コロナウイルス連作短編その68「わきまえる男たち」
『目前』という題名の新しい短編映画がロッテルダム映画祭で上映されるという名誉に、男鹿轍は今思うまま浸っている。今回はコロナウイルスのせいでオランダに行くことは叶わなかったが、Zoomを通じて同じく作品が選出された映画作家たちと話せたのは大いに刺激となる。そして友人であるアルゼンチンの映画批評家グスタボ・エピオネロは『目前』を今年のロッテルダム上映作でベストの1本と評価してくれた。思わず妻である男鹿瑛子にそれを自慢してしまう。だが彼女はエピオネロという最高の映画批評家の1人が讃辞をくれるということの重要さを理解できない。曖昧な表情を浮かべた後、テレワークのため自身の部屋に戻る。深く苛つかされる。
数週間後、自分の名前をTwitterで検索していると、我妻裕貴という映画批評家が自分の作品を酷評する文章をキネマ旬報で書いていたという情報を目にする。彼は近くの図書館へ赴き、キネマ旬報の最新号を確認するが、その中にロッテルダム映画祭のレポート記事が載っている。オンラインと現地上映のハイブリッドとなった映画祭の状況とともに、幾つかの作品が紹介されている。そこでは同じ短編部門に選出されたカナダ在住の日本人作家ダイチ・サイトウの新作が激賞されている一方で、轍の作品についてはこう書かれていた。
"全くの紛い物。そういうのは澁谷朝見にやらせればいい"
澁谷朝見というのは轍より1世代下の新鋭映画作家だ。彼女の実験的な短編作品はシネマ・デュ・リールやマルセイユ国際映画祭などで高く評価される。そして彼女は前衛性とキャッチーさを戦略的に使い分けながら、日本の若手バンドのMVなども積極的に制作しており、そのおかげで一般にも名前が知れ渡っている人物だ。轍は彼女を"ポピュリストのゴミアマ"と認識していた。裕貴の言葉は彼をその朝見以下と言っているのと同然で、吐き気のような憤怒を抱く。
轍はページの写真を撮り、それを自身のTwitterアカウントにアップする。
"何て低レベルな言葉なのか。この我妻裕貴という自称映画批評家はこんな幼稚なことしか言えないかと思うと呆れる。せめて自分の言葉を使ってほしい"
この呟きの後、轍の作品のファンが裕貴を馬鹿にする言葉を呟きはじめ、彼もTwitterのアカウントを持っていることが確認されると批判の言葉を彼に投げかけ始める。こういった光景を見るのはいつでも爽やかな気分になる。
だが裕貴自身もまたこういった呟きをTwitterにポストする。
"この映画監督でもなければ、映像作家以下でもある人間の作るゲージュツといえばクソのように醜い。いやクソは地面に撒けば肥料となり新しい命を紡ぐが、これは地面に撒くと地面自体が腐る"
この言葉を読み、轍は笑いを抑えることができなかった。こんなにも哄笑が唇から溢れることは初めての経験だった。首筋が痙攣するほど彼は笑い続けた。10数分が経ってやっと笑いが収まると、彼はトイレに行き、くすんだ色味の壁を何度も殴った。そして排泄をする。尻穴から出た糞穢は野太く男らしい糞穢だった。再びTwitterに戻ると、今度は裕貴のファンが轍を攻撃し始めている。慇懃無礼を文章としたような非難の数々に、轍は自分の脳髄が爆裂しそうな錯覚を抱く。
こいつマジでブチ殺してやる、そう思うが何とか冷静になるまで全てを無視した。そして彼はFacebookを検索し、裕貴のアカウントを見つける。ただでさえ間抜け面を晒しながら、整えられていない極太の眉毛がその印象を更に加速させている。轍は彼にメッセージを送る。長々と自分の権威を誇示するために自己紹介文を書き連ねた後、水曜日の午後2時に新宿ベルクで会い、議論をしないかと綴る。数分後"分かりました"というメッセージだけが来る。この素気なさに轍はますます苛つく。そしてその間にも彼の取り巻きからの罵倒は増えていく。
