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コロナウイルス連作短編その181「5兆回目の爆笑」

「ティーダのチンポ動画が消されてんだけど!」
 友人たちとともに、芹沢哲士は自身のスマートフォンでその事実を確認しようとする。ニコニコ動画には“削除された動画”という痕跡だけが残されている。

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 この動画は株式会社スクウェア・エニックスの申立により、著作権侵害として削除されました。
 対象物: FINAL FANTASY X

「スクエニのノリ悪すぎだろ!」
 友人の誰かがそう叫び、場がどっと笑いに包まれる。
 彼らが削除を惜しんでいるのは“【合作】おとわっか”という「ファイナルファンタジーX」の音声を使ったいわゆる音MADだった。その中で、登場人物の1人であるワッカの“ティーダのコンボ、気持ちよすぎだろ!”という台詞が“ティーダのチンポ気持ちよすぎだろ!”と卑猥な形で改変されている。これがネット上で反響を巻き起こすと同時に、哲士が通う高校、特に彼の所属する集まりで一時的なブームとなっていた。
 哲士にとっては“チンポ”という言葉の下らない響きが何となく面白いと思った。笑うまでには至らない。だが周りの友人たちが笑っていたので、自分も笑っていた。ある種の流行語として機能しているため、何となく面白いという態度では許されない。笑うという感情表現が必要だ。そこには、聞いた時毎回抱く居心地悪さや“この台詞の出典はFF10ではなくPS4ソフト「DISSIDIA FINAL FANTASY NT」のウェブ広告である”という事実などが介在する余地はない。

「マジでふざけんなよ」
 哲士の目から見て、集まりの中でも際立って荒々しく削除に反応するのが外池芫だった。炭酸水素ナトリウムを加熱した際に現れる炎の色をした肌、芫が苛立ちを表明するたびにそれが細かく痙攣し、ギラついた光沢を帯びる。そして哲士の鼻にまで、密度の濃い彼の体臭が漂ってくる。その分子は極細の拳さながら、鼻の粘膜を押し潰していく。
 芫は自分が“ホモ”であると自称している。だがそれはニコニコ動画といったインターネット文化に毒された中学生高校生の軽薄な身振りではなく、男性が好きな男性であるということの直接的な明言だと、芫自身は集まりに対してそう語っている。そして“ホモ”を自称するだけではなく、仲間にも自身を“ホモ”と呼ばせている。
「お前らは仲間だから“ホモ”って呼んでもOK。あれだよ、黒人が友達の白人なら“ニガー”って呼んでも構わない、みたいなやつ」
 その言葉に甘えるようにグループのメンバーは彼を、親しみを込めて“ホモ”と呼びながらも、哲士はこの言葉が男性同性愛者への蔑称であると理解しているので、使うことに躊躇いがある。
 そして芫の見た目は、淫夢に代表される筋骨隆々の男たちや、テレビに一時期よく登場していたマツコ・デラックスなどの“オネエ”とは全く異なっている。本当にどこにでもいる少年といった印象なのだ。部位がどうという話ではなく、全体的な雰囲気として隣人家族の長男、コンビニでアルバイトをしている男性店員、それこそ同じクラスの出席番号18番の少年といった凡庸さだ。日焼けした肌こそ野獣先輩に似通っているが、筋肉が発達しているといったことはない。趣味がキャンプなどのアウトドア活動ゆえに、日焼けしているだけだ。運動部にも所属してはいない。
 彼自身、ネットで弄られる類いの、年中発情しているという姿勢を見せているゲイビデオの登場人物や“オネエ”とは異なると一線を引いている。自分たちは男なら誰にでも発情するわけではない、異性愛者に好きなタイプがあるように自分たち“ホモ”にもタイプがある、自分の場合はジャニーズ的な美少年や筋肉ダルマではなく、例えるなら「ファイナルファンタジーXV」の終盤に出てくる10歳年を取った主人公ノクトのようなイケオジがタイプである、云々。
 実際、芫にはそんなイケオジの恋人がいるらしく、友人同士ゲームで遊ぶ最中、恋人から呼び出しがかかり途中で場を抜けるといったことがよくある。その時に蕩けたような笑顔を彼が浮かべるのを、哲士は見たことがあった。
「俺も年上彼女とか欲しいわあ、おねショタプレイとかしてえ」
 誰かのそんな冗談に、哲士も思わず同意してしまうのだ。

