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コロナウイルス連作短編その118「かわいらしい象」

 繰り返される揺れに、パトリシオ・モスコーソは目覚めざるをえない。鋼の眠気で重みを増した瞼、なんとか抉じあけると自分の肉体を揺らすのは弟のパブロだと気づく。表情は滑稽なほど切迫しており、天井をおおう、かわいらしい象のように間抜けな灰色といい組あわせと思える。
「何か、日本でやばいこと起こってる」
 パブロはそう言った。未だ眠気が抜けきらないなか、リビングに行く。テレビに映るのは日本のどこかだった。響いてくる声は緊急といったトーンで、日本で巨大地震が起きたと伝える。おそらく上空から撮影された映像のなか、灰色の津波が町を呑みこんでいく。
「これ、兄さんの住んでるところだろ?」
 パブロの顔は青ざめている。
 いや、違うんだ。パトリシオは冷静な態度でそう言いたくなる自分に驚く。
 ぼくの住んでいる場所は東京から地下鉄で20分の場所にある、陸の孤島みたいな場所だ。正確に言うと東京ではないが、東京といった方が説明が早いし、少しカッコがつけられる。パブロ、お前にもぼくの住んでいるところは東京と言ってるが、実は違うんだ。日本に住んでいる以外の友人には全員にそう言ってる。とはいえ、ぼくの住んでいる場所はここまで田舎然とはしていないから“兄さんの住んでるところ”ではない。多分、北だ。東京よりもずっと北だ。
 この思惟はスペイン語でなく、完全に日本語だった。


 
 パトリシオは再び起きる、ここは東京から地下鉄で20分の町であり、駅から更に10分歩くことで辿りつけるアパートメントだ。
 彼が最近の朝の習慣としているのは首のストレッチである。タブレットやパソコンの見すぎで、その背筋と首は完全に湾曲している。CGで再現された首長竜のようにグロテスク、この比喩を思いだしたのは駅の周囲を何となく歩いていた時だ。昔ながらの床屋、その建築の横を歩く際、薄汚れたガラスに己の湾曲が映りこんだ。それを醜いと思い、家に帰った後にYoutubeでストレッチ動画を検索した。彼のような首をストレートネックと呼ぶらしい。
 15分間のストレッチ、まずは首の皮膚を引き締める。両手で首の皮膚を強くつねり、これを全体で行う。皮の弛みを解消するのが目的だそうだが、四十の老いのせいでむしろ弛みが増殖しているように思える。次は筋をほぐしていく。動画内で様々な筋や骨の名称が浮かんでは消えるが、こういった学術的な日本語は蜃気楼のごとく覚えがたい。響きに合わせて唇を動かそうとするが、毎刻のこと空回りが露骨だ。そして後頭部の筋をほぐす時は特に、己の身体にここまでの物質が詰まっていることが信じられなくなる。太く、固い何らかの物体。最後がストレッチだ。胸に手を当てて、横を向き、首を後ろに倒す。このストレッチをする前は、首がこのように可動できるということ自体を意識していなかった。筋が肉や骨を巻きこみながら引き伸ばされる感覚がある。痛みのほのぐらい電流が皮膚のしたで蠢いている。いつの間にこの刺激を気持ちがいいと思っている自分に気づいている。

 朝ごはんはコンビニで買ってきたおにぎりとゼリー飲料だ。おにぎりの具はほぐした鮭、ゼリーの味はヨーグルトだ。淡々と摂取しながら、ふと数日前のデートを思いだした。彼は浅田善子という女性と都心部の大きな本屋へ赴いた。同い年の43歳だ。まず彼女が最近嵌まっているという建築本のコーナーへパトリシオを誘う。建築家と見紛うほどに彼女の知識は多岐に渡るものだった。最近の日本人建築家の動向(“今の建築家は建築は都市計画、都市計画は建築って感じで2つの概念が無理なく馴染んでる”)、ベトナムなど東南アジアにおける竹建築(“ベトナムの建築家がね、竹は21世紀におけるコンクリートだって言ってるの”)、建築と幾何学の関係性(“藤本壮介のいいところは幾何学を理解するからこそ、その規律や法則を崩す時に芸術的な飛躍があって、それが美しいところ”)と話題は広範だが、パトリシオには理解しがたい。だが彼女の熱烈さに好感を持つ。
「ねえ、この人知ってる? チリの建築家でプリツカー賞……建築界のノーベル賞みたいなの獲ってるんだけど」
「Alejandro Aravena……イヤ、シラナイナ」
 スペイン語発音に引きずられ、後の言葉が片言になったのにパトリシオは気づく。
「いや、知らないな」
 善子の表情を見ながら、彼は言い直す。だが何にしろ、彼は思う、ぼくは退屈な人間だな。
 パトリシオと善子は昆虫学のブースに行った。パトリシオは昆虫が好きだった。
「ぼくが最近嵌まってるのは、ツノゼミっていう虫だ」
 彼はツノゼミ図鑑を棚から取りだす。既に1冊、自分の家にある。
「ツノゼミは全く謎だ、神秘的なんだ。セミとはついてるけどセミの仲間じゃあない。世界各地に様々な種類のツノゼミがいるが、本当に様々な形状をしていて、驚かされる。雄々しくて巨大な角を持つ種類、シカのように崇高な紋様の角を持つ種類、油に映る虹みたいに七色の体を持つ種類、角が燃えた木材みたいな種類。本当にたくさんいて、彼らが同じツノゼミという種であることが今でも信じがたい。これが多様性というものなんだなと、心で理解される。芸術家はその心に、世界中のツノゼミを飼えって冗談じゃなくそう思うな」
 善子が笑うので、パトリシオは少し嬉しい。そして善子も虫が好きだという。彼女は特にスカラベやカメムシなどの糞虫が好みであり、奈良県にある糞虫専門の博物館にも足を運んだという。彼女は本棚からその館長が執筆した図鑑を探し、彼に見せるが、その図鑑もパトリシオは持っていた。奈良県には行ったことがない。
 
