見出し画像

コロナウイルス連作短編その70「もし私も自閉症の子を産んだら」

 御影結の長女である御影由良は自閉症スペクトラム障害(ASD)を患っていた。夕食後、それが原因で由良はパニックを起こしている。きっかけは彼女が妹である真木野と交互にYoutubeの動画を観ていたことだ。彼女たちは交互に由良の好きなタヌキの動画と真木野の好きなモルモットの動画を観ていたが、由良は順番を無視してタヌキの動画を観続けた。なので躾として結が彼女からタブレットを奪い、真木野がずっとモルモットの動画を観れるようにすると、彼女は泣きわめき始める。耳障りな轟音を響かせながら、由良はリビングを走りまわる。時々何か不平不満をも叫びながら、それは素人の抽象画のような有様で何を言いたいかさっぱり分からない。いつものことでありながら、下の階の住人に迷惑がかかるので走りまわるのは止めてほしいと結が願う。だが由良は走る。これはもはや暴力だ。何か言いたくなってもパニック中はあまり干渉するべきではないというアドバイスを結はもらっていたが、我慢できずに再び姉妹でタブレットを共有させる。だがタヌキの動画を観ているのに、由良は「タヌキの動画観たい!」と泣きわめき続けた。意味が分からなかった。そして結はこの光景を全てカメラに収めていた。

 夜、娘たちが寝た後、今日撮影した動画を編集する。少し前から彼女は、ASDを持つ娘とその親である自身の日常をYoutubeにアップロードし始めたが、この編集作業は知的遊戯としてなかなか楽しめる。ASDの解説をする字幕を製作したり、由良の奇妙な動きに笑える効果音をつけたりする作業のなかで、自分の日常を違う視点から眺めることができる。先ほどはいつもながら理解不能な由良のパニックに対して怒り心頭であったが、こう動画として振り返ると可愛くすら見えてくるのだから不思議だ。ふと結は液晶画面に映る由良の左頬を撫でた。
 そして気分がいいのは今聞いている楽曲のおかげでもある。結はからすまあきらという声優の大ファンだった。活動歴は20年近くあるも最近まで売れているとはお世辞にも言い難かったが、突如人気アニメに次々抜擢され、今では同じく人気声優である梶裕貴や花江夏樹らとともに民放のバラエティ番組にまで出演するほどだ。あきらは彼らよりもキャリアが長い故、お兄さん的な存在として愛されている。結はそんなあきらを下積み時代から知っており、今聞いているのは2005年に発売された『モーツァルト☆ライトニング』というBLCDの企画の一環で制作されたキャラクターソング『密やかなクルイ』だった。あきらはキャリアを通じて様々な楽曲を唄っているが、中でもこの曲は1,2を争うほどの結のお気に入りだ。有体に言えばジャミロ・クワイのパクリ的な楽曲であり、あきらの歌唱もそれほど巧みとは言えない。だが声優としての彼の声は正統派イケメンボイスという雰囲気である一方、歌手としての彼の声には妙な癖がある。鼓膜を愛撫するのではなく、鼓膜に吸いついていく。そのまま毛穴を通じて全部吸い込まれそうな奇妙な吸引力がある。この曲の作曲者はあきらの癖を熟知しており、未来的でありながら少々滑稽みすら宿る一方、余韻は不思議と爽やかというかなり複雑な曲調を彼に託している。そしてあきらは見事その味ある歌声で応えてみせた。だから結は『密やかなクルイ』という楽曲を愛していたのだ。
 先週、結がアップロードした動画は病院に行きたくないとゴネる由良を映した動画だった。病院では撮影許可が下りなかったので、ゴネる場面の後は病院後に時間が飛び、一緒にアイスを食べて機嫌が直る由良の姿が映しだされる。再生数は既に5000回に到達しており、なかなかに気分がいい。コツコツと動画制作を続けていき、動画の平均再生数2000回と人気も出てきているように思われる。何より嬉しいのはコメント欄に現れる声だった。

"自分の子供も自閉症スペクトラム障害(7歳)で育てるのがとても大変です。だけどゆいさんの動画を観て元気をもらっています"
"ぼくの弟がASDです。でも言語の発達が遅れていて、あまり喋らないタイプです。こんなにワーギャー喋るタイプの子もいるんですね"
"双子が自閉症だと診断を受けました。どう育てていいか分からず、私は怒ってばっかのダメなママです。だから動画を観て泣いてしまいました。私ももっと自分の子供と向き合って、頑張っていこうってそう思えました! ありがとうございます!"