「ちんぽ動画消すとか、表現の自由に反してんだろ!」
 誰かがそう言い、誰もが笑う。哲士も笑った。
「おい、あいつがこっち見てる」
 誰かがそう言い、誰もが同じ方向を見る。哲士も、芫も同じ方向を見る。
 その視線の凝集に慌てて目を逸らすような素振りを見せるのは小宮山高見という生徒だった。
 鬱蒼たる髪、陰鬱げな目付き。グループだけでなく教室の皆がこの少年をキモいと感じている、少なくとも哲士はそんな連帯感を抱いている。
「あのゲイ、マジキモいんだよ」
 そう吐き捨てるように言うのは他ならぬ芫だった。
 哲士は芫が“ホモ”を自称する原因の一因が、あの高見であると確信している。
「ああいう“同性愛者の権利ガ~”って権利ばっか主張してるLGBT馬鹿のせいでホモがみんなそういうウザったい、ノリの悪いやつだと思われんだよな、マジで迷惑なんだよ。アイツ、絶対恋人とかいたことなくて鬱憤とか性欲を権利獲得(笑)にぶつけてんだよ。そんでああいうやつらは得てしてむっつりスケベでさ、裏で隠れて変態行為やらかしてんだ。御大層なこと言ってるやつらこそ、ヤバい異常性欲持ってんだよ。“ゲイ”ってつまりそういう奴らなんだ」
 “ああいう”の中には明確に高見も含まれているのが伺えた。だが実際に高見がそういう主張をしているところを哲士自身は見たことがない。芫が言っているのだからそうなのだろうなとは思っている。

 哲士は家に帰る。
「おお、おかえり」
 迎えるのは柔らかな笑顔を浮かべる父の芹沢昌だった。シャツの袖から現れる腕はすこぶる細い。
 コロナウイルスに関連した人員整理で職を失った昌は今、専業主夫として家事やその他の雑務を一手に引き受けている。逆に哲士の母である芹沢都は順調に昇進を果たしていき、それにつれて2人の関係性が変化していっていると、彼は感じている。キクイムシに皮を貪られ、樹木が崩れていくと、そんな変化が起こっていると。
 夕方、哲士と昌は一緒に夕食を食べる。メニューは春雨と鶏肉の炒めもの、カニ玉、ニンニクのタレつきだという納豆。どれも悪くない。
 父の料理の腕は際立って上手いというわけではないが、いつでも楽しんで味わうことのできる美味しさがある。
 そして買い物の際には未知の食品を試しに買ってみるというちょっとした好奇心もある。今回の結実がニンニクのタレつき納豆だ。封を開けるとカラシが入っていないのに気づき少しだけガッカリするが、濃厚な赤茶色のタレを納豆にブチ撒け、勢いよく啜ってみると、これがなかなか旨い。色と同様にニンニクの味も強烈で、粒の大きい納豆と一緒に舌にのしかかると重い旨味を味わえる。間髪いれずに啜っていくとすぐ無くなっていくので、悲しい。
「このニンニク納豆、当たりだね」
 哲士がそう言うと、昌の顔が少し輝いた。
「哲士が喜んでくれて嬉しいよ」
「前の山わさびは外れだわ~とか思ったけど、こっちはリピート決定」
「あのラカルーズって面白い商品よく入荷するけど期間限定って感じのばっかで、次あるか分かんないんだよなあ。でも覚えとく。見つけたら絶対買うよ」
「うん」
 玄関から音が鳴る。溜め息の厭らしい響きがリビングまで聞こえてくる。心臓が少しずつ萎縮していくのが分かった。全く規律のない足音がいくつも響いた後、ドアが開いて都が現れる。そして再び、溜め息をブチ撒けた。
 夫も息子も「おかえり」と言うが、溜め息と裏腹に、掻き消えるほどの小さな声でしか都は「ただいま」と言わない。長い黒髪から覗く顔はかなり赤らんでいる。まだ夕方だ、しかし確実に自分の母親は結構な量の酒を飲んでいるというのが哲士にも分かった。
 都は食卓に近づいていくと、茶碗のうえに置かれていた昌の箸を引ったくって、それで春雨と鶏肉を鷲掴みにする。不思議とその手つきは磐石だ。何の震えも躊躇いもなしにそれらを口に放りこみ、噛みしだく。
「味うっす」
 都が言った。
「味うっすいよ、これ。何なの、もうちょっと調味料とかちゃんと入れないと全然美味しくないよ、精進料理かよっていうさ。こんなの葬儀場の灰食べてんのとおんなじ感じじゃんか、アンタはそれでいいかもしれないけど、哲士は育ち盛りなんだから、もっと老人食じゃなくてちゃんと不健康ってくらいに味濃いの食べさせなきゃダメでしょ。これじゃ哲士の体も全然育ってかないだろ……」
 矢継ぎ早にブチ撒けられていく言葉に、哲士の心臓はさらに小さくなっていく。数十秒後には砂粒よりも小さくなっているのではと怖くなった。
「ちょっと、落ち着けよ」
 昌が立ちあがり、スーツ姿の都に寄り添いながら、リビングを出ていこうとする。ドアを開ける時の父の背中は、どこまでも平べったいものだった。

