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コロナウイルス連作短編その124「小堺α、小堺β」

 鍋潟民城はぼーっとカフェの席に座っている。彼女は客ではなく、アルバイトの高校生である。しかし本物の客も来ないので、椅子のうえで時間を無為にしている。こんな調子なのに、現時点で1年と半年も続くコロナ禍をこのカフェが生き抜けているのが不思議でならない。店主の千堂麻実はいつも通り、コーヒーカップを慈愛深げに拭いている。だがこのふやけた倦怠感は悪くない。来年は大学受験が待っているので、こうした倦怠も終わりが近いのだ。だから存分に味わっておくべきだろう。
 と、客がやってくる。その中年女性は常連とは言わないまでも、なかなかの頻度で見かける。特徴はその髪色だ。肩までかかる長髪、先端の金色は頭頂部にかけては徐々に黒くなっていく。いわばプリンのような色の流れがあるのだが、手入れを怠っている訳でなく、それを自身の確固たるスタイルとして身につけている風なのだ。その証拠に、民城は彼女がそれ以外の髪色をしていた時を見たことがない。プリンが信念なのである。
 エスプレッソとチーズケーキを頼まれたので、民城にそれを伝え、完成を待つ。また束の間の倦怠を謳歌するのだけども、もう1人客が入ってくる。驚いたのは、その客が先ほど入ってきた客と全く瓜二つだったからだ。服装も顔つきもマスクも同じだが、何より似ているのは髪である。あの信念のようなプリンを、彼女もそのまま頭に被っていた。民城が呆然としていると、ドアベルのティピンティピンという音に釣られ、客が入り口を振返る。そして1度携帯に視線を戻すけども、急いで2度見した。
「えっ、あたし、えっ?」
 客αが思わずそう大声で言うと、客βは何気なく声の方向を向き、やはり驚いた。
「えっ、あたし、えっ?」
 客βは周りを見渡しながら客αに近づいていくが、客αは立ちあがって逃げようとする。
「ちょっ、逃げんで、逃げんで」
「いやいや、逃げるでしょこんなん」
「分かるけど、何これ!」
 そして客αと客βは同時に民城の方を見ると、助けを求める子犬のような視線を向ける。
「あたしたち、似てる、似てるよね?」
 もはやどっちがそれを言ってるのか分からないほど、声すらも似ていた。
「似てるっていうか、どっちも本人……」
 民城はそう言うしかなかった。

 客αの前にエスプレッソとチーズケーキを運ぶ。彼女の向かい側には客βが座っている。見れば見るほどそっくりで眼球が異常を起こしているのではないかとすら思われる。
「怖すぎなんだけど」
「そりゃこっちの台詞だわ、何なんこれ」
 客αがエスプレッソをズルリと啜る。そこに映る鏡像とすら客βは似ているし、横の窓ガラスに映る鏡像ともそうだ、そして逆も然り。
「あれじゃないですか」
 民城が立ったまま口を開いた。
「ドッペルゲンガーですよ、ドッペルゲンガー」
「あの、何か、そっくりさんみたいなやつ?」
「こいつがあたしのそっくりさんってこと?」
「は? お前があたしのそっくりさんだろ」
「いや、あたしの存在の方が先だし」
「なぁにを根拠にそんなこと言ってんだよ」
「直感だし、直感。文句あんの?」
「ケンカ、ケンカ止めてください」
 民城は彼女らを制しながら、麻実に助けを求めるが、ここで起こっていることも気にせずカップを愛でている。自分が大人にならなきゃと思わざるをえない、高校生なのに!
