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コロナウイルス連作短編その158「辞書引き大会のこと」

 ほら、私、キプロスと日本のミックスだからさ、日本人っぽくないというか、白人みたいな外見でしょ。だから小さな頃は当然のように何度も何度も“ガイジン”って馬鹿にされてた。今はそうでもない、曲がりなりにも人を“ガイジン”とか言っちゃいけないみたいな空気ができた、みたいな。まあ、ただ露骨じゃなくなっただけかもね。にしても、子供って残酷だよ。手榴弾みたいに“ガイジン”って言葉投げつけてくんだから。私なんか、実際はずっと日本に住んでて、キプロスに住んだことないし、初めて行ったの大学時代だからね、だからほぼ完全な日本人なのに“ガイジン”ってずっと言われて、マジで傷ついた。心が抉れるわ、手榴弾の破片が刺さるわ、散々だった。

 まあ事あるごとに言われて訳だけど、私がイヤだったのは例えば、国語の時間だよ。朗読したりとかしたでしょ、落語の何かとか、あとエーミール、私の時代はまだエーミールの蝶の標本のやつあったな、ねえ、菜見子は読んだ? まあいいや、それで朗読する時、私の日本語は絶対普通の日本語なのに、周りのやつらがひそひそ何か言うわけだよ。“あいつの日本語、ヘンだよ”とか“キモい喋り方してる”とか。そんで時々、わざわざ私が読んだところをカタコトで読み直してくるやついるんだよね、CMとかで外国人タレントが、わざわざ訛り強めに話してる日本語とかあるでしょ、そういうやつみたいに私の日本語を変えちゃうんだよ。それで泣きたくなったけど、逆に絶対負けてたまるかっても思って、ただただ日本語を朗読してた。言っとくけど、国語のテスト、点数良かったんだよ、だって馬鹿にされるの分かってたから、めっちゃ勉強してたし。でもあいつらにとってはそんなんどうでもいいんだよ、ただ私の外見が日本人っぽくない一点で馬鹿にしてくんだから。100点の答案見せつけたら、今度は“ワイロだ、ワイロだ”って騒いできた。そういうことなんだよ、いじめられたくなかったら、整形して顔面とか変えるしかないってこと。悔しくて、帰り道で泣くこととかもよくあったわ。

 家とかでもいっぱい練習してたんだ、特に読むのはね。そんな時はいつも父さんが聞いてくれてた。何を読むにしても、いつも誉めてくれた。誉めてくれた後に、こうすればもっと良くなるかもってアドバイスもくれて、最後にはまた誉めてくれる。そういう時の父さんの笑顔が好きでね、まだオジサンくらいの歳なのに、顔はめちゃしわくちゃだった。雨が降ってきたら、シワにめっちゃ滴が溜まっちゃうよなあっていつも思ってた。でもすごい優しく見えて、好きだったんだよ。時々は私の後に、父さんも朗読してくれてね、それが何というか、すごい表情豊かって感じだよ。読みながら、登場人物の心情を読み取って、それを例えばセリフに込めるんだよ。あれとは違うよ、おじいちゃんだったら嗄れ声、少女だったら裏声とか、そういう小学生がやりそうな小細工じゃない。もっとそういう“あるある”みたいなものの奥にある、その人自身の個性みたいなものを父さんはいつも表現しようとしてた。何だか、言葉の魔術師みたいに見えたんだ。そういう神業みたいなの聞かされて、参考もクソもないけど、でも父さんの朗読を聞いてるのは楽しかった、嬉しかったんだ。それで父さんすごい!って誉めると、親指を立ててまた笑うんだよ。何それダサって感じだったけど、でも私が日本語大好きになったのは、うん、たぶん父さんのおかげ。

