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コロナウイルス連作短編その176「たった1つの復讐のすべ」

 堀河通はトイレの便器に座っているが、とっくに排便は終えている。ただ静かに臀部を便座に置いたまま、目前の壁に張られたカレンダーを見ている。今日は5月27日である。
 傍らからドアを叩く音が聞こえる。ドアと耳は数十cmほどの距離しか離れていない、ゆえに物理的にはすこぶる近い。しかし遠くから、それこそ横に広がった海溝の奥底からこそ音が聞こえてくるような感覚がある。左の鼓膜が不気味に揺れている。
 少しの沈黙があり、再び切迫感のあるノックが響き始める。
「おしっこ漏れる! 漏れるからほんと早く出て!」
 そんな叫び声が聞こえてくる。姉の堀河御木のものだ。もっと甲高い、耳障りなもののはずだが、くぐもっている。やはり水によって遮られているといった風だ。
 ノックと同じく声にも切迫感がある。だがトイレを専有する通を批難するような響きはない、少なくとも彼はそれを感じない。そしてその理由も熟知している。通はクローン病という腸の難病を抱えており、慢性的な腹痛と下痢に見舞われることを一生運命付けられている。ゆえに家において彼がトイレをある程度専有することは必然となっている。御木の声が切迫しながら、批難の色を纏っていないのは、家族としてこの事実を知っているからだ。
 しかし今、通は既に排便を終えており、腹部の調子も平常に戻っている。トイレから出ないのはわざとだ。
「何、騒いでるの」
 外からもう1つの女の声が聞こえる。母である堀河美都子の声だ。
「だって、おしっこ漏れそうなんだよ」
 そんな姉の悲痛な呻きが後に続く。
「しょうがないでしょ」
 絞りきるように美都子が言った。
「しょうがないでしょ、お風呂でしなさい」
 これは特に耳に新しい会話ではない。通のクローン病罹患後、時おり成される会話だ。娘が助けを求めながらも、母はただ宥め、諦めさせるしかない。ドア越しにも母親の声が震えているのを感じ取れる。己の鼓膜もともに震えている。
 母親が通を庇う理由は簡単だ。息子がクローン病という一生治ることのない難病を抱えたのは自分のせいだと思っているからだ。自分の存在それ自体が母親にとって罪悪感である、これを通は熟知している。
「こんな風に生んでしまってごめんね」
 自分が止めどない腹痛に苦しんでいる時に、母親が言った言葉だ。これを聞いた時点で、彼女の罪悪感につけこむことの許可をもらったと、通はそう受け取った。

 ふと、鼻に何かの匂いが漂う。
 それは唐揚げとしか思えなかった。
 時々、まるで発作のように、その匂いが香るときが時々ある。そのたびに“自分はもう一生、唐揚げを満足に食べられなくなった”という事実を、嗅覚細胞を通じて叩きつけられる。そして打ちひしがれる。
 正確に言うならば、唐揚げを全面的に禁じられているわけではない。食べようと思えば食べることは可能だ。しかしクローン病で炎症を起こす腸において、最も忌避されるのは脂質だ。例え寛解中であっても1日の脂質摂取の限度は30gというのが定められている。
 もちろん、これを過ぎれば即時クローン病が悪化するとは言えない。だが脂質を一度の食事で多めに摂取するなら、数時間後の腹痛と下痢は覚悟する必要がある。そして長期的にも、その食事が寛解の終わりを引き起こすトリガーとなることを否定はできない。
 通は油で起爆する爆弾を腸に抱えているということだった。
 そこにおいては肉体的な枷と同時に、精神的な枷をも意識せざるを得ない。中学校までの通学路にあるスーパーが存在している。そこには大きな駐車場が隣接しているが、その空きスペースに屋台がほぼ毎日現れる。おでんを売る屋台や焼きそばを売る屋台など、メニューは業者によって異なるが、唐揚げの屋台が現れることも多い。黒いトラックが売る唐揚げは一律500円だ。衣が暴走した細胞さながら膨れあがった唐揚げを、ビニールパックに収まらないほど詰めこむという手法で、スーパーの客からも重宝されている。
 通も中学1年生の頃は母親の買い物についていく時に黒いトラックが停まっているなら、唐揚げをねだり、歩きながら無邪気に貪ったものだった。指についた油までも舐めとる勢いだった。時々は同級生とここに寄って小遣いで唐揚げを買い、近くの公園のベンチに並んで座り、バクバクととにかく食べまくるなんてこともしていた。
 それはもはや許されない。厳密な数値を通は知らないが、あの唐揚げをたった1つ食べるだけでも、脂質の限度である30gは越えるとしか思えない。彼にとって唐揚げはもはや悍ましき起爆剤でしかなかった。帰り道、スーパーを横切る道を通だけでも、黒いトラックは見える。時にはあの肉の芳しい匂いすらも鼻に漂ってくる。ある時点で我慢できなくなり、通は通学路自体を変えた。

