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コロナウイルス連作短編その104「傍観者の場所」

 クリーム色の量塊として聳え立つ小学校、その校舎よりもそこに寄り添う校庭の方が更に巨大であると代田五郎には思える。血気盛んな小学生たちが全速力で走り、ドッジボールを通じて互いを肉体的にも精神的にも殺傷しあうに十分な面積だ。町自体は東京近くに位置する一方、陸の孤島と思えるほどに小さく閑散としている。なのにどうして自分の通う小学校はこんなにも巨大で威圧感があるのかと不思議になる。東京の小学校はこれよりも更に大きいのか、町からあまり出たことのない五郎には分からない。分かりたいとも不思議と思わない。
 巨大グラウンドには遊具の数々が犇めいている。水色のペンキが毒々しい雲梯、錆びた鎖が不気味な音を響かせるブランコ、餓鬼と化した子供たちが踏んだり蹴ったりして遊ぶタイヤの列。だが一番人気の遊具はターザンロープであると、五郎は観察のなかで気づいた。色とりどりのタイヤが、焼けたゴムの微かな悪臭を漂わせながら積みあがり、小さな山を作っている。ここにロープの発着点があり、ここでロープを掴みまるで大海へとでも躍りでるように、飛び立っていく。耳障りな歓声をあげながら彼らは空気を切り裂いていき、大地に降りたつのだ。そして笑いや喜びと一緒に爆裂する。五郎にはこれを体験したいという欲望がほとんど存在しない。しかし眺めているのは楽しいし、ずっと鑑賞を行っていると興味深い現象を目撃することがある。須藤ケントという少年がおり、彼は太い眉毛が汚らしい人間だったが、ある時彼がロープを掴み、他の餓鬼のように冒険を始める。だが滑走の途中で手が離れてしまい、彼は地面に墜落する。そこまで肉体と地面が離れていた訳ではないが、左半身から勢いよく落ちたことで、激突の際に左腕へ全体重がかかり、異常な方向へと肉が曲がったのだ。五郎は思わず興奮する、周りに子供たちや教師たちが集まるのを遠目から眺めて更なる興奮を味わう。放課後には、一緒にこの光景を見ていた友人たちと、左腕を可能な限り変な方向へと曲げ、いかに変なポーズができるかという"ゲジマユごっこ"をした。楽しかった。

 この日もタイヤに座ってターザンロープの方を眺めている。時おり、タイヤからタイヤへ飛び移って遊ぶ幼稚な人間から文句を言われることもあるが、その人間の膝を殴りながら罵声を吐くとスゴスゴと退散していく。脆弱だった。ある時、同じクラスのフィリピン人ミックスであるブルガダ佐藤リリクがロープを持って、タイヤの小山を上っていく。だが突然1人の女子生徒、やはり同じクラスの眞守里琴が現れ、背後から彼に拳で打撃を加えると、手放されたロープを掴み悠々と山を登っていく。それに対しリリクがまるで相撲レスラーさながら背中へ追突し、ロープを奪い取らんとする。
 こうして小さな肉塊2つによる大喧嘩が始まる。山から地面へと降りてきた2人は、互いに服を鷲掴みにし、激しく引っ張り合う。その最中に里琴がリリクの顔を殴りつけると、掴みあいは殴りあいへと発展する。生々しい拳と拳の対話には興奮させられる。思い出すのは昔祖母のマキエと一緒に家で観た映画だ。音が一切ない、いわゆるサイレント映画というもので、100年前に作られた映画と聞いてとても驚いた。だが更に驚かされたのは冒頭から主人公であるカウボーイと牧師が、無頼漢でいっぱいの酒場で壮絶な殴りあいを始めたからだ。時々ボクシングの試合がテレビなどで流れるが、それ以上の迫力と生々しさが彼らの連発される殴打には内在していた。そして映画館で観るマーベルの映画や、深夜起きた時に偶然テレビで流れていた大人な映画よりも、更に暴力的だった。五郎が静かに震える一方、祖母は露骨なまでに興奮を晒し、まるで父親である牧大が広島カープの攻防に一喜一憂するように身体を躍動させていた。こんなにも生命力を弾けさせる祖母を見たのは初めてで、自然と自分まで身体全体で興奮を表現していた。そして殴りあった後に冷静になると、彼らは互いの傷を手当てしあい仲直りをし、当然のように2人は生涯の友人になる。母の綾音が読ませてくれた昔の週刊少年ジャンプの漫画さながら、美しい。
 砂煙が湧きたつほどに激烈な暴力の応酬は、あのサイレント映画の再来と思えた。しかしあれよりも不思議と迫力が減じられているように思われる、直接この光景を目にしているのにだ。しばらく考えた後、この風景には音が付随しているからだと思える。無音の中(実際には音楽家が後からつけた劇伴が流れていたが、マキエはわざと消音にしていた。"下卑ている"と彼女は吐き捨てる)で繰り出される暴力の、弩迫の恐ろしさたるや網膜にそのまま拳が肉薄するかのようだ。しかしこの喧嘩の風景には猥雑な声の響きや、見た目の激しさに反して惨めなほど掠れている打撃音が介在し、これが迫力を殺す。暴力というものが生来的に宿す優雅さ、品格が汚されていた。この暴力は"下卑てい"た。端から眺めるには別に悪くない、刹那的な面白みがある。
 里琴の勢いが苛烈さを増していくなか、五郎の友人である山登マチが友人兼取り巻きを連れて現れる。だが喧嘩に参加することはない。端から少女と少年の喧嘩を観戦し「やっちまえ!」と大声で喚きたてる。その熱狂に惹きつけられ、周りの餓鬼たちも集まってきて、自然と人だかりができる。マスクをした群れ、その半分だけ露出した顔面が興奮の赤と、そして濃厚な黄に包まれていく。五郎は冷静を気取りながら、どこかで自身の顔もこんな色彩になっていると思えた。特にあの黄色、母が妹を妊娠していた時にブチ撒けていた吐瀉物の色彩に。
 そして里琴の拳がリリクの右の頬骨に追突し、ついに彼は倒れた。熱狂の渦のなかで、里琴が最後まで立っていた者だった。マチがやってきて里琴の左腕を掲げ「勝者!」と叫んだ。彼女の顔は野獣から絶対的王のものとなり、その厳かな顔つきの中心に位置する右の鼻室から鼻血がつうと流れ始める。だがマチはリリクの元へと歩み寄ると、彼に手を貸した。当惑しながらリリクはその手を掴むが、彼が立つとなるとマチは再び腕を掲げ「お前も勝者!」と叫ぶ。最後にはその両の手で2人の腕を掲げて「2人とも勝者!」と黄色い顔を輝かせた。里琴とリリクの顔も黄色に染まった。
「一緒に怒られに行こうぜ!」
 マチは2人を取り巻きのなかへ引きこむと、皆で連れ立ち校舎の方へ向かう。その先には騒動を聞きつけたのだろう教師たちが何人か早歩きで向かってくる。だが五郎は教師の正面を見ることなく、ただ里琴とリリクの、校舎よりも大きな背中を眺めていた。