「でもドッペルゲンガーって会ったら死ぬとかそういうの無かった……?」
 そう言った客βの顔も、それを聞いた客αの顔も、民城の家の近くのトタンでできた工場さながら青白くなった。
「いやでも、死んでない、死んでないですよ、全然」
「今死んでなくても、後で死ぬかも」
「じゃあ今を精一杯生きましょうよ!」
「自己啓発本みたいなこと言わんでよ」
 2人とも項垂れ、明らかにテンションがドン底に落っこちていた。
「名前、なに?」
 突然、客βが言った。そしてもう1度「名前」とだけ言う。客αは恐る恐る彼女の顔を眺めてから、唇を動かす。
「小堺……」
 その後は客βの悲鳴に掻き消された。
「おんなじ、おんなじや。うわあ、これ絶対下の名前もおなじでしょ」
「はい、ドッペルゲンガー確定、あたしらもうすぐ地獄行き」
 小堺αは馬鹿みたいに笑いはじめ、小堺βは間抜けみたいに泣きはじめる。
「いや、ドッペルゲンガーじゃないかもしれませんよ!」
 民城はそう叫んだ。
「あれかもしれませんよ。ほら、マルチバースってやつ……」
「マルチバースって、マーベルのやつ?」
「DCの方が映画でやったの先でしょ」
「は、知らんし!」
「だからケンカしないでくださいよ! マルチバースってあれですよ、平行世界っていうか、私たちが住んでいる以外にも異なる時間とか運命を持ってる色んな世界があってみたいな。今度新しいスパイダーマンやるじゃないですか、それでピーター・パーカーが自分の世界から、別の世界に行って……」
「いや、分かるよそれは、マーベル観てるし。でも例えるなら『What If』の方が良くない?」
「あたしは観てない、Disney+のアコギ商売に金払いたくない」
「奇遇だね、あたしもだよ。だからディズニーに中指立てながら違法サイトで観てる」
「フウ、あたしも!」
「話逸れてますよ! で、そういう感じで、違う世界にいるあなた方が何の拍子か、このカフェで偶然出会っちゃったとか、何か、そういう感じではないでしょうか?!」
「じゃあ、あたしがトビー・マグワイアで、こいつがアンドリュー・ガーフィールドってこと?」
 小堺αが小堺βを指さしながら言った。小堺βは何も言わないが、わざと変顔みたいなことをしている。
「あんた、あたしがトビー・マグワイアでいいの?」
「どういう意味?」
「面白くない方に甘んじちゃっていいの?ってことだよ」
「は、サム・ライミ版より『アメイジング・スパイダーマン』の方が面白いに決まってんじゃん、馬鹿?」
「趣味わる、馬鹿はそっちだろ」
「というかトム・ホランドを取りあうとかじゃないんですか?」
 民城の言葉に小堺αと小堺βは顔を見合わせる。
「いや、言うてあたしらアラフォーだし」
「いやいや、あたし含めんなよ」
「じゃあ、お前はアラフォーじゃないんかよ」
「アラフォーではありますけれども、お前に勝手に代弁されたくないってことだし、母親面か」
「ガミガミガミガミ、お前のが母親面だろ、いい年こいてヤンキーシンママだろが」
「ヤンキーシンママ馬鹿にすんなよ、彼女らこそ家父長制の被害者でしょうが」
「はあ、知らねえし」
「落ち着いて、落ち着いてくださいよ!」
 民城は猛獣をいなしている気分になる。
「私、私としてはお二方とも何か似た者同士っていうか、気が合ってるみたいですよ。本人っていうか友人、いや漫才コンビみたいな?」
「こんな瓜二つ漫才コンビいたら不気味だろ」
「いや、普通にザ・たっちとかいるでしょ、知らんの? 馬鹿?」
「は、忘れてただけだし! あたしは結構お笑い見てるから、あんたよりは見てるし」
「あたしの方が見てるに決まってんだろ」
「じゃ、じゃあお2人の好きなお笑いコンビは誰ですか?」
「えっ、聞いても知らんよ絶対、すごいマイナーだし」
