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コロナウイルス連作短編その153「やまとんちゅ、かわたん」

 それから夜の町で川谷亜矢汰は琉球民謡を、家下三久という女性に披露する。

あんまーたむのー 煙とんと
煙しぬ 煙ぶさぬ 涙そうそう
ヨイシー ヨイシー 泣くなよ
今日ぬ 夕餉
ぬう やがて
ちんちん ちんぬく じゅうしいめえ

「へえ、結構うまい」
 三久は感嘆の表情を浮かべながら、拍手をしてみせる。表情を見せるためかマスクを顎にまでずらしていた。唇が薄い、キスは乾いていそうだと亜矢汰は予想する。
「なんか本格的」
 その後、亜矢汰と三久はラブホテルに行き、セックスを始める。ベッドの上、服を脱がせあい、キスをする。予想に反してキスは滑める。
「かわたん、全然、剛毛じゃないね」
 三久が笑いながら言った。右目の瞼が痙攣している。確かに亜矢汰の体にはあまり毛が生えていない。腕毛も微かならば、胸毛もほとんど見えない。ほとんど産毛レベルであり、何本か不自然なまでに細長く黒い毛が、白い胸部から生えていた。例外として乳首の周囲には体毛が生え揃っているが、これは成人男性の平均レベルでしかない。少なくとも三久はそう思っているからこそ、この言葉を発するのだろう。
「まあ俺、実際に“おきなわーんちゅ”じゃあないしね」
 亜矢汰はそう言ってみせる。常に舌と唇の動きは意識している。
「その言葉のイントネーションとか、めっちゃ、なに、“おきなわーんちゅ”なのに?」
 三久はイントネーションの独特さを指摘しながら、実際に亜矢汰の口を指差す。
「でも違う。俺、本当は千葉県民なんだ」
「ほぼ都民かよ!」
 三久は爆笑しながらベッドに寝転がる。亜矢汰は彼女のジーンズや下着を脱がして、クンニリングスを始める。女性の性器は旨い。

 川谷亜矢汰は沖縄生まれでなく千葉県生まれであり、現在は東京で独り暮らしをしている。実際に沖縄文化に親しみ始めたのは、中学生の頃だった。母親である水間が夢中だった恋愛リアリティ番組を、息子である亜矢汰も楽しんでいたのだが、ある時新規加入メンバーとしてまさのりという金髪の爽やかそうな青年が現れた。自己紹介から他メンバーとの差異は明らかだった。言葉は標準弁でありながら、喋りのリズム、何より語句の抑揚が明らかに奇妙だったのだ。そして亜矢汰は自己紹介からまさのりが沖縄出身であることを知る。当然、メンバーからその抑揚に突っ込みが入る。ハニカミながら言うには、語彙や表現としては標準弁を覚えられたのだが、いざ口に出すとどうしても抑揚が沖縄弁に寄ってしまう。骨身に染み着きすぎているのだという。最初はこれがコンプレックスだったが、逆にこれを自身の個性として打ち出すと、これをネタにして人と会話が盛り上がったり、人に好かれるようになった。だからこのイントネーションを大事にしているのだという。
 実際、番組においてまさのりは見る間に人気を獲得していった。ルックは平均より少し上ほどのものだったが、独特の抑揚が生む奇妙なゆるさとグルーヴ感で彼の周囲は笑いが絶えず、男性メンバーからは信頼を、女性メンバーからは好意を獲得していく。視聴者からの人気も絶大であったようで、ネットにはまさのりへの黄色い声が怒涛さながら押し寄せ、その一端は亜矢汰が通う中学校においても見られた。放送の翌日、女子生徒たちが「まさのりの“東京”って言い方かわいかったね」など彼の話題で盛り上がるのを何度も目撃したことがある。
