コロナウイルス連作短編その13「うんこちんこまんこ」

 軽部朝坂はZoomを使って上司や同僚と会議を行っていた。最初はぎこちない雰囲気の中でそれは行われていたのだが、ある時彼女の友人である井浦さやかが笑った時から何かが変になりはじめた。他の出席者もまるで伝染病に罹かったかのように軽く笑いだし、雰囲気が怠惰なものとなってしまう。朝坂は意味が分からないまま、鼻を掻いた。“もしコロナウイルスが鼻の穴から入ったら?”という考えが頭に突然湧いてきて、急いで手を引っこめる。
「どうしたんですか?」
 我慢できずに、朝坂はみなに理由を尋ねてみる。
「いや、何かどっかから、うんこうんこうんこって声が聞こえてくるんだよね」
 そうさやかが言うと、みなが爆笑した。だが朝坂にはそんな言葉は聞こえなかった。怪訝に思いながらイヤホンを外すと、本当に“うんこうんこうんこ”という声が聞こえはじめた。胸騒ぎを覚えながらリビングに行くと、そこでは彼女の恋人である出渕薫がフォートナイトで遊びながら“うんこうんこうんこ”と連呼していたのだ。そしてゲーム上で倒されると、薫はコントローラーを膝に叩きつける。
「あああああ、死んだ。うんこ! ちんこ! まんこ!」
 そんな状況を目の当たりにして、朝坂は滑稽で超巨大な羞恥心に襲われた。同僚たちはこの卑猥な言葉の数々をパソコンを通じて聞いており、そして笑ったんだった。朝坂は恋人の失態に今すぐ自殺したくなる。
「恥ずかしい、静かにして! 今、オンラインで会議してるんだから!」
 朝坂が怒声を浴びせかけると、薫は最初驚きながらも最後にはニヤニヤしはじめる。
「やべええ、やっちゃったね。ごめん、うんぽこ」
「だから!」
「謝ってんじゃん、うんこブリブリ」
「もう黙ってよ!」
 朝坂は恥の涙を堪えながら、薫の頭を叩いた。
 仕事が終わってから、朝坂はベッドに横たわりながら薫について考えた。彼は恋人として悪くない人間だと朝坂は思っている。仕事ではなかなかの敏腕ぶりを見せており(今日はたまたま休日だったからゲームをしていたまでで、コロナウイルスで仕事をクビになった訳ではない)、同棲するにあたって料理や掃除など家事がとても上手い。特に料理はプロの腕前であり、それは大学時代にイタリア料理店でバイトをしていたからだ。家事も平等に分担しており、在宅勤務でむしろ忙しくなった朝坂にはとても有り難いと思える。しかし一つだけ問題があった。それが、まるで小学生のように汚い言葉を連呼することだ。彼は下ネタが異常に大好きで、隙があれば卑猥な言葉を吐きだすのだ。例えば、朝起きる時、彼は身体を伸ばしながら“ああ、おちんこビンビンだわあ”と言い、その言葉で朝坂は起きることになる。夕食を食べている時も、突然“うんこブリブリしたいわ”と言いだし、自分で作った自慢のイタリア料理を台無しにしてしまう。仕事から帰ってきて、満面の笑顔と“おまんこ万歳!”という言葉で迎えられ、疲れがどっと溢れでてきた時のことを、朝坂は忘れることができなかった。全体的に薫はいい恋人だと思っていた。だが卑猥な言葉の連呼だけには耐えられなかった。何度注意しても、その癖が治ることはなかった。
 夜、薫が作った晩御飯を食べることになる。ニンニクが強烈に効いたペペロンチーノと美味しいモッツァレラチーズの載ったカプレーゼだ。パスタを啜る時、彼女の心はスパイシーな快楽に満たされる。トマトとチーズを一緒に食べる時、彼女の心はまろやかな喜びで彩られる。それが薫の買ってきた芳醇なワインによって、筆舌に尽くしがたい至福に包まれる。彼の作る料理は本当においしくて、何度だって恋に落ちてしまいそうだった。
「おいしい?」
 薫が甘い目つきでこちらを見てくる。彼の眼球を飴のように舐めてしまいたくなる。そして私は何て馬鹿なのだと、心のなかで自分に驚く。
