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コロナウイルス連作短編その174「生、ま、れ、て、こ、さ、せ、ら、れ、て」

登場人物
人間1:マスクはしていない
人間2:マスクはしていない


(だだっ広い空間。薄暗く、黒く濁りながらも、果てがないように思われる空間。Yogiboで売っている類の柔らかく大きな2つのビーズクッションへ、人間1と人間2がそれぞれ身を包まれるように座っている。人間1のクッションは深緑色、塩化クロム(III)六水和物を溶かした水溶液の色に似ている。人間2のクッションは鮮やかな橙色、オオカバマダラの羽の色に似ている。おもむろに人間1がポケットからスマートフォンを取りだし、人間2に見せる)

人間1:
これ、父さんと母さんの写真。クソ人間の写真だよ。どうクソかって言うと……まず、父さんは典型的な仕事人間だった。彼についてはほとんど何も覚えてないし、寡黙な人間だったかた会話をした覚えもない。だから彼がクソである理由は無だから、何も存在しないから。これで終わり、彼についての話はこれで終わり。彼についての話がこれで終わることが、自分なりの父さんへの復讐。

(人間2は何も言わない)

人間1:
母さんに関しては……父さんと逆だよ。逆に喋りまくる人間だった。近所の人間から経済不況、野菜の値上げから政府の愚かさまで、口を開けば悪口だけしか言ってなかった。夫も仕事で家にいないから、悪口のサンドバッグ役をさせられたのは常に私だった。雑誌を読むだとか、携帯を見るだとかいう行為で、聞いてないフリを自分に強制してたけど、その間にも憎しみに満ちた言葉をどこまでも、どこまでも鼓膜に擦りつけられてた。

(人間2は何も言わない)

人間1:
その中でだよ、生まれてきたことへの憎しみが込みあげてくるんだ、当然ね。じゃあ何でそんな呪詛を吐き散らかすしかない世界に自分を産み落としたのかって、そういう憎しみだよ。私たちよりも前の世代は、後について、未来がどうなるかについて一切考えることなく、無思慮に新しい命をボコボコと産み落としてきた、言ってみれば災厄の世代なんだよ。今後必ずこういう人間たちには罰が下るし、私としては涎やクソを穴から垂れ流しながら、苦しみの果てに野垂れ死にすることを願ってる。母さんがそういうのなしに、くたばったのは、残念だった。

(人間2は何も言わない)

人間1:
少なくとも、日本が少子化の筆頭であるっていうのは悲しいことなんかじゃないよ。私は、少子化について語るやつらが絶望感に打ちひしがれてるって感じなのが理解できない。だって少子化なんていいことに決まってる。気候変動やら何やらで、ボロボロに朽ち果てていく地球に新しい命を産み落とそうと思わない、そういう人々が増えているって希望以外の何物でもないから。絶望しているやつらは、老いた時に自分のケツから漏れる下痢便を処理してくれる人間がいなくなるのがイヤなんだろうね。いい気味じゃない? 私はこういう理由で、意図せずしてだろうけど、少子化への道をどんどん舗装してくれる日本政府はとても有能だと思ってる、しかも良心的だなって。

(人間2は何も言わない)

人間1:
でも、不気味だったのはあれほど悪口しか言わない母さんが、父さんに関する悪口っていうのはほとんど何も言わなかったこと。彼らが空間だとか空気を共有するところ自体を見た覚えがないのは前提として、それほどの関係性なら逆に冷えきった仲の夫を罵倒しても全然おかしくない。なのにそれは全くなかった。少なくとも私の前で、そんなこと言ったことはなかった。不気味だった。明らかに何かを隠しているのに、その何かっていうのが全く分からなかったから。

(人間2は何も言わない)

人間1:
父さんは4年前に突然死んだ。事故だったよ。その2年後に母さんも体調を崩して入院した。コロナが蔓延する前だから面会にも行けるくらいの状況だった。でもこんなことなら、コロナで苦しみ抜いた末に死んでほしかったってそう思うよ。看護師に身の回りを世話されて、看病されながら、なかなか良い感じに衰弱していった。そういう医療を母さんに用意してしまうって自分の弱さには“血は水よりも濃い”って言葉が思い浮かんで、情けなかった。それで、でも、死ぬ前に、母さんが告白したんだよ、私に。

(人間2は何も言わない)

人間1:
私の父親はあの男、つまり今まで私が“父さん”って言ってたやつじゃないって。

(人間2は何も言わない)

人間1:
もうすぐ亡くなるのが分かって、秘密をゲロったって感じだった。でも妊娠してから男に捨てられたとか、レイプされて子供孕んだけど中絶できなかったとかじゃなかった。そっちの方が嬉しかったけどね。真相はもっと酷くて、精子提供を受けて産んだんだってさ、私を。マジで理解ができなかった、何でそんなことしたのか、何でそこまでして子供なんか産もうと思ったのか。マジで理解ができなかった。でも理由は聞けなかった、精子提供者が誰とかも聞けなかった。他には何を言おうとしても意識朦朧で、全部がうわごとみたいになって、そのまま母さんは死んだから。