轍はこの状況を忘れようと、積みあがった仕事に没頭しようと試みる。今年の秋にチリのバルパライソで行われる映画祭のプログラマーとして、若手作家による実験映画の数々を観て、メモを取る。例え5分10分の短編としても数本の実験映画を一気に見ることは、何冊もの詩集を一気読みするような疲労感がある。これに疲れたら、今度は美大の授業用に実験映画史に関する資料を製作する。今回の授業ではラウル・ルイスを起点として新鋭マレーナ・ツラムに至るまでのチリにおける実験映画の歴史を取りあげる予定だった。映画鑑賞の際に取っているメモを手がかりに論理を組み立てていく。だがふとした瞬間にあの罵倒が頭によぎる。そして駄目だと知りながら、Twitterを見てしまう。裕貴のファンによる罵詈雑言はどんどん増えている。憎悪を抑えられない。
「ねえ、皿洗いぐらいしてよ」
夕食後、瑛子にそう言われる。
「そんな暇ないんだよ、今は!」
そう怒声を響かせると、息子である零里が泣きわめきだす。
眠れない夜を何日か過ごした後、彼は新宿ベルクにやってくる。怒りのあまり思わず早く来すぎたゆえ、必然的に裕貴を待ち続けることになる。それが自業自得の苛つきを加速させていく。だが1時55分になって裕貴がやってくる。当然マスクはしているが、洗練の極みたるあの眉毛のおかげで彼だと一瞬で認識できる。自分が大人であるところを誇示するために、轍はマスクを外した後に朗らかな笑顔を浮かべ、敵愾心を巧妙に隠しながら、開いた右手を彼に向ける。だが裕樹も同じような態度で、朗らかに右手を掴み、つつがなく握手が行われる。その余裕ある態度に虫唾が走った。
だが裕貴がコートを脱いだ時、そのシャツの柄――白髪の老人の頭が2つに割れ、その間をメリーゴーランドの馬たちが回っている――に思わず目が行く。
「それってジョージ・A・ロメロの『アミューズメント・パーク』のポスターじゃないですか?」
そう尋ねると、裕貴の顔に不敵な笑みが浮かぶ。
「そうなんですよ。実は私、ジョージ・A・ロメロ・ファウンデーションとちょっとしたコネがあるんですよ。それで彼が試作段階のこのTシャツを送ってくれて、ロメロ大好きなので着てる訳ですよ」
それを聞いて羨ましさを覚えるとともに、親近感を覚えた。轍もロメロの作品が好きだった。しばらく彼らは互いに抱いていた憎悪も忘れ、ロメロ作品について話し始める。『マーティン/呪われた吸血少年』の切なさ、『ナイトライダーズ』の崇高さ、ランド・ダイアリー・サバイバルの後期ゾンビ三部作の完璧さ……そして『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』よりも、ロメロの盟友であるトム・サヴィーニによるリメイク作品『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世記』の方が出来がいいという意見すらも両者で共通しているのに、轍は驚かされる。
一瞬、我妻裕貴は悪い人間ではないとすら思える。だが彼は確かに轍の作品を醜い言葉で酷評した当事者であり、盛り上がってはならないと自制心を働かせる。
「ですが"そういうのは澁谷朝見にやらせればいい"という言葉の真意は何なんですか?」
そう尋ねると、裕貴は思わぬほど魅力的な、はにかみの苦笑を浮かべる。
「いや、いやいや、アレはあなたみたいな映画作家が澁谷朝見みたいなゴミクズ監督に堕す必要はないと言いたかったんですよ」
轍は裕貴の返答に驚かされる。そして彼はそのまま朝見への悪口を言い連ねていく。特に轍はこの言葉に共感する。
