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コロナウイルス連作短編その144「本当に優しい子」

 しかし午後8時、宵川真昼が家に帰ってくる。「ただいま」と言うと、くぐもった返事がリビングのドア向こうから聞こえてくる。玄関でマスクを取り、靴を脱いでいると、いきなり愛犬であるダックスフントのコノキがパタパタと走ってくる。言葉にならないふやけた声が、彼女のお転婆な動きを見ていると自然にこみあげる。仕事の疲れも吹っ飛ぶというものだ。そしてコノキがまたパタパタとリビングに戻っていくので、彼女はそれを追いかける。
「ハッピーバースデー!」
 そして真昼は花火の弾けるような声に迎えられた。そこには夫の宵川笠木と息子の宵川朝樹がいて、輝くような笑顔を浮かべている。今日は真昼の38歳の誕生日だった。朝にも2人は少し祝ってくれたが、仕事の忙しさで一時的に全てを忘れていたと真昼は実感する。そういった嬉しさ、喜びが彼らの声でブワッと噴きあげてくるようだった。
 朝樹がハッピーバースデーの曲を楽しげに唄うなかで、真昼の手を笠木が掴み、まるで王妃の手のごとく接吻し、そしてテーブルへと招待する。そこには食欲を司る神経を心地よく刺激するような、茶色がかったオレンジ色をしたカレーと、そして甘味や旨味がこれでもかと凝縮されたようなチョコレートケーキが並んでいる。そこにちょこんと、真昼を祝福する英語の書かれた板チョコが乗っている。目頭が熱くなるような瞬間だった。
「でも、食べる前にちょっと着替えさせてよ!」

 数分後、頬を緩ませながら真昼は席につく。
 再びの「お誕生日おめでとう」という言葉に祝福されながら、真昼はまっさきにカレーを食べてみる。予想通りだが、おいしい。ココナッツミルク、トマトペースト、豆乳ヨーグルトが組みあわさり現れたコクのある甘さ。ガラムマサラなどのスパイスに培われた複雑な辛さ。2つがちょうどよく織りあわされて、豊かな調和が舌のうえで踊る。真昼の頭には、無数の粒子が浮かびあがる。極彩色の粒たち、それは味覚を示すものもあれば、ニンジンや玉ねぎ、水煮したひよこ豆を示すものもあるが、それらが互いに対して優しく開かれ、溶けあう。そうして今正に、自分の舌が、自分の心が感じているおいしさが立ち現れている。
「どう、おいしい? おれが全部作ったんだよ」
 そう言ったのは息子の朝樹だった。
「うん、おいひい。これはね、ホントにおいひい」
 “おいしい”の“し”が自然とふやけきって、“ひ”という緩んだ響きが唇からまろびでる。そうなってしまうことこそが幸せなのだと、真昼は今噛みしめている。
 このカレーは動物性の食材を一切使っていない、いわゆるヴィーガン・カレーだった。真昼や笠木がこういった料理を元々作っていた訳ではなく、朝樹が自分から作りはじめたものだ。彼は中学生だったが、気候変動や環境、そして動物たちの命について考えた末に、ヴィーガン的な生活様式をするようになった。“的な”というのは、未だ彼は思春期で育ち盛りゆえに、栄養のバランスを考える必要がある。ゆえに真昼たちが親として彼を説得して、ヴィーガンを毎日徹底することはなく、もっと緩やかに、健康や体調を考えながら実践していくという形を取っているという訳だった。なので例えばカレーはヴィーガン仕様だが、チョコレートケーキは普通の市販のものだ。
 朝樹がこれを実践していくに従って、真昼や笠木は自身の子の成長に感動し、自らも影響を受け、家族が一丸となってヴィーガン的な生活様式を行うようになった。これで家族の一体感が増し、健康自体も改善してきてるように、真昼は思う。

