コロナウイルス連作短編その16「#検察庁法改正案に抗議します」

 “#検察庁法改正案に抗議します”
 曽根山幹弥の好きなアイドルである須藤瀬波がTwitterでこんなことを呟いていた。これを見た瞬間に、幹弥はひどく苛つかされる。
 何だこいつ。検察庁とか法改正とか意味分かってない癖に、何呟いてるんだ? 馬鹿じゃねえの。恋人に影響されたか? 恋人がパヨクなのか? お前みたいな頭空っぽのアイドルが政治なんか語ってんじゃねえよ。お前はいつものように部屋で他人の曲歌ってろよ。
 だが実際、検察庁法改正案について幹弥は何も知らなかった。特に知りたくもなかった。もし知ったら馬鹿な左翼と同じ存在になってしまうからだ。幹弥は頭を掻きむしる。すると大量のフケが床に落ちた。まるでコカインを床にブチ撒けたようだった。幹弥は腹いせに床を何度も踏みつける。そして幹弥は彼女にメッセージを送った。
 “何も分からない癖に、ギャーギャー喚くのは見苦しいですよ。そんなことしてたら今後の仕事がなくなります。物事は自分の頭でよく考えてから発言しましょうね。これからも頑張ってください”
 恋人である八島茉愛が帰ってくる前に部屋の掃除をする。掃除は嫌いだったけども、茉愛が綺麗好きなので三日に一度は彼も掃除する。だがそんな頻繁に掃除を行おうとする茉愛を内心見下していた。どうせ部屋は汚くなるのだから、二週間に一度ほど掃除をすれば十分だと。だが彼女は掃除をしないと目敏く埃を見つけ、気分を害しながら掃除を行うのだ。自分で自分の機嫌を悪くさせる、彼女は正真正銘の馬鹿だと幹弥は思っていた。それでも機嫌の悪い茉愛の雰囲気は幹弥自身の機嫌も悪くするので、いやいや掃除を行う。特に入念に掃除するべきなのはベッドと壁の間だった。ここに溜まる埃をキチンと取らなければ、茉愛は本当に怒るのだ。幹弥はゲロを吐くフリをしながら、隙間を掃除する。
 だが茉愛が帰ってきた後、部屋が汚いと文句を言った。ちゃんと掃除はしたと主張をするが、茉愛は全く信じようとしなかった。そして彼女は彼が掃除した場所を改めて掃除しはじめる。目の前で起こっている出来事を幹弥は信じることができなかった。掃除機のあのけたたましい騒音が幹弥の耳を苛む。彼は寝室に逃げこむ。ベッドに並べてある枕のうち、茉愛が使うほうに唾を吐いてから、それをひっくりかえした。掃除機の騒音は延々と鳴りつづけた。
 掃除が終わった後、微妙な空気が二人をつつんでいた。茉愛は冷たいココアを飲む一方で、幹弥はパソコンで映画を観ていた。その合間に、茉愛の姿を何度もチラチラと見た。眉間には醜い皺が寄り、首筋は微かにヒクヒクと痙攣している。
 馬鹿、死ね。
 幹弥は何度もそんなことを思った。彼が観ている作品は、インドの文芸映画だった。バス運転手の男と掃除夫の青年の間にある複雑な愛情を描きだした映画であり、それはインド映画史上初めてのゲイ映画だと言われていた。彼は、もう一人の女性を交えて語られる三角関係の豊かさに心を動かされた。幹弥はこの時代のインド映画だとマニ・カウルやリトウィク・ガタクが好きだったが、この名前の読み方が分からないPrem Kapoorも素晴らしい作家だと思う。そして最後には感極まって、幹弥は涙を流したのだった。
 その後Twitterを覗くと、先のアイドルから返信が届いていた。
 “私はこの法案の危険性が分かったうえで、呟いています。あなたのほうこそ、私の心を分かったように話すべきではないと思います。ありがとうございました”
 幹弥は怒りのあまりパソコンの液晶を破壊したくなった。その代わりに、彼女がリリースしたCDを持って外へと出る。自転車で土手へと走っていき、人気のない場所へ辿りつく。それからCDを床に投げすて、それを何度も何度も執拗に踏みしだいた。完膚なきまでに破壊されるまで、踏みつづけた。そして塵のように粉々になった後、幹弥はそこに小便をひっかけた。小便は夕日のなかで黄金色に輝いていた。
 帰り道、幹弥はコンビニに行く。そのなかをフラフラと彷徨った後、アイスを買うことに決める。自分のためにはミントアイスを、茉愛のためには少し高級なチョコアイスを買った。レジに立っている店員は褐色の肌をしており、彼はインド人だと思った。昼に観たインド映画の豊穣さを思うとともに、この店員が幸せであることを願った。

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