 台所では父の牧大が五郎の姉である伊里に料理を教えている。
「出汁っていうのはこういう水道水の硬水だと出にくいんだよ。だからここに醤油を入れる。ここに入ってるイノシン酸っていう成分が旨味を補うんだよ。でも俺が昔住んでた兵庫、というか関西だな、そこは水道水が軟水でそれだと出汁が出やすいんだよ。だから醤油を足す必要があんまりない」
「へえ……でも何か今調べたらこの地域の水道水、軟水って書いてあるけど」
「いやいやいや、ああ、まあ説明が悪かったな。日本の水道水は基本軟水なんだけど、関東は硬めの軟水、関西は柔らかめの軟水なんだよ、柔らかさにグラデーションがある訳だよ」
「胡散臭えなあ、マジなの?」
 トイレに行こうとすると啜りなく声が聞こえる。部屋を覗きこむと、妹の朝霧が床に踞って泣いていた。「痛いよ、痛いよ」とぶつぶつ言いながら、右手で剥き出しの膝を擦っている。だが五郎にとって問題なのは、髪を引っ張りまくっている彼女の左手だった。嘘をついている時、朝霧はこうして左手で髪を強く引っ張り自傷行為を行う。だが不思議なのは誰かが居るところでは勿論、誰も居ないところですらこうして誰かの注意を惹くための行動を行うことだ。おそらく中毒になっているのだろうと五郎は予想する。注意を惹くことの快感が忘れられず、もはや暇潰しさながら癖のようにこういった行為を行う。その時、幽霊すらも彼女を気にかけない。五郎はただそれを眺める。
 それも飽きた時、自分の寝室へ赴く。机の上には餌を蓄えたリスの頬っぺたのような丸っこい金魚鉢が置いてあり、2匹の金魚が泳いでいる。友人の鞠子啓介からもらった物だ。彼はどこからか数匹の金魚をもらい、更に自分以外にもこれを飼う人間を探していたので、立候補した。意外にも両親ともに乗り気で、大きな水槽を買う手筈すら整えながら、五郎は前に祖母と見た日本映画に出てきた昔ながらの金魚鉢を求めた。その憧れのガラス球のなかで、ふわふわと泳ぐ金魚たちをしばらく眺め、臀部を掻き毟る。そして彼らに餌を与えた。小さな化学物質の塊を2匹が我先にと、それでも一応の節度と友好を以て食べるのだが、少なくなってくると、彼らは残った餌を奪いあう。動きは激しいが、水面を震わすほどではない。この暴力は無音だった。これがとても面白い。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。