「うん、おいしい。ホントにおいしい。うん、うん」
「うんこうんこ!」
 いつもながら、薫の言葉に脳髄をブン殴られたような衝撃を覚える。彼はどうしてこの砂糖の海のように甘い雰囲気を糞便でもって台無しにすることができるのだろう。今、砂糖の海には最悪の汚さを誇る、流氷のような糞便が我が物顔でプカプカと浮かんでいる。頭のなかのそんな凄惨な光景を見つめながら、朝坂は溜め息をついた。
「どうしたの、うんこ?」
「もう止めてよ、そういうこと言うの」
「何、そういうことって?」
「分かるでしょう。言わせないでよ!」
「何だよ、全然分かんないよ。うんこ、うんこうんこ、うんこ」
 彼のこの癖は小学生みたいで可愛いと諦めればいいんだろうか。朝坂はそんなことを考える。この癖さえ存在しなければ、彼は理想の恋人なのだという思いが捨てられないでいる。
 夜、朝坂は薫とセックスをする。彼は優しくキスをしながら、朝坂の服を脱がせていく。こうやって裸になっていく時、背中の肩甲骨のあたりをキスされるのは本当に気持ちがよかった。薫の唇はマシュマロのように柔らかく、朝坂の肌に溶けていく。そして彼女の大きな乳房に薫の大きな手が触れる。彼の手は少し冷たいのだけども、それは温もりよりも平穏な優しさとして朝坂の心を包みこんでくれる。そして薫はとてもクンニリングスがうまかった。朝坂はバイセクシャルで男性と女性両方と幾度もセックスをしてきたが、彼よりうまくヴァギナやクリトリスを舐められる人物はいなかった。彼は朝坂が何が気持ちいいと思うのかを熟知しているのだ。スピード、タイミング、深さ。全てが理想的だった。薫と数年間セックスをしてきたが、未だに彼は日々朝坂の身体を深く知ろうとする。その快楽への献身が朝坂は好きだった。その返礼として、彼女も一生懸命フェラチオを頑張った。舌をゆっくりと動かし、彼を絶頂へと導こうとする。その時彼はあまりにも切ない顔をするので、朝坂は喜びで身体が震えるのを抑えなくてはならなかった。不思議なのはこの時、彼が卑猥な言葉を一切言わないことだ。“気持ちいい?”とか“痛くない?”と聞いてくることはありながらも、あの忌まわしい言葉を叫ぶことはなかった。
 しかし挿入を始め、彼が興奮してくると状況は変わった。正常位で以て、薫は腰を振りつづける。薫の弾ける心を身体の奥底で感じているような気がして、朝坂もまた喜びで満たされていく。それでもだんだんと彼の腰を掴む強さがキツくなっていく。そして突然、朝坂の揺れる乳房をビンタしはじめる。火花が散るような痛みに、朝坂は鋭い喘ぎ声をあげる。
「こんな大きいおっぱい持ってて、恥ずかしいと思わないのかよ?」
「ああっ、ごめんなさいいい……」
「ごめんなさいじゃないよ。こんな巨乳揺らしながら、よく町とか歩けるよな」
 そう言った後、再び朝坂の乳房をビンタする。彼女は焼けつくような羞恥心に晒されながら、快楽が歪み、増幅するのを感じる。
 ああ、私は恥知らずな人間なんだ。
 そう思うと、マゾヒスティックな愉悦に身体が震える。しかし同時に心臓が激しい痛みに襲われる。まるで地下世界の怪物に心臓を噛み砕かれるような感覚だ。自然と喘ぎ声も大きくなりながら、朝坂は大声で泣きたくなる。それが何故なのかは分からない。そして薫の細い腕に強引に抱かれながら、朝坂は絶頂に至る。
 朝坂はZoomで友人たちと飲み会をしながら、薫について相談する。
「薫くんはいい恋人だけど、下ネタが止まらないって、贅沢な悩みだねえ。それくらいなら全然いいじゃん。うちの彼氏なんか仕事クビにされて、ぐうたらニート状態だよ」
 井浦さやかは言った。
「分かんないけどさ、もしかしたらそれ何かの病気じゃない? タイガー・ウッズのセックス中毒みたいなさ」
 もう一人の友人である新里舞は言った。