 風呂に入った後、リビングの座椅子に寝転がり、テレビとスマートフォンの両方を見ていた。テレビでは芸能人たちが俳句を作ってその出来を競う一方、スマートフォンの液晶にはよく分からない文字列が浮かんでいる。理解できる必要はない、断片的にでも網膜と脳髄に届くものがあれば別にそれでいい。
 と、メッセージが届く。
 “ティーダのちんぽ復活!”
 張りつけられていたアドレスをクリックするとYoutubeの動画が現れる。それは紛れもなく“【合作】おとわっか”だった、題名は削除対策のためかローマ字表記になっていたが。
 イヤホンをつけて動画を観る。
 やはり面白いし、笑える。
 哲士はそう思いながら、無表情で動画を観続ける。
 だがあの“ティーダのチンポ気持ちよすぎだろ!”という箇所が近づいてくるにつれ、心が落ち着かなくなる。哲士自身下ネタは好きだ。うんこ、ちんこ、まんこといったより低劣な、それこそ小学生が頻繁に披露する類いの幼稚さが増せば増すほど笑える。もしくは反射的に笑ってしまっている。こうして笑っている時の気持ちよさはいつだって味わっていたい。
 この下ネタも“チンポ”というかなり幼稚な語彙が使われている意味で、哲士にとて気持ちよく笑えるネタのはずだった。しかし笑えない。笑おうとしても笑っていいのだろうかと抑えがかかる。もちろん友人の反応を模倣するように笑うという行動を意識的に行うことは可能だ。しかしこの意識しなければ笑えない状況は気持ちよさからは程遠い。
 笑えない理由は分かっている。このネタが、男性の同性愛者を揶揄する“ホモネタ”に属しているからだ。授業でも、ゲイといった性的少数者を嘲笑うことは許されない、彼らへの差別なき寛容な社会を作らなくてはならないという言葉を聞く。テレビや雑誌などにもレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーといったLGBT当事者が現れ、差別との戦いについて説いている。哲士は自身がLGBTではない普通の人だと思っていたが、そういった差別はなくしていかなくてはならないとも思う。
 そんななかで“ティーダのチンポ気持ちよすぎだろ!”というネタは、男性同性愛者を笑いのネタにし貶めるだろう、正に差別に加担するようなものであると哲士にも理解できた。この動画が削除されたのは権利関係に加えて、差別性が問題視されたからという話も読んだ覚えがある。実際“ホモフォビア”という横文字を使って動画を批判している人物を、哲士もネットで見かけていた。
 それゆえに、哲士はこのネタで笑うことができなかった。
 だが友達みんなと一緒に、このネタを見ながら心の底から笑いたい。
 そう思う時、頭に浮かぶのは、中でも特に大爆笑を繰り広げる芫の顔だった。わざとマスクを外して、みなにその様を見せつけるように、大口を開け唾をビチャビチャ弾けさせながら、芫は“ティーダのチンポ気持ちよすぎだろ!”に笑うのだ。LGBTの当事者である芫があれだけ爆笑しているのだから、自分もこのネタに笑っていいのではないか。
 最近は活動家がこういうネタは差別だとか言いまくってさ、周囲の人間に罪悪感を抱かせるようにしてんだよ。ネットじゃこういうやつの声ばっかが大きくなって、かなりのやつが洗脳されてるよな。こんなんで笑うくらい何てことないよ、いやマジでお前は優しすぎんだよ。
 哲士は芫がそう言う様を想像する。実際に彼がこうしたことを言ったわけではない。だがもし自分がネタで笑えないという悩みを相談するなら、彼はこう言ってくれるような気が、哲士にはしている。
 