 亜矢汰には一切女子人気がなかった。どう人気を獲得すればいいか検討もつかず、それを探る努力すらも放棄していた。男友達といっしょに騒いで、独りの時は父である伊鷺に教えてもらったThe Dillinger Escape PlanやAnimal as Leadersを聞いていればそれで構わなかった。だが“女子にモテたい”という欲望も、確かに心の奥底で燻っていた。そしてベッドの上、“Milk Lizard”を聞きながらエアギターで狂喜乱舞している時、天啓が舞い降りた。まさのりの喋りを真似すれば女子にモテると。
 その日から亜矢汰はまさのりの研究を始める。東京に引っ越してきた沖縄人、そんな立場から生まれたあの喋りを、完全な千葉県民である自分がいかに体系的に身につけることができるのか。最初はひたすら録画した番組を何回も再生していたが、全編にまさのりが出ている訳ではない。いつしか彼はYoutubeに違法アップロードされた番組の抜粋を利用し、まさのりの言葉だけを徹底的に聞き続け、頭にそのリズムや抑揚を叩きこんでいく。“東京”、“聞かれて”、“素で”、“止められて”といった素朴な語彙によりまさのりの、もしくは沖縄弁の抑揚の個性が表れる。これを丁寧に研究し、ものまね芸人さながら模倣を行う。時々はこの研究結果を、水間に披露することもあった。亜矢汰が“学校の女子にまさのりが人気なので、まさのりの物真似をして女子にモテたい”という旨を正直に話すと、彼女は「金髪に染めんのはまだダメだからね」とは言いながらも、乗り気で物真似を見てくれた。第3者の意見は自然と参考になるが、それ以上に息子の幼稚な願望を最大限尊重する敬意というものを亜矢汰の母親は持っていた。驚くほどに真剣に彼女は彼の物真似を精査、粗や弱みを逐一指摘し、そのクオリティをあげるのに尽力してくれた。今でもそれに感謝の念を抑えられない。
 そしてここに亜矢汰の耳のよさが重なる。天性というべきほど研ぎ澄まされてはいない。が、音楽好きの父伊鷺が大量のCDを集めていた影響で、物心ついた時から音楽に触れており、耳も自然と鍛えられていた。これが特に抑揚の模倣に寄与していく。一度声を聞いただけでも当たらずも遠からずで抑揚を真似できる、これは己の特技だと亜矢汰は徐々に気づいていった。だが思春期特有の気恥ずかしさが、実際にこの物真似を中学校で披露するということに二の足を踏ませた。この恥の感覚は幼くちっぽけで、だからこそ異様なまでに根強い。結局、彼は中学校で1度も物真似を披露することはなかった。ただただ求道者のごとく、鍛練のみを行った。
 だが雌伏の時にも終りが来る。彼は高校生となり、必然的に皆の前で自己紹介をすることとなる。右の列から順に同級生たちが時におざなりに、時に全力で自己紹介を行う様を横目に、亜矢汰は右の親指をうねうねと動かし続けた。ここで自身の沖縄弁を披露しようと前々から決意し、鍛練を重ねてきた。だがいざその時を迎えようとすると時、武者震いを抑えられない。ともすれば今までで最も緊張していた。羞恥、矜持、呆れ、昂奮、さまざまな感情が右の親指を震わせる。だが“川谷”という五十音順でも上の名字ゆえに、待ち時間は少なかった。すぐに目前の男子生徒が立ちあがり、紹介をなあなあで済ませる。こいつつまんないやつだな、亜矢汰はむしろ奮起した。そして促されるまでもなく、立ちあがり、勢いで彼が沖縄っぽいと思うポーズを取る。歌舞伎でいう見栄だ。