 夕食後、朝樹が食器を洗い、笠木が食器を拭いていき、そして真昼が食器を棚へと運んでいく、つまりは皆で食器を片付けていた。
 真昼は両手にカレーの入っていた青い大皿3枚の重みを感じながら、台所と棚の間の、本当に短い距離を歩いていく。棚の扉を開けて1枚1枚、ゆっくりと、丁寧に置いていく。陶器と陶器が軽くぶつかり、ささやかな音が鳴るのを聞く。
 置き終わってから、台所の方を向くと、朝樹の背中がとても大きく瞳に映った。足元ではコノキがパタパタはしゃぎまわっている。思わず笑みがこぼれた。
 朝樹は動物や自然が大好きな、本当に優しい子だと、真昼は信じている。
 彼が子供の頃、いわゆる発達障害を患っていると知った時は、何か大地が崩れ去るような絶望感を抱いたことを昨日のように思いだせる。数日間、涙を止めることができなかった。“もしかするなら生むべきではなかったかもしれない”と、そこまで思い詰めたこともある。成長するにつれて実際、コミュニケーションの著しいぎこちなさ、親ですら理解しがたいこだわりの数々、同じ服を病的に着たがる過敏な感覚など、医学書にも示してある典型的な症状が出始め、育児において多大な苦労を被ったことは否定しがたい。
 それでも今、朝樹は本当に優しい、むしろ周囲より頗る大人びた少年に成長していた。同級生たち、それこそ彼と同い年だった頃の自分たちに比べて、世界について広く、深く考えている。あのヴィーガン的な生活様式はその象徴とも言えた。環境アクティヴィストであるグレタ・トゥーンベリの言葉、本屋に多く並んでいる持続可能な開発目標、つまりSTGsにまつわる書籍、そういったものに触れて、朝樹は世界についてどこまでも知ろうとしている。
 その根底には動物や自然に対する大いなる愛があると、母として思っている。小さな頃から一緒に生きているコノキとの友情を見ると、いつだって心が癒される。コノキは馬鹿みたいに彼の口を舐めまくるのが好きなので、癒しを通り越して、爆笑することもしばしばだ。部屋ではカギムシという奇妙な生物を、父の笠木といっしょに育てている。虫のようだが虫ではない、何だか“キモかわいい”と呼びたくなる小さく、妙に長い生き物で、腐葉土のうえでのほほんとうねっているのをよく見かける。触り心地は“ベルベットみたい”と、ベルベットなんて触ったこともないだろう笠木は言うので、頬が緩んでしまう。
 真昼たちはよく山や森などの自然にも家族で出掛けていく。みな、自然に身も心も委ねることが好きだった。朝樹の鋭敏な感覚も、自然においては平和を見いだすようだった。その中では歩きすぎて疲れたり、木の枝で頬を切ってしまったり、例えヒルに血を吸われたとしても、それは喜びの一部になった。
 自然のなかで、家族はあまり喋らない。笠木は耳で自然の静けさを感じるのが好きで、真昼は自然に満ち満ちる空気の粒子を、指を動かしながら感じるのが好きだ。朝樹は地面に座って自然を眺めながら、ノートに詩を書くのが好きだった。こうしていっしょに時間を過ごしながら、全く異なる形で自然を感じることが家族は好きだった。
 実を言えば、朝樹が書いている詩を少しでいいから読んでみたいという気持ちも真昼にはある。だが親と子という関係でも踏み越えるべきではない一線はある。彼が自分から見せてこない限り、詩を読むことはないだろう。
 今、真昼は幸せだった。あの診断を聞いた時“もしかするなら生むべきではなかったかもしれない”と一瞬でも考えてしまった自分が、今でも恥ずかしい。