 背後に気配を感じて、振り返ると昌がいた。しゃがみこんでこっちを覗いている。ちょうど液晶には“ティーダのチンポ気持ちよすぎだろ!”という字幕テロップと、台詞の主であるワッカの恍惚の表情が浮かんでいた。
 急いでスマートフォンを隠す素振りを見せるが、一方で既にバレていると観念もしている。
「はは、何隠してんだよ」
 予想とは違う朗らかさで昌は哲士の隣に座ってくる。
「それ、アレだろ。ネットニュースで話題になってたやつ」
 その曖昧な言葉が何を示しているか判別しがたい。だが哲士はとりあえず頷いておいた。すると昌がニヤッと笑った。
「何かそういうの懐かしいとか思ってさ」
 やはり予想とは全く異なる言葉だ。哲士は戸惑わざるを得ない。
「俺が中学高校の頃、レイザーラモンHGって芸人がいたんだよ。今はそんなテレビに出てないし、哲士は知らないかもしれないが。そいつがハードゲイの扮装、黒光りしたエナメル?のスーツとめっちゃ短い短パン履いて、めっちゃヤバいことやってたんだよ、こんな感じで」
 すると昌が急に立ちあがり、誇張しているのは分かるとはいえ、凄まじい勢いで腰を振り始めたので、哲士は思わず俯いて笑いをこらえた。
「これ、夜7時のバラエティでやってたんだよ、マジで。しかも極めつけに……」
 そして昌は腰を振る勢いで両手を上に掲げ“ハードゲイです、フォー!”と絶叫するので、哲士もとうとう笑いを抑えきれなくなる。
「笑うよな! レイザーラモンHGって芸人が午後7時のテレビでこうやって腰振って絶叫しながら、何か商店街ロケしてんだよ。マジで俺もめっちゃ笑ってたな。その何とかチンポ、ニュースで見たらこのネタ思い出してさ」
「何それ、ヤバすぎ」
 そう言いながらYoutubeで“ハードゲイ”と検索すると、かなり古いテレビ番組の抜粋動画が出てきた。サムネイルには巨大なサングラスをかけ黒光りした男が写っている。
「これがハードゲイ?」
「そうそう、爆笑問題が司会のバラエティ出てたんだよ、うわ懐かしいな」
 哲士が動画を再生すると、実際にこのレイザーラモンHGがロケを行い、一般人の前で腰を振りまくる様が流れていく。
「これ確か土曜日放送だったから休み明けの月曜は友達とめっちゃ腰振りまくったよ。あー、あの頃は楽しかったわ……」
 その後も動画に視線を向けながら、昌は中学高校時代の思い出話をしてくれた。それを聞きながら、そういえば今まで父の子供時代の話を聞いたことがほとんどなかったことに思い至る。父にも自分と同じく子供だった時代がある、そんな当たり前の事実をここまで肌に感じたことは、だが今までなかったように思う。あの動画でそんなことが起こるとは予想していなかったが、何にしろとても嬉しかった。