「まさか。薫が病気とかそういうのはないでしょ。下ネタ言いまくるのとセックスしまくるのは全然違う」
 とは言いながらも薫のあまりに執拗な態度に病気を疑うことは何度もあった。さすがにそれは薫に対して失礼だという思いが前面に出てきながらも、実際には何らかの恐怖は確かに存在していた。コロナウイルスで自粛生活が始まり、ずっと部屋で過ごすようになってから、何かがおかしくなっているような雰囲気を感じるのだ。薫の癖も激しいものになってきている気がする。朝坂は常に不穏さを感じながら日々を生きていた。
「まあ大丈夫でしょ。下ネタ言うくらい多目に見てやりなよ。ああ、私も薫くんの作るペペロンチーノ食べてえなあ」
「そうだね。コロナウイルスが終息したら、みんなで一緒に薫の作るスパゲッティ食べよ」
「賛成!」
 そんな風にして、飲み会は幕を閉じた。
 朝、朝坂は大いなる倦怠感とともに目覚めた。生理がやってきたので憂鬱な気分になる。よろつきながらリビングへ赴くと、薫が心配そうに彼女のことを眺める。
「ねえ、大丈夫まんこ?」
「ぶっちゃけ大丈夫じゃないな。今日、ちょっと生理重くて」
「じゃあ寝てればいいよ。会社にはぼくから連絡しておく」
 そう言うと、薫は朝坂を寝室へと連れていき、ベッドへ寝かせる。カイロを持ってくると、丹念に彼女のお腹を暖めはじめた。薫は朝坂が生理と言っても臆することなく、彼女をサポートしてくれた。それが彼女にはとても有りがたかった。その後、薫は近くのスーパーでポカリスエットや冷凍うどんを買ってきてくれる。友達の恋人は生理に全く理解がないとはよく聞くけれども、彼は何て気が利くのだろう。朝坂はそんなことを思う。
「ほら、夕食だよ」
 そんな彼が持ってきたのは身体が暖まりそうなスープだった。
「これ何?」
「新玉ねぎの塩こうじオリーブスープだよ」
 飲んでみると、芳醇な温もりが全身に広がっていった。彼女は今自分が抱きしめている幸福感を大事に思った。
 その後、薫がリビングで松田青子の「おばちゃんたちのいるところ」の英訳版を読んでいるのを見て嬉しくなった。それは前に自分が読んでいる作品だったからだ。薫は恋人を含めて他人から影響を受けるのを一切恐れないタイプの人間だった。朝坂が面白かったと話した作品を彼は一通り目を通した。例えばチョ・ナムジュの「82年生まれ、キム・ジヨン」やロクサーヌ・ゲイの「バッド・フェミニスト」、レナ・ダナムの「ありがちな女じゃない」やナオミ・オルダーマンの「パワー」などだ。特に薫がその作品を気にいったのなら、一緒に内容について議論をすることもある。それはとても楽しかった。
 そして薫の素晴らしいところはフェミニズムに拒否感がないところだった。歴代の、特に男の恋人はフェミニズムというと男を弾圧する思想と考えて、必要以上に距離をとりながら露骨に嫌な顔をした。まるで自分が被害者であるかのようにだ。だけども薫はフェミニズムを受けいれ、一緒に勉強してくれる。彼が自分の恋人であることを誇りに思ったんだった。
 数日後、再び薫とセックスをした。最初はいつものように気持ちがいいセックスだったけれども、ある時から彼女は後ろから挿入されて、激しく突かれることになる。鮮烈な痛みを感じながらも、強い勢いのせいで喘ぎ声が漏れでてしまう。それで自分が気持ちいいと思っていると薫に思ってほしくはなかった。注意しようとすると、薫は突然叫んだ。
「ああああ、朝坂のおまんこ気持ちいいなああああ!」
 そんな不気味な言葉に全身の毛穴が開くような心地がした。
「お前のおまんこ最高だよ、朝坂
「俺のちんちんキツく締めてくれて、すぐ射精したくなるよ
「ああああ、おまんこ、おまんこおまんこ
「おまんこ最高だなあ
「おまんこ、おまんこおまんこ、おまんこおまんこおまんこ