「澁谷の作品は影響があまりにも顕著なんですよ、言い換えれば影響元が狭すぎる。ペギー・アーウォッシュやバーバラ・ハマー、デボラ・ストラトマンらアメリカの女性実験映画作家への傾倒が明白すぎる。もはやオマージュを越えてパクリの域だ。同世代のアナ・ヴァスやアナマリア・マルクレスクには遠く及ばないですよ」
「ははは」
轍はまた思わず笑ってしまう。
「アナマリアは僕の友人ですよ。彼女も澁谷の作品に関しては"アメリカの3流実験映画の更なる出涸らし"って酷評してましたよ」
そして2人は澁谷朝見への悪口で盛りあがり、話題が次から次へと移っていく。
「澁谷朝見も映画秘宝からインタビュー受けてたでしょう。お笑い種ですね、全く。あれほど反権威を標榜していた映画秘宝が自らが権威と化していたことも自覚できず、ゴミ雑誌として凋落を遂げる様を見るのは最高でしたね」
裕貴は笑う。
「名前忘れたんですけどね、ある映画批評家が自分より20歳年下の同業者の言葉にキレて、Twitterで罵倒を繰り返していた事件がありましたね。あれは本当に惨めな醜態だったな。映画批評家のケツ穴の小ささを象徴するような出来事だったように思えますよ」
「ああ、ありましたね。実はその20歳年下の同業者と私は友人なんですよ。彼によると彼が喧嘩を売った時点でその映画批評家をTwitterでミュートしていたので、長々しい罵倒の数々は一切彼に届かなくて、彼自身ほとんど読んでないらしいですよ。彼のフォロワーが話題にあげるのを見て初めて映画批評家がどんな罵詈雑言を吐き散らかしているか知ったそうです」
「そうなんですか。いやでも喧嘩を売ったのは若い批評家の方でしょう。なら批判に応答しないというのは卑怯に思えますね。若い映画批評家はそういう自分の発言に責任を持たず、どさくさ紛れに逃走しておいて勝者を気取る臆病な人間が多すぎる、そう思いませんか?」
そんな言葉をきっかけに2人は笑いあう。
「あの、すいません」
突然、若い青年が2人に話しかけてくる。
「いやあの、男鹿轍さんと我妻裕貴さんですよね」
男鹿は驚きとともに彼を見つめる。その青年、梅原伊崎は朱色と紺色を基調とした洒脱な服装を纏っており、翻って自身のセンスの無さが際立つように思えた。その傍らに立っている女性は彼の恋人に見えたが、その顔も自身の妻と違って端正なものだった。
「あのお、差し出がましいかもですけど、2人ともTwitterで滅茶苦茶喧嘩してたのに今何かスゲー和気藹藹でビックリしたんですよね」
横の女性、相模彩野は退屈そうな表情を浮かべているが、彼女ごと裕貴は自身のテーブルへと誘う。
「あの裏側に一体何があったんですか?」
伊崎は目を輝かせながらそう尋ねる。
「いや、ただのプロレスだよ」
轍はそう言った。そして自分の言葉に驚く。
「2人で日本の実験映画界を盛りあげようとしてた訳だよ。こういう映画作家と映画批評家の殺し合いというヤツは客寄せのいい見世物になるだろ。外野はこういうのをいつだって求めてる。君にだって覚えがあるだろ?」
伊崎は恥ずかしげに首筋を掻いた。
「実際、我妻さんの批評は好きだよ。例えば10年前に書かれたオットー・プレミンジャーの晩年の作品、例えば『愛しのジュニー・ムーン』や『男と女のあいだ』『ヒューマン・ファクター』を論じる批評は本当に素晴らしかった。深く影響を受けたよ。それからスカイ・ホピンカというネイティブ・アメリカンの映画作家の作品を総覧する記事は、ホピンカについて日本語で読める最高のものだった」
「驚いたな、読んでくれてたんですか。嬉しいですよ。まあ、スカイ・ホピンカのデビュー長編は大駄作でガッカリしたけどね」
裕貴は爆笑する。
「2人ともロッテルダム映画祭に参加したんですよね。1番面白かった映画は何ですか?」
裕貴と轍は同時に話そうとしてしまい、不覚にも苦笑する。
「いや、我妻さんが先に言って下さいよ」
「いやいやいや、男鹿さんが先で良いですよ」