「はいさーい! 沖縄が好きすぎて言葉も身ぶりもおきなわーんちゅっぽい千葉県民の川谷亜矢汰でーす! かわたんって呼んでね! めんそーれ!」
 この自己紹介に、場が湧く。爆笑が聞こえる。亜矢汰は心中で快哉を叫ぶ。
「何それ、バカすぎ!」
「おきなわーんちゅって何、うちなんちゅじゃないの」
 そんな女子の声が聞こえた。
「めっちゃまさのりやん」
「そう! 俺も観てる!」
 亜矢汰が耳敏く反応すると、番組の話で少し盛りあがる。この時点でまさのりは既に恋人を見つけ番組を卒業していたが、彼の存在が印象に残ってる者は多くいたらしい。教師が止めるまで、ちょっとした騒ぎはしばらく続いた。
 この日から亜矢汰はクラスの中心として絶大な支持を誇ることになる。持ち前の陽気さ、音楽センス、何より沖縄弁というキャラクターづけに同級生はたやすく惹かれていく。だが常に己を律することを忘れない。自己紹介が成功裏に終わったことを水間に報告すると、彼女は喜ぶとともにこうも告げる。
「でも調子のって“はいさい”とか“めんそーれ”とか、そういう安易な飛び道具は多用しちゃダメだよ。例えば一発屋芸人はそういうのに頼りすぎて自爆するんだからね。簡単に注目が取れる言葉は、ここぞという時に使うの。アンタにはイントネーションって武器がある。地味な耳のよさの方を信じた方がいい。それで天下獲りな!」
 自分のおふざけに真摯に付きあってくれた母の言葉を、亜矢汰は素直に聞き入れた。ここに反抗期はなかった。基本は標準語で、イントネーションは沖縄弁に拠らせるも、語尾に“さー”などをつけるなど“沖縄弁っぽい”演出を施し、内地人のエキゾシズムを煽るのは避けることを心掛けた。だが時々、弁当のなかの唐揚げを食べる際に「これ、俺の“じょーぐー”(大好物)」と言ったり、他にも友人との会話の最中に「あー、宿題“あんまさん”(面倒くさい)だわ」と言うことで、彼らのエキゾシズムを適切な分量で刺激する。“適切な”というのが人気を保つうえで重要だった。
 そんな中で亜矢汰は新美理恵という同級生と仲を深めることになる。色白でその肌に揺れる黒髪が際立つ。K-POPとわさビーフが好きで、流行に目敏い。結成したばかりのBLACK PINKにすぐさま注目し、クラスに広めるほどの人望も持っている。彼女も亜矢汰の偽沖縄弁に興味を抱く有象無象の1人だったが、亜矢汰は彼女の立てる物音に惹かれた。実際に響いているのか、彼女自身すら聞いているのか分からない黒髪の揺れる音、その柔らかな質感に惹かれた。
 そしていつの間にか亜矢汰は理恵と恋人関係になり、彼女の部屋でセックスをしていた。初めてのセックスであり、いわゆる童貞を卒業するという行為が成されたということだった。今、理恵のことを思い出そうとすると、仲良くなった過程などは悉く省略され、まず真っ先に彼女の部屋の天井が思い出される。クリーム色の、ヨーロッパ風としか形容できない紋様が刻まれた壁紙。それを見ながら、あまりにも人生が上手く行きすぎていると感じた。
 今、完全に調子のってんな、俺。
 ペニスの先に快感の残滓を感知しながらも、至極冷静にそう思った。そして頭に“求道”という難解な二字熟語が浮かぶ。彼はスマートフォンでこの熟語を検索してみる。

“〘名〙 仏語。仏道を求めること。さとりを求めること。また、一つの道の極致を求め修行すること。きゅうどう”

 亜矢汰はこの偽沖縄弁という芸を“求道”することを心に決める。