「あたしの方も、こいつは絶対知らん芸人が好きだね」
「それ、教えてくださいよ!」
 互いに対して勝ち誇ったような視線を向けながら、小堺αと小堺βは同時に叫んだ。
「「ネオバランス!」」
 その叫びは美しく重なりあって、カフェに奇妙な波動を生みだした。
「えっ、あんたネオバランス知ってんの?」
「なに、Youtube版のあらびき団観たの?」
「そっちの世界でもあらびき団やってんの? いや、ていうかあらびき団じゃなくてあらびき田だし……」
 そう言いながら小堺αは少し嬉しそうで、小堺βも恥ずかしげにニヤニヤしていた。
「あれ、面白いよね、SF漫才っていうかすこしふしぎ漫才」
「うん、動画編集うまく使いこなしてるし、Youtube時代の芸人なんだなってちょっと感心しちゃったわ」
「まさか、ネオバランス知ってる人いるとわ……」
 民城はネオバランスを知らなかったが、取り敢えず2人の仲が深まったようで安心する。
「まあ、あんたが平行世界にいるもう1人のあたしにしろ、そっくりさんにしろ、何にしろ、確かに興味深い存在ってことは認めざるをえないかもね」
 小堺αは言った。
「まあ、あたしとしても、そんな感じ」
 小堺βは言った。
「だからもうちょっと話したいけど、でも今日、あたしが夕食の当番だから、帰んなきゃ。話すのは今度ね」
「ふうん……ま、パートナーとちゃんと料理の役割を分担してるっていうのは悪くないんじゃないの。そりゃ引き留められないね」
 小堺αと小堺βはまた会うことを約束するが、問題はどう連絡するかだった。互いの電話番号とメールアドレスを確認すると全く同じで、連絡しようとすると自分に返ってくることは明白だった。名前は聞かないことにしたのでFacebookもなしになった。
「じゃあ、この喫茶店を待ち合わせ場所にするのはどうですか?」
 民城がそう提案する。
「もしかしたらこの喫茶店が世界と世界の交差点なのかも。じゃないとこんな変なこと起こらないですよね。また一緒のタイミングで2人が来るなんてことはあまりないかもですが、こう、私を仲介して待ち合わせの日時を決めて、その時間に来れば、また出会えるとかあるかもですよ」
 小堺αと小堺βは素直にその言葉に従うことにしたようだった。そして同じタイミングで頭頂部の黒髪を掻いたんだった。
 2人が帰った後、彼女らが来る前に座っていた席にドスンと落っこちるようにまた座る。人生で一番奇妙な事態に襲われて、ドッと疲れてしまった。脳髄がグニャグニャになったように感じる。
 マルチバースかあ。
 民城は考える。この喫茶店で働いていない世界線の自分、同じ高校に恋人がいる世界線の自分、部屋の窓に鳥がぶつかってこなかった世界線の自分、ケーズデンキへイヤホンを買いに行った時にレジの前ですっころばなかった世界線の自分、昨日コカコーラじゃなくペプシコーラを買った世界線の自分……

 小堺は自身のマンションに戻り、エレベーターで5階に上がる。扉が開くと黒髪と茶髪の外国人女性がいる。同じ階の住民だが、ほとんど面識はない。噂では東欧かどこかの出身で、故郷で同性婚だかパートナーシップを結んだかした後に、日本へと引っ越してきたらしい。住民たちの前ですこぶる露骨に、仲睦まじげにイチャイチャするので、自身も同性の恋人との関係性を隠す必要もなく、それはありがたいことだった。
 部屋に帰ると居候中である弟の粋人がソファーで昼寝をしているのを発見する。
「あたしのソファー、独り占めすんな」
 頭に引いていた座布団を抜きとって、彼の顔面をブッ叩く。粋人は呻きごえをあげながら悶えたかと思うと、転がって床に落っこちる。呻きごえがもっと酷くなる。
「んだよ、人がいい感じで夢見てたのに」
「そんなん知らんよ、でもあたしがそれよりもっと夢みたいな話してあげる」