 午後、友人であるナウエル・ペレルマンとビデオ通話を行う。パトリシオが日本に住み始めた10数年前より、同郷の先輩として彼には世話になった。彼がいなければ日本文学の研究者としてここまでキャリアを重ねることはできなかった筈だ。最初は他愛ない会話を繰り広げながら、ナウエルは娘である実日子の話を始める。唯一の一人娘としてナウエルは彼女を溺愛していたが、3ヶ月前、突然に東京から福岡へ引っ越してしまったのだ。青天の霹靂のような落胆が、ナウエルの表情を一変させた。別に今生の別れではないし、新幹線を使えば数時間で行ける距離だ。確かにコロナ禍である故にそう気軽に旅行はできないが、それでも海外ではない。日本の都市と、日本の都市だ。だがそういった問題ではなさそうだった。液晶画面に映るナウエルの顔、鼻の脇から曲線を描くほうれい線が加速度的に深くなっていくのを、パトリシオは今正に目撃している。
 ナウエルはまるで指導教授のような厳粛な口振りで娘について語る。声の調子を凪の静けさに重ねようとしながら、奥底から彼の落胆がありありと感じられ、毎回戸惑ってしまう。そして右のほうれい線を掻く右の指は執拗だ、ここまでの動揺をついぞパトリシオは見たことがなかった。彼の喪失感を慰めてやりたいとは思う。だがこの喪失はもし子供を産んだとするなら必然的に味わうものな筈だ。それを覚悟してこそ子供を持てるのではないか。どんなに思慮深い人間であろうと意外なほどにこの覚悟を持っていないことを、パトリシオは経験から学んでいた。ナウエルもまたこの凡庸な感覚を持っていた。いや、凡庸なのは全く悪くない、むしろこれこそが“人間性”というものだとパトリシオは理解する。だが納得がいかない、ただ納得がいかない。
 ナウエルとの通話後、この喪失への思惟を頭蓋のうちに漂わせたまま、メールを確認する。そして視界にTamara Haroutounianという名前が飛びこんでくる。彼女はアルメニア人の日本文学研究者で、同じく阿部知二の著作を研究しているゆえに知己となった。コロナで気軽に会えなくなった後にはメールでやりとりをしていたが、1ヶ月前にメールを送ってそれに返事が来ない。筆マメな彼女はいつも2,3日で返信を送ってきたゆえ、この1ヶ月という空白が異様に思える。だがこちらから近況を尋ねたり、大学へ遊びに行こうという気にはならない。何か礼を逸するように思われる。ただ忙しくて返信が送れない、もしくは自分との会話に飽きたという些細な理由かもしれない。深追いする気にはならない。それでも微かに勘ぐりたくはなる。前は恋愛について話していた。映画や文学が好きな日本人の恋人ができて、彼について話す時だけ、理知的な文章が微笑む頬のように緩んだ。その男に裏切られたのかもしれない、えげつない方法で。タマラについて考える時も、パトリシオは冷静だった。彼は何に対しても、無闇矢鱈なまでに覚めた視線を向けていた。それは既に彼の癖だった。
 そして再び善子について思いだす。
「パトリシオって、パトリシオ・グスマンみたい」
 本屋から駅まで行く時、彼女は言った。風はぬるかった。
「まあチリでパトリシオといえば、そうかもしれないな。でも勿論、チリ人全員が観てる訳じゃないよ、実際ぼくがそうだ」
「ふうん」
 善子が顎の下を掻いた。脂肪がすこし弛んでいる。
「そもそも映画が好きじゃない、ぼくは本の方が好きだ。本を読むっていうのは能動的な行為だと思う。というのは、読むスピードを体調や気分によって自在に変えることができる。かなり細かい調整だってできる。逆に映画は受動的行為なんだ。観る速度ってものを変えること、ほとんどできないだろ。できても1.5倍速とか2倍速とかかなり雑だ。この経験を自分の速度に合わせられないのが歯痒い。映画っていうのは遅すぎるんだよ。全部観る前に集中力が続かなくて、飽きるんだ」
 そして記憶は自身と善子がキスしている場面へと飛ぶ。これが読書にまつわる会話の直後か、それとも大分後なのかは分からない。何にしろパトリシオの意識はこの風景を距離を取りながら見つめている。この記憶の映像自体がどうしてか映画のようだった。