 オミクロン前の駆けこみ合コンに、亜矢汰は参加する。ネトナンで女性を漁るのも興味深いが、やはり偽沖縄弁を十全に駆使できる意味では、対面で女性を口説くほうが楽しみを感じる。相手の女性3人ともに可能性を開きながらも、本命は長い黒髪を持つ心咲という女性とする。
「はいさーい! 沖縄が好きすぎて言葉も身ぶりもおきなわーんちゅっぽい千葉県民の川谷亜矢汰でーす! かわたんって呼んでね! めんそーれ!」
 軽薄な沖縄弁は慎むことを心掛けながらも、第一印象はこの軽薄さを全面に押し出した方が後がスムーズに続く。実際、衒いなき堂々たる軽薄は場を和ませる、今回も3人への受けはいい。そして旧知の男性陣2人のサポートによって、場が一気に暖まったのを亜矢汰の手の皮膚が感じている。だが何より、今でもこの自己紹介を使い続けているのは、愛着を抱いているからだ。
 途中、自然と沖縄については尋ねられるので、亜矢汰は彼女たちに語ることとなる。
「いやね、沖縄で忘れられないことあるんだよ。高校2年で、沖縄行ったんだ。晴れて海で遊べるかと思ったら、マジでめちゃくちゃ曇ってて、しかも寒かった、夏なのに。友達と班になって沖縄観光するんだけど、まず何か、海行ったよね。超どんよりしてて、灰色だったよ。実は天気予報でも3日間このまま曇りで、時々雨とかもなって、ガッカリしてた。そんで皆で、海岸行ってさ、海岸の砂をガバッて掴んで『バカヤロー!』って言いながら投げたよね、投げまくったよ。そしたら、何かさ、だんだんと雲が消えていって、太陽がパァーってなり始めたんだよ。最終的に、めっちゃ晴れたんだよ! そんで皆で『よっしゃー!』ってはしゃいたんだ。あれが忘れらんないな」
 ここにおいて亜矢汰は一切沖縄弁の言葉を使用していない。若者言葉に寄っている標準語で話をしている。だが抑揚は標準語と全く異なる、彼の鼓膜と舌に焼きつけられたものが違わず再生されている。これによって何の変哲もない話も、女性たちには否応なしに違和あるものとなる。そしてこの違和を亜矢汰は他者との差異とし、魅力と成す。
「ほんとあれは“でーじちゅら”って感じだった」
 しかし最後には沖縄弁の単語を安易なまでに使い、女性たちの異国趣味を煽る。
「えっ、“でーじちゅら”ってどういう意味」
「なんか“ちゅら”って聞いたことある気がする」
 そうしてわめく女性たちの表情を、亜矢汰は軽蔑とともに眺める。気分がいい。
 そして酒が進んでいき、酩酊のノリにおいて亜矢汰はちんすこうを話題に出す。ちんすこうは旨い、特に塩ちんすこうが旨い、ちんすこうの旨さは本当に衝撃的、ちんすこう、ちんすこう。この単語を連呼すると男性陣は当然笑い、女性陣も笑う。それは勿論“ちんすこう”という単語が“ちんこ”を彷彿とさせるからだ。この下らないネタを披露しながら、亜矢汰は何故日本人はこういった下らない下ネタをここまで好むのか疑問を抱かざるを得ない。最近、呪術廻戦がボウリング店のラウンドワンとコラボしたCMがよく流れるが、そこで“おなちゅう”という単語が現れる。それを聞くたび、奇妙な気分になる。この単語は“同じ中学”を意味する略語だが、どう聞いても“オナニー中毒”という意味にしか聞こえない。ネットで検索するとそう思っている仲間は多くいる。そんな単語が大衆に認知され、CMでお茶の間に流れる現状は俄に信じがたい。何故こんな下ネタにしか聞こえない単語が普通に流れるのか、それを考えるうちに思ったのは、むしろ下ネタに聞こえるからこそCMで流れるの、何故なら日本人は下らない下ネタを愛しているからだ。だがこの先に行けない、つまり、では何故日本人はこういった下らない下ネタを愛するのか?