 朝坂は腕を引っぱられ、奥までペニスを挿入される。彼女は恐怖を感じた。自分がただの肉の塊、人格の存在しないただの“まんこ”になったような気になったからだ。朝坂は絶頂に至ったフリをして、一際大きく喘いだ後、ベッドに倒れた。だが薫は“おまんこ、おまんこ”と言いながら、腰を振りつづけた。衝撃が彼女の内臓を揺らした。
 この日も仕事で会議があった。同僚のさやかは会議を始める前から既に笑いを抑えきれていなかった。
「今回は何も聞こえてこないことを願ってるからね」
 そう言ってから彼女はニヤニヤと笑い、朝坂は燃えるような羞恥心に襲われる。最初はさやかの予想に反して、会議は平和的に進んでいく。彼女は事前に薫に下品な言葉を言わないでと注意を徹底していたので、今回は大丈夫のように思える。時おりイヤホンを外して変な言葉が聞こえてこないかを確認したが、幸運なことに何も聞こえてはこなかった。そうして朝坂の心が緩まったその時、いきなり薫が朝坂の部屋に入ってきた。
「ちんぽ、ちんぽ、朝坂ちんぽっぽ!」
 大声でそんな下品な言葉が響いた瞬間、会議のメンバー全員が大爆笑を始めた。朝坂は恥ずかしさに絞め殺されそうになる。事態に気づいた薫は急いでリビングへと逃げていったが、朝坂は彼を追いかけて、詰問する。
「だから下ネタ言うのは止めろって言ってんの。あんなに言うなって注意してたのに、私の部屋に入ってきて下品な言葉叫びまくって。恥ずかしいと思わないの? ふざけないでよ、私の仕事場での評判もこれで最悪になった!」
「ごめんごめん、朝坂。マジで会議してるの忘れてたんだよ。許してよ、うんこちんこまんこ」
 彼はいささかの躊躇もなく朝坂の前で猥語をブチ撒けた。朝坂は我慢の限界を感じた瞬間、頭が真っ白になる。気づいた時には何故か、友人である新里舞の部屋の前にいた。彼女は自分の置かれている事態をよく飲みこめなかったけども、部屋のチャイムを鳴らす。すると舞が出てきたので、彼女の身体を強く抱きしめたんだった。
「あんた、私にコロナウイルス移したの?」
「ううん、でももし私がコロナウイルス罹かってたら、一緒に死のう」
「あんたとなんて例え死んでも嫌だよ」
 朝坂と舞はマリオカートをして遊んだ。舞はマリオを使い、朝坂はワルイージを使った。最初はいつも朝坂の方が勝っているのだが、終盤になるとたやすく舞に抜かされ、打ちまかされてしまう。何度やっても同じだった。運が良くない限りは、朝坂は舞に勝つことができない。それでも舞と一緒にマリオカートをして遊ぶのは本当に楽しかった。小学生の頃に戻ったような気がして、純粋な喜びを感じることができた。その後には、一緒にコンビニに行ってたらこスパゲッティとチョコミントアイスを買った。舞の部屋でスパゲッティを啜っていると、心が落ち着くのを感じた。しかし薫の作ったスパゲッティが食べたくなるのもまた事実だった。彼のパスタの方がコンビニのパスタよりも何倍もおいしかった。
「もしかしたら、朝坂は気分悪くなるかもしれないけど……」
 そんなことを舞は言いはじめる。
「前、あんたの彼氏は病気かもって言ったじゃない? その後に調べてみたんだよね。そうしたらさ、汚言症っていう病気があるんだって。卑猥な言葉を自分の意思には関係なく喋ってしまうみたいな。それで無意識に攻撃的な言葉を呟いちゃうから、それで他人とのコミュニケーションが取りづらくなるみたいな」
「いやでも、薫は無意識に卑猥な言葉を言っているって感じじゃないよ。完全に自分で言いたくて言ってるって感じだよ。だからそういう病気とかじゃないと思う。ただ小学生みたいに下ネタが大好きなだけだと、私は思うけど」
「何でそうやって彼のこと庇うの? 今日だってやらかした訳でしょ? それが初めてじゃない。自分の人生だけじゃなく、他人の人生まで騒動に巻きこんでる。これは普通じゃないよ。一度でいいから彼を精神科に連れていくべきだと思うよ。これは心からのアドバイスだからね」
