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コロナウイルス連作短編その179「息子の嫁はフィリピン語で喋ります」

 阿佐谷霧野は息子の豊、そして彼の妻であるローサとともに墓参りへと向かう。大気は熱く湿り、そして粘っている。
 4年前に夫である大観が心不全で亡くなってから、命日である6月17日には息子とともに墓参りへ向かうこととしている。3年前からはローサという女も付いてくるようになった。息子が結婚すること、身を固めることは当然だが嬉しいことだ。しかし妻がフィリピン人になるとは予想していなかった。
 濃い顔面を持つ女だ。常に分厚いメイクを施しているのではないかと錯覚される。顔がまとう雰囲気は、重量を伴った紙ヤスリのようだ。網膜にのしかかり、そして神経を削る。ローサを見るたびに、精神以上に眼球が疲れ果てるのだ。
 だがより微妙なのはローサの日本語だ。この3年、何度か彼女とは会っている。Zoom越しに対面したこともある。それでもいっこうに日本語が上達している気配がない。自分の言った日本語を、彼女が理解しているとは到底思えない。逆に彼女の言葉を耳で聞くとなると、脳髄にはカタカナしか浮かばない。時々は意味を成さない文字列を発声するゆえ、カタカナすら浮かばないこともある。ゆえに大部分は豊を通訳として、コミュニケーションを取ることになる。それで深い交流が可能かといえば、無理だ。豊の語学力もお世辞にはいいと思えない。英語も国語も成績は確かCとDを行ったりきたりするほどだった。
 今、ローサは自分の横に立ち、日傘を差している。
 それは自分のためでなく、自身の姑のためだ。傘を妙なバランスで上に掲げ、霧野の身体に日差しが当たらないようにしている。代わりにその身体は危なっかしく揺れている。
 ローサが自分に気に入られようとしているのはハッキリ分かる。自分と会う際には満面の笑みを常に浮かべながら、自分に優しくしてくる。フィリピン流の真心というわけか。彼女の優しさを嬉しくないと切り捨てるのは嘘になる。だがこれは翻せば“年寄り扱い”と変わらない。影のなかで、自分が66歳という人生の黄昏にある事実を突きつけられる。それを意識すると嬉しさは無様に萎える。
 だが今、ローサはなおも自分の横に立ち、日傘を差している。
 その日傘は黒い、ローサ自身の瞳の色と同じだ。断層に埋めこまれた黒曜石の色と同じだ。それは確かに日光を多く取りこんでくれるのだろう。稠密に凝縮された色の分子が、熱を宿した光の分子を捉え、押さえつける。そして薄暗い影を大地へと、人間へと投げ掛ける。
 霧野はその影が嫌いだった。生半可な暗澹のなかで有機物は陰湿な形で腐っていくと、そんなイメージが頭に浮かぶ。日傘の影のなかで霧野は蛇の死体のように腐り落ちていく。であるからして、霧野は夏に日傘は差さない。帽子やサングラス、日焼け止めなどで徹底して皮膚をケアしたうえで、路上を歩く。ローサが掲げる日傘は無駄とは言わないが、神経を逆撫でする。
 彼女は右の親指につけられた指輪に、視線を向ける。ゴールドとプラチナのコンビネーションリング、これが大観から送られた結婚指輪だった。
 親指に指輪とは奇妙だ。大観という彼の古風な名前と同じくらい奇妙だった。だが肥えた短小の指に、指輪はゾッとするほど耀かしく映えている。美しい。綺麗だ。親指に詰まった肉や骨、血管を締めつけている。官能的で、甘やかだ。
 最初は当然、違和感があった。周囲から怪訝に思われることも日常茶飯事だった。だが大観は親指にこそ指輪を捧げたのだ。だから霧野はそこに指輪を嵌め続けている。そしてその異貌と痛みゆえに、霧野は誰にも真似できない結婚生活を生きた。