 今、彼はこの疑問を留保しながら“ちんすこう”という単語を連呼し、自身もこの日本人の特性を利用している。とても興味深い現象だ。
 数時間後、亜矢汰は狙い通り心咲とセックスを行う。ゴムを着けた後に、フェラをお願いする。
「これ、何かすごいレモンの味する、すっぱ」
 心咲がこぼれた唾を指で拭き取りながら笑う。
 亜矢汰は自身のペニスを心咲のヴァギナに挿入する。正常位、後背位、騎乗位、正常位。体位を変えるなかで、ペニスを抜きとらないまま体位を変えられるとセックスの玄人に思われるという話を思いだし、それを心咲に話してみる。
「えー、プロっぽさがあるかもだけど、何か機械的でやだよ。むしろモタモタしてる方が、何て言うか、人間的?」
 なので亜矢汰は体位を変える際、際立ってわざとらしく下手に振る舞ってみせる。心咲も乗り気で「がんばれ、がんばれ」などと運動会で我が子を応援する母親のように振る舞う。
 正常位の体勢に戻ってしばらく腰を振るうち、心咲が「いきそう」と申告する。こういう時は女性を慮り腰を早めるのではなく、そのままリズムを崩さない方がいいと別のセックス相手から聞いたことがある。そのリズムこそが女性を心地よく思わせているのであり、早めるとむしろ快感がすぼんでいくと。同じリズムで腰を振り続けると、心咲は亜矢汰を楽しませるように、激しい喘ぎ声とともに大袈裟に体を震わせてから、ベッドへ深く沈みこむ。深い呼吸によって胸郭が大きく縮小と膨張を繰り返し、大きい乳房が揺れる。いい風景だった。
「俺ももうすぐいきそう、このまま腰振り続けていい?」
 言葉もなく頷くので、亜矢汰は少し強めに腰を振り、快感を高めていく。
「いきそうになったらペニス抜くから、右手でしごいてよ」
 亜矢汰はそう言う。
「別に中でいってもいいよ、ゴム着けてるんだし。余計な動きしたら、気持ちよさ変にならない?」
「いや、心咲の手のなかでいきたい」
「ふうん、じゃあAVみたいにお腹に出していいよ、その方がエロいんじゃない?」
「まあそうだけど、エロい気分になんのは君じゃないの、変態」
「ははは」
 そして亜矢汰はペニスを抜き取り、心咲の腹部の上部に持っていく。待ち構えていた心咲の右手がペニスを掴んだかと思うと、ゴムをあっという間に取り去り、高速でしごき始める。亜矢汰は射精し、精液がボトボトと臍の辺りに落下する。
 何か沖縄弁期待されているか?
 亜矢汰はそう思うが、射精が終わってもなお心咲が刺激を続けるので、体がビクビクと震えた。

 翌日、亜矢汰は大学の図書館へ赴き、沖縄関連の書籍を読み、メモを取っていく。今読んでいるのは清田政信の『渚に立つ』だった。

・清田の文章にしろ、紹介される詩にしろ“域”という言葉が使われることが多い。“内域”や“境域”という言葉など。
・歯を食い縛る時に滲みでる血のような苦渋が文章から現れている。読んでいると精神的な疲労を覚える。
・取り敢えずここで紹介されている詩人の作品は読むべきかもしれない。後で図書館で調べてみる。

 この書籍には即時使用可能な沖縄弁のネタは書かれていないように思われる。だが重要なのは即時には使えないが、長い目で見てネタを育んでくれるだろう豊かな土壌を育むことだ。そのための教養を得ることに時間を費やすこと、これを臆すべきではないと亜矢汰は確信している。
 沖縄弁の使用にあたり、彼は“沖縄好きすぎる千葉県民”と自己紹介を行うことで、そこに存在する粗を見逃してもらうための予防線を張ってはいる。だがここに甘えず、常に己を鍛練しなくては、いずれにせよ破綻は免れないだろう。常に己の言動にリアリティを持たせなくてはならない。彼にとってはそれが沖縄弁を使用し口説く女性たちへの責任でもある。