 時々は悪意あるコメントをもらう時もありながら、実際はこういった激励のコメントや育児に関するアドバイスが多い。こういったものを読んでいると、元気が湧いてくるのだった。

 午後11時ごろ、夫である御影唐が帰ってくるが明らかに疲労困憊といった風で、いつ死んでもおかしくないと思えた。
「もう仕事辞めた方がいいんじゃないの」
 冗談を装いながらも、ある側面では本意だった。とはいえ実際に辞められたら金銭面でかなりの問題が浮上するので、辞めてもらいたくはない。それでもこれは気遣いだった。妻という役割にある人間が言うべき気遣いだと思えた。
「うるせえよ、そんな簡単に仕事辞められりゃ苦労しねえよ」
 想像以上に攻撃的な返事が返ってきたので、結は狼狽する。沸々と怒りすら湧き、それが口論に発展し始める。
「うるさいうるさいうるさいうるさい!」
 突然子供部屋から由良が飛び出してきて、再び絶叫を始める。途端に唐の表情が切なく柔和なものになり、彼女の小さな身体を抱きしめる。身体中ベタベタと触りまくるので、性犯罪者のようだと結は思った。だが由良自身は満足げに弛緩した笑みを浮かべる。現金なクソガキだな、結はそう心で毒づく。

 先に編集した動画を1週間後にYoutubeにアップロードした。それからまた数日が経つが、動画の再生回数は6000回を越えており、何故だかいつもより評判が良いのでホクホクとした気分になる。そしてこういったコメントが動画には書かれている。

"自分も自閉症子の親です。ユイさんのパニック対処法はすごく参考になります。これからも動画制作がんばってください!"
"ゆーらちゃんえらいです。パニックになってしまったりするけど、自分でもがんばってると思います。あと、ちょいちょい映りこむまきのちゃんが可愛いです。将来、ゆーらちゃんのことを心配しすぎて、自分のことをおさえすぎる子にはならないでほしいなあ"
"お母さん……すごく尊敬します。見てるだけですごくシンドイです。お母さんは本当にすごい。もし私も自閉症の子を産んだらお母さんのように頑張ります!"

 そんなコメントを読んでいると、メールが届く。それは株式会社マキオン・サポーティングという会社からメールだった。内容を読んで、結は驚いてしまう。会社の宣伝担当者の1人が結の動画を鑑賞し、彼女の奮闘に感動、ぜひ子育ての手伝いがしたいと申し出てきたのだ。このマキオン・サポーティングは発達障害を持つ子供をサポートするサービスである発達サポート・サービスを提供しており、もしこの宣伝動画を作ってくれたなら、サービスを無料提供したいそうだ。この申し出は、自分のYoutuber活動が少しずつ認められてきている証明と思えて、結は嬉しく思う。

 ある時、結は由良にピーマンを食べてもらいたいと思う。ASDの常として彼女は相当の偏食家であり、新しかったり未知であったりする食材には壮絶な拒否反応を見せる。実際、前にもピーマンを夕食に出したが、典型的なまでに拒否し、結局食べることはなかった。今回はクックパッドで見た、ピーマンのおかか和えを作ってみる。縦に細く切ったピーマンをフライパンへと投入し、ごま油とともに熱していく。中火でしばらく熱するとピーマンがしんなりしていくので、そこで弱火にした後は酒と砂糖、醤油、みりんの順番で入れていき、汁気がなくなるまで炒めていく。この頃には美味しそうな匂いが結の鼻をくすぐっている。汁気がなくなったら火を止めて、かつお節を入れてよく和える。これで完成だ。由良はかつお節は好きだった、なのでこの料理も食べてくれるのではないかという淡い期待があった。
 由良と真木野を横並びにさせて撮影を開始する。真木野はピーマンやカレーを美味しそうにたいらげていき、最後には「美味しくない!」と元気そうに言った。結は笑った。由良はピーマンを手掴みで食べた後に「この緑のヤツ、キラい」と吐き捨てて、手をつけようとしない。食べてみればと優しく勧めながらも、由良は聞く耳を持たず、頑固なまでにピーマンを食べない。深い落胆と怒りが、結の心を腐らせる。