 小堺はソファーに腰を据えて、先の奇妙な事件について身ぶり手振りを交えて語った。
「へえ、そんな変なこともあるんだねえ」
 本戸ステラはまろやかな笑みを浮かべながら、そう言った。そしてUberEatsで夕飯を頼もうとする。
「えっ、今日あたしが夕食作るんでしょ」
「うん、でも急にピザ食べたくなっちゃった」
「何それえ、夕食当番だったからもう一人のあたしほっぽって帰ってきたのに」
「ごめんごめん、ピザ食べながらもっと詳しく聞かせてよ」
 そして小堺と粋人はラーメンをズルズルと啜りまくる。小堺の方はその合間に缶ビールも飲みまくる。
「あの黒髪のガイジンの人さ」
 粋人が小堺に言う。
「毎回毎回別の女連れ込んでるよな、ありゃ相当のプレイガールだな」
「まあ、白人とかってそんな感じじゃないの」
「俺も白人のレズビアンだったら、もっとモテモテだったかもなあ。特に日本の女なんて白人だったら無条件でベッドインだろ」
「そんな言わないでよ、どっちにも失礼。あの人だって色々苦労してんじゃないの、やっぱ。だからこその余裕に女も惹かれんじゃないの。あんたなんか、その苦労の途中で弱音吐いてダメになんに決まってる」
 小堺は肉厚のチャーシューをモリモリむさぼる。重い旨味は幸せの味だ。
「そういえば今日、帰ってきた時に彼女のこと見かけたよ。奥さんと一緒だった……いや、妻の方がいいか。何かさ、奥さんの方が性差別的な言葉だって分かってんだけど“さん”が付いてるから、何か尊称に思ってつい使っちゃうんだよね、どうしよ」
 小堺はピザを大口でパクつきながら言った。
「じゃあ、妻さんって言えばいいじゃん」
 ステラはピザを唇でくわえながら、上のチーズをミヨォンと伸ばしていく。
「え、でも日本語として不自然じゃん、みんなそんなん使わない」
「じゃあ、あなたが最初に使えばいいんじゃない」
「まあ、妻さん、妻さん? 何だか不自然な気するけど」
 缶ビール3本で完全に酔っ払った小堺は、ソファーで寝転がりテレビを見ていた粋人の顔面に股がっていく。
「おらおら、この野郎、ちゃんと働いてあたしに税金を納めろ!」
「ちょ、これは、苦しいって!」
 ステラがそう悲鳴をあげるが、小堺は顔面騎乗をやめない。
「いいじゃん、前観た映画でもこういうのめっちゃやってたやん!」
「あれは映画で、今は現実うエエ!」
 夜中、小堺は粋人にまた今日あった奇妙な出来事について話す。
「うっせえよ、変なことあったのはもう分かったから、何度も言うなって。俺、ソファーで寝るから自分の部屋行けや」
 小堺はブツブツと不平を言いながら、寝室に赴く。
「ねえ、もう分かったから、その話するのやめてよ。はいはい、変だった変だった。じゃあね、おやすみ」
 そう言ってステラが電気を消した。
 小堺は頬を膨らまして、プシュウとわざとらしく大きな音をたてる。自身も毛布をかぶって眠ろうとする。ふと頭にもう1人の自分のことが思いうかんだ。
 今、あいつ何やってるかな。あたしと一緒でもう寝ようとしてるかな、それとも寝てるかな。誰なんだろうね、そもそもあいつ。平行世界なんて本当にあるのかな、あいつ以外にもあたしがいっぱいいんのかな。何か怖いけど、でも夢あるなあ。
 そして同じくプリンな髪色をした自分が1つの空間にぎゅうぎゅうになってる風景を想像する。全員マスクをしていて、自分でも驚きながら、急いで想像を修正しようとする。しかし何人かはマスクをしていない自分もいるのに気づいた。
 はやくコロナ禍終わんないかな。
 そう思いながら、まぶたが重くなっていくのに気づく。その勢いのまま、小堺は目を閉じる。
 おやすみなさい、あたしたち。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。