 亜矢汰が実際に沖縄へ行ったのは、高校の修学旅行1回きりだった。合コンにおいて語った海での経験はここでの出来事だった。実際には晴れず、3日間常に曇天が続いていた。そして亜矢汰はまた沖縄へ行こうという思いは微塵も存在しない。亜矢汰は自身が持つ沖縄への平凡な固定概念を自覚している。男性は不良ばかり、女性は妊婦もしくは若い母親ばかり、その他は米軍基地に寄生する奴隷の“ジャップ”か基地反対を喚くプロ市民。治安は吐き気を催すほどに悪い。亜矢汰は旅行の際に、班からはぐれたのを見計らい地元のヤンキーに因縁をつけられ、逃げた覚えがある。彼はこの“地元のヤンキー”というイメージをそのまま“うちなーんちゅ”に接続しており、これを特に怠惰な連想とも思ってはいない。むしろ沖縄弁を人気取りの道具として利用するにあたり、無駄な踏みこみは必要ない、これくらいの割り切りが適切だ。とはいえ沖縄弁に関して、道具には道具なりの愛着を感じてはいるが。
 そして何より沖縄に微塵たりも行く気はないのは米軍の存在ゆえだ。前々から植民地主義者といった風な暴虐を隠す気もなかったが、このコロナ禍において、彼らはマスクもせずコロナを全土に撒き散らしている。そしてウイルスを纏いながら日本人女性をやたらにレイプしている、そうネットニュースで読んだ。ネットニュースを鵜呑みにするのは浅薄だが、沖縄にはそんな予想の範囲内の浅薄な出来事しか起こっていないとしか思わないゆえ、自分から鵜呑みにしている。もしコロナ禍が終息したとて、一生行く気はない。スペインのイビサ島辺りに行きたい。
 勉強が終わった後、彼は電車を乗り継ぎ、護り島という沖縄料理店へと赴く。オレンジ色の優しい灯に包まれた、落ち着きのある雰囲気で、壁には極彩色の琉装を纏った女性たちのポスターが張られている。壁には三線やエイサー太鼓なども置いてあり、内装はすこぶる賑やかしだ。コロナ禍ながら溢れない程度に客がおり、騒がしさも広がっている。彼は隅の一人席に腰を落ちつけ、中を眺める。サラリーマン風の男たちが酒を飲みながら、コロナ禍の前と同じように顔を赤らめ、喋り声を響かせる。亜矢汰は響きのなかに耳敏く沖縄弁の抑揚を聞き取る。ここは沖縄人にも人気の沖縄料理店という訳だ。目を豊かに見開かせながら、男たちと喋る外国人の女性エリカ・キトッサがここのオーナーだ。カナダ人だが日本留学中に沖縄に惚れ込んだ挙げ句、とうとう東京に店までオープンするようになったらしい。
 でも黒人ってカナダにもいるのか?
 亜矢汰は彼女を見るたびにそう思う。
 まずテーブルに運ばれてくるのは泡盛のロックだ。彼は常盤という銘柄を好んでおり、ここに来ると毎回頼む。匂いはかなり濃厚で、芳醇を黒墨と極太の筆で書き記したような力強さがある。それを味わいながら、まず景気付けとしてコップ半分を一気に呑む。匂いと同じく味も相当に力強い。味の複雑なクセに撲殺されるような錯覚を覚えるほどだ。特に鼻への衝撃が凄まじい。昔は鼻を摘まんで呑むほどに癖が強かったらしいが、少しまろやかになったらしい今も衝撃は色褪せない。激烈なまでに熱い凍が鼻から目へと量子跳躍を行い、一気に覚醒する。旨かった。だが後からはちびちびと、ゆっくりと味わうことにする。そして舌と鼻の粘膜で泡盛を享受しながら、耳は客の沖縄弁を探る。客の沖縄弁もそうだが、店主であるエリカの流暢な日本語もまた沖縄弁の影響が濃厚であり、沖縄弁を後天的に取得するうえでの参考になる。こうやって生きた沖縄弁を採集することでこそ、偽沖縄弁のリアリティは高められる。偽としての強度は本物に裏打ちされることで、逆説的に強化される。