 夜9時、笠木は明日朝が早いからと眠ろうとする。もう少しいっしょにいたいと思っていたので、ちょっと残念だった。だがその前に、笠木が唇にキスをしてくる。今、朝樹は風呂に入っており、リビングにはいない。いたずらでも仕掛けるように、真昼は彼の唇を深く捉え、舌先でちょびっと舐めてみせる。笠木はビックリしたように、後ずさり、その光景が馬鹿みたいだったので笑った。
「おい、コーフンすんだろ!」
 そんなことを言う笠木の顔は、高校生の時の間抜けな無邪気さに戻っていた。
「じゃ、おやすみ」
 笠木の背中を見送った後、真昼はタブレットでメールの確認を行いながら、テレビでニュース番組を見る。最初は年末年始に到来する壮絶な冷えこみについてだったが、すぐに特集になる。映されるのは今も福島で町の復興を目指し、奔走する人々の姿だった。コロナ禍はもうすぐ2年にもなるが、そのなかで彼らの置かれた状況は悪化していっている。それでも諦めることなく、それぞれの努力を続けている。だがテレビに映る風景は心が冷えるほどに寒々しく、思わず真昼の手も止まる。
 そこにパジャマを着た朝樹がやってきて、母の隣に座る。彼の体から発散される蒸気が、何故だか自分を安心させてくれる気がした。そして話題は否応なしに原発へと移っていく。人々の言葉は、だが真昼を過ぎ去る。彼女が見てしまうのは、過去の自分だけだ。

 10年前、震災が起こった際、真昼は当時勤めていた東京の会社にいた。最初はいつもの地震と気にも留めずに仕事を続けていた。だが揺れは加速度的に激しくなり、状況は一変する。それでも結局、被害はほとんどなかった。職場の片付けは大変だったし、帰宅も困難となって人の列に満員電車以上に揉みくちゃにされた。何とか家に帰れた時、笠木とまだ4歳だった朝樹に迎えられ、泣きそうになった。それだけで済んだのだ。
 だが苦痛が増幅するのはその後だった。テレビで流れる津波の映像はもちろん、今でも真昼の脳髄に焼きついているのは福島の原発が爆発し、黒煙が棚引く映像だった。放射能がやってくる、そんな噂が瞬時に広まった。東京が放射能によって汚染され、人々が苦しみながら死んでいくかもしれない。真昼のなかでこの恐怖が日に日に増幅していき、精神の均衡が徐々に崩れ落ちていった。
 一方で笠木も含めて、人々は何食わぬ顔で日常に戻っていく。真昼も戻らざるを得ずに、スーツを着て最寄り駅に行った。ホームには自分と同じような姿の人間が大量で棒立ちしており、皆が無表情だった。精肉場でフックに吊るされて並ぶ肉の塊みたいだった。その最後尾に並びながら、自分の体も肉の塊になっていくかと思うと、震えを抑えきれなかった。そして驚くほどすぐに限界がやってきて、真昼は地面に倒れた。
 真昼は休職し、しばらく家に引きこもっていた。だが放射能によって汚染される幻が幾度となく頭に浮かび、満足に休むこともできない。逆に、真昼は執拗なまでの真剣さで家事を行った。料理、洗濯、掃除、朝樹の育児。そういったもので己の生に幻が入りこむ隙を絶滅させようとした。それは意外なほどに上手く行っていた。振り返るならこれがずっと続いていたなら、確実に自分の精神は崩壊していたと真昼は思う。
 ギリギリで踏みとどまれたのは間違いなく朝樹のおかげだった。ある時、疲れ果てて、ソファーに死んだように横たわり動けなくなった。目もつぶれずに、ただ定点カメラのように目前の光景を見ていた。そこには最初、家具しかなかった。テーブル、灰皿、テレビのリモコン、蜜柑の入ったかご。だがそこに朝樹が現れる。彼は床に座りこみ、大きな図鑑を読み始める。彼の誕生日に買った鳥の図鑑だった。朝樹は深刻な眼差しで、何も言わずにただただ図鑑を眺めている。
 今の自分では彼を守れないかもしれない
 真昼はふとそう思った。
 そして後には、“もしかするなら生むべきではなかったかもしれない”というあの吐き気が込みあげる、これはもはや真昼にとっての宿痾のようだった。泣きたかった、だが涙すら出ない。感情が麻痺している、感情の表現法を忘却しきっている。この場所から逃げ出したかった。
「ママ」
 朝樹がそう言った。何かを察知したように、こっちへ向かってくる。傍らに立つ朝樹の表情はほとんど無に近く、それが彼の初期設定だった。だがゆっくりと、彼は表情筋を動かしていき、最後には笑みが浮かんだ。とてもぎこちない、不自然な微笑み。そしてそのまま真昼の横たわる体を抱きしめる。そこで自分の両目から涙が出てくれて、真昼は嬉しかった。体が忘却から一瞬に回復したようだった。そして顔が熱くなっていくごとに、肉体と精神が再び重なりあい、真昼はただただ嬉しくて泣いた。この子をこれからも育てていく、これからもいっしょに生きていく、真昼は本当の意味でそう決心した。