 午後4時、パトリシオは散歩へ出かける。10月も数日が過ぎ、大気は肌寒くなってきた、とうとう秋が来たのだ。しばらく工場地帯を歩いていくと、隣接する閑散とした住宅街に入る。山吹色の目も覚めるような色彩をした小さなアパートメント、洗練と不動の両方を誇る厳かな木造建築、宗教と癒着した政党の候補者ポスターが張られた塀。そして住宅街の中心、群青と薄い白が規則的に配置された無難な新築の一軒家、その隣には何故だか小さな神社があった。錆びた銅色の鳥居を抜け、たった5秒で本堂にまで着く、恐ろしいほどのコンパクトさ。パトリシオはその建築の前に立ち、礼を1度、拍手を2度すると、深く辞儀を行う。この町に住み始め、住宅街の真中にこの神社の存在を知ってからの、これは習慣だった。未だに名前は知らない。そして祈ることもない。それは礼を失すると、パトリシオには思えた。だがこの時は、善子の顔が思いうかんだ。目をつぶり、誰かとキスをしている。キスの対象はパトリシオな筈だが、確信がない。何でぼくは、あの時に自分も糞虫図鑑を持っていると言わなかったんだ? パトリシオは祈らないままに、神社を後にする。
 数分歩き続ける。ある中規模のアパートメントに差し掛かる時、その廊下を清掃業者らしき中年女性が洗浄しているのを見た。水の勢いは凄まじく、床をも水浸しにするとともに、1m以上離れているパトリシオの肉体にも極細の飛沫が飛んでくる。右腕を覆う濃厚な体毛、絡まった滴が夕日を浴びて輝いている。しばらく彼はそれを見ていた。そして左手で全て薙ぎ払う。
 顔をあげると、若い女性と目があった。マスクはしていない。それがナウエルの娘である実日子であったので驚く。その驚きが表情に出ていたのか、彼女は少し軽薄な笑顔を浮かべ、挨拶するように右手を掲げる。
 何となく、2人は一緒に町を散歩することになる。
「何で引っ越したんだ? ナウエルが心配してる」
「ふうん、そう」
「何というか、憔悴してるよ」
「へえ、父さんでもそうなるんだ」
「他人事だな」
「だって他人だからね、親といえども」
 実日子はとても優しい笑顔を見せる。マスクをしていないので、露骨なまでにその優しさが煌めいている。不思議な気分だった。
「というか、何でぼくの町にいるんだ? 引っ越したんじゃないのか?」
「別に、いいじゃん」
 小さな頃から付き合いがある故の馴れ馴れしい口調、だが今は少し心配だ。思いを余所に、実日子は突然、パトリシオから見て左側に指を指し、その方向へと歩いていく。彼はついていくしかない。先に通ったところとはまた別の工場地帯、塀には“マンション建設反対!”と謳う看板が異様に多い。10年以上ここに住んでいる彼より、時折ナウエルとともに遊びにきたくらいの実日子の歩みのほうが誇らしいのが奇妙だ。歩くごとに、騒音が大きくなっていく。工場からでなく、隣接する高速道路からの轟きだった。これが不快なゆえに、パトリシオはこのエリアにはほとんど足を踏み入れない。しばらく歩いた後、実日子は立ちどまる。向こうには東京へ続く高速と合流する巨大な道が見える。彼女が再び指を指した時、その道路を示していると思った。
「あの建物見える?」
 “建物”という言葉は予想外だったので、パトリシオは目を凝らす。道路の向こう側に際立つ建築は、悪趣味な極彩色を纏った派手な看板を持つ、紫の建築だ。一瞬でもあれを視界に入れるならラブホテルだと分かる代物だ。
「あの変な建物か?」
「あそこで不倫相手と会ってた」
 そんな告白にパトリシオは吹きだした。吹きだすしかなかった。実日子も爆笑した。そして元来た道をもどる。
「お前、おじさんの家の近くで不倫相手とセックスしてた訳か。大胆だな」
「まあね」
「ナウエルが知ったら泣くぞ」
「あんなやつ、泣かせとけばいいんだよ、じゃない?」
「恩人にそういうことは言えないな。だが少なくとも、お前はぼくにとっての誇りだよ」
「はは、ありがと」
 そこでふと、パトリシオは自分と実日子がスペイン語で会話していることに気づいた。逆に、気がつかないほど意識が鈍麻になっていたのかもしれない。彼女の語彙やイントネーションはチリのスペイン語だ。ナウエルの言語を引き継いだのだから当然だろう。そこに日本に住む故の訛りがこびりつき、ある意味でエキゾチックな響きをも獲得している。チリの男に相当モテるだろうなと下衆の勘繰りを淡々と行ってしまう。しかしこの訛り以上の距離感が、自分と実日子のスペイン語にはあると彼には思えた。その源は説明できないほどの曖昧さを伴っている。だが曖昧な何かがたしかに存在しているという確信がある。
「ぼくの家来るか、泊まるところあるのか?」
「大丈夫、友達んとこに泊まるから」
 実日子は右の側頭部を掻きむしる。
 あてどなく歩く途中、遠くにある建物が見える。中規模の主建築に、倉庫が隣接している。入り口は常に開け放たれ、様々な何かが詰めこまれているのが伺える。だが最も印象的なのはその彩りだ。マリンブルーとスノーホワイトといった濃厚な色彩が、まるで上からペンキでもブチ撒けられたように斑に溶けあっている。幾何学を理解するからこそ、その規律や法則を崩す時に芸術的な飛躍があって、それが美しい。そんな言葉の断片が思いだされる。誰の言葉か、善子だった。そしてここはダイビングを練習するための施設だった。
「ここ、入ったことある?」
 実日子がそう尋ねる。
「いや、ないな。ぼくは泳げないし」
「この町に遊びにくるたびにさ、何でこんなとこにダイビング施設なんてあるんだろうなって思ってた。たぶん小学生の時だよね、パトリシオにここがダイビング施設って教えられたの」
 パトリシオは覚えていない。
「これずっとあるよね。私よりも生まれたの早いよね。姉さんかな、彼女は」
 実日子が立ちどまる。
「でもたぶん、私はここに入ることはないと思う。何でか分からないけど、そう思うんだよ。何でかな、入ろうと思えば入れるんだろうね、すっごく簡単に。でもたぶん入らない。こういうところに入る勇気を一生持てないまま、それで終わり」
 ゆっくりとそう言ってから、実日子は歩きだす。その背中をしばらく見ていた。
 じゃあ、入ってみないか?
 唇は確かに動いた。言葉は1つの破片すらも伴わない。