 家では日本語もギリシャ語もどっちも喋ってたけど、母親がいる時はほぼギリシャ語だった。彼女、一応はずっと日本に住んでるのに日本語とか全然覚えられないから、ギリシャ語喋らざるを得なかったんだよ。父さんもずっとちゃんとギリシャ語で話してあげてた、言ったよね、父さんはバルカン半島の言語を研究してる人だから、そこの言葉、例えばブルガリア語とかクロアチア語とか、一通りは喋れてさ、だからギリシャ語もペラペラで全然支障なし。いや、キプロスはバルカン半島の国じゃないよ、どっちかと言えばトルコに近い……いや、でもこの話すると色々面倒だわ、まあとりあえずギリシャ語が公用語だから、キプロスの人とも余裕で話せるんだよ。そういう家庭で育ったから、まあ私も日本語とギリシャ語のバイリンガルな訳だね。でも母親はさ、父さんが喋れるからってその優しさに甘えすぎて、全然日本語を覚えようとしなかった、というか覚えられなかったのかもね、馬鹿だから。外でママ友とかに話しかけられても母親はあんまり喋れないんだよ、赤ちゃんに喋りかけるような感じなら返答とかも、まあできるけど、それ以外は私が通訳しないといけない訳だから、面倒臭かった。私にばっか頼ってないで、自分でもちゃんと覚えろよ、みたいな。

 そういう母親のぬるさが、私は嫌いだった。外国で色々と頑張ってるのはそりゃ分かるし、仕事以外も同じキプロスの人やギリシャの人が生きてるコミュニティのために頑張ってたのは知ってるよ。それでもさ、別にギリシャ語と英語ができれば何だかんだ生きていけるし、家では父さんも私もギリシャ語喋れるし、別に日本語喋れなくてもいいじゃん、みたいなさ、そういう怠惰さを本当、心の底から軽蔑してきた。ここ日本なんだから、日本語喋る努力ぐらいしろよって、そう思わない?

 ああ、話が逸れたね、えっと、まあそういう感じで、私は日本語とか国語とかそういうのには色々思うところがあったってこと。それで……確かじゃんけんで負けたんだっけな、4年生の時に図書委員やることになったんだよ。図書室に行って受付で本の貸し借りをするとか、あと図書室だよりをみんなで作るとか、そういうことやってたかな。その頃はバーコード読み取る、何かスーパーのあれみたいなのでピッピッて1冊ずつ読み取って貸し出しとかしてたな。今の小学校ってどうなってるか知らないけど、うちの近くの図書館なんか、もう機械に置いて全部一気にバーコード読みこませて、それで終わりだよね。あれの原理全然分かんないな、何で10冊くらい一気に機械に置いても、赤外線とかは全部バーコード読み取れんだろ、めっちゃ分厚かったりするのに、重さとかもあんのかな。まあ、いいや、この仕事は結構テキトーで、受付仕事も楽だったから、悪くなかった。図書室だしめっちゃ静かで、合間に本なんかも読んでよかったからね。それでクラスから3人くらい選ばれたんだけど、1人がおかっぱで眼鏡の子でさ、何か日本人形が100円ショップで売ってる変な老眼鏡着けてるみたいな印象の子だったんだよ。ほとんど無口で、私も図書委員じゃなかったら多分一度も話したことなかったと思う。その子、すごく本好きだったよね。図書室で仕事の合間に本読んでるし、教室でも朝とか昼休みとかずっと読んでるし“本の虫”みたいな言葉あるけど、正にそんな感じだった。何読んでたとかははっきり覚えてないけど、児童文学とかも理科の本とかも、色んなのめちゃくちゃ読んでたよ。

 でもね、一番気になったのは、仕事とかも終わった後、放課後、図書館でね、時々すごい大きな辞書持ってきて、それに向かい合いながら、彼女が本を読んでる時があったんだよ。それでいきなり辞書を開いて、ババババ!ってページを捲っていって言葉を調べるんだよ。それを読書の時、何回もやってんの。ページを捲る音が、ほんと風を切ってるみたいでさ。あんな大きな本を使いこなしてるのに驚いたし、それを目にも止まらぬ早さって感じで引いてて、本当すごかった、カッコよかったな。