 亜矢汰はこの店で一度たりとも喋ったことがない。来店と退店の際に「ひとりです」や「ありがとうございました」などは口にするが、その他は一切喋らない。そして上記の言葉を発するにおいても、沖縄弁は巧妙に隠す。ここにおいて彼は“沖縄料理が好きなやまとんちゅ”役を徹底する。どこから自身の偽沖縄弁に綻びが生まれるか分からないからだ。これに関しても自己紹介で表現する通り“沖縄好きな千葉県民”を気取ればお目こぼしされる可能性は十分にあるが、そこには甘えたくないという享受がある。かといって“自分は沖縄人である”という無謀な嘘をつく気もさらさらない。それをやるのはただの間抜けだ。
 すると客の1人がマスクをしないまま、何らかの民謡を歌い始める。朗々として、朝焼けのような響きをしている。他の客たちも彼を囃しだし、その中の一人は指笛を吹いていく。鎌鼬さながら空気を裂く高音だ。
 汚ねえな、オミクロン蔓延させたいのかよ。
 亜矢汰は心で吐き捨てる。
 やっぱ沖縄人は馬鹿しかいない。

 Tinderで口説いたケリー・リースというアメリカ人と日比谷公園で会う。オミクロンの患者が爆発的に増えているが、デートやセックスは続けたい。
 セミショートのブルネット、琥珀色の瞳、かなり好みだ。服の上からも乳房が大きいのが伺えて、視界にチラつくだけで気分がいい。近くのコンビニで買ったビールを一緒に飲みながら、最初は英語で喋るのだが、彼女は日本語で喋るのはまだ難しい一方で聞き取りはできると豪語する。なので亜矢汰は過剰に沖縄訛りを効かせた日本語を喋ってみせる。彼女が文字通り目を丸くして困惑するので、勃起する。
「かわたん、何その日本語、全然分からん。でも何か聞いたことあるような」
 ケリーは自身のマスクを撫でる。
「沖縄弁だよ、というか沖縄訛り」
「ああ、オキナワ!」
 その言い方に、自然とカタカナが浮かぶ。
「私、何回もオキナワ行ったことあるけど、そういう話し方する人いたよ」
 こんな訛りが誇張された話し方する沖縄人いる訳ねえだろ。
 心のなかでそう吐き捨てるが、口では「だろ?」と同調する。
 どうせ日本人の区別も、日本語の区別もついてないんだろ、白人。
 亜矢汰は自分の手が頗る冷えているのを急に意識する。手の冷たい人間は心が暖かいと聞いたことがある。
 そしてケリーは親戚が沖縄の米軍基地に勤めていると話す。言葉が連なるごとに彼女の瞬きが妙に早くなる。だが瞳の奥にはその親戚への敬意のようなものが輝いている。軽蔑を覚えた。
「うっさいお笑い芸人とか活動家はいるけど、米軍がいなかったら沖縄どころか日本が危ないのに何言ってるんだろうね。珊瑚埋めて平和が来るなら安いもんでしょ」
 そうおどけて言ってみせると、ハハハとケリーは笑う。これは“HAHAHA”と文字表記すべきものだろうか?
「でも本当、俺は米軍に勤めている人々には感謝してるんだ。彼らが俺たちを守ってくれているから、ささやかな平和を楽しむことができる。それからこうやって君ともビール飲みながらデートできる。君の叔母さんにも感謝しなくちゃね、アリガトウ」
 亜矢汰は意図的に英語発音で“ありがとう”と言ってみせる。ケリーは目を細めて、少し笑う。マスクの奥から密やかな息遣いが聞こえる。
「アリガトウ、かわたん」
 アメ公なんて左翼すらこうやって軍人賛美しときゃ心掴めんだから、まあ馬鹿だわな、亜矢汰はそう思う。
 ラブホテルへ行き、セックスを行う。日本人と白人では乳房のハリが違うので、目で見ても、手で掴んでも感触がまるで違う。喘ぎ声に関しては耳障りだった。
 セックスの後、ベッドに横たわりケリーの肌を撫でる、上から下へ彼女のことを宥めるようにだ。実家にあるノートパソコンの液晶のような質感だった。ケリーは唇を緩めながら、スマートフォンを眺めている。自分の愛撫に喜んでいるかと思いきや、実際は動画を観て笑っているだけのようだった。亜矢汰はそれを覗きこんでみる。動画はコンサート会場を撮している。画質は最低で、手振れが激しい。レンズが見据えるのは舞台上で歌う歌手ではなく、舞台端で大きく手を動かす人物だった。眼鏡の白人女性は低画質にすら際立つ怒の表情で以て、空気を切り裂き、殴りつけるかのように手を動かしている。何をしているのかよく分からない。