 数日が経ち、みなの関心は動画から別のものへと移っていった。
 哲士も自分の意識がまるでテーブルにこぼれた牛乳さながら、ビシャと飛び散り忙しなく動きまわるのを感じている。もうすぐモンハンの最新作が発売される、秋にはポケモンの最新作もだ、7月の「ソー:ラブ&サンダー」が観たい、その次のMCUは確か「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」か「ブラックパンサー」の新作だ、コロナの患者も着実に減っているので今年の夏休みはどこかに出掛けたい、特に海に行ってはちゃめちゃに泳ぎたい、恋人とかも欲しかったりする。
 哲士もそろそろ恋人が欲しいと思う。気になる相手はいる。菊地希という同級生の少女だ。いつも髪を結んでおり、快活そうな雰囲気が太陽の光さながら溢れている。彼女を見ているといつだって心が晴れやかになる。彼女もマーベルの映画が好きらしい。実は今度行われる家庭科の調理実習で、希と同じ班になった。くじ引きの時に思わずガッツポーズもしてしまった。絶対にいい顔を見せたいので、今は昌に料理を教えてもらっている。ピーラーでジャガイモの芽を取るのが楽しかったりする。
 だがそうやっていい顔を見せられても、希と交流が深められなければ何の意味もない。こういう時に頼れるのもまた、恋愛経験豊富な芫なんだった。
「哲士は引っ込み思案というか、ちょっと優しすぎるんだよなあ」
 芫は哲士の目を見ながらそう言った。
「最後に物を言うのは優しさなんだけど、その“最後”に行くためにはカッコよさとかが必要なんだよ。男らしさってやつを意識しながら強気で押すって、こういう精神を養ってかなきゃいけないって思うね、特に哲士は」
「でもそれをどうやっていいのかが分かんないんだよ」
「俺のオススメは……」
「筋トレとか言わないでよ」
「ちげーよ。お前英語とか好きだろ、じゃあTEDっていう、有名人が色々英語で講演する動画をアップしてるYoutubeのやつ知ってるだろ」
「うん、英語の教師がこれ見て勉強しろとか言ってる」
「それで白人の男のやつ探して、そのプレゼンの真似するんだよ。話し方、身ぶり手振り、そういうのをそっから学ぶんだよ」
「何で白人の男限定?」
「あいつらが一番堂々としてて、世界の覇者って風に生きてるから、お前もそれを学んでモテていけ!ってことだよ」
 そう言ってまた芫は爆笑する。

「俺、あの高見のことニュースで見たかも」
 教室で喋っている時、誰かが集まりに言った。
「この前、同性婚が憲法でダメって裁判所が判決したみたいなあったっしょ。その後に何かニュースで見たけど、スゲークソ暑いなかでこの判決に抗議するために馬鹿が東京のどっかでデモしてたんだよ」
 こう言った後に、彼は“馬鹿”を“LGBT馬鹿”と言い直す。芫が笑いながら彼を指差す。ハリウッドスターのようなカッコよさがあると哲士は思った。
「そんで虹色の旗とか振ってたり、めっちゃムサい格好とかしたオネエとかいっぱいいたんだけど、そん中に高見がいたんだよ」
「嘘だろ?」
「あの陰キャがそんな活動家みたいなことすんのかよ」
「いや、でもマジであの油臭い長髪とか陰気な目付きとか、マジで絶対アイツだった。だけど確かにいつものアイツっぽくなくて、めっちゃ叫んだりしてるっぽい映像流れてた。音声聞こえないけど、めっちゃ口開けてたよ」
 哲士が芫の方を見ると、すこぶる不愉快げに眉へ皺を寄せていた。
「そのニュース動画あんの?」
「どのチャンネルでやってたか忘れたわ」
「でもYoutubeとかには流れてるだろ」
「何かそもそもデモの動画とかYoutubeに流れてないっぽいけど」
「嘘じゃねえの、暑すぎて蜃気楼見たんじゃねえの」
「嘘じゃねえよ、ふざけんな」
「じゃあ本人に直接聞きにいくか」
 そう言ったのは芫だった。みなは少し彼の顔を見てから口々に賛意を示していく。哲士もとりあえず「そうしようぜ」と言った。語尾に“ぜ”をつける時は未だに気恥ずかしい。