 食卓にも、当然だが唐揚げが出ることはもはやなくなった。それどころか肉自体が並ぶことが少なくなってしまった。料理を担当する母親が、クローン病の体調に合わせて料理を作り始め、家族皆でそれを食するようになったからだ。
 油の著しく欠けた料理自体に文句はない。食に関してはもはや希望は捨てた、思春期の無邪気さが介在する余地はない。通は、この旨みという概念それ自体を失った料理を、ただ粛々と受け入れるだけだ。
 今、通は自分が大人になったと感じている。ともすれば老いてしまったと、そう感じている。
 料理自体に文句はない。母親に全てを任せている時点で、文句を抱く権利が存在しないと通は感じている。
 だが虫酸が走るのは、その料理を“家族皆で食べている”という事実そのものだ。
 これについて指摘すると母親や姉は通のせいではないと言い、むしろ“健康のためにいい”と詭弁を取り繕う。
 だが結局この態度は、例えば車椅子体験を行い“足が不自由な人は大変だね”とのたまう、足を動かすことに不自由がない人物と同じものだとしか思えない。障害者をダシに、自分が障害を持っていないことを再確認し安堵する健常者の自己欺瞞だと。
 家族は腸に障害など持っていない。クローン病用の料理も、クローン病用でない料理、つまり“普通の”料理も気兼ねなく食べることが可能だ。彼らには選択肢がある、“クローン病用の料理”は彼らにとって選択肢の1つでしかない。彼ら健常者は料理を元の状態へ簡単に戻せるから、こういった“普通ではない”料理にも耐える余裕がある。だから“健康のためにいい”などという戯れ言が語れる。
 だが通にもはや選択肢はない。彼はこれから一生クローン病用の料理を食べるしかない。普通の食事をするなら、腹痛と下痢は覚悟する必要がある。
 これに関しては、諦めた。老いて足るを知るということを、己に強いた、いやこれから強い続けるのだ。
 だが耐え難いのは、家族の危機をいっしょに乗り越えるという名目で行われるこの現状だ。彼らに目の前で自分が食べられないもの、それこそ唐揚げを食べられることよりも辛い。“食べてはいけない”という即物的な悩みへの諦めは、学びかたを知り始めている。だがこの精神を蝕ばまれるような苦痛とどう向き合っていいかが分からない。家族とはいえ、健常者の自己満足に利用されているのが、通には何よりも辛かった。

「もう漏れる!」
 そんな叫びとともに、足音が暴力的なまでに響き渡る。ダダダ。彼女が隣接する風呂場に駆けこんでいく音が聞こえる。心が浮き足立った。
「あいつ、マジでガイジだからねえ」
 以前、部屋の前を通りかかった時に、そんな言葉を聞いたことがあった。
 この“ガイジ”という言葉の対象は自分ではないと、しかしすぐに分かる。後に別の人物の名前、おそらく同級生の名前が発され、その人物が悪口の槍玉にあがったからだ。ガイジであるのは“ミヤジマ”という人間だ。
 しかしこの些細な出来事をきっかけに、姉がガイジという言葉を使う側の人間だということが分かった。
 通は自動的に、裏では自分のことをガイジと呼んでいるのだろうと思った。
 そこから見える世界が、違うものになった。
 姉は当然だが、母親も父親も実際に自分をガイジと呼んだり、思ったりしているのだろうと思った。
 自分がクローン病になったと知った隣人や地域の人間も自分をガイジと呼んでいるのだろうと思った。
 それから同級生も一応は優しく接してくれるが、おそらく彼らも自分のことをガイジと思っているんだろう。
 全ては結局のところ、ガイジ向けの優しさでしかないのだと。
 通はトイレの水を改めて流し、トイレから出ていく。
 隣接する風呂から、何らかの半透明な物質で形作られたドア越し、チロチロ、チロチロと音が響いてくる。少なくとも通にはそう聞こえた。
 ゾクゾクした。これはなかなか、最高の気分だった。
 万感に呑みこまれそうになりながら、通はリビングへ駆けこんでいく。
 椅子に座って朝食を食べる。今日のメニューは食パン2枚だ。マーガリンは既に塗られているが、食べれば毎回新鮮に幻滅を味わう。脂肪分半分カットのマーガリン、その味気なさは筆舌に尽くしがたい。
 そこに御木が戻ってくる。彼女も同じく脂肪分半分のマーガリンつき食パンを食べていく。以前はマーガリンの量が少ないと、母親の制止を押しきってまで、マーガリンを上塗りしていたが、今はただ行儀よく食べるだけだ。このマーガリンは値段が高く、しかも量は少ない。健康には金がかかるということだろう。先月には40円ほど値上げした。
「ごめん」
 通はそう言った。俯きながら、思わずそう言っていた。
「別にいいよ」
 姉はパンを食べながら、そう呟く。
「あんたの方が辛いだろうし」
 そうして辛気臭い顔を通に向ける。かと思えば、表情筋をグチャグチャに動かしながら、変顔を浮かべた。
「それに、お風呂でおしっこすんのサイコーに気持ちいいし」
 これがガイジ向けのユーモア、ガイジ向けの優しさというわけだった。
 通の心には、今、ただ怒りだけがあった。
 このクソ偽善女の顔に吐瀉物以下の罪悪感を塗りつけてやりたいと、そう思った。
 通は俯き、自分の心に“泣け! 泣け!”と念じる、右の拳を震わせながら命じる。
 するとまず、嗚咽が溢れた。次に涙が込みあげてきた。
 もう“泣いている”という状態へとエンジンがかかったなら、惰性で声をあげれば、もうこれで十分だ。
 姉はもうどうしていいか分からないといった表情を浮かべる。
 母親は彼女自身が泣いてしまいそうな、哀れな表情をしていた。
 どちらも傑作だ。写真に撮ればどこかの美術館が買ってくれるのではないか。
 これがぼくなりの復讐なんだ。
 そして通は両の拳を握りしめる。
 これがたった1つ、ガイジに残された復讐のやり方なんだ。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。