「これ、手話なんだって」
 ケリーは液晶から目を外さないままにそう言う。
「ラップの手話だからこんな激しいんだって、めちゃ面白いね」
 彼女がそう言ったので、しばらく動画を眺めた後、おもむろにベッドの上に立ちあがると、全裸のままで眼鏡女性の真似をし始める。手話など分かる訳もないので、とにかく支離滅裂に手を動かしまくる。それに気づいたケリーが爆笑を始めた。結構嬉しかった。これからアメリカ人を口説く時に、手話の真似をすればいいかもしれないと思う。
「そういえばさ、何で“かわたん”なの?」
 ケリーが亜矢汰の方を見る。視線はペニスに据えられているように思える。
「自己紹介の時“川谷”って言ってたね。で、ニックネームは“かわたん”」
「興味ある?」
「うん」
「教えてあげる代わりに“チンポ”舐めてよ」
 その言葉にケリーは吹きだす。“チンポ”が“ペニス”を意味し、かつこの語には滑稽な響き、少々下卑たニュアンスを伴っているという文脈が分かるくらいには、ケリーは日本語を解していると亜矢汰は理解する。
「“谷”って漢字は普通に“たに”って読む訳なんだけど、沖縄には“読む”に“谷”って書く地名がある。でも読み方は“よみたに”じゃなくて“よみたん”だ。つまり沖縄では“谷”を“たん”って読むんだ。だから沖縄では“川谷”を“かわたん”って読むんだ、そしてこっちの方が可愛い、だろ?」
 そう言ってから、亜矢汰はペニスをしごき始める。勃起しろ、ちゃんと勃起しろよ。射精したばかりだったが、ケリーの乳房を見ながら手を動かすと、実際にペニスが硬くなり始めるので安堵する。そしてケリーも笑いを浮かべながら、こちらに近寄ってくる。亜矢汰を押し倒すと、フェラチオを始める。とても気分がいい。
 刺激が加わるなかで興奮が増してくるが、ふとした瞬間に世界への解像度が異様なまでに鮮やかさを増した。知覚が明晰になり、感覚が研ぎ澄まされる。だが亜矢汰の意識はペニスに現れる快感でなく、ラブホテルの天井へと注がれていた。その電灯は橙色と形容できるものだ。だがよく目を凝らすのなら繊細なグラデーションが存在しているのに気づく。亜矢汰の視界左側の橙には影が微かにかかっており、少し侘しげな印象を与える。今は1月であるが、この時期における午後5時に降り注ぐ夕光が正にこういった色彩をしている。だが右側に行くにつれて橙は影から解き放たれ、より濃厚かつ純粋な色彩と化していく。もちろん完全ではない。だがこの輝き、眩さ、清々しさこそより“橙”と呼称したくなる。色1つにおいても、世界とはこれほど複雑なものなのだ。
 亜矢汰は、自分の人生は何と順風満帆なんだろうかと思った。自分の未来は明るいと、そんな美しい予感に包まれた。だがこの感覚には覚えがある。思惟をめぐらせるなら、その感覚が理恵と初めてセックスをした時のものだとハッキリ分かる。
 求道、その言葉が亜矢汰の心を強かに打った。語義を説明するには辞書に立ち返る必要がありながら、しかし彼はこの言葉を心で理解しているという確信がある。自分はあの時粛々と沖縄弁や沖縄訛りについて学んでいこうと決意したからこそ、今のこの順風満帆なる人生がある、そして輝かしい未来がある。これからも粛々と学んでいこう、傲ることなく学び続けよう、亜矢汰はケリーにフェラされながらそう心に決める。明日また、図書館へ行こう。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。