 そういうのを何回も見かけてさ、カッコいいなとか思いながら、何て言うの、畏敬の念みたいな、そういうのが増してきて話しかけられないっていうのがあったんだよ。でもいつだったか、またそんな図書室で辞書を引いてるみたいな姿を見た時、こう、ぐーっと胸が締めつけられるような気持ちになった。窓から差しこんでくる夕陽のなかでさ、もうすっごく真剣に辞書引いてるんだよ、自分にもあそこまでのめりこめるものあるかなって思って、そんなもの全然なくて、それで、説明するの難しいけど、彼女はどんな世界見てるのかなって考えた。全然分かんなかったけど、いや、分かんなかったからこそ、その世界が見てみたいって思った。これって恋とかだったのかな、初恋。だとしたら初めて女の子に恋した瞬間だね、まあガチで女の子と付き合うのは高校とかだけど。そういうこと話したことなかったっけ、まあ菜見子はやきもち焼きだからね、こういうの話すとさあ……ははは。

 それで、ここで喋りかけなかったら一生喋れないような気がしたんだよ。だから本当、勇気を振り絞って話しかけてみたんだ、辞書引いててめっちゃすごいねみたいな感じで。でも誉められてもそんなに表情変えないで、別に誰でもできるよって感じ。頭いい人の余裕とかじゃなくて、自分のやってることは普通のことですって本気で思ってるような感じ。でも私は辞書なんかほぼ引いたことなかったし、だから素直にそれを言って、多分ほんと電子辞書でボタン押してたくらいみたいな感じで。で、確か今は何調べてるのって聞いたんだけど、今でもその言葉覚えてるんだよ、“航定線”、菜見子分かる、“航定線”って? わかんないなら辞書で調べて、私は教えてあげませぇん。そういうさ、あなたみたいなオトナでも分かんない“航定線”って言葉を彼女は辞書で調べてたわけだよ。あんな分厚い辞書のページを捲りまくって、つらつら探して引いてみせる。何だか、マジックみたいな。どうやるか教えて!って彼女に頼みこんだよね。無言でコクって頷いてくれたんだ、彼女。

 それで彼女といっしょに図書室で辞書を引いたり、教室の本棚にあった小学生用の国語辞典を読んだりするようになった。正直、どんな言葉を引いたかとかは全然覚えてない。今思えばメモしとけばいい感じの話の種になった気がするけど、その時は純粋に辞書を引くのが楽しくて、後のことなんて全く考えなかったよ。もちろん色んな言葉を調べたけど、実際は何というか、何を調べるとかではなく辞書を引くっていうこと自体がしたかったんだと思う。辞書のあのうっすいページを何回も捲ったり、どう表現していいか分かんない辞書のあの匂いを感じたり、指がうねうね動きまくるのを感じたり。そのために、分からない言葉はないかって難しい言葉を探し回ってた、普通逆だろうけど。子供用のやつじゃ見つからないのもあったから、それに関してはメモして、図書館のでっかい辞書を使って探すとかそういうこともしてたな。そんな時は、いつも彼女がいた気がする。喋るとかはそんなに多くなかった。どう調べるかみたいなアドバイスはたくさんもらったけどね。目的の言葉はどの辺りにあるか予想したり、こう、何ていうのかな、認識速度のコントロールとか、色々なアドバイスとかくれたよ。もう今はうまく説明できないけど、それくらい今の私の感覚に馴染んでるから、私としてもどう説明していいか分かんないくらいなんだよ。それでまあ、私が辞書を引いてる時は彼女が横にいて、アドバイス以外はあんまり喋らなかったけど、それでもいっしょに辞書を見つめながら、ページを捲る音をさ、いっしょに聞いてたんだよ。同じ世界を見てたかは分からないけど、2つの辞書から音が混じりあった、それをいっしょに聞いてたんだ。

 それで家でも自分の辞書が欲しいっておねだりとかもした。母親には言っても無駄って分かってたから、最初から何も言わなかった。ねだったのは父さんにだけ。そしたら、じゃあ子供用の国語辞典とか漢和辞典を買おうって言ってくれるんだけど、そういうのは小学校に置いてあるのを既に読んでて、全然ダメって分かってるから、あんな子供っぽくてダサいのイヤだ!ってワガママ言ってた、何ともませたガキだったなあ、私。それで父さんの書斎に行って辞書とかないか勝手に探したんだよ。そしたら物凄い焦げ茶色のケースに入ってる辞書があって、いつのかは分からないけどかなり年期の入った辞書だった。ケースから取り出したら、でも本自体はベージュの、生まれたばかりの爬虫類の皮膚みたいで、すごく綺麗だった。小さめだったけど、それでも文字がギュギュと凝縮されてるのが気に入ったね。ここに世界の知識が全部詰まってる!って感じのやつ。まあ、そんな訳ないけど、でも当時の私には確かにそう見えたんだよ。それで父さんにこれが欲しい!って直談判したら、あのシワシワの笑顔で私に辞書を譲ってくれた、何か父さんから少し認められたような気がして嬉しかったな。