「もう、大丈夫だから」
 霧野は傍らのローサにそう言う。
「ああ、大丈夫ですよ」
 ローサはそう答え、霧野に笑いかける。マスクから鼻が露出している。コカコーラのペットボトルのような形をしている。だが大きさは500mlでなく700mlボトルの方だ。
 そしてこの問答は今日の時点で数回目だった。「大丈夫だから」と言っても、ローサは同じような返事をし、日傘を差したままでいる。
 自分は確かに日本語を喋っており、ローサも確かに日本語らしき言葉で返事をしている。特にさっきなどはパッと聞いた限り、頭のなかで「アア、ダイジョウブデスヨ」とカタカナに変換されない類いの、悪くない発音の日本語を発声していた。
 だが結局、日傘を差されているという状況は全く変わらない。それは日本語だが、日本語でないとしか思えない。日本語が脱臼し、概念ごと変貌した別次元の世界へ迷いこんだのではと錯覚してしまいそうだ。
「ねえ、豊。この子に“もう日傘、大丈夫だから”って言ってよ」
 後ろを向きながら息子に話しかける。青いペンキをブチ撒けられた苔のような色のシャツを、彼は来ている。暑いのか、携帯扇風機を首もとまで持っていき、頸動脈を風で冷やそうとしているようだ。マスクから鼻が露出している。豚カツの衣さながら武骨だ。
「別に、傘差しててもらってた方が涼しいだろ」
「涼しいとかじゃなくて、歩きにくいの。彼女には悪いけど、ちょっと邪魔」
「そっすか」
 その軽薄な言葉遣いたるや、堂々としていた。夫が聞いたら、辞書で頭蓋を叩き割ろうとするのではないか。
 そして豊が日本語ではない別の言語を喋り始める。それに答えてローサも別の言語を喋り始める。目に見えない分子が支離滅裂に痙攣し、弾けているような騒々しい言語だ。これが一体何の言語なのかを霧野には分からない。英語、スペイン語、タガログ語、或いは3つが混合した言語、もしくは全く別の何か。
 だが実際にはこの言葉が英語だと分かっている。ただ霧野がそうであると理解したくないだけだ。NHKの教育番組を見て練習しようと、少しも理解できるようにならない。図書館で文法書を借りてきたとしても、理解が進むことがない。散歩する際にイヤホンで発声練習用のCDを流しても、全てが理解の範疇を越えている。もはや霧野が理解を拒んでいるのでなく、その理解を拒む主体は脳髄それ自体であると思えた。
 少なくとも今、霧野には一言足りとも彼女らの言語を理解できない。
 2人はしばらくその言語で喋り続けていた。すぐに終わると思った。ただ“もう日傘、大丈夫だから”と言って欲しかっただけだからだ。しかし終わらない。未だに使っている掃除機のコンセントさながら、ダラダラと続いていく。豊は扇風機を首に当てながら、事も無げに喋っている。ローサは後ろを見ながら、かなりの勢いで言葉を紡いでいる。そして両者とも時々、霧野の方を見る。
 ただただ厭な気分だった。何を言っているのか分からないと同時に、自分が話題に挙げられているとしか思えない。言語の炸裂音が鼓膜に迫ってくる。ニュースで見た激烈な雹の落下、あの映像で流れていた猛然たる破裂音が鼓膜の裏側に甦り、骨を揺らす。
 その言語のなかに自分の居場所がないと霧野は感じる。絶対に自分のことを話している筈だが、完全に蚊帳の外に置かれている。もはや自分の入りこむ余地がない。自分のことすら、その言語においては話す資格がない。それをいいことに豊とローサは自分についてその言語で喋っている。
 フィリピン語、ふとそんな言葉が思いついた。英語でなく、フィリピン語。
 フィリピン語などという言語がないことならば、霧野も知っていた。だからこそ今の状況に使うべき言葉として、フィリピン語が最も皮膚に潜りこんでくるような感覚があった。そして頭に浮かぶものがある。
 彼らはフィリピン語を喋っている。
 だがフィリピン語という言語は存在しない。
 なのでフィリピン語を学ぶ方法はない。
 ゆえに霧野がフィリピン語を解さないことは必然である。
 豊とローサはフィリピン語で霧野について話し、フィリピン語のなかに霧野のイメージを立ちあげようとしている。それは霧野にとって、フィリピン語によって行われる自己の捏造のように思えた。
 霧野は震える左手で、右の親指に嵌められた指輪を撫でる。
 彼女は無力だ。