 スマートフォンの激しい震えに、パトリシオは目覚めざるをえない。痛む頭を抱えながらスマートフォンを確認すると、チリの友人たちから相当数のメッセージが届いていた。一気に眦が引き裂かれ、動悸が激しくなるのを感じながら、そのメッセージの山にパブロのものを見つけ、確認する。
 “今、マジでヤバい地震が起こった。俺たちは大丈夫だよ、でもこれかなりヤバいやつだ”
 パトリシオはリビングに向かい、テレビをつける。NHKで気象庁の記者会見が行われていた。彼はチリで起こった巨大地震について、厳格な態度で語っていた。何を言っているのか全く分からなかった。日本語のリスニングに関して相当鍛えたという自負がありながら、彼の言葉は微塵も聞き取れない。聞き取れないのだ。全く聞き取れない。彼はパトリシオにとって何の意味も持たない不気味な文字の列をずっと発音し続けていた。
 焦り、恐怖した。その後に、静かな瞬間が訪れた。まるで意識が肉体と離れ、顕微鏡でも使って肉や細胞といったものの動態を冷静に観察し始めたようだった。パトリシオは携帯でニュースを検索する。動物園で筆を使って絵を描く、マリオという名前の象のニュースを見つけた。それを読んでみる。何でも飼育員が棒を持たせると自然と床に向かって何かを描こうとしたのだという。そこで筆とキャンパスを用意してみると、マリオは絵を描き始めたのだ。ニュースには動画も張ってあったので、それを見てみる。長い、長い鼻を器用に筆へと巻きつけ、キャンパスに色を塗ったくっていく。ベチリベチリと、筆をぶつけて絵を描くマリオは、何ともかわいらしい姿をしていた。そしてパトリシオは思った。
 ぼくはこの瞬間をこの先ずっと思いだすだろう。この象のかわいらしさを、どんな幸せな時も、どんな不幸な時も思い出すことになる。おそらくもう、絶対に忘れることはない。それはもうありえないんだ。
 


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。