 原子力との決別を住民たちが力強く語り、震災特集が終わる。
 その後に流れ始めたCMでは広大な自然や動物たちの生が映し出される。瞳を優しく撫でてくれるような緑の色彩、雪に覆われながら高く聳え立つ白銀の嶺、ピンク色の花から蜜を吸っていく小さなミツバチ、波を乗り越えながらグングン前へと進んでいくイルカの群れ、そして父と母と息子、3人で大いに笑いあう家族。
 陳腐だ、だが美しくかけがえがない。
 ふと横を見ると、朝樹と目があった。
 彼はゆっくりと表情筋を動かして、笑顔を作る。
 まだまだぎこちないけれども、愛らしい笑顔だった。
「でも、原発は必要だよ」
 朝樹が言った。
「日本の発電状況、本当に酷いんだよ。電気エネルギーの主力は火力発電だけど、こんなんの炭素で地球を破壊しまくる論外なものだって分かるよね。しかも日本は南アジアや東南アジアに石炭火力発電所の建設を推し進めたり、そのまま自国にも更に増やそうって流れを作ってきた。日本は目先の利益や充足を目指すだけ、今の社会を維持することだけに必死で、世界が今後どうなるか、それは日本が今後どうなるかでもあるけど、それを全く考えてない。だからヨーロッパの国々にも馬鹿にされるし、グレタさんにも批難されるんだよ。この火力発電主体を転換するのは当然だけど、水力発電は周囲の環境を破壊するっていうのは常識だし、風力発電とかは日本の電力を賄うには少なすぎるよね。だから原子力発電なんだ。原発は必要なんだよ。カーボンニュートラルで環境に対して理想的なクリーンエネルギーが原子力なんだ。だから日本には絶対に必要なんだよ。エネルギー先進のヨーロッパでもドイツは脱原発を謳っていて、日本もそれに続くべきだって言ってる人もいるけど、そういう人は地理的な現実を見てないんだ。ヨーロッパは地続きで発電網が物理的に張り巡らされているから、ドイツは近隣諸国から電気を買うことができる。でも日本は島国だからそんなことできない訳だよ。無線で電気を送るシステムの開発はまだまだ全然で、それを待ってたら気候変動が取り返しのつかないところまで行っちゃうよ。日本はこういう事情があるから火力発電に頼らざるを得なくなって、自然と炭素の排出量が多くなる。そして電力資源が少ないからこそ、再生可能エネルギーの調達も過剰なまでに多く行う必要がある。だから日本にこそ原発が必要なんだよ。でも電気会社側は日本国民に説明責任を果たそうとしない、それは母さんが一番知ってるでしょ。でも責任を果たさなくちゃ皆から信頼を得ることができない。だから、おれたちが言ってかなきゃ、地道に説明していかなくちゃいけないんだ。原子力は日本に必要なんだって、自然を、動物たちを、地球を守るためには原子力発電は避けられないんだって」

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。