 学校からの帰路、高見はいつものように独りで帰っている。しばらく追尾した後、人気のない路地で集団は彼に近づいていく。
「よお高見、ちょっと聞きたいことあんだけど」
 芫がより野太い声で迫っていく。振り向いた高見は、一瞬で見るからに萎縮していく。哲士にはかなり滑稽に思えた。だが友人たちのように笑うまでには至らない。
「お前、何か同性婚を反対されたからって開かれたデモとかに参加したんだって?」
 その問いに対して、高見は視線を支離滅裂に彷徨せながら、何かを言う。だが声が小さくて哲士にはノイズにしか聞こえない。芫にとってもそうらしく、彼は左手で自分の腿を細かく叩き始めていた。
「お前マジでふざけんなよ」
 彼は一気に距離を詰め、高見の首根っこを掴む。性急な行動のように哲士は思えたが、周りは興奮し煽るような声を立てる。
「お前らは手ぇ出すなよ、これは“俺たち”の問題だからな」
 “俺たち”、この言葉をみなの鼓膜へとゆっくり押しつけるように芫は言った。
「お前らみたいなゲイがアメリカの活動家とか気取ってマジで余計なことしやがるから、ただ普通に波風たてずに生きてきたいホモに迷惑かかってんだよ。お前らのとばっちりでヤベーやつって思われんのはこっちだぞ。いやマジでわかってんのかよ?」
 唾でもブチ撒けるように芫がそう言う。すると哲士の周囲が湧きあがる。「やっちまえよ」「お前らが憲法に反してんだよ!」「一発マジで殴れ殴れ」という声が聞こえる。どれが誰の言葉か分からない。
 芫が高見を突き飛ばす。そのまま殴打するかと思いきや、その前に高見が無様に地面へと倒れていった。後ろから響く爆笑を追い風に、芫はその体へ馬乗りになろうとする。
「おい、アイツの股間膨らんでんぞ!」
 突きだした誰かの指が高見の下半身を指す。哲士は目を凝らすが、黒い制服ズボンが本当に膨らんでいるかよく分からない。だが周りで「やべー」「ボコられて興奮するとかドMやん」という声が聞こえるので、確か高見の股間は膨らんでいるらしい。
「ふざけんなよ」
 芫の言葉が歯軋りのように響く。そして彼は立ち上がる。
「差別はやめろだのエライこと言いながら、実際は誰彼構わず男に勃起しまくるお前らゲイのせいで、ホモがみんな発情期の動物扱いされんだよ!」
 芫は高見の股間を右足で蹴りあげる。高見の苦しみをよそに、芫はそのまま股間を踏みしだき続ける。哲士はテレビで、何かの発酵食品を作る際にこうして材料を踏み続けるという伝統工法を見たことがあった。芫の暴力は見た目上それに近いと。
「あいつの顔、めっちゃ“ティーダのチンポ気持ちよすぎだろ”の時のワッカじゃん!」
 そう言って誰かがスマートフォン片手に高見の方へ近づいていく。後に続いてみなが高見の周りに集まり、写真を撮っていく。少し遅れて哲士も集まりに加わって、スマートフォンで撮影を始める。確かに高見の傷ついた顔は恍惚に耽っているといった風に見える。不思議だ。
「後で写真編集してコラ画像大会やろうぜ!」
 芫がそう宣言するとみなが鬨の声をあげる。芫の“ぜ”の言い方には全く嫌みがないと哲士は思った。

 哲士は家に帰る。リビングに行くと、座椅子に座る昌の背中が見えた。
 少し近づくと、空気が擦れるような音がした。すぐに分かる。父は啜り泣いていた。暗い部屋で独りで泣いていた。
 見てはいけないものを見た気がした。
 哲士はゆっくりと後ろを向いて、リビングを出ようとする。早く出たいのに、音を立てられないので遅く歩かざるを得ない。もどかしい。
 部屋に逃げこむと、耳にイヤホンを突っこんで“おとわっか”を聞き始める。無料ソフトでYoutubeから抜き取った高音質のmp3版だ。最大音量でこれを聞いていると、あまりの荒唐無稽さに全てが馬鹿らしくなる。最高の気分だった。そしてあの部分に差し掛かる。リズムに合わせて、かなり不自然な響きを伴いながら“ティーダのチンポ気持ちよすぎだろ”が爆音で連呼される。
 哲士は笑った。来ると分かっていたのに、初めてこれを聞いてしまったかのように唾を吹き出して大爆笑してしまった。腹筋がコントロール不能なまでに痙攣しまくり、お腹がもう爆裂を遂げてしまいそうだ。筋トレするよりも筋肉に圧がかかっているような気がする。明日の筋肉痛は確実だと、哲士は思った。
 哲士はこの感動を今すぐみなに伝えなきゃならないと思う。爆音に背中を押される形で、哲士はメッセージを送る。
 “久しぶりにティーダのチンポ聞いた、5兆回目の爆笑”
 既読、既読、既読、既読、既読。
 そして誰かから“👍👍👍”という絵文字だけのメッセージが届く。芫からだ。突き立てられる親指、グッジョブという意味だ。昔、両親と見ていた特撮でヒーローがこんなポーズをしていた気がする。
 “何だよそれ、チンポかよ”
 哲士は爆笑しながら、返信を送る。やっと心から笑えることができて、清々しい。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。