「今回は我妻さんに譲ります」
「そうですか、まあじゃあお言葉に甘えましょう。ロッテルダムで1番面白かったのは間違いなくダイチ・サイトウの新作だね。歪んだ極彩色の地平とジャズの禍々しい響きが観客を幻惑の催眠状態へ導く、そんな映画体験だった。コロナウイルスのせいでこれを映画館で体験できなかったのが悔やまれてならないよ、本当。あとこの作品はマレーナ・ツラムというチリ出身の映画作家の『アルティプラーノ』と二本立てするべきだなと思った」
「ああ、マレーナ・ツラム! 僕は彼女とも友人なんですよ。前、マル・デ・ラ・プラタ映画祭で一緒になった時、日本で自分の作品を上映できないかって相談されたこともあります。恵比寿映像祭をお勧めして、そこで作品が上映されるように色々とやりましたよ、そういえば」
「うわ、マジですごいですね、2人とも。ぼくも実験映画とかは大好きでよく観てるんですよ。でも彼女、ぼくの恋人なんですけど彼女はハリウッドの娯楽映画とかの方が好きで、全然実験映画とか観てくれないんですよ」
「えっ、いやまあそうだけど……」
自分が話題に挙げられ、彩野は明らかに狼狽していた。だが男鹿は彼女が浮かべる冷淡な視線を目敏く捉え、ムカつきを抱く。
「いやホント、コイツに言ってやってくださいよ。どういう実験映画を観るべきとか」
我妻が唇を舐める。
「まあ入門するなら例えばマヤ・デレン、ケネス・アンガー、スタン・ブラッケージ……」
「いや我妻さん、ぼくは最近の作家を勧めるべきだと思います。古典的な作家はどの新鋭の作品を面白いと思ったか?から逆算で勧めるべきじゃないかと思いますよ。僕が勧めるのは先に名前を出したアナ・ヴァスとマレーナ・ツラム、それからミコ・レヴァレザやヴィエト・ヴー、リアル・リザルディ、それからサイモン・リューかな。特にサイモン・リューはすごく良い、僕が今1番のめりこんでる映画作家ですね、サイモンは速度の詩人というべき人物なんです、初めて彼の作品を観た時は衝撃を受けましたよ、彼の作品はこう、記憶のなかを新幹線が駆け抜けるようなそんな壮絶な速度を伴っているんです、それに脳髄をブン殴られるような爽快感を味わったことは忘れられないですよ、でも最新作の『ハッピー・バレー』は彼のフィルモグラフィでも随一の傑作ですよ、人々のなかに眠っている英国占領下の香港をめぐる些細な記憶の数々、それが自由自在に移ろっていくなかで、切実で暖かな郷愁の詩が紡がれていくんですよ、速度の詩人としてのサイモンの手捌きの美しさは正に唯一無二で、作品を作るごとにどんどん高みに昇っていくというのが手に取るように分かります、いつもながら恍惚で彼の作品を観ていると自分ももっともっと作品を作っていこうと勇気づけられるんだ、本当に、本当に素晴らしい映画作家ですよ、サイモンは……ねえ君、僕の話聞いてる?」
「えっ、ああまあ……」
彩野はそう言った。
「それは人の話を聞くうえで正しくないんじゃないのか」
「いやこれは男鹿君の言う通りだよ。君、礼儀がなってないな」
「そうだよお前、すごい映画監督がお前のために話してくれてるのに、何だよそれ、俺の面目も潰したいのか、シネフィル女子大生気取りか、ちゃんと謝れよ」
「ああ、ちょっと謝るべきだと私も思うよ」
「おい謝れよ、彩野、彩野!」
彩野は汚い息をブチ撒けたかと思うと、伊崎を置いてベルクから出ていく。
「全く、無知っていうのは恐ろしいな」
彩野の背中に対して、轍は衝動的に中指を突き立てていた。裕貴はその様に驚きながら、伊崎も追随して中指を立てたのを見ると、俯いて苦笑した後一緒に中指を立てた。そしていつまでも爆笑を続けた。こうして3人は真の意味で友人となったんだった。
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