 霧野は墓に花を供える。そして墓石を見つめながら、汲んできた水を天頂へとかけていく。表面をひた走る水の流れが、彼女の心に罅を入れていく。霧野は夫の最期に、その手を取って指を静かに絡めた。背後に水の一滴すら感じられない、漠砂さながら乾いた皮膚がそこにあった。その感触が、自分の身体を覆う皮膚へと重なる。日差しが痛い。
 その後ろで豊は適当に立っている。特に何の感慨もなしに、暇と戯れている。死んだ父親のことなどどうでもいい、ただ今日の夕食が何かが気になってるとそんな風だ。
 彼の傍らでローサは、先とは打ってかわり借りてきた猫さながら縮こまっている。当然だろう、日本の墓地に足を踏み入れたことはそうないはずだ。それでも彼女の目だけは墓石を一心に見つめている。軸がぶれることがない。それでも網膜の奥でローサが何を考えているかは分からない。
 霧野は線香に火をつけ、小さな社のような場所にそれを納める。白煙の量が、異様なまでに多い。
 瞼を閉じるなら、夫との様々な思い出が浮かびあがる。だがどれもぼやけている。水彩で描きだした抽象画のようだ。どれが彼とのどの記憶なのかが伺い知れない。ただ拡散した色彩だけがそこにはある。それらが、しかし温もりのように霧野の心へと滲みていく。今や、その全てが懐かしい。彼女は自然と涙を流していた。
「大丈夫ですか?」
 そう寄り添ってきたのはローサだった。自分の皮膚に、ローサの重苦しく湿った肉が触れる。それは不思議と、記憶と同じように温かかった。2つの温度が混ざりあい、霧野の心を包みこむ。
「キリノサン、ダイジョウブデスヨ」
 霧野はローサの顔を見つめることになる。予期せぬほど顔は彼女に近づいており、霧野は自然とそれを凝視することになる。何の変哲もないごく平凡なマスク、その奥でなだらかな凹凸を描く顔の下半分、秋刀魚を焼く網台のような濃厚な灰褐色の肌。
 だが霧野の目を惹いたのは、やはりその瞳だった。黒曜石のような黒い瞳。
 そういえばその瞳をここまで近くで見るのは初めてのような気がする。今まで彼女とそこまで親密に接することはなかった。日傘の件のように彼女から距離を詰めてくることはあっても、霧野からそうすることがなかった。そして今、霧野はごく近くからローサの瞳を見つめている。
 何故だか、心が落ち着いた。
 そしてローサはおもむろに、墓石の方へと視線を向け始める。さらにゆっくりとした動きで、彼女は桶の方へと身体を屈める。柄杓で細長い桶から水を掬っていく。その手つきは少しばかり危なっかしい。なおも微かな揺れを伴いながら、ローサは水を墓石へと運んでいく。
 天頂に辿りついた時、柄杓を止める。その時、ローサは瞼を閉じて、口を動かした。マスク越しにもそう見えた。世界は静かであったのに、しかし何も聞こえない。そうしてローサは墓石へと水をかける。透明な液体はするすると、何の抵抗をも感じることなく表面を駆け抜けていった。自由だった。
 水が下まで流れきると、ローサは再び桶から水を掬い、ぎこちない手つきで墓石の天頂へとかけた。滑るような水の落下を見ながら、また水を掬いとり、そして流す。彼女は無言でそれを繰り返していた。何故だかは分からない。
 後ろから豊の声が聞こえた、フィリピン語だ。ローサに何をしているのか聞いているのか、水をかけるのを止めろと命令しているのか。ローサは何も言わない。一心不乱に水を墓石へかけるばかりだ。感情の込められていなかった豊の声が乱れはじめる。苛つきか、倦怠か、それとも吐き気か。
 霧野はローサを見ていた。ただ見ているだけだった。
 そしてふと、ぼやけていた記憶が形を成す瞬間がある。
 大観は、そういえば水が好きだった。水を浴びるのが好きだった。
 夏、仕事から帰ってくると、身体中から汗の蒸気を猛烈に漂わせながら、真っ先に風呂場へ走っていった。勢いよく服を脱ぎ散らかし、風呂場へ入ったかと思うと、冷水を浴び始めるんだった。シャワーの勢いは猛烈なのに、その奥から子供のような、馬鹿みたいに大きい歓声が聞こえてくる。ドタドタと床を踏みしめるような音すらも聞こえてくる。霧野が覚えているのは、磨りガラスの向こう側で、眩いばかりのオレンジの灯りに包まれた大観の肉体のシルエットだ。
 やっと頭で形を成した記憶は、それ自体がとても曖昧なものであること、しかもどこまでも平凡なものであることに、霧野は思わず苦笑する。それでも大観の顔すら立ち現れないその記憶が、微笑ましくて仕様がない。
「別に止めなくていいわ」
 霧野は豊に言った。怪訝な表情をこちらに向けてくる。
「お父さん、冷水シャワーとか好きだったでしょ」
「は、何言ってんの?」
 豊は日本語でそう言った。その後にまた口を動かすが、音が伴わない。
 ローサは柄杓で墓石に水をかけ続ける。それを眺めているうち、ローサはその黒曜石のような瞳で夫の魂を見ているのかもしれないと、霧野は思えるようになった。