 それからはいつもその辞書を抱えて学校に行ってたね。小さいけど、もちろん重いよ、小学生にはさ。でも自分だけの辞書があるっていうのが嬉しくて、そんなんどうでもよかった。それで“ガイジン”って言ってくる周りの馬鹿に、この辞書を見せつけてた。辞書を引いてる姿をそりゃもう自慢してやって、自分は頭いいぞって堂々と鼻を高くしてやってたね。それでも何かちょっかい出そうとするやつは、物理的に殴るぞって、鈍器として辞書鷲掴みにして脅してもやってたね。まあ実際そういう風に使うことはなかったよ。ただ延々と言葉の意味を調べるためにページを捲りまくってたよ。ただ本みたいに読んでるって時もあった。最初は彼女に教えられても上手く引けないって感じだったけど、でもがむしゃらに引いてれば、自然と身につくというか学んでるというか、少なくとも辞書を引くことに躊躇いがなくなって、その頃には自分の手の皮膚があの薄い紙に馴染んでるような気分になるんだ。

 でそんな時にちょうど辞書引き大会っていうのがやるっていうのを知ったんだよ。その前までは全然知らなかったんだけど、図書室に張ってあるピンク色の紙にそれが書いてあって、読みながらおおとなったよね。指定された言葉をいかに早く引いて、紙にその意味を書けるかってルール、いや本当、自分が今までやってきたことを試すチャンスだって思った。それで、こんな大会あるんだ!って驚きといっしょに彼女に言ったら、当然知ってたけど、もっと驚いたのは彼女が去年の優勝者だったこと、彼女の学年でね、全学年合同じゃなくて学年ごとに部門が分かれてたからね。それで彼女が優勝者っていうの知って、自然と心が奮い立った。私もやってやりたい!って。そこから一念発起して、もう今までにも増して四六時中、辞書を引きまくってた。この頃はもう本当一心不乱なガリ勉少女って感じで、国語に脇目も振らず全神経を注ぐようなことしてたね。夢の中でも辞書引いてるくらいだったもん。この頃にはもう“ガイジン”なんて言われても全然平気だし、辞書に載ってる言葉を適当に突きつけて意味が分かんなきゃ、お前が“ガイジン”だよ!って逆に言ってやるくらいだった。そういえばこの時初めて“ガイジン”を辞書で調べたんだよ、定義も覚えてる。“①外国人 ②第三者”っていう感じ。②の意味で“ガイジン”って使ったことある? ないよね。それから“ガイジン”も最初はただ“外国人”って意味だったのに、何で私みたいな人間を爪弾きにする言葉になっちゃったんだろうね。

 それでもらった辞書を使って父さんといっしょに特訓したよ。父さんが言った言葉を急いで、急いで調べて紙にその意味を書いていくんだ、大会の形式と同じ感じで。それで時間を計ってくれて、後には色々とアドバイスをくれたりする。今じゃそれが何だったか全然覚えてないけど、誉める時はいつも親指を立ててサムズアップしてたね。それだけはダサいって言ってもずっとやってたよ。あと何回も“そんな字が汚いと、間違いって言われるぞ!”って言われたのは覚えてるな、ははは。私、筆圧が強いから、特に細かい漢字とかだと文字が潰れちゃうんだよね。あと間違えると消ゴムで消さないで、上から正しい字を書こうとしちゃうって癖もあった。下手するとそれで読めなくなっちゃったりするから、かなり気をつけてた。父さんは茶化してきたりもしたけど、でも真剣に私に付き合ってくれたんだ。そういえば、日本の古い歌とかも歌ってもらったこともあったな。そういうのは古語だから、国語辞典じゃなくて古語辞典を使って意味を調べたりしたんだ。そのおかげで中学からの古語の授業、割りと楽勝だったりしたね。