(人間2は何も言わない)

人間1:
大学の授業で生命倫理に関するレポート課題出されたけど、そのまま教授が死んじゃったって、そういう感じだった。取り残されて、途方に暮れて。でも私はしなきゃいけなかった、精子提供者が誰か探すこと、そりゃそうだよ、当然じゃない? 遺伝子上の父親ってやつを探しだす。私はずっと探した、来る日も来る日も彼を探し続けた、書類も何もかも漁りまくって彼を、彼を探し続けた……

(人間1がもう一度スマートフォンを出す。そして人間1と人間2の後方にある壁、そこに何かが浮かびあがる。朱色、ワインレッド、チャコールレッドなど赤に属する色彩が斑に塗りつけられた、抽象絵画のような何か。だがここで重要なのは映るものではなく、映りかただ。中学時代を思い出してほしい。理科室、電気を消した闇の空間、ある機械から光が放射され、薄汚れたスクリーンに何かが映る。それは何でもいい、しかし光の像は奇妙に歪み、均衡の欠片もない。しかも薄ぼやけ、映っているものが何か判別しがたい。映る何かは重要ではないというのは、こういうことだ。重要なのは光それ自体である。歪んだ光が、壁に投射されていることである。今回はそれが赤く斑である、ただそれだけのことだ)

人間1:
これが精子提供者の男、ただし私が何度も何度も殴りつけた後のね。彼の部屋で会って、まず右手で右の頬を殴ったの。それで彼はバランスを失って、吹っ飛んだ。でも呻きはしながらもほぼ無言で、反撃はしてこなかった、抵抗もしなかった。だからもう一回殴った。まだまだ無抵抗だったから、殴り続けてたんだけど、まあ安心したのは、私を殴り返さないくらいの罪悪感は、私に対して持っていたことかな。それで、何発目かでとうとう倒れて、今度は彼に馬乗りになってタコ殴りを始めた。

(人間1はスマートフォンではなく、後方のイメージへと指を指し始める)

人間1:
彼の鼻はかなり丸っこくて柔らかいというか、コーラに漬けこんでおいた豚肉みたいな感触があった。だから殴っても拳への反発はあまり感じられないというか、シンプルに手応えがなかったんだ。でも鼻の穴から血が出る様っていうのは、やっぱり間抜けでかなり面白いと思った。人間の鼻ってどうしてあんな風な穴の構造してるんだろうって興味を持ったな。図書館に科学書を借りに行きたくなったりね。それから目のところを殴っていくと、眼球というか網膜に血溜まりができてきてね、ルビーの小さな滴がポツポツとできていくみたいで、すごく綺麗だったんだ。頬骨は、本当に逞しくてね、グッと力強く隆起していて、アルピニストなんかこういう傾斜の山岳地帯を登っていくっていうのが楽しいんだろうなって思ったんだ。だから私はこれを破壊してやりたいと思った、そういう衝動があったんだ。それで何度も執拗に殴り続けた、ここなんかは他よりも念入りに、何度も何度も殴ってたんだ。でも自分の力では砕くのは結局、無理だった。それでも、すごく気持ちよかった。

(話し終わると、人間1はポケットから折り畳んだ紙を取り出す。それを広げると、人間2に見せる以上に、客席の人々に、裁判所から出てきて“勝訴”という紙を報道陣に見せるかのように、堂々と見せつける。それは大きく、真っ赤な手形だ)

人間1:
彼の顔から溢れだした血を、手に塗りつけて、それを紙に押しつけて、それでできた手形。

(人間2は立ち上がり、人間1のもとへ歩き、その体を抱きしめる)

人間1:
これでやっと、私の人生が始まるんだ。


(照明の光量が加速度的に増えるとともに、どこからともなく音楽が流れ始める。それはABBAの“Dancing Queen”だ。2人はいっしょに、おもむろに立ち上がり、客席の方を見つめて、音楽にのり、そして歌い始める。アイネッタ・フェルツクグのように明るく、アンニ=フリッド・リングスタッドのように楽しげに。JASRACのことなんか知るか、無視しておけ。2人に歌わせろ、そして踊らせるんだ)

あなたがダンシング・クイーン
かわいくて甘くて まだ17歳じゃないの
ねえ ダンシング・クイーン ビートを感じて
タンバリンから響いてくるでしょ ああ最高!

踊るのだって 音楽にのるのだって自由
あなた自身の人生 楽しもう
ほら あの子を見て あの輝かしさを見て
ダンシング・クイーンになろうじゃないの

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。