 家に帰りつき、霧野はほっと一息つく。カーテンは閉めっぱなしで、部屋は生臭い影で満たされている。疲れているが、気分は悪くない。むしろ心が洗われたような清々しさを覚えている。
 ふと霧野はスマートフォンで“フィリピン語”という言葉を調べてみる。予想に反して“フィリピン語”のWikipediaが出てきた。

フィリピン語(フィリピンご、ピリピノ、フィリピノ、Filipino)は、フィリピンの国語であり、1987年のフィリピン憲法で定められた公用語の一つである(もう一つの公用語は英語)。オーストロネシア語族に属し、マニラ首都圏を中心にブラカン州からバタンガス州などのルソン島中南部一帯で話されていたタガログ語を標準化した言語である。またフィリピンで話されている言語の総称として用いられることもある。

 自分の無知ぶりに呆れ、首を軽く回しながら、右手で目を覆うように擦る。
 そして親指に指輪がないことに気づいた。心臓を握り潰されるような衝撃を覚えた。急いで立ちあがり、部屋の床を確認し、玄関や洗面所を探しまわる。鞄のなかをとにかく漁った後、また部屋の床を確認する。指輪はなかった。
 呆然と、ソファーへと倒れこむ。
 指輪はなかった。
 その指輪は大観の形見だった。彼と生きた30年を“悪くはない日々”だったと思うための、それは緣だった。それが失われていた。忽然と、別次元へと飛ばされたように、存在そのものが姿を消していた。
 そして指輪から解き放れた右の親指が、動き始める。関節をゴリゴリと響かせながら、脂肪の刈り取られた指の腹を巻きこみながら、皮膚に浮かぶ緑色の血管を引き裂きながら、親指がグルグルと動き回る。霧野は止めることができない。
「指輪を盗んだのは、ローサだ」
 親指が霧野に日本語で言った。
 これは明らかに幻聴だった。唇もしくは喉以外の身体部位が喋ることなどあり得ない。
 だがその動きに比して、親指の声のトーンは控えめで理知的なものだった。何より日本語として明瞭で、とても聞き取りやすい。それこそ外国語の教育番組で、日本語の例文を発声するアナウンサーの声のようだった。
「指輪を盗んだのは、ローサだ」
 次にそう言ったのは霧野の唇と喉だった。そこには霧野自身の声が伴っている。抑制が効かないほど耳障りで甲高い一方で、リズム自体は比較的ゆったりとしている。これが霧野の自己認識だった。しかし大観は耳障りであるなどとは一度も言わず“甘やか”だと表現した。“甘い”でも“甘美”でもなく“甘やか”であると。
「指輪を盗んだのは、あのフィリピン語で喋る嫁だ」
 霧野の親指が言った。
「指輪を盗んだのは、あのフィリピン語で喋る嫁だ」
 霧野の唇と喉が言った。
「はやく指輪を取り戻さなくてはいけません」
「はやく指輪を取り戻さなくてはいけません」
「そうでなくては、あなたの息子もフィリピン語に汚染されてしまいます」
「そうでなくては、あなたの息子もフィリピン語に汚染されてしまいます」
「さあ、今すぐに外へ出ましょう」
「さあ、今すぐに外へ出ましょう」
「思い立ったが吉日です!」
「思い立ったが吉日です!」

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。