 それでさ、時々、書斎のドアの方から視線を感じたりするんだよ。ドアの隙間から母親が私たちのこと見てるって分かるんだよね。コソコソこっち見てて恥ずかしくないの?って思いながら、そういう母親に見せつけるように辞書を引いて、そこに書いてあることを声高って感じで読んでやることもあった。そのどれくらいを母親は理解してるんだろうって想像すると、心のなかでニヤニヤしてたね。もちろん表だっては言わなかったけど、でもちょっとくらい心のなかでそう思っても罰は当たらんでしょ、内心の自由ってやつだよ。

 そうやって父さんと練習したけど、彼女には全然敵わないんだ、まあ今振り返れば当然だろうけど。だって何て言うの、同い年だけどもキャリアの差とかが歴然とある訳だったからね、だからちょっと劣等感も抱いたりして、彼女の隣で辞書引いててお腹痛くなるみたいなこともあったな。些細な嫉妬でそんなことになる自分にも腹立ったし。でもある時に気づいたんだよ。1回、いつものように彼女と競争する時があったんだけど、もうページを捲る音自体が全然違うからどっかでやる気失っちゃって、引くの止めちゃったんだよ。その時にふと彼女のこと見たら笑ってたんだよね、明るい笑顔とかじゃないけど、あまりにもやってることが楽しすぎて、自分に“ダメダメ、笑うな笑うな!”って心で念じてるのに、どうしても浮かんできちゃったような笑いだよ、いや本当に彼女は辞書引くの楽しんでたんだろうなって。それでこれが彼女の早さの秘密だったんだって一瞬で納得した。誰かと競うんじゃなくて、ただただ楽しむっていうのが重要なんだって。それで私も、最初は自分から笑顔を作りながら、また辞書を引き始めたんだ。そしたらさ、不思議だよね、少しずつまた楽しくなってくるんだよ、本当に。それで気づくんだ、辞書を引くってこんな素敵なことだったんだって!

 それであっという間に大会の日になったんだけど、私は彼女と離れた席に座ることになった。いつも図書室で辞書を引く時は彼女の隣でだったから、少し不安になったんだ。他のクラスの生徒に囲まれてさ、心臓がバクバクする思いだった。てのひらに“人”って漢字を書いて飲んだら緊張がなくなるって父さんから聞いて、実際にやってみたけど、いや全然だし。そういう感じで落ち着かないまま周りをキョロキョロ見渡してたら、彼女の真剣な表情が目に入って、しかもちょうど目があったんだよ。それでさ、私、彼女に親指をグッと立ててサムズアップしてたんだ、あれだけ父さんのやつをダサいって言ってたのに。そしたら彼女はプッと吹きだして俯いちゃったんだよ。そんな姿初めて見たし、嬉しかったな。あの笑顔とはまた違う笑顔を引き出してやったぜ!って感じ。

 それで大会が始まる訳だけど、ぶっちゃけどんな言葉を辞書で引いたとか、私が何位だったとかは全然覚えてない、ははは。まあ1位じゃなかったってのは確かだね、あと最下位でもなかったかな。まあ可もなく不可もなくってくらいだったと思う。でもそういうのはどうでもいいんだ。楽しかったこと、それは本当に覚えてる。冗談じゃなくて、日本語のなかで鳥になってたような気分だったんだ。言葉っていう羽根を持って、世界を飛んでたんだ。下では私を“ガイジン”って馬鹿にしてたやつらがギャーギャー喚いてて、父さんは私に対して大きく手を振ってくれてた。爽やかな気分、本当最高の気分。それで確かに、隣には彼女がいたんだ。彼女といっしょに私は飛んでたんだ、そして同じ世界を見てた。この時のことを思い出すたびに、美しい夢を見てたようなそんな気持ちになる。でも、あれは夢じゃなかった、本当に私に起こったことなんだ……


 なに、これを小説に書けって? はは、嫌だよ、この思い出をお金にしたくないからね。それよりオリンピック観ようよ、今日は何の競技やるんだっけ……ああ、これだよ、父さんが歌ってくれた古い歌、美しいよね、だってこれこそ日本人の魂なんだから。

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで


私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。