を浮かべている。セバスティアンには彼の顔は間違いなくアジア人のものであると思えた。東南アジアの濃さはありながら、彼が動画で見せる日本語能力の高さを鑑みれば、日本人として見做されていてもおかしくはない。
 何故、俺の顔は彼のような顔ではないのか。
 日本に生きることはセバスティアンにこの問いを強いる、常にだ。中途半端に白人に似ながら、中途半端にアジア人に擦り寄るような顔の造型、表情の発露。この運命に怒りを覚える。
 ベッドに寝転がるが、眠れない。数時間その状態が続いた後、セバスティアンは起きあがり部屋を出ていく。春に差し掛かった現在特有の寒暖差の激しさが、彼を苛む。今、夜風はマンボウの死骸のように冷たい。手先が凍てによって死に近づくのが分かる。着いたのは"少年の広場"と呼ばれる広場だ。緊急事態宣言によって今は閉鎖されているが、実際はただ入口に網がかけられているだけだ、入るのは容易い。まずセバスティアンは広場内で持久走を始める。柵に沿って、ゆっくりと走る。この遅さのなかで全身の血潮や筋肉が目覚めていくのを感じた。それらが起動し、膨張を遂げることによって、日常においては粛々と抑えていた憤怒や哀惜といった感情の数々が呼び覚まされていく。これが必要だった。
 準備運動を終えた後、彼はグラウンドの端から端まで全速力で駆け抜ける。走るという行為に自分の肉体と感情を捧げる。芝生を踏みしだきながら走るセバスティアンは疾駆する生命力そのものとなる。彼は力では白人や黒人には勝てないと熟知している。だが速さでならば彼らの鼻を挫けるという自信がある。向こう側の柵まで辿りついた時、彼はやっと止まる。身体に心地いい疲労を感じるも、これではダメだと自分を律し、再び全速力で走る。肉が熱くなる。2回全力で走ると疲労は身体を焼くほどに激しいものとなる。だが彼は再び走る。疲労は炎上する吐き気と化す。全身から酸素が奪われ、激しい呼吸を抑えられない状態だ。だがセバスティアンは走る。また走る。走る彼の心には、今怒りだけがある。
 家に帰り、朝のニュースを見る。ファイザー社のワクチンによるアナフィラキシーショック、車載カメラによって撮影された車の玉突き事故、コロナ禍における住みたい街ランキング。その後、横浜でアメリカ人男性が何者かに液体をかけられるという事件が報道される。これは彼の引き起こしたものではない。他の何者かの犯行だ。この事実にセバスティアンは高揚を感じない、憐れみも感じない、喜びも感じない。そのニュースが終っても、彼はテレビを見据え続ける。妃であるメーガン・マークルの子供の肌の色に、英国王室の人間が懸念を示していたというマークルの発言が報道される。
 そうだ、これが俺の生きる世界だ。
 そしてセバスティアンはラジオ体操を始める。
 セバスティアンの肉体は健やかだった。だが憎しみを、怒りを遂行するには健やかであり続けなくてはならない。健やかさによってこそ、初めて復讐は成される。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。