 夜、ストレス発散のためにからすまあきらの曲を聞く。『残念! 白人イケメンズ』というBLアニメが放映されていた際に結成された男性ユニットHot Voysの曲『世界へ!』だ。この頃はOne Directionが全盛期を迎えていたので曲調もそこに寄せてあり、アップテンポなリズムに合わせて身体をワチャワチャ動かしていると自然とストレス解消になる。この頃のあきらの歌声は少し癖が収まった印象も受けるが、他の男性声優たちの声と比べるとまだまだ味ある個性が炸裂している。その声に合わせて、一緒に歌詞を紡いでいくのはとても楽しい。これをずっと繰り返している時、視線を感じた。ドアの隙間から帰ってきたばかりらしい唐の顔が見えた。彼は踊っている妻の姿を窃視するように観察していた。結も彼の顔を見据えた。もはや互いの視線に気づいていながら、両者とも踊りと観察を止めることはなかった。結は隙間から見える唐の右の網膜に中指を突き立ててやりたかった。

 掃除の合間にスマートフォンでニュースを眺めていると"からすまあきらが15歳年下の一般女性と電撃結婚!"という信じられないニュースが流れてきた。脳髄をブン殴られるような衝撃を味わいながら、あきらがマスコミ向けに書いた文章を読んだが、全く内容が入ってこない。一方で結の友人たちはあきらの結婚を素直に祝福していた。ある友人は"もう40代なんだから、素直に喜ぶべきだと思う"という殊勝なコメントをTwitterに残していた。
 何でそんな簡単におめでとうなんて言えるんだよ?
 今広がっている全ての事象が結にとって裏切り行為のように思えた。
 この事実に呆然としながらも、その日の家事は完璧にこなした。だが翌日の朝、由良は「幼稚園行きたくない! お家にいたくない!」と支離滅裂なことをわめき散らした。この支離滅裂な矛盾はASDの子供にとって自傷行為であると教えられたことがある。冷静に判断するべきだったが、今はもう冷静に何かを考える余裕がない。動揺する結を尻目に、真木野は静かにパンを食べパン屑を口からこぼし、唐はただ騒ぎ続ける由良を見ているだけだった。そしてなおも由良は泣きわめき、リビングの床を全力でドンドンと踏みまくる。前同じシチュエーションを動画としてアップロードした時、どこかの無知な人間が"ママとして抱きしめた方がいいんじゃないの?"というコメントを残してきたことがある。実際に抱きしめると由良は更に暴れまくり、それで結は怪我をしたことがあるという過去をその人間が知る訳がない。この実情を知らずに傲慢なアドバイスができる無能が、結にとって最も唾棄する存在だった。だが結にもとうとう限界が来る。冷静を維持できなくなり、怒りのままに床を踏みしだきまくる。大人としての体格ゆえ、響く騒音の耳障りさは更に激しい。自分のように振舞う母の姿を見て、由良は泣くのも止めて呆然と立ち尽くす。真木野は爆笑する。疲れ果てた結は寝室に逃げこんで、強制的に自分を眠りへ追いこんだ。
 夢を見た。からすまあきらが見知らぬ若い女と一緒に歩いていた。日本のポルノのようなモザイクが女性の顔を包んでいる。彼女のお腹は膨らんでおり、2人とも幸せそうだ。あきらが彼女の腹部を撫でたのを見た時、心の底から憎悪が湧きあがる。
 ガイジを産め、ガイジを産め、ガイジを産め。
 由良は強く念じた。

 この日は割合早く唐が自宅に帰ってくる。不可解なまでに機嫌がいいので、その理由を尋ねてみるのだが、全く聞こえていないようで、気ままに鼻唄を歌っている。彼は軽薄なまでに高揚している。結は、実は医師の診断がないだけで唐自身もまたASDなのではないかという疑念を抑えられないでいる。

・視線があいにくく、表情が乏しい
・自分なりのやり方やルールにこだわる
・感覚の過敏さと鈍感さが極端なまでに存在する
・細部にとらわれてしまい、最後まで物事を遂行することができない
・過去の嫌な場面のことを再体験してイライラしやすい

 成人のASDを解説するページ、そこに書かれた症状例が明らかに唐の日常の行動と合致するのだ。今や彼の精子によって妊娠と出産をした故に結はガイジになったという思いすらも抱き始めている。もしかすると今は健常児に見える妹の真木野もいつガイジに堕すかは分からない。そうなったら全てが唐の責任だった。だがこれを実際に公言したらどうなるかは分かっている故に、行動に移すことはない。
 トイレの便器に座り、目前のくすんだ壁を眺める。結は唐が初めてペニスを生で彼女のヴァギナに挿入した時のことを思いだす。
「今までゴムなしでセックスしたこととかないんだよな」
 唐は薄笑いを浮かべた。勃起したペニスを刺激しながらヴァギナに挿入を試みる。試行錯誤を経て、やっとペニスが入る。結はこの前にもゴムなしのペニスを挿入されたことはあったので、別段奇妙には感じなかった。だが唐の腰つきは赤黒い亡霊のように不気味で、喘ぎ声は死に際のハイエナが出す断末魔のように不快なものだった。長い時間が経った。少なくとも結にはそう思えた。唐は射精し、疲れ果てた身体を結のうえに横たえる。乳房を潰され、不快だった。だが彼の頭を撫でる時、確かに愛おしさを感じていたことを未だに彼女は覚えている。

