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コロナウイルス連作短編その147「悲しい町」

 それからベッドの端に座り、間藤麻は部屋の窓から雪が降っているのを見る。だが実際見ているのは、窓のそばに立ち、雪が降っているのを見る高槻園子の背中だった。
「雪、降ってるね」
 園子が言った。だらんと垂れた右腕、その先で小指がかすかに揺れる。
「そうだね」
 麻はそう言った。他に何か言いたいが、何も思い浮かばない。自分の右の小指を見る。痙攣していた。
 枕の傍らにタブレットがある、園子のものだった。戯れに手に取り、開いてみる。壁紙はラッセンの絵画のように禍々しい色をしていた。ロックは一切かかっていない。
「あなたのタブレット見ていい?」
「別にいいよ」
 園子はこちらを振り向かない。目についたのはSpotifyの緑色のアイコンだった。
「Spotifyって軍需産業にリスナーの金注ぎ込んでるって知らなかった?」
「何それ」
 園子はこちらを振り向かない。彼女がどんな曲を聞いているか知りたい。出た曲名は“ハートスランプ二人ぼっち”というものだ、滑稽な響きに麻は吹き出す。
「こんな歌謡曲みたいなの聞いてんだね、おばさん」
 園子は振り向かない。だが呼吸よりも小さな笑い声が聞こえる。
「あなたも聞いたことある曲だよ」
「ふうん」
 麻はそれを再生してみる。ファンファーレのような音彩に、アンニュイな旋律。確かに聞いたことがある。『探偵!ナイトスクープ』だ。東京MXで放送している下らない番組、恋人の赤根亜紀子が時々見て、不快な笑い声を響かせている。
「聞いたことあるでしょ」
「うん、あの下らない番組の主題歌」
「でも、実際いい曲だから、聞いてみなよ」
 しばらく無言で聞いてみる。

ベッドのまわりに 何もかも脱ぎ散らして 週末だけの秘密の部屋
おどけてチークを踊り続けてる お前をつかまえて

 加齢臭のキツい歌詞だとしか思わない。だがその旋律は麻の心を確かにざわつかせる。込みあげる寂しさが吐き気のようだ。
「昔、2ちゃんねるとかよく読んでたんだ、オカルト板だっけ」
 唐突に園子がそう言う。
「私が好きだったのはトラウマになったテレビ番組とか、都市伝説。ドラえもんの最終回とか、放送禁止になったCMとか、そういうの読むのが好きだった。そのなかで『探偵ナイトスクープ』のビニール紐っていうのがあったんだ。ガードレールや電信柱にたくさんビニール紐が巻かれて不気味みたいな。それを調査するんだけど最後には調査打ち切りになって、全ては謎って」
 園子はこちらを振り向かない。
「すごい怖くて、1回夢にも出るくらいだったんだよ。でも、その時ってまだYoutubeとか動画サイトみたいな無くて、しかも画像とかも出ないから、そもそもこの依頼があったのか不審がられてて、作り話と思われてたんだよ。本当に都市伝説だった。それから数年経って、動画サイトみたいなのが出てきた頃、いきなりビニール紐の動画が上がって、ネットが騒然としたんだ。私も悪夢が甦って怖かった、だけど同時にすっごくワクワクしたんだ」
 麻は自分の小指を見る。
「今でもそのワクワクを時々思い出すの。でも、いざ調べてみると、色々なサイトがビニール紐事件を解説してるんだけど、当然のように動画が張ってあって、もうビニール紐事件はあったこと前提で、その真相とは?みたいな感じになってる。存在自体が都市伝説として語られていた時代のことがすっぽり抜けてて、あのいきなり動画が発見されたのがいつか全然書いてない。私もいつだか全然思い出せないんだよ。それでそのうち、そんな時代が本当に存在したのかな?って思い始めてる。『探偵!ナイトスクープ』のビニール紐事件が都市伝説だった時代なんて、本当は存在しない。じゃあ、私が今でも思い出せるあのワクワクって一体何だったんだろう?」
 園子はこちらを振り返り、フラフラとこちらへ歩いてくる。麻の胸に飛びこむと、彼女の唇や首筋を貪りはじめる。熱い息が、体臭が皮膚に吹きつけ、細胞がひび割れる。
「美穂、美穂」
 園子はそうすがるように言う、言い続ける。グラグラと視界が揺れだし、筋肉や骨が呻きごえをあげる。麻は右手で園子の首を鷲掴みにし、ベッドに組みふせる。そして美穂として、彼女は園子の体を貪る。どこか遠くから、声が聞こえてくる。硬い壁に拳が少しずつ押しつけられていくように、響きが鼓膜を押し潰す。

夢中になれるのは この時だけとキスして
いつもより強く抱きしめたまま
少しずつ感じて 踊りつづけてる二人さ
涙も過去も未来も 跡かたもない そんな悲しい街さ

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。