「今、病院とかに行くのは……だってコロナウイルスとかで病院って危ないでしょ?」
「そんなこと言ってる場合? あんたの彼氏、絶対どこかおかしくなってる。早めに手を打たなきゃ」
「何それ、舞は薫のこと全然知らない癖に病気だ病気だって。ちょっとプライベートに踏みこみすぎじゃない? 人の恋人に精神の病院に行けってかなり失礼だと思うよ。薫は大丈夫だから。薫は全然病気なんかじゃない」
「それでも一回行ってみるべきだよ」
「薫は病気なんかじゃない!」
 朝坂が家に帰ってきた時、薫は何も言わずに彼女のことを抱きしめる。ソファに座りながら頭を撫でられているのは、とても気持ちよかった。
「ねえ薫、お願いがあるの」
「何?」
 薫の笑顔は心が蕩けるくらい柔らかなものだった。
「もう卑猥な言葉は言ってほしくないの。薫は料理もうまくて、生理の時に優しくしてくれる最高の恋人だけど、あの卑猥な言葉を連発するのだけは耐えられない。前までは何とか耐えられたけど、自粛になってずっと一緒にいることになってから、もう常に薫の卑猥な言葉を聞かされて頭がおかしくなりそう。私の脳みそが爆発してしまいそう。特に女性器の名前を連呼される時、ものすごい傷つく。まるで私がそういうただの肉の塊でしかないように思えてくる。嫌なの。聞くたびに心臓がものすごく痛くなる。薫はいい人だと思うよ。他の男に比べたらずっといい人だと思う。だけどあの卑猥な言葉には耐えられない。お願いだからもう言うのは止めて。大人なんだから自分の意思で止めることができる、そうでしょ?」
 薫の顔からは笑顔が消え、その代わりに苦い表情が浮かんでいた。
「うん。ごめんね。朝坂がそんなに傷ついているの分かってあげられなくて。ぼくがそういう言葉を連呼するのは、何だか楽しいからなんだ。そういう言葉を意味もなく連呼していると楽しい気分になるんだよ。だから躊躇もなく連呼してた。だけど朝坂が傷ついているなら、もうぼくは言うのを止めるよ。ごめんね、朝坂」
 薫は朝坂の身体を抱きしめる。彼はとても暖かくて、心が落ちついた。
「うん、約束だよ、薫」
「もちろんだよ」
 薫はあの笑顔を浮かべた。
「まんこまんこ、まんこまんこまんこ、まんこまんこまんこまんこ」
 そして薫は爆笑を始めた。最初、何が起こったのか分からなかったが、全身から力が抜けていくのを感じた。その後、壮絶なまでの怒りが湧きあがってきた。
「ふざけんな、ふざけんなよ! あんなに言ってるのに、あんなに言ってるのに!」
 朝坂は両腕で薫の全身を叩きまくる。それでも薫は笑うのをやめない。脳髄が沸騰するのを感じながら、憎しみをこめて薫を叩きつづけると、朝坂の拳が薫の頬骨に直撃した。そのまま彼は床へと倒れていき、頭が固い表面に衝突した。間抜けな表情を晒した後、不愉快で不穏な沈黙がやってくる。そして薫は泣きはじめたんだった。まるで生まれたばかりの鳥の雛のようで、甲高い耳障りな泣き声だった。それは溶けることのない氷柱さながら朝坂の鼓膜を刺しつづける。最初、こんな彼の姿を見るのは初めてだったので、少し驚かされる。だが怒りの炎にさらなる薪がくべられるのを感じた。朝坂は薫の腹のうえにドスンと腰を据える。薫の唇から蛙の死骸が爆発するようなグロテスクな音が漏れた。
「ふざけんなよ、マジで」
 朝坂は拳を握りしめる。
「泣けば済む問題だと思ってんのかよ」
 朝坂は一発薫の頬をブン殴った。薫の泣き声は一層激しいものになる。しかし朝坂はもう一発殴った。薫の唇から黒い血潮がブチ撒かれた。朝坂はもう一発殴る、そしてもう一発殴る。朝坂はそうして薫の顔を殴りつづけた。


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。