コロナウイルス連作短編その117「笑えよ」
岸田岳人は飯田橋でボスニア人のアイダ・メフメディノヴィチとデートをする。どこに行くではなく、カフェでただ話をする。岳人はボスニアが好きだった、一度も行ったことはないが映画が好きだった。昔、彼は『風景とともにある女性』という映画を観た。字幕は一切ついていない。だが1人の信念を持つ画家が芸術と日常の間で苦悩する様を、映画は奇妙な美しさを持つ風景と共に描きだす、そのひたむきな手捌きに感動を覚えた。
「私もその映画好き」
アイダはわざとマスクを外し、その柔らかな笑顔を岳人に見せた。それが嬉しかった。彼はイスメット・アヤノヴィチという映画のモデルとなった画家について話しながら、スマートフォンでその絵画を見せてくれた。少し絵の上手い幼稚園児が描いたような、いわゆる"ヘタウマ"と呼びたくなる素朴さが彼の絵画には宿る。色遣いや構図、全てがシンプルだが、いわく言い難い魅力を岳人は感じた。視線が外せない。一瞬、泣きそうになった。何故だかは分からない。
「俺、ボスニア語分からないからさ、今度一緒に観て、解説してくれないかな」
「そんなに好きなら、ボスニア語勉強すればいいのに」
アイダは笑う。
「日本にはボスニア語を勉強するテキストがないんだよ。最近、セルビア語とクロアチア語のテキストは出たけどね。まあ3つは似てるって知ってるよ。でもボスニア語勉強するためにこの2つを勉強するって、何だかどの言語に対しても失礼じゃないかな?」
「別にいいと思うけど……まあ、気が向いたら一緒に観てもいいよ」
「じゃあ、その時までにボスニア語で自己紹介できるくらいには頑張るよ」
「あなたって指、すごく長くて白い」
突然そう言われたので、岳人は驚く。思わず自分の指を見た。確かに悪い意味で白いとは思った、だが長いかは判断がつかない。
「それってさ、褒めてる?」
アイダは驚いたような顔をする。
「もちろん。何でそんなこと聞くの?」
岳人は何も言えない。
家に帰る。尿意を催して、トイレへ行く。いつものように便器に座って排尿を行おうとするが、何故か今日は立って排尿を行いたかった。陰毛は鬱蒼としながら、ペニスは小さく皮を被っている。それを右の指で支えながら、尿を排泄する。意図的に狙うことはないが、捩れを描く尿が便器より外に行けばいいと思った。だが飛沫すら便器内に収まる。そしてその尿はいつものように血尿だった。橙色は凄まじく濃密で、その中で鮮やかな赤みがゆっくりと拡散する。少なくとも岳人はこれを血尿だと思った。前まで血尿はそもそも液自体が赤いと思っていたし、他の血尿というものを見たことがない。公衆トイレに飛び散った尿以外、他人のそれを見たことがない。それでもこれと同じ色彩の自分の尿を見た際、これは血尿だと一瞬で確信した。排尿する際、痛みは全くない。それがむしろ不気味だった。病院には行っていない。自分は病院に行く資格がないと思っている。
しばらく橙と赤に染まった便器の底を見据えた後、岳人はしゃがむ。そして両手で血尿をすくって、それを飲んだ。甘いし、塩辛い。カルピスと味噌汁を同時に飲んだような感触だが、おそらくこれは自分だけが感じる幻覚だと思える。
笑えよ。
岳人は自分に言い聞かせる。
笑えよ、狂人みたいに。もう終わってんだ、お前の人生は。だから狂人みたいに笑えよ、な?
岳人は唇を動かす。頬の下に埋没した表情筋を徐々に溶かしていくように、ゆっくりと動かしていき、笑顔を作りだす。限界まで筋肉を動かした後には「ヒヒヒ」と、狂人が実際に発するかもしれない笑い声を発そうとする。喉の震えをすこぶる濃厚に感じた。だが腹部や腹筋を動かし、もっと大きな声で「ヒヒヒ」という言葉を発することはできなかった。これが俺なんだ。
リビングに行き、コカコーラをラッパ飲みしながら、感染症にまつわる本を読む。人生に関しては諦めているが、コロナウイルスには恐怖を抱く自身の矛盾を岳人は心でせせら笑う。今作のテーマは牛疫である。これは牛を死滅させる感染症であり、旧約聖書にもその被害の旨が描かれるほど古い歴史がある。この本は1900年代以降、この牛疫という厄介な感染症を撲滅するため、世界の科学者が研究を進めていく様を描いたノンフィクションだ。彼らの途方もない努力により、2011年にはウイルスの撲滅宣言が発表された。だが最も印象に残ったのは、冒頭に置かれた挿話だ。グロス・イルと呼ばれるカナダの小さな島では、牛疫ワクチンにまつわる実験が行われていた。小さな白黒写真に乗った風景は殺風景で、ただただ不毛だった。このグロス・イルに関しての描写は冒頭を除いて、あまりない。だが岳人は"グロス・イル"という名を一生忘れられないと思った。理由などない。
1.5Lのコーラを一夜で飲みほし、眠りにつく。グロス・イルの夢が見たいと願ったが、実際夢のなかで彼はその島にいた。寒い、荒廃している、生命が死に絶えている。その岸辺で岳人は遠くを見つめている。何を見ているかは分からない。夢のなかでは後頭部しか見えない。彼はあの白黒写真のなかの、黒いシミでしかなかった。
俺には愛される資格もない。
私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。