見出し画像

コロナウイルス連作短編その4「悪魔」

 今日、浅利啓介は自身の息子である浅利六実が悪魔であると確信に至った。
 昼、幼稚園がコロナウイルスのせいで閉鎖されたので、啓介は六実のためにミートソース・スパゲッティを作った。妻の響は仕事で家にはいなかった。啓介はミートソースを食べ始めるのだが、六実は不機嫌な表情を浮かべていた。
「スパゲッティ、食べたくない」
「どうして、食べたくないんだ?」
「スパゲッティ、食べたくない」
 要領を得ない答えに、啓介はイラつかされる。その後も破壊されたラジオのように、六実は"スパゲッティ、食べたくない"と繰り返し続けた。その言葉は鼓膜に腐った黄色い精液のようにへばりつく。
「ワガママ言わないで、食べてくれよ」
「スパゲッティ、食べたくない」
「何でなんだよ。理由だけでも教えてくれよ」
「スパゲッティ、食べたくない」
「食べてくれよ、お願いだよ」
「スパゲッティ、食べたくない」
「食べろって、六実」
「スパゲッティ、食べたくない」
「食べろよ」
「スパゲッティ、食べたくない」
「食べろ!」
 啓介が怒声をあげると、六実は手に持っていたフォークを彼に投げつけた。そして刃が啓介の首筋に突き刺さったんだった。一瞬何が起きたか理解できなかったが、悍ましいことが起こっていることを悟り、啓介は恐怖を感じる。そのせいで、痛みは少ないが、呼吸が思うようにできなくなる。息は若々しいサボテンのように肉を傷つけていく。それを尻目に、六実は自分の部屋へと逃げていった。その後ろ姿を見ながら、啓介は自分の息子が悪魔だと確信したのだ。
 フォークを抜き、適切な処置をする。傷は大事には至らないようで、啓介は安堵する。彼はパソコンに向かって仕事を始める。だがすぐに昔撮った写真を見ることになる。そこには赤子の六実が映っていた。皺だらけの、醜い類人猿のような顔を見るたび、背筋を凍てついた不快感が駆け抜ける。初めて彼の顔を見たのは、五年前に響が彼を出産した直後だ。タオルにくるまれ、健やかに眠る六実を目の当たりして、啓介は違和感を抱いた。
 何だ、この猿みたいな小さな物体は?
 実際に抱きしめて、その身体を撫でても、印象は全く変わらなかった。だが成長すればこの違和感はなくなるだろうと啓介は高を括っていた。それは間違いだった。六実が成長するうち、違和感はどんどん増幅していく。彼は啓介に似ていなかったし、響にも似ていなかった。マリモのような鼻、吐瀉物のような色の瞳、ムカデのような眉毛、縮んだ唐辛子のような唇。何もかもが両親に似ていない。
 この物体は一体何だ? 本当に俺の息子か?
 啓介はそんな猜疑心に苛まれた。最初、彼は響が不倫をしたのかと疑ったが、その思いはすぐに消える。何故なら啓介は響を心の底から愛していたからだ。万が一六実が不倫相手の息子であったとしても、彼を育てる人間として響は啓介を選んだ。それが誇らしくてならない。それならば響のために彼を育てようと思えた。しかしそんな決意をも六実の謎めいた存在感は鈍らせた。
 ある時、啓介は夢を見た。暗闇の中で、彼は響とセックスをしていた。正常位で響を貫いている時、後ろから何かが現れた。それは悪魔としか形容し難い存在だった。雄々しい角、マグマのような肌、隆々たる筋肉。その異様な風体は凄まじく威圧的で、全ての草木が枯れ果てるかと思われた。啓介の腰の動きが早くなる一方で、悪魔は彼を後ろから抱きしめた。そしてフォーク状のペニスを啓介の尻穴に挿入した。それに気づかないまま、啓介は身体を痙攣させながら絶頂に至る。それと同時に悪魔も強烈な雄叫びをあげながら、ペニスから何かを放出したんだった。啓介は夢から目覚め、大いなる恐怖を抱く。自分の精子はあの悪魔によって汚染されてしまったのではないか。そして小さくも悍ましい悪魔が生まれてしまったのではないか。
 息子の部屋から、とても大きな笑い声が聞こえてくる。驚いて部屋へ向かうと、中では巨大な黒い昆虫が飛んでいた。ブンブンと耳障りな羽音を響かせている。不気味な光景だったが、六実自身はとても喜んでいた。拍手をしながら、大いに笑っている。啓介は殺虫剤を持ってきて、部屋中に猛烈な毒をブチ撒けた。昆虫の踊りは徐々に勢いを失くし、最後には床に墜落した。死に瀕して、痙攣を繰り返す。そして動かなくなった。
 啓介は気が清々したが、逆に六実は号泣し始める。全身の穴という穴を突き刺すような凶悪な泣き声だった。さらに彼は虫の死骸を愛おしげに撫でてしまう。
「汚いから止めろ、バカ! コロナウイルスが移るぞ!」
 啓介はそう叫ぶが、六実は聞かなかった。巨大な虫の死骸を彼は撫で続けたんだった。まるで母親は子供の頬を撫でるように。
 そしてそこで初めて気づいたのは、部屋の壁の惨状だった。辺り一面赤いクレヨンで汚されて、部屋はまるで殺人現場のような有様になっている。啓介はその光景に震え、唾を飲みこんだ。
「お前、いったい何してるんだよ?」
 そう詰め寄るが、六実は号泣するばかりで何も言わない。啓介は彼の頭を殴った。六実はもっと大きな声で泣きわめく。啓介は六実のように泣きわめきたくなる。だがこの悪魔と同じことだけはしたくなかった。
「だから、何でこんなことしてんだよ!」
「楽しいからしたの!」
 とうとう六実はそう答えるのだが、部屋から逃げ出してしまう。
六実の後を追うと、彼が全てを破壊している光景が見てとれた。椅子やテーブル、灰皿や塩の入った容器、そういったものを全て破壊しようとしていた。啓介は六実の頭を掴み、床に押し倒した。
「この野郎! いったい何なんだよ、お前は!」
 啓介の口から銃弾のように唾が吹き飛んだ。
「お前は悪魔だ! 俺の子供を返せ! 俺の息子を!」
 啓介は六実の細い首を握り締める。圧倒的な力で、見る間に六実の顔は青黒く変色していく。それでも啓介は六実の首を絞め続けた。彼のぺニスが独りでに勃起した。そして六実は動かなくなる。激しく息をしながら、啓介は彼の首を優しく撫でる。六実は死んでいるようだった。
 呆然としていると、響が仕事から帰ってくる。彼女は床に転がる息子の死骸を認めると、すぐさま駆け寄る。しばし無言のままに、二人は息子の死骸を眺めていた。
「私さ……秘密にしてたことがある」
 沈黙を破ったのは響の方だった。
「私……この子は自分の子じゃないと思ってた。この子は悪魔なんだと思ってた」
 その言葉に啓介はただただ驚かされる。自分と全く同じことを思っていたからだ。
「俺もだよ、俺もだよ! こいつは悪魔だと思ってた」
 口の中で唾が迸る。
「ホントに?」
「本当だよ!」
 深い喜びから、啓介は響を抱きしめた。
「俺たちはやったんだよ。悪魔をブチのめしたんだ!」
「良かった、良かった!」
 深く抱きしめあい、そしてキスをする。唇と唇が濃厚に重なりあい、それはいつしか肉と肉の衝突になる。啓介たちは六実の死骸の傍らでセックスを始めた。そして啓介は思い切り、響の中で射精をした。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。