 発達サポート・サービスのアドバイスに従い、由良を料理に参加させる。実際に自分の食べる料理を作らせると、少なくとも食べようとする意志を見せる傾向にあるという。拒否反応を示すかもしれないと危ぶんだが、意外と楽しげに由良は料理に参加してくれた。普通密集物には拒絶の態度を見せるのに、ピーマンの種を取るのには乗り気だ。指についた無数の種も笑いながら見ている。そしてこのピーマンに挽肉を詰めていく。特にこの行程は気に入ったようで、まるで泥団子を作るみたいに次々と肉詰めを作っていく。そして驚いたのは、結が食べる意志を見せるどころか、実際に食べたことだ。美味しいという言葉とともに彼女は次々とピーマンの肉詰めをたいらげ、とうとう全てをたいらげてしまう。嬉しかった。ビデオ撮影後、結はマキオン・サポーティングの担当者にこの日の顛末についてメールを送る。末尾には宣伝動画を1週間以内にはアップロードすると付け加えた。その時、ちょうどバラエティ番組にからすまあきらが現れたので吐き気を催した。

 幼稚園から帰ってきて、結は姉妹に『マジック・スクール・バス』というNetflixのアニメーションを見せる。ママ友の1人が今作を熱心に勧めていたからであり、実際姉妹も集中してアニメに見入っていた。その姿を観察しながら、結はからすまあきらの妻について調べる。ニュースでは一般女性と呼ばれていたが、数年前までグラビア・アイドルをしていたという情報を得る。写真のなかで彼女は官能的な表情を浮かべ、ラベンダー色のビキニが彼女の巨大な乳房を押しとどめている。細くあるべき場所は細く、豊満であるべき場所は豊満である。唐などの平凡な男性たちは彼女を"エロい"と形容するだろうと思える。この写真を見ていると、自分が女性として何もかも劣っていると言われているようで虫唾が走る。怒りに震える脳髄を抱えながら、ソファーに深く沈みこんでいく。そしてゆっくりと自分の今の人生を眺める。だが何かを思い起こそうとすると、泣きわめく由良の惨めな顔面だけが思いうかぶ。危機感を抱いて、他の光景を思い浮かべようとするが、その顔面の横に"ゆーら/自閉症スペクトラム障害"という彼女が動画につける色とりどりの字幕が現れただけだった。
 結は寝室に逃げこみ、強引に自身の意識を切断した。結は夢を見た。赤くザラついた地面には全裸になった唐とからすまあきらの身体が転がっていた。ペニスは鷹揚なまでに勃起している。気づくと右腕に鉈を持っていたので、結は両者のペニスと睾丸を切断して2本を交換した。簡単に肉が馴染んだので少し驚いた。唐の方は眠ったままだったが、あきらの方は起きあがるとペニスを揺らしながら歩いていく。歩く先には股を広げたあきらの妻がいた。そのヴァギナに、あきらはゴムを着けずにペニスを挿入した。彼の喘ぎ声は本当に美しかった。実を言えば男性とセックスして欲しかったが、女性とセックスしている時でもその喘ぎ声は変わらず美しい。彼はひと際大きな喘ぎ声をあげると、妻を抱きしめる。射精したようだった。結は彼らに走りより、あきらの身体を押しのけると、女性のヴァギナを眺めた。ロボット的な無機質な笑みを浮かべる一方、結はその身体を揺らす。するとヴァギナからあきらの、いや唐のペニスから射出された精液がドロリと出てきた。
 これでこの女もガイジを産む、この女の子供もガイジになる。

 パニックを起こす由良に、結はカメラを向ける。小さな液晶にその姿が映る。由良はフレームの内外をひっきりなしに行きかう。結はカメラでそれを追いながら、彼女の動きは予想もつかない。しかし突如動きを止めると、依然泣きわめきながらも自分からカメラへ近づいていく。彼女はしばらくレンズを見据えるが、また脈絡もなく頭を振り始め、黒々しい髪の毛を撒き散らしたかと思うと、地面に転がる。そして暴れまくる。結は何も言わない。ただカメラを向け続ける。由良は絶叫した挙句、最後には蚯蚓の死骸のように動かなくなった。結は由良にカメラを向け